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薔薇に落ちる影3

 リュシアンの手がこちらに伸びてくる。しかし、私に触れることはなかった。

「エレナは泣き虫さんですね」

「ち、違......」

 泣き虫なのは父であって、私ではない。必死に否定しようとしたけれど、泣き顔のままでは説得力がない。
 リュシアンに差し出されたハンカチを受け取り、顔に押し付ける。

「私は、涙脆くても構わないと思うのですよ」

「え......?」

「それだけ自分を出せている、ということですから」

 自分の感情を殺すことしか知らないリュシアンと、自分を出してしまう私――比べる必要なんてないのは分かっている。でも、比較してしまう。リュシアンは泣かないのではない。泣けないのだ。
 私が泣けるのは、幸せな環境で生きてきた証だろう。
 紅茶の傍に置かれていたグラスの水にそっと触れる。指先に水滴がついたのを確認すると、その手でリュシアンの頬に触れた。

「エ、エレナ?」

「リュシアン殿下も......泣きたい時は泣いてください。私は殿下の涙をただの水滴と思うことにします」

 手を離すと、リュシアンの頬からすっと水が滴る。空色の瞳は再び潤んでいき、今度こそ温かな雫が頬へと流れた。

「エレナはどこまでも優しいのですね」

「リュシアン殿下に比べたら......まだまだです」

 私も懐へ手を伸ばし、自分のハンカチを取り出す。それをリュシアンへ差し出した。リュシアンも素直に受け取ってくれたので、この場は良しとしよう。
 互いのハンカチで自身の目頭を押さえる。他人が見たなら、何をしているのだと思われるかもしれない。でも、私たちにとっては、温かでかけがえのない時間だった。

 * * *

 図書室で本を読んでいると、リュシアンは度々顔を出した。

「エレナ」

 ある時は陽だまりのような笑顔を私に向けてくれる。

「エレナ?」

 ある時は首を傾げて、不思議そうな顔で私を見る。

「エレナ......」

 ある時は落胆を隠しきれず、肩を落とす。事情を聞いてみると、王妃奪還作戦の日取りがなかなか決まらないとのことだった。意を決して口を開いてみる。

「あの、私、思いついたことがあるのです」

「何です? 些細なことでも構いません」

 国王に謁見した時に、国王が落とした紙には『王妃、不眠の気あり』と書かれていた。それなら、その状況を逆手に取れば良い。

「作戦の決行は真夜中にするべきです」

「どうしてです?」

「王妃殿下は不眠を患っておいでです。微かな明かりや物音にも反応出来るでしょう」

「何故、母上が不眠だと?」

 リュシアンは眉をひそめる。国王には他言無用と言われたけれど、ここで説明しない訳にもいかない。

「ある書簡を目にしてしまったのです。そこには、確かに『王妃、不眠の気あり』と」

「なるほど......」

 リュシアンも知り得なかった情報らしい。視線を落として何度か瞬きをすると、空色の瞳は再びこちらを向いた。

「過去の暴動の衝撃が母上の心の中で繰り返されなければ良いのですが......」

「殿下が心配するお気持ちも分かります。ですが、時刻は真夜中に。敵兵も寝静まっているでしょうし、こちら側の身も隠せますから」

「そうですね、背に腹はかえられません。父上とも相談してみます」

 リュシアンは何度か頷くと、ようやく私の隣に腰を下ろした。

「エレナに相談して良かった」

「いいえ、これくらいならいくらでも頼ってください」

 片手でガッツポーズを作ると、リュシアンは小さく笑う。

「今日はどんな本を読んでいたのですか?」

「花の精霊と少年が心を通わせる、温かな物語です」

 以前読んでいたミステリーは、主人公の女性が恋人に殺されるという衝撃的な最終章を迎えた。言葉を失うとはこのことか、と思い知った。リュシアンとの出来事もあり、最近は穏やかな小説を選んで読んでいる。やはり、物語はハッピーエンドが良い。
 うっとりしていると、リュシアンが口を開いた。

「花の精霊、ですか。どのような姿なのでしょうね」

「私は勝手に薔薇のような姿だと思っています。雰囲気が出ません?」

「想像したら......可愛らしいですね」

 リュシアンと二人で笑い合う。薔薇の精霊なんていたら、可愛らしくて、美しい。思わず手を差し伸べてしまいそうになるだろう。
 性別は逆になってしまうけれど、私のイメージでは、花の精霊はリュシアンで、主人公の少年は幼い私なのだ。野を駆け、花を愛で、新鮮な空気を吸い込む。辺境の地でしか体験出来ないだろう。

「私も続きを読みましょう。本は......あった」

 リュシアンも棚に手を伸ばし、本を取り出す。きっと、本が好きな訳ではなく、私と同じ空間にいたいのだろう。私にとっては嬉しい理由だ。
 本を捲る音だけが響く――はずだった。図書室の扉が開く音が響き、誰かの駆ける足音が近付いてきたのだ。私には関係ない。そう思い込もうとしても無理があった。顔を上げる前に、視界に影が落ちる。

「エレナ、立ちなさい」

 この威圧的な声はオーレリアだ。嫌な予感が頭を過ぎる。出自が知られたかもしれない。

「お兄様、エレナをお借りします」

「オーレリア? 何故です?」

「お兄様も薄々勘づいているでしょう?」

 リュシアンは首を傾げる。しかし、オーレリアはお構いなしだ。仕方なく立ち上がった私の手首を掴み、こちらの様子を窺うこともなく走り出した。心臓が破裂しそうなほどに鼓動している。
 どこに連れていかれるかと思えば、私の居室だった。イザベラが部屋の前で待ち構えていて、扉を開け放つ。
 オーレリアは中へと踏み込むと、私を部屋の中心へと放り投げた。よろめきながらなんとか体勢を立て直し、オーレリアとイザベラの方へと向いた。

「あの、お二人ともどうなさったのです?」

 あくまでも冷静に、慎重に。相手を刺激してはいけない。

「しらばっくれないで! どういうことか説明してもらいます!」

 オーレリアは息を荒らげ、言葉を吐き捨てた。イザベラが腕を組み、話を繋げる。

「貴女がノワゼル家の......罪人の家出身とは本当ですか? 申開きがあれば聞きますが」

 自然と生唾を呑み込んでいた。駄目だ、申開きなんてしようがない。だって、それが事実なのだから。
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優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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薔薇に落ちる影3

 リュシアンの手がこちらに伸びてくる。しかし、私に触れることはなかった。

「エレナは泣き虫さんですね」

「ち、違......」

 泣き虫なのは父であって、私ではない。必死に否定しようとしたけれど、泣き顔のままでは説得力がない。
 リュシアンに差し出されたハンカチを受け取り、顔に押し付ける。

「私は、涙脆くても構わないと思うのですよ」

「え......?」

「それだけ自分を出せている、ということですから」

 自分の感情を殺すことしか知らないリュシアンと、自分を出してしまう私――比べる必要なんてないのは分かっている。でも、比較してしまう。リュシアンは泣かないのではない。泣けないのだ。
 私が泣けるのは、幸せな環境で生きてきた証だろう。
 紅茶の傍に置かれていたグラスの水にそっと触れる。指先に水滴がついたのを確認すると、その手でリュシアンの頬に触れた。

「エ、エレナ?」

「リュシアン殿下も......泣きたい時は泣いてください。私は殿下の涙をただの水滴と思うことにします」

 手を離すと、リュシアンの頬からすっと水が滴る。空色の瞳は再び潤んでいき、今度こそ温かな雫が頬へと流れた。

「エレナはどこまでも優しいのですね」

「リュシアン殿下に比べたら......まだまだです」

 私も懐へ手を伸ばし、自分のハンカチを取り出す。それをリュシアンへ差し出した。リュシアンも素直に受け取ってくれたので、この場は良しとしよう。
 互いのハンカチで自身の目頭を押さえる。他人が見たなら、何をしているのだと思われるかもしれない。でも、私たちにとっては、温かでかけがえのない時間だった。

 * * *

 図書室で本を読んでいると、リュシアンは度々顔を出した。

「エレナ」

 ある時は陽だまりのような笑顔を私に向けてくれる。

「エレナ?」

 ある時は首を傾げて、不思議そうな顔で私を見る。

「エレナ......」

 ある時は落胆を隠しきれず、肩を落とす。事情を聞いてみると、王妃奪還作戦の日取りがなかなか決まらないとのことだった。意を決して口を開いてみる。

「あの、私、思いついたことがあるのです」

「何です? 些細なことでも構いません」

 国王に謁見した時に、国王が落とした紙には『王妃、不眠の気あり』と書かれていた。それなら、その状況を逆手に取れば良い。

「作戦の決行は真夜中にするべきです」

「どうしてです?」

「王妃殿下は不眠を患っておいでです。微かな明かりや物音にも反応出来るでしょう」

「何故、母上が不眠だと?」

 リュシアンは眉をひそめる。国王には他言無用と言われたけれど、ここで説明しない訳にもいかない。

「ある書簡を目にしてしまったのです。そこには、確かに『王妃、不眠の気あり』と」

「なるほど......」

 リュシアンも知り得なかった情報らしい。視線を落として何度か瞬きをすると、空色の瞳は再びこちらを向いた。

「過去の暴動の衝撃が母上の心の中で繰り返されなければ良いのですが......」

「殿下が心配するお気持ちも分かります。ですが、時刻は真夜中に。敵兵も寝静まっているでしょうし、こちら側の身も隠せますから」

「そうですね、背に腹はかえられません。父上とも相談してみます」

 リュシアンは何度か頷くと、ようやく私の隣に腰を下ろした。

「エレナに相談して良かった」

「いいえ、これくらいならいくらでも頼ってください」

 片手でガッツポーズを作ると、リュシアンは小さく笑う。

「今日はどんな本を読んでいたのですか?」

「花の精霊と少年が心を通わせる、温かな物語です」

 以前読んでいたミステリーは、主人公の女性が恋人に殺されるという衝撃的な最終章を迎えた。言葉を失うとはこのことか、と思い知った。リュシアンとの出来事もあり、最近は穏やかな小説を選んで読んでいる。やはり、物語はハッピーエンドが良い。
 うっとりしていると、リュシアンが口を開いた。

「花の精霊、ですか。どのような姿なのでしょうね」

「私は勝手に薔薇のような姿だと思っています。雰囲気が出ません?」

「想像したら......可愛らしいですね」

 リュシアンと二人で笑い合う。薔薇の精霊なんていたら、可愛らしくて、美しい。思わず手を差し伸べてしまいそうになるだろう。
 性別は逆になってしまうけれど、私のイメージでは、花の精霊はリュシアンで、主人公の少年は幼い私なのだ。野を駆け、花を愛で、新鮮な空気を吸い込む。辺境の地でしか体験出来ないだろう。

「私も続きを読みましょう。本は......あった」

 リュシアンも棚に手を伸ばし、本を取り出す。きっと、本が好きな訳ではなく、私と同じ空間にいたいのだろう。私にとっては嬉しい理由だ。
 本を捲る音だけが響く――はずだった。図書室の扉が開く音が響き、誰かの駆ける足音が近付いてきたのだ。私には関係ない。そう思い込もうとしても無理があった。顔を上げる前に、視界に影が落ちる。

「エレナ、立ちなさい」

 この威圧的な声はオーレリアだ。嫌な予感が頭を過ぎる。出自が知られたかもしれない。

「お兄様、エレナをお借りします」

「オーレリア? 何故です?」

「お兄様も薄々勘づいているでしょう?」

 リュシアンは首を傾げる。しかし、オーレリアはお構いなしだ。仕方なく立ち上がった私の手首を掴み、こちらの様子を窺うこともなく走り出した。心臓が破裂しそうなほどに鼓動している。
 どこに連れていかれるかと思えば、私の居室だった。イザベラが部屋の前で待ち構えていて、扉を開け放つ。
 オーレリアは中へと踏み込むと、私を部屋の中心へと放り投げた。よろめきながらなんとか体勢を立て直し、オーレリアとイザベラの方へと向いた。

「あの、お二人ともどうなさったのです?」

 あくまでも冷静に、慎重に。相手を刺激してはいけない。

「しらばっくれないで! どういうことか説明してもらいます!」

 オーレリアは息を荒らげ、言葉を吐き捨てた。イザベラが腕を組み、話を繋げる。

「貴女がノワゼル家の......罪人の家出身とは本当ですか? 申開きがあれば聞きますが」

 自然と生唾を呑み込んでいた。駄目だ、申開きなんてしようがない。だって、それが事実なのだから。
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次の話輝くスイートムーン1
優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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