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埋まらない溝1

 図書室で本に囲まれ、地べたに座る。多少はしたないかもしれないけれど、これが私の自然体だ。リュシアンやオーレリアの目に触れなければそれで良い。リュシアンと対面を果たしてから今日で三日――進展はない。
 もう私は振り落とされてしまったのだろうか。逃げ帰りたくはないのに、自信のなさが覗く。

「なにか連絡くれても良いのに」

 ボソッと呟いてみるものの、それを拾い上げてくれる者もいない。
 次の本に取り掛かろうと、隣に積み上げていた深緑の背表紙に手を伸ばす。

「エレナ」

 聞き覚えのある声が耳に届く。嘘だと思いながらも、ゆっくりと顔を上げた。柔らかな表情を湛えたリュシアンと目が合う。

「どうしてこのようなところに?」

 慌てて立ち上がったため、ヒールのバランスを崩してしまった。転びそうになった私の腕をリュシアンが咄嗟に掴む。

「で、殿下」

「あっ、申し訳ありません。軽々しく女性に触れてはいけないと分かってはいるのですが、つい」

 リュシアンは微笑みを崩さず、そっと手を離す。

「エレナ、明日にでも二人でお茶をしませんか?」

「えっ?」

 先ほどは杞憂だったのだろうか。深紅の薔薇が咲いたかのように胸が温かくなる。

「勿論、喜んで」

「良かった」

 リュシアンは更ににこっと笑い、胸に手を当てた。

「それを伝えに、わざわざ来てくださったのですか?」

「ええ。部屋に行ったらエレナがいなかったものですから、侍女に聞いて」

 妃候補にそこまでする王太子が他国にいるだろうか。驚いてしまい、それ以上の言葉が出てこない。
 
「では明日の十四時に、裏庭の薔薇庭園で」

 爽やかな笑みを残して去っていくリュシアンを呆然と見ていた。物音一つしない図書室で、夢でも見ているかのようだ。

「わ、私ったら......次の本を読まなきゃなのに」

 再び地べたに座り、膝の上に本を広げる。赤くなった頬を隠す必要もない。私にだけ向けられた笑顔を思い出しながら、一人悶えるのだった。

 * * *

 その時は静かに、確実にやってきた。顔合わせでは着られなかった、父に買ってもらった深紅のドレスを纏い、暖色の化粧を施す。おまけにヒールも深紅だ。このドレスは、いわば私の闘志の表れなのだ。破り捨てられていなくて良かった。
 セリスの後に続き、薔薇庭園を目指す。庭には初めて足を踏み入れる。上手くリュシアンと花を立てられるだろうか。心配ではあるけれど、一対一では誰かを頼る訳にもいかない。自信を持つんだ、私、と自身を鼓舞する。
 そして、裏庭にリュシアンの姿はあった。紺の衣装に白い薔薇を一本携え、微笑みを湛えてこちらの様子を窺っている。自然と走り出していた。

「リュシアン殿下、お待たせして申し訳ございません」

「私が好きで早く来ていただけですから。急がなくて大丈夫ですよ」

 それでも、急ぎたいのだ。うっすらと芽生え始めた恋心に、自分でも驚いてしまう。

「今日も可憐で美しい」

 リュシアンの元へ辿り着くと、彼は持っていた白薔薇を私の銀髪に挿した。

「良く似合っていますよ」

 にこりと笑うリュシアンに、胸がときめいてしまう。こんなの、誰でも言える褒め言葉なのに。

「リュシアン殿下はお世辞がお上手ですね」

「そんなことはありませんよ」

 変わらない笑顔を見ているだけでは今の言葉が世辞なのか、本音なのかすら分からない。視線を落とし、はにかむしかなかった。

「薔薇はご覧になりましたか?」

「いえ、実はまだなのです」

「一緒に見て回りませんか?」

「はい」

 リュシアンは一つ一つ薔薇の品種を覚えているらしく、私にその名を説明してくれた。それは良いのだけれど、一度で覚えられる自信はない。幸いにも品種の記されたプレートが掲げられているので、後で復習も出来るだろう。
 リュシアンは深紅の薔薇の手前で足を止める。

「この薔薇はオリヴィア」

「まるで人名のようですのね」

「そのまま人名を表していることもありますよ。ですが、この薔薇はエレナと改名しても良いほどに貴女に似ている」

 そうだろうか。こんなにも高貴で気高く、情熱的な薔薇に似ているだなんて。

「殿下、それは言い過ぎでは」

「いや、これは第一印象で、の話です」

「第一印象?」

「ええ」

 小首を傾げると、リュシアンはその隣に咲く薄紫の薔薇に手を伸ばす。

「貴女の心はスイートムーン。こちらによく似ています」

 繊細で可憐な薔薇――意外な選択に、薔薇をしげしげと覗き込んだ。リュシアンの瞳には、私はこのように映っていたのだろうか。

「あ、いけませんね。そろそろ座りましょう。足は疲れていませんか?」

「これくらいなら平気です」

 私が「ふふっ」と笑うと、リュシアンも小さな声を上げて笑った。
 香り立つ色とりどりの薔薇を眺めながら、ガーデンチェアに腰を下ろす。すぐさまセリスがお茶を用意してくれた。この赤い液体は紅茶ではないだろう。フルーティーな香りがする。

「上質なローズヒップティーですよ。どうぞ召し上がってください」

「ありがとうございます」

 ローズヒップティーなんて上品なものは嗜んだことがない。色に騙されて甘いのかと思いきや、酸味が舌を刺激する。慣れていないことがバレてしまわないように、平然と角砂糖を一つ落とした。スプーンでかき混ぜると、白はほぐれて消えていく。
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埋まらない溝2
優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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埋まらない溝1

 図書室で本に囲まれ、地べたに座る。多少はしたないかもしれないけれど、これが私の自然体だ。リュシアンやオーレリアの目に触れなければそれで良い。リュシアンと対面を果たしてから今日で三日――進展はない。
 もう私は振り落とされてしまったのだろうか。逃げ帰りたくはないのに、自信のなさが覗く。

「なにか連絡くれても良いのに」

 ボソッと呟いてみるものの、それを拾い上げてくれる者もいない。
 次の本に取り掛かろうと、隣に積み上げていた深緑の背表紙に手を伸ばす。

「エレナ」

 聞き覚えのある声が耳に届く。嘘だと思いながらも、ゆっくりと顔を上げた。柔らかな表情を湛えたリュシアンと目が合う。

「どうしてこのようなところに?」

 慌てて立ち上がったため、ヒールのバランスを崩してしまった。転びそうになった私の腕をリュシアンが咄嗟に掴む。

「で、殿下」

「あっ、申し訳ありません。軽々しく女性に触れてはいけないと分かってはいるのですが、つい」

 リュシアンは微笑みを崩さず、そっと手を離す。

「エレナ、明日にでも二人でお茶をしませんか?」

「えっ?」

 先ほどは杞憂だったのだろうか。深紅の薔薇が咲いたかのように胸が温かくなる。

「勿論、喜んで」

「良かった」

 リュシアンは更ににこっと笑い、胸に手を当てた。

「それを伝えに、わざわざ来てくださったのですか?」

「ええ。部屋に行ったらエレナがいなかったものですから、侍女に聞いて」

 妃候補にそこまでする王太子が他国にいるだろうか。驚いてしまい、それ以上の言葉が出てこない。
 
「では明日の十四時に、裏庭の薔薇庭園で」

 爽やかな笑みを残して去っていくリュシアンを呆然と見ていた。物音一つしない図書室で、夢でも見ているかのようだ。

「わ、私ったら......次の本を読まなきゃなのに」

 再び地べたに座り、膝の上に本を広げる。赤くなった頬を隠す必要もない。私にだけ向けられた笑顔を思い出しながら、一人悶えるのだった。

 * * *

 その時は静かに、確実にやってきた。顔合わせでは着られなかった、父に買ってもらった深紅のドレスを纏い、暖色の化粧を施す。おまけにヒールも深紅だ。このドレスは、いわば私の闘志の表れなのだ。破り捨てられていなくて良かった。
 セリスの後に続き、薔薇庭園を目指す。庭には初めて足を踏み入れる。上手くリュシアンと花を立てられるだろうか。心配ではあるけれど、一対一では誰かを頼る訳にもいかない。自信を持つんだ、私、と自身を鼓舞する。
 そして、裏庭にリュシアンの姿はあった。紺の衣装に白い薔薇を一本携え、微笑みを湛えてこちらの様子を窺っている。自然と走り出していた。

「リュシアン殿下、お待たせして申し訳ございません」

「私が好きで早く来ていただけですから。急がなくて大丈夫ですよ」

 それでも、急ぎたいのだ。うっすらと芽生え始めた恋心に、自分でも驚いてしまう。

「今日も可憐で美しい」

 リュシアンの元へ辿り着くと、彼は持っていた白薔薇を私の銀髪に挿した。

「良く似合っていますよ」

 にこりと笑うリュシアンに、胸がときめいてしまう。こんなの、誰でも言える褒め言葉なのに。

「リュシアン殿下はお世辞がお上手ですね」

「そんなことはありませんよ」

 変わらない笑顔を見ているだけでは今の言葉が世辞なのか、本音なのかすら分からない。視線を落とし、はにかむしかなかった。

「薔薇はご覧になりましたか?」

「いえ、実はまだなのです」

「一緒に見て回りませんか?」

「はい」

 リュシアンは一つ一つ薔薇の品種を覚えているらしく、私にその名を説明してくれた。それは良いのだけれど、一度で覚えられる自信はない。幸いにも品種の記されたプレートが掲げられているので、後で復習も出来るだろう。
 リュシアンは深紅の薔薇の手前で足を止める。

「この薔薇はオリヴィア」

「まるで人名のようですのね」

「そのまま人名を表していることもありますよ。ですが、この薔薇はエレナと改名しても良いほどに貴女に似ている」

 そうだろうか。こんなにも高貴で気高く、情熱的な薔薇に似ているだなんて。

「殿下、それは言い過ぎでは」

「いや、これは第一印象で、の話です」

「第一印象?」

「ええ」

 小首を傾げると、リュシアンはその隣に咲く薄紫の薔薇に手を伸ばす。

「貴女の心はスイートムーン。こちらによく似ています」

 繊細で可憐な薔薇――意外な選択に、薔薇をしげしげと覗き込んだ。リュシアンの瞳には、私はこのように映っていたのだろうか。

「あ、いけませんね。そろそろ座りましょう。足は疲れていませんか?」

「これくらいなら平気です」

 私が「ふふっ」と笑うと、リュシアンも小さな声を上げて笑った。
 香り立つ色とりどりの薔薇を眺めながら、ガーデンチェアに腰を下ろす。すぐさまセリスがお茶を用意してくれた。この赤い液体は紅茶ではないだろう。フルーティーな香りがする。

「上質なローズヒップティーですよ。どうぞ召し上がってください」

「ありがとうございます」

 ローズヒップティーなんて上品なものは嗜んだことがない。色に騙されて甘いのかと思いきや、酸味が舌を刺激する。慣れていないことがバレてしまわないように、平然と角砂糖を一つ落とした。スプーンでかき混ぜると、白はほぐれて消えていく。
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次の話埋まらない溝2
優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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