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君の最期を。

「いてて、また鼻血でた」

 俺は、大好きなあの人のために、鏡を見つめていた。

 鏡なんかを見つめるだなんてナルシストかもしれないが、俺は俺自身を見てるんじゃない。
 俺の瞳を通して見れる未来の光景を覗き込んでいた。

「明日は、柊センパイの家に行く日だ」

 俺の能力は、俺個人か一番近くにいる親しい人の未来しか見れないから、彼女がちゃんと幸せに生きられるか見ていた。

 神さま、これぐらいはいいよね、彼女がちゃんと前を向いてるかだけ見たかったんだ。
 代償があるなら、俺につけといていいからさ。
 地獄行きになるでもなんでも受け入れるよ。

「けいー? 明日、友達の家に行くんでしょー? 早く寝たらー」

 母が声高にしわがれた中年女性の声を響かせながら、廊下をぎしぎしと鳴らせて近付いてくる。

「母さん、あんまり過保護にしなくたっていいって言ってるでしょ、仕事で疲れてんだから早く寝なよ」

「そうは言ってもね。お母さん、久々にあんたが友達の家に行くっていうから、なんか心配なんだよ」

「むー」

 俺は母にもふてくされてるのが分かるように、わざとらしく頬を膨らませる。

「お母さん、ちょっちしつこいですよ」

「あらあら、ちょっちしつこくても分かるんですよ? その感じ、あんた女の子の家行くんでしょ」

「うげ」

 なぜ分かるんだ。あまり、浮かれたような言動や行動は出していないはずだ。
 このばばあ、プライベートを見透かして、あんなことやこんなことも知ってるのか?
 プライバシー侵害だな。

「なんで分かるの」

「分かるわよ、時々ニタニタ笑って気持ち悪いんですもの。私と交際を始めた時のパパみたいだわ」

 うわー、親って怖えー。プライバシー侵害どころか、俺の性癖さえ知ってるんじゃないか?
 俺が持ってるこの能力よりも怖いわ。

「分かったよ、分かったから。早く寝るから、母さんも休んで」

「ぬふふ、あんまり羽目外さないのよー? そうだ、あんたの歳じゃ買いづらいだろうから『アレ』でも調達してあげようか?」

「も、もう! いいって言ってるでしょ! 息子の性事情にも関わるな! 早く寝ろ!」

「はいはい、分かったわよ。でも、ちゃんと楽しんでね。責任の伴う事はちゃんと考えること」

「あいあい、分かってる分かってる」

 母親が言いたいことは分かってる。なんとなく察するし、親の心配もありがたい。
 だからこそ面倒で、理解してるから、しっしと猫を追い払うように手を振る。

 でも。

「あとね、これだけ言っておきたいの」

「なに」

 母からこんな言葉が出るなんて思わなかった。

「ちゃんと納得できる人生にするんだよ」

 俺がもうすぐ死ぬのが、勘づいてるのかは分からない。

 でも、俺はちゃんと答えたい。答えなくちゃいけない。

「分かってるよ、母さん。最期まで、ああ生きててよかった、て思えるように生きてみせるさ」

「ふふ、そう」

 母はくすり、笑って振り返り、いつものようにほがらかな声で、「おやすみ」と挨拶してくれた。

「うん、おやすみ」

 ガチャン、と母が寝室に入る音が聞こえてから、俺は洗面所をあとにした。

 途中、寝室を通る時に鼻をすすって嗚咽を漏らす声が聞こえたような気がしたけど、部屋の前で立ち止まってはいけない気がして、気の所為にした。

「かあさん、ごめん」

 俺は、自室に入って、すぐに勉強机へと座ろうとした。

 でも、やめた。
 部屋の真ん中で立ち止まった足を、窓へと向ける。

 吸い込まれるように、窓に手を伸ばして、開いた窓ガラスからは、いっぱいに夜風が入り込む。

 妙な高揚感とともに、窓から身を乗り出し、胸いっぱいに夜風を肺に取り込む。

 ああ、湿り気を帯びた草木の匂いだ。
 夏特有の、じめっとした青臭い匂い。

 周りは田んぼだらけで、群青の夜風を見上げれば、星がまたたいている。

 地平の向こうにはビル群の光がきらめき、まるで宇宙の中を銀河鉄道が走っているようだ。

(センパイにもこれを見せたかったな)

 俺が嗅いだ、夏の草木の匂いは河川敷でもセンパイと共有した。

 センパイは河川敷でこの匂いが好きだといった。

 俺は気にもとめた事のない香りだったけど、改めて味わうと、俺も好きになった。

 むしろ、今まで嫌いだったかもしれない。

「センパイ、今なにしてるかな」

 能力で視ればいいだろう。
 でも、そんな事に無駄に使いたくないし、こうやって思いを馳せてみるのも、たまにはいい。

 さあ、外の空気でリラックスしたんだ。
 もう休憩は終わりだ。まだやらなければいけないことがある。

 きっとこれなら、向き合える。

 どんな恐怖にも、孤独にも、覚悟にも。......センパイにも。
 
 窓を閉めて、まだ青臭い匂いが残る部屋の中、机に向かった。

 一番上の引き出しにしまった日記帳を手に取る。
 ぎしり、と音を立てて勉強机の席について、俺は一つの鉛筆を手に取った。

 ついに、来た。
 
 きっと、これが最期だ。

 一通り見た彼女の行動は、一部の未来で過激化していた。

 俺が死ぬのを諦めきれずに日々を過ごせば、彼女は人を傷つけたり、終いには人を殺してしまっていた。

 彼女は、自身の能力に縋って、確証もないルールを祈るように信じて狂気を演じていたのだ。

 人間を捨てきれない彼女は、ついに一線を超えてしまって。そこまでして俺を生かそうとしてくれた、その歪んだ愛すらも愛おしいけど。

 俺はその世界線に立つのは現実感がない。でも、未来が外れたことはない。

 きっと、いや、絶対実現する。

 彼女の覚悟は本物だ。俺がこの後入院するルートがあるが、そこでは夏休みにもかかわらず帰宅部の先輩は学校に登校して大勢の人を傷付ける。

 この時に人を殺しかけるのを見たが、殺人に踏み込んでしまうのはもう少し先だ。

......ただ、それだけだ。
 
 彼女を犯罪者にしたくない。
 
 俺のせいで、彼女をおかしくしたくない。

 俺が生きている限り、彼女は止まれない。
 俺がいなくなれば、彼女の等価交換の標的が消える。
 
 ......ただ、それだけだ。
 頭では分かってる。

 センパイの努力は間違ってるし、絶対に成立させてはいけない。

 分かってるんだよ。でも。
 
 手が震えてて、うまく字が書けないんだ。
 鉛筆が滑る。手のひらが湿ってる。
 
 怖いのか、俺。
 
 今さら?
 
 さんざん未来で死んできたくせに。車にはねられたり、溺れたり、病院のベッドで白くなったり。
 
 飽きるくらい味わったはずだ。
 それでも、この部屋の空気の温度が、デスクライトの光が、鉛筆の木の匂いが、やけにくっきりしてる。

 なにもかもが、雨が降ったあとのようにはっきりして、湿ったように生臭い。
 
 俺が最後に吸う空気は、こんなに静かなんだなあ。
 
(......はは、全然笑えねぇ)
 母さんの声が、廊下の向こうからしなくなった。
 さっき泣いてたのかもしれない、それが。気の所為にしたけど。でも。
 気の所為にしとかなきゃ、ここで部屋を出てしまう気がしたから。

(俺を産んでくれた大事な人のそばに行けないなんて、俺はやっぱりクズだ)
 
 机に立てかけたセンパイの写真を、もう一度だけ、見た。
 隠し撮りにバレたときのだから、びっくりした表情をしてる。

 かわいい。
 
 化粧してくれた日のセンパイの、あの顔。
 首まで真っ赤にして、それでも突き飛ばしてくれた。
 俺が変に意地になって超えようとしたところだ。

 お陰で、計画はちゃんと進んでる。
 
 いつも、怒鳴り声と一緒に、口元がずっと緩んでた。
 
 バカみたいに可愛かった。すげー可愛かった。
 
 あの顔を見るためだけに生まれてきても、別に惜しくなかったかも。しれないけど。でも、やっぱり。
 
 ......よし。
 
 震えてる手を、利き手じゃない方で一回だけ握ってから、放す。
 
 しっかり握った右手で、日記の続きを書く。

 ちゃんと握ってるのに、やっぱり震えるけど。
 恐怖も、愛しさも、寂しさも臨界点を超えて、ないまぜになって。

 涙に生まれ変わるそれは、震える右手を抑えてそっと支えるように、親指の付け根を濡らす。

 まるで柔らかい誰かの手が、微かな温もりで握ってくれているようで。
 
 センパイが読んでくれる頃には、俺はいないけど。
 
 でも、あの人なら大丈夫だ。俺が視たから。どの未来でも、ちゃんと前を向いてる。
 
 少しだけ時間がかかっても、ちゃんと立ってる。
 
 だから、最後の一言だけ書いたら、もう充分だ。
 
「あれ」
 
 書きかけのページに、ぽたりと染みができた。
 さっきの雫がいっぱいになってきた。いつの間にか、静かに、視界がぼやけてた。
 
 濡らすなよ。笑えよ、俺。
 
 ちゃんと選んだんだろ。
 
 だから、最後くらい笑えよ。
 
 センパイみたいに、バカみたいに可愛く。

 彼女に一生嫌われても。

 笑え。憎まれても。
 あの人を呪わなければ、彼女を救うことはできない。
 俺の存在を、怨念としてでもいいから、忘れないくらい刻まなければ。
 彼女は、転ぶこともできないし、立ち上がることもできない。

 それに俺を忘れてほしくない。

 俺はきっと、彼女のために、キレイな感情だけをぶつけられるほど、完成された人間じゃないんだ。

 その証拠に、未来で俺を忘れて誰かと付き合ってるか、結婚してるか、呪いの力で視てしまった。

 俺は、最低だ。

 だから、せめて彼女の前でだけは、彼女のために。

 これは、義務だ。

 そうだ。

 あとは、俺の問題。
 俺の死ぬための覚悟だけ。

 飽きる程の恐怖を与えられても、まだ死ぬのは怖いけれど。

 怖いと感じる程には慣れているんだから、頭の隅においておく程度にしとけばいいんだ。

 
 大丈夫だ、俺は大丈夫。

 彼女もきっと、死を味わっている。

 だから、これまでも、これからも、俺達は共犯者だ。

 俺はもう大丈夫。先輩も大丈夫。この日記帳のあとがきで伝えるんだから。

 さあ、書こう。

 


「大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ。ケイくん」
 私は彼が死を覚悟したときの事を、しっかり、看取っていた。

 そうか、君の魔法が私の呪いとぶつかりあって、打ち消してくれてたんだ。

 小生意気で、温もりがあって、でも優しくしてくれる、不思議な魔法。

 だから、君を救えなかったんだ。
 だから、私は今ここにいるんだ。

 君の魔法は、私と同じで万能ではない。なのに。
 
 ケイくんの魔法が、私を無理やりここにつれてきてくれた。
 
 これは、魔法と呪いの勝負。
 君が勝って、私が負けた。

 完敗だ。

(よくないけど、よかった......)

 今までの私は『高木柊』だけど、先ほど観測した彼の過去を視ていた時、私は彼と身体を合わせているようだった。

 まるであの時身体を重ねたみたいに、身体の芯から熱くて、深く暗い感情を持ちながらも、どこか清々しい。

 彼とひとつになれたようで、とても心地よくて。ずっと余韻に浸っていたい。

 でも、今は『高木柊』ではない。

 彼の意思を看取り、継いだ、一人の『私』なんだ。 

 私はいつの間にか止まっていた涙を拭いきって、ようやく、彼の日記帳に触れた。

 まるで、彼の魂に触れているようだった。

 しっかりと、でも握り潰さないよう日記帳を持って、そっとページを開いた。

 これから読むのは、彼の最期の言葉。
 あとがきだ。

『センパイへ』
 
『センパイ、夏休み前の連休に遊園地行きましたよね。その時、俺の名前、下の漢字はどう書くのかって訊かれたとき、恥ずかしくて言えなかったけど。俺の名前、恵と書いてケイと読むんです。母が自分の名前に由来する所から付けたかったみたいで、恵美から取って恵って。でも女の子みたい、変なのって言われそうだから言えなかったんですよね』

 そんなの、馬鹿にしないよ。可愛いし、素敵な名前だよ。
 お母さんの名前からもらった名前なんて、とっても素敵だ。

 でもごめんね、今まできつく当たりすぎて、そう思わせたんだよね。
 それに君を助けられなかった、ごめんなさい。
 
『それと、最期に。オレはこういう道しか辿れなかったけど、センパイは大丈夫。謝らないで、きっとあなたは今オレにごめんなさいって謝罪してるんでしょ? 罪悪感を感じてるんでしょ? 大丈夫、センパイは悪くない。みんな悪くないよ。そうなっちゃっただけ。だから前を見て。空を見上げて。あなたの未来だけは一通り見れたんだ。どんな未来もみんな幸せな人生を歩けてるからさ。心配しないでよ。もう謝らないで。』

 もう、ひどい人。私の未来を勝手に見透かして、心まで読んで。勝手に先に逝くなんて。

 ごめんなさい、もうケイくんに謝るのはやめる。でも、その代わり、あなたにはこれからずっとありがとうって、お礼を言わせて。

『センパイ。もうあなたなら大丈夫。きっとあなたが想像する幸せな人生を歩めるよ。だから、オレから最期に質問させて。今のセンパイはどんなセンパイですか? オレが見てきた暗かったセンパイですか? オレが未来を視て安心した、明るくて優しいセンパイですか? きっと、もう答えは決まってますよね。オレがんばりましたから。今のあなたなら大丈夫。これからを幸せに生きられる。やれる。やれる。やれるはずさ。オレが保証しますよ。あなたが死んだ先で不幸だったよー、うわーんなんて言うのならオレが叱りますから。そうなる前にオレが支えて、見届けますから。』

 ......ありがとう。春野恵くん。

『がんばれ!!!』

 最後のページででっかくそう走り書きされていて。

 これから生きるということは、彼がいない世界を歩き続けることだ。それはどんな地獄よりも辛いかもしれない。

 でも、だからといって君が命を賭して守ったこの未来を、私は捨てることができない。

 あの子が必死に書き残してくれた日記の最後のページ。

 所々、シミができて濡れた後のあるあとがき。

 彼らしい汚い字がさらに崩れて震えている「がんばれ」の一言が、鎖のように私をこの世界に繋ぎ止めてくれる。
 
「......うん、大丈夫だよ、ケイくん」

 私は日記をぎゅっと抱きしめ、誰もいないこの部屋で、そっとこぼれるように力を抜いて笑う。
 頬を伝う涙は冷たいけれど、胸の奥の呪いだけが、焼き付くように熱かった。

 ケイくんが赦してくれても、私が流させた彼女たちの血が消えるわけじゃない。

 背中にくくり付けられた十字架が無くなるわけじゃない。
 
 けれど、今の私なら大丈夫。

 私は知っている、君の最期を。
 私は知っている、君の全てを。

 もう、大丈夫。自分にそう言い聞かせて。

 あの子が残した傷跡が、顔をあげさせて、前へと歩かせてくれる。

 きっと。いや、絶対。

 私は、この先も生きて見せる。

 傷付けて、怖そうした人たちに償って。
 ケイくんの肯定してくれたこの命を、ちゃんと、燃やしつくそう。

 そうして、青空を見て、私は笑った。だらしなく泣いた跡のある、赤い目で。

 泣き腫れた目で笑う私は、『初めて』ちゃんと笑えるようになったと思う。

 これからも、ケイくんが守ってくれた、初めての朝が、初めての日常が、初めてだらけの人生が待っている。

 あなたがくれた『初めて』のおまじないで、私は生きていく。

 ケイくんの魂を、この胸にしまって。

 ありがとう。

 穏やかで暖かい、春の恵をくれて。

 大好きだよ。

 『春野恵』くん。
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わたしは知っている、君の最期を。……それでも、作者:蒼井瑠水
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君の最期を。

「いてて、また鼻血でた」

 俺は、大好きなあの人のために、鏡を見つめていた。

 鏡なんかを見つめるだなんてナルシストかもしれないが、俺は俺自身を見てるんじゃない。
 俺の瞳を通して見れる未来の光景を覗き込んでいた。

「明日は、柊センパイの家に行く日だ」

 俺の能力は、俺個人か一番近くにいる親しい人の未来しか見れないから、彼女がちゃんと幸せに生きられるか見ていた。

 神さま、これぐらいはいいよね、彼女がちゃんと前を向いてるかだけ見たかったんだ。
 代償があるなら、俺につけといていいからさ。
 地獄行きになるでもなんでも受け入れるよ。

「けいー? 明日、友達の家に行くんでしょー? 早く寝たらー」

 母が声高にしわがれた中年女性の声を響かせながら、廊下をぎしぎしと鳴らせて近付いてくる。

「母さん、あんまり過保護にしなくたっていいって言ってるでしょ、仕事で疲れてんだから早く寝なよ」

「そうは言ってもね。お母さん、久々にあんたが友達の家に行くっていうから、なんか心配なんだよ」

「むー」

 俺は母にもふてくされてるのが分かるように、わざとらしく頬を膨らませる。

「お母さん、ちょっちしつこいですよ」

「あらあら、ちょっちしつこくても分かるんですよ? その感じ、あんた女の子の家行くんでしょ」

「うげ」

 なぜ分かるんだ。あまり、浮かれたような言動や行動は出していないはずだ。
 このばばあ、プライベートを見透かして、あんなことやこんなことも知ってるのか?
 プライバシー侵害だな。

「なんで分かるの」

「分かるわよ、時々ニタニタ笑って気持ち悪いんですもの。私と交際を始めた時のパパみたいだわ」

 うわー、親って怖えー。プライバシー侵害どころか、俺の性癖さえ知ってるんじゃないか?
 俺が持ってるこの能力よりも怖いわ。

「分かったよ、分かったから。早く寝るから、母さんも休んで」

「ぬふふ、あんまり羽目外さないのよー? そうだ、あんたの歳じゃ買いづらいだろうから『アレ』でも調達してあげようか?」

「も、もう! いいって言ってるでしょ! 息子の性事情にも関わるな! 早く寝ろ!」

「はいはい、分かったわよ。でも、ちゃんと楽しんでね。責任の伴う事はちゃんと考えること」

「あいあい、分かってる分かってる」

 母親が言いたいことは分かってる。なんとなく察するし、親の心配もありがたい。
 だからこそ面倒で、理解してるから、しっしと猫を追い払うように手を振る。

 でも。

「あとね、これだけ言っておきたいの」

「なに」

 母からこんな言葉が出るなんて思わなかった。

「ちゃんと納得できる人生にするんだよ」

 俺がもうすぐ死ぬのが、勘づいてるのかは分からない。

 でも、俺はちゃんと答えたい。答えなくちゃいけない。

「分かってるよ、母さん。最期まで、ああ生きててよかった、て思えるように生きてみせるさ」

「ふふ、そう」

 母はくすり、笑って振り返り、いつものようにほがらかな声で、「おやすみ」と挨拶してくれた。

「うん、おやすみ」

 ガチャン、と母が寝室に入る音が聞こえてから、俺は洗面所をあとにした。

 途中、寝室を通る時に鼻をすすって嗚咽を漏らす声が聞こえたような気がしたけど、部屋の前で立ち止まってはいけない気がして、気の所為にした。

「かあさん、ごめん」

 俺は、自室に入って、すぐに勉強机へと座ろうとした。

 でも、やめた。
 部屋の真ん中で立ち止まった足を、窓へと向ける。

 吸い込まれるように、窓に手を伸ばして、開いた窓ガラスからは、いっぱいに夜風が入り込む。

 妙な高揚感とともに、窓から身を乗り出し、胸いっぱいに夜風を肺に取り込む。

 ああ、湿り気を帯びた草木の匂いだ。
 夏特有の、じめっとした青臭い匂い。

 周りは田んぼだらけで、群青の夜風を見上げれば、星がまたたいている。

 地平の向こうにはビル群の光がきらめき、まるで宇宙の中を銀河鉄道が走っているようだ。

(センパイにもこれを見せたかったな)

 俺が嗅いだ、夏の草木の匂いは河川敷でもセンパイと共有した。

 センパイは河川敷でこの匂いが好きだといった。

 俺は気にもとめた事のない香りだったけど、改めて味わうと、俺も好きになった。

 むしろ、今まで嫌いだったかもしれない。

「センパイ、今なにしてるかな」

 能力で視ればいいだろう。
 でも、そんな事に無駄に使いたくないし、こうやって思いを馳せてみるのも、たまにはいい。

 さあ、外の空気でリラックスしたんだ。
 もう休憩は終わりだ。まだやらなければいけないことがある。

 きっとこれなら、向き合える。

 どんな恐怖にも、孤独にも、覚悟にも。......センパイにも。
 
 窓を閉めて、まだ青臭い匂いが残る部屋の中、机に向かった。

 一番上の引き出しにしまった日記帳を手に取る。
 ぎしり、と音を立てて勉強机の席について、俺は一つの鉛筆を手に取った。

 ついに、来た。
 
 きっと、これが最期だ。

 一通り見た彼女の行動は、一部の未来で過激化していた。

 俺が死ぬのを諦めきれずに日々を過ごせば、彼女は人を傷つけたり、終いには人を殺してしまっていた。

 彼女は、自身の能力に縋って、確証もないルールを祈るように信じて狂気を演じていたのだ。

 人間を捨てきれない彼女は、ついに一線を超えてしまって。そこまでして俺を生かそうとしてくれた、その歪んだ愛すらも愛おしいけど。

 俺はその世界線に立つのは現実感がない。でも、未来が外れたことはない。

 きっと、いや、絶対実現する。

 彼女の覚悟は本物だ。俺がこの後入院するルートがあるが、そこでは夏休みにもかかわらず帰宅部の先輩は学校に登校して大勢の人を傷付ける。

 この時に人を殺しかけるのを見たが、殺人に踏み込んでしまうのはもう少し先だ。

......ただ、それだけだ。
 
 彼女を犯罪者にしたくない。
 
 俺のせいで、彼女をおかしくしたくない。

 俺が生きている限り、彼女は止まれない。
 俺がいなくなれば、彼女の等価交換の標的が消える。
 
 ......ただ、それだけだ。
 頭では分かってる。

 センパイの努力は間違ってるし、絶対に成立させてはいけない。

 分かってるんだよ。でも。
 
 手が震えてて、うまく字が書けないんだ。
 鉛筆が滑る。手のひらが湿ってる。
 
 怖いのか、俺。
 
 今さら?
 
 さんざん未来で死んできたくせに。車にはねられたり、溺れたり、病院のベッドで白くなったり。
 
 飽きるくらい味わったはずだ。
 それでも、この部屋の空気の温度が、デスクライトの光が、鉛筆の木の匂いが、やけにくっきりしてる。

 なにもかもが、雨が降ったあとのようにはっきりして、湿ったように生臭い。
 
 俺が最後に吸う空気は、こんなに静かなんだなあ。
 
(......はは、全然笑えねぇ)
 母さんの声が、廊下の向こうからしなくなった。
 さっき泣いてたのかもしれない、それが。気の所為にしたけど。でも。
 気の所為にしとかなきゃ、ここで部屋を出てしまう気がしたから。

(俺を産んでくれた大事な人のそばに行けないなんて、俺はやっぱりクズだ)
 
 机に立てかけたセンパイの写真を、もう一度だけ、見た。
 隠し撮りにバレたときのだから、びっくりした表情をしてる。

 かわいい。
 
 化粧してくれた日のセンパイの、あの顔。
 首まで真っ赤にして、それでも突き飛ばしてくれた。
 俺が変に意地になって超えようとしたところだ。

 お陰で、計画はちゃんと進んでる。
 
 いつも、怒鳴り声と一緒に、口元がずっと緩んでた。
 
 バカみたいに可愛かった。すげー可愛かった。
 
 あの顔を見るためだけに生まれてきても、別に惜しくなかったかも。しれないけど。でも、やっぱり。
 
 ......よし。
 
 震えてる手を、利き手じゃない方で一回だけ握ってから、放す。
 
 しっかり握った右手で、日記の続きを書く。

 ちゃんと握ってるのに、やっぱり震えるけど。
 恐怖も、愛しさも、寂しさも臨界点を超えて、ないまぜになって。

 涙に生まれ変わるそれは、震える右手を抑えてそっと支えるように、親指の付け根を濡らす。

 まるで柔らかい誰かの手が、微かな温もりで握ってくれているようで。
 
 センパイが読んでくれる頃には、俺はいないけど。
 
 でも、あの人なら大丈夫だ。俺が視たから。どの未来でも、ちゃんと前を向いてる。
 
 少しだけ時間がかかっても、ちゃんと立ってる。
 
 だから、最後の一言だけ書いたら、もう充分だ。
 
「あれ」
 
 書きかけのページに、ぽたりと染みができた。
 さっきの雫がいっぱいになってきた。いつの間にか、静かに、視界がぼやけてた。
 
 濡らすなよ。笑えよ、俺。
 
 ちゃんと選んだんだろ。
 
 だから、最後くらい笑えよ。
 
 センパイみたいに、バカみたいに可愛く。

 彼女に一生嫌われても。

 笑え。憎まれても。
 あの人を呪わなければ、彼女を救うことはできない。
 俺の存在を、怨念としてでもいいから、忘れないくらい刻まなければ。
 彼女は、転ぶこともできないし、立ち上がることもできない。

 それに俺を忘れてほしくない。

 俺はきっと、彼女のために、キレイな感情だけをぶつけられるほど、完成された人間じゃないんだ。

 その証拠に、未来で俺を忘れて誰かと付き合ってるか、結婚してるか、呪いの力で視てしまった。

 俺は、最低だ。

 だから、せめて彼女の前でだけは、彼女のために。

 これは、義務だ。

 そうだ。

 あとは、俺の問題。
 俺の死ぬための覚悟だけ。

 飽きる程の恐怖を与えられても、まだ死ぬのは怖いけれど。

 怖いと感じる程には慣れているんだから、頭の隅においておく程度にしとけばいいんだ。

 
 大丈夫だ、俺は大丈夫。

 彼女もきっと、死を味わっている。

 だから、これまでも、これからも、俺達は共犯者だ。

 俺はもう大丈夫。先輩も大丈夫。この日記帳のあとがきで伝えるんだから。

 さあ、書こう。

 


「大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ。ケイくん」
 私は彼が死を覚悟したときの事を、しっかり、看取っていた。

 そうか、君の魔法が私の呪いとぶつかりあって、打ち消してくれてたんだ。

 小生意気で、温もりがあって、でも優しくしてくれる、不思議な魔法。

 だから、君を救えなかったんだ。
 だから、私は今ここにいるんだ。

 君の魔法は、私と同じで万能ではない。なのに。
 
 ケイくんの魔法が、私を無理やりここにつれてきてくれた。
 
 これは、魔法と呪いの勝負。
 君が勝って、私が負けた。

 完敗だ。

(よくないけど、よかった......)

 今までの私は『高木柊』だけど、先ほど観測した彼の過去を視ていた時、私は彼と身体を合わせているようだった。

 まるであの時身体を重ねたみたいに、身体の芯から熱くて、深く暗い感情を持ちながらも、どこか清々しい。

 彼とひとつになれたようで、とても心地よくて。ずっと余韻に浸っていたい。

 でも、今は『高木柊』ではない。

 彼の意思を看取り、継いだ、一人の『私』なんだ。 

 私はいつの間にか止まっていた涙を拭いきって、ようやく、彼の日記帳に触れた。

 まるで、彼の魂に触れているようだった。

 しっかりと、でも握り潰さないよう日記帳を持って、そっとページを開いた。

 これから読むのは、彼の最期の言葉。
 あとがきだ。

『センパイへ』
 
『センパイ、夏休み前の連休に遊園地行きましたよね。その時、俺の名前、下の漢字はどう書くのかって訊かれたとき、恥ずかしくて言えなかったけど。俺の名前、恵と書いてケイと読むんです。母が自分の名前に由来する所から付けたかったみたいで、恵美から取って恵って。でも女の子みたい、変なのって言われそうだから言えなかったんですよね』

 そんなの、馬鹿にしないよ。可愛いし、素敵な名前だよ。
 お母さんの名前からもらった名前なんて、とっても素敵だ。

 でもごめんね、今まできつく当たりすぎて、そう思わせたんだよね。
 それに君を助けられなかった、ごめんなさい。
 
『それと、最期に。オレはこういう道しか辿れなかったけど、センパイは大丈夫。謝らないで、きっとあなたは今オレにごめんなさいって謝罪してるんでしょ? 罪悪感を感じてるんでしょ? 大丈夫、センパイは悪くない。みんな悪くないよ。そうなっちゃっただけ。だから前を見て。空を見上げて。あなたの未来だけは一通り見れたんだ。どんな未来もみんな幸せな人生を歩けてるからさ。心配しないでよ。もう謝らないで。』

 もう、ひどい人。私の未来を勝手に見透かして、心まで読んで。勝手に先に逝くなんて。

 ごめんなさい、もうケイくんに謝るのはやめる。でも、その代わり、あなたにはこれからずっとありがとうって、お礼を言わせて。

『センパイ。もうあなたなら大丈夫。きっとあなたが想像する幸せな人生を歩めるよ。だから、オレから最期に質問させて。今のセンパイはどんなセンパイですか? オレが見てきた暗かったセンパイですか? オレが未来を視て安心した、明るくて優しいセンパイですか? きっと、もう答えは決まってますよね。オレがんばりましたから。今のあなたなら大丈夫。これからを幸せに生きられる。やれる。やれる。やれるはずさ。オレが保証しますよ。あなたが死んだ先で不幸だったよー、うわーんなんて言うのならオレが叱りますから。そうなる前にオレが支えて、見届けますから。』

 ......ありがとう。春野恵くん。

『がんばれ!!!』

 最後のページででっかくそう走り書きされていて。

 これから生きるということは、彼がいない世界を歩き続けることだ。それはどんな地獄よりも辛いかもしれない。

 でも、だからといって君が命を賭して守ったこの未来を、私は捨てることができない。

 あの子が必死に書き残してくれた日記の最後のページ。

 所々、シミができて濡れた後のあるあとがき。

 彼らしい汚い字がさらに崩れて震えている「がんばれ」の一言が、鎖のように私をこの世界に繋ぎ止めてくれる。
 
「......うん、大丈夫だよ、ケイくん」

 私は日記をぎゅっと抱きしめ、誰もいないこの部屋で、そっとこぼれるように力を抜いて笑う。
 頬を伝う涙は冷たいけれど、胸の奥の呪いだけが、焼き付くように熱かった。

 ケイくんが赦してくれても、私が流させた彼女たちの血が消えるわけじゃない。

 背中にくくり付けられた十字架が無くなるわけじゃない。
 
 けれど、今の私なら大丈夫。

 私は知っている、君の最期を。
 私は知っている、君の全てを。

 もう、大丈夫。自分にそう言い聞かせて。

 あの子が残した傷跡が、顔をあげさせて、前へと歩かせてくれる。

 きっと。いや、絶対。

 私は、この先も生きて見せる。

 傷付けて、怖そうした人たちに償って。
 ケイくんの肯定してくれたこの命を、ちゃんと、燃やしつくそう。

 そうして、青空を見て、私は笑った。だらしなく泣いた跡のある、赤い目で。

 泣き腫れた目で笑う私は、『初めて』ちゃんと笑えるようになったと思う。

 これからも、ケイくんが守ってくれた、初めての朝が、初めての日常が、初めてだらけの人生が待っている。

 あなたがくれた『初めて』のおまじないで、私は生きていく。

 ケイくんの魂を、この胸にしまって。

 ありがとう。

 穏やかで暖かい、春の恵をくれて。

 大好きだよ。

 『春野恵』くん。
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わたしは知っている、君の最期を。……それでも、作者:蒼井瑠水
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