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ここにもハムスターはいない。あなた、ハムスターを見ませんでした?

●
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターはどこへ消えたのだろう?

 ゴールデンより小型の、ジャンガリアンハムスターが一匹、脱走した。
 ペットの小動物が行方知れずになるなんて、大したことじゃない。
 ハムスターは買えば一匹1000円そこら、寿命は長くて3年、短くて2年、安くて儚い命だ。

 私はハムスターを可愛がっていた。
 ハムスターは別れた彼氏の置き土産である。

 交際中に彼氏はノリでハムスターを買いたいとねだり、仕事が忙しいと世話を丸投げして、別れる時は他のささいな私物といっしょに私の部屋に置き去りにしていった。

 彼氏は都合よく、可愛がることだけは堪能していたが、ハムスターの飼育にかかる労力コストを払う価値はなかったようだ。

 それが彼氏の本質だといえる。
 美味しいところだけを味わい、あとは捨て去る。

 魚を食すに当たって、骨も皮も頭も捨ててだれかの調理した刺し身だけを食べたいタイプだ。
 私という女の骨も皮も頭も、魚と同じだ。

 ハムスターが脱走した。

 寒い冬の日のことであった。七匹のうち、一匹が消えた。
 砂漠生まれのハムスターに日本の冬の寒さは越えられない。適温は20℃から26℃とされ、飼育するなら一年中、寒暖の差を生じないようにしなければならない。

 そうした室温調整を、何度かあの彼氏は粗雑な判断でめちゃくちゃにしてくれたことがある。

 私が叱りつけると、彼氏は反省する素振りをみせるが、露骨に機嫌が悪くなった。こちらの言っていることはハムスターの飼育が大前提なら正しいが、あちらにしてみれば、自分で金を出したたかが数千円のオモチャごときを粗末に扱っただけで怒られるのが不本意だったのだろう。

 最初の二匹から子供が生まれて、ハムスターは七匹になった。
 オス同士で買ったつもりが、彼氏がいい加減な選び方だったせいか、あっさり増えてしまった。

 離別の根本原因は、ハムスターとは無関係だ。
 しかし、ハムスターをそのように粗雑に扱う男だから、おのずと私もそう扱われるようになった。

 即ち、私はハムスターだ。

 私の分身であるかのように感じるこの小さく愚かな小動物を、私は最後まで見届けたかった。

 ハムスターが死亡する。
 交配して増えないように一匹ずつ隔離したハムスター達は、丁寧に育てたところで容赦なく歳月が経つにつれて死んでいった。

 一匹、また一匹......。
 またもや一匹、今度は二匹、それから一匹、とうとう最後の一匹も、亡くなった。

 私はハムスターを可愛がっていたが、見分けはつかないので個別に名前はつけていなかった。

 脱走した一匹を除いて、ようやく、すべてのハムスターが息を引き取った。

 電気代が少し、浮いた。

 ハムスターの墓は観葉植物の植木鉢に埋めることで処理した。
 プランター葬という埋葬方法で、庭がなくても埋葬でき、ペットの代わりに草花を世話できる。土に還るのに十年は掛かるそうだ。

 私はどうにも、燃えるゴミとしてハムスターの亡骸を処分できなかった。
 綺麗さっぱり、彼氏の置き土産を処分してやろうという踏ん切りがつかず、引きずっていた。

 ――付き合っていた以上、それなりに魅力的だった。
 魅力的な男だからこそ、私にこだわらずとも次のパートナーを探せるという自信があったはずだ。

 風のうわさで、もう新しい恋人ができたと聞き及んでいる。

 未練がましい。
 それでも、彼は可愛がるのが上手だった。
 ペットも、女も、可愛がることには長けていた。

 ――もしや。

 ハムスターが脱走した。

 あの冬が過ぎ、もう秋になる。今頃、あのハムスターも亡くなっているはずだ。
 犬猫ほど知能が高い動物ではない。小さなところに入り込み、ケージに戻れなくなって亡くなっただろうから、家の中か、外か、どこかであっけなく死んでいるはずだ。

 しかしふと私は思った。

 もし、脱走したハムスターに明確な意図があったとしたら。
 もし、脱走したハムスターに目的地があったとしたら。

 それは彼氏の元へと、ひた走っていったのではないか。

 そう妄想した。

 現実的に考えて、犬ならまだしも、ハムスターに匂いを辿って目標に到達する能力はない。
 それが可能だとすれば、それはハムスターとは似て非なるものだ。

 その似て非なるものが脱走して、越えられない冬を越えて、辿り着けない目標に辿り着けたとして、そこから先に何が起きるというのか。
 あの彼氏のことだ。

 もし脱走したハムスターと再会したとしても、また容赦なく捨てることだろう。

 捨てる。
 否。
 殺す。

 エサを与えず、寒暖に耐えて、主人を探し当てられるハムスターならば、それはもう野に捨てたところでどうにもならない。殺処分を除いて、彼氏にできる処分方法はないだろう。
 すると今頃、焼却場で灰になっているか。

 それが結論であれば、この妄想はここで終わりでいい。
 脱走したハムスターがどうなってるかを、私は何も知る由がない。

 ハムスターは死んだ。
 ハムスターは死んだ。
 ハムスターは死んだ。

 ハムスターが脱走した時、私はなぜか、ロクに探そうともしなかった。

 安くて儚い命だ。
 結末はわかりきっている。

 小動物は、いや、あらゆる生物はいずれ死ぬ。小動物はそれが早いだけだ。
 しかし、いずれ死ぬことはわかっていても、どこでどうやって死ぬのかはわからないことだ。

 ハムスターは死んでいるはずだ。
 ハムスターは死んでいる。
 よしんばハムスターは死んでいないとして、だから何だというのだろう。

 これは妄想だ。
 では、私はこの妄想に、一体どんな願望を秘めているというのだろうか。

 ハムスターが脱走した
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 仮定に仮定を重ねて、何の根拠もなく、妄想が少しずつ日常の中で膨らんでいく。

 ――根拠がない。
 本当に、そうだろうか。

 私は秋口、ついでにハムスターの死骸を見つけるためにと大掃除をした。
 近隣の住民にそれとなく、脱走したハムスターの話を振ってもみた。

 ハムスターの亡骸は見つからない。
 半年以上も経過した今、ほんのちいさな命の痕跡を見つけることは困難を極めた。

 少なくとも、もはや、私にハムスターの亡骸は見つけられないだろうとあきらめる他なかった。

 もやもやする。
 どうにかして、ハムスターの亡骸を見つけたいが、心当たりがない。

 脱走したハムスターは完全に、私の妄想の中で、もはや死ねなくなった。

 ハムスターは不死身だ。

 妄想の産物でしかなくなってしまった以上、もうハムスターは死ぬことがない。

 ハムスターの死を、確定できない。
 シュレディンガーの猫というよくわからない話をうろおぼえしているが、そんな感じだろうか。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 もはやこのハムスターが死ぬことは決してない。

 どこかで元気に暮らして、幸せに毎日を生き延びていてくれると妄想してもいい。

 大家族を作っていたり、はたまた長生きして妖怪になっていたり。
 どんな奇想天外な物語を空想したとて、非実在性ハムスターならば、なんでもできる。

 そう妄想した。

 プランター葬をした観葉植物のお世話をする時、その根っこの下の土に埋まったハムスター達がなにかしら養分以上のつながりがあるかのように、声をかける私がいる。
 ハムスターの亡骸から養分を得ているというだけで観葉植物になにか霊魂めいた特別さを見出す妄想を、ごく当たり前に色んな人がやっている。

 私は、ペットが渡る虹の橋だとか、そういったものをみだりに否定する心のない人間ではない。
 ペットに幻想を抱くのはごく一般的なことだ。
 一度この世を去れば、ペットは物質も宗教も超越する。
 死んだペットがどうなるかを厳密に定義する宗教を少なくとも私は知らないし、知っていても私が信じなければ、ペットの死後は天国も地獄も輪廻も来世も不確実なものでありつづける。

 私のハムスター達はプランター葬によって七匹のハムスターはひとつの安らかな終着点に辿り着けたが、脱走した一匹に限ってはそうではない。

 ハムスターが脱走した。
 その事実が、私の静かすぎる日常の心の支えになりつつあった。

 やがてまた冬が訪れる――。

 電話が鳴る。
 彼氏からだ。

 ずっと連絡を寄越すこともなく綺麗さっぱり別れたはずなのに、何だろう。
 もしや、ハムスターでも見つかったのか。

『雪音、おい雪音』

「なに?」

『あんな嫌がらせをしたのはお前か!? お前だろ!』

「......ハムスターのこと?」

 通話越しに、彼が「ひっ」と声を上擦らせる息遣いが聴こえた。
 私は観葉植物に水をやり、カリカリのエサを与えながら通話している。

『やっぱりお前か! ハムスターを俺の部屋に何匹も潜り込ませたのは! すばしっこく逃げやがるし、今カノが怖がって逃げ帰ったじゃねえか!』

「濡れ衣よ。ハムスターは偶然、そうかなって思っただけ。貴方の家なんて知らないし、ネズミと見間違えたのよ。殺鼠剤とか、ネズミ捕りとか、自分で駆除したらいいのに」

『もうやってンだよ、ネズミ捕り! ハムスターだ! 間違いない、ありゃ“お前”が飼ってたジャンガリアンハムスターと同じだ! 駆除してもまた湧いてくるんだよ!』

 お前、ときたもんだ。
 買ったのは彼氏。飼育放棄したのも彼氏。私は仕方なく飼育させられていただけなのに。
 何にせよ、無茶苦茶なことを言っている。

「残念だけど、私には何もできないわ。単なる素人だもの。専門業者に頼むか、引っ越しね」

『雪音、お前、俺のこと恨んでるのか......?』

「いいえ」

 観葉植物の葉は瑞々しく茂り、栄養が行き届いている。
 私の愛情深いお世話のおかげ、だとおもいたい。

「今でも大好きよ。できることなら、連れ戻して飼ってあげたいくらいに」

『......だから、別れたンだよ』

 通話が切れた。
 なんとも不可思議な電話だった。

 私はもう一匹たりともハムスターを飼っていない。うちにいた七匹とも、全て死んでいる。
 脱走したのだって一匹だけ、何匹もネズミ捕りに捕まるのはこれまでの妄想が現実だったとしても、おかしい。

 彼氏の言動こそ、なにかしらの妄想に基づいたものではないだろうか。
 単なるネズミを、ハムスターだと誤認しているというのが一番ありえるところだろう。
 そうだとすれば、よほど精神的に参っているか、なんらかの異常をきたしている。

 薬物か、飲酒だろうか。
 私は観葉植物の葉っぱを愛でながら、考えを巡らせる。

 ――脱走したハムスターが、彼の元に辿り着いてしまった。

 本当にそうだろうか?

 やはり、これは荒唐無稽な妄想だという気がしてならない。

 ――脱走したハムスターが、彼だった。

 これならどうだろうか。

 ハムスターが彼氏ならば、冬を越せる。一年くらい生き延びていても不思議ではない。
 旺盛な繁殖力もハムスターならば説明がつく。
 ハムスターの死体が家のどこを探しても見つからないことにも説明がつく。
 じつは同一人物だった、というのは推理小説ならばよくあるオチだ。

 もやもやが晴れて、すっきりした気分だ。
 これでようやく、ハムスターの亡骸を見つけることができる。

 ハムスターの死を、確定できる。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 ゴールデンより小型の、ジャンガリアンハムスターが一匹、脱走した。
 ペットの小動物が行方知れずになるなんて、大したことじゃない。
 ハムスターは買えば一匹1000円そこら、寿命は長くて3年、短くて2年、安くて儚い命だ。

 私はハムスターを可愛がっていた。
 ハムスターは別れた彼氏の置き土産である。

 安くて儚い命だ。
 結末はわかりきっている。

 小動物は、いや、あらゆる生物はいずれ死ぬ。小動物はそれが早いだけだ。
 しかし、いずれ死ぬことはわかっていても、どこでどうやって死ぬのかはわからないことだ。

 ハムスターは死んでいるはずだ。
 ハムスターは死んでいる。
 よしんばハムスターは死んでいないとして、だから何だというのだろう。

 もやもやする。
 どうにかして、ハムスターの亡骸を見つけたいが、心当たりがない。
 脱走したハムスターは完全に、私の妄想の中で、もはや死ねなくなった。

 ハムスターは不死身だ。

 ――いや、ちがう、そうじゃない。

 飼っていたハムスターは七匹だ。埋葬したのも七匹だ。植木鉢には七つ、墓標代わりにアイスの棒が突き立ててあるではないか。
 脱走したハムスターが一匹、本当に居たのだろうか。

 脱走したハムスターが彼氏ならば、七匹の彼氏が一匹多いことになってしまう。
 私は観葉植物の根っこの下に、七匹の彼を埋めたはずなのに、一匹ハムスターが多いことになる。

 即ち、私はハムスターだ。

 ハムスターが私ならば、冬を越せる。一年くらい生き延びていても不思議ではない。
 旺盛な繁殖力もハムスターならば説明がつく。
 ハムスターの死体が家のどこを探しても見つからないことにも説明がつく。
 じつは同一人物だった、というのは推理小説ならばよくあるオチだ。

 もやもやが晴れて、すっきりした気分だ。
 これでようやく、ハムスターの亡骸を見つけることができる。

 ハムスターの死を、確定できる。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 ハムスターはどこへ消えたのだろう?
あとがきかげろー@物書きつね
おかしい、ここにもハムスターはいない。 もう一度聞きますけど、あなた、ハムスターを見ませんでした?
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ハムスターが脱走した。ハムスターが脱走した。ハムスターが脱走した。ハムスターはどこへ消えたのだろう?作者:かげろー@物書きつね
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 ハムスターが脱走した。
 ハムスターはどこへ消えたのだろう?

 ゴールデンより小型の、ジャンガリアンハムスターが一匹、脱走した。
 ペットの小動物が行方知れずになるなんて、大したことじゃない。
 ハムスターは買えば一匹1000円そこら、寿命は長くて3年、短くて2年、安くて儚い命だ。

 私はハムスターを可愛がっていた。
 ハムスターは別れた彼氏の置き土産である。

 交際中に彼氏はノリでハムスターを買いたいとねだり、仕事が忙しいと世話を丸投げして、別れる時は他のささいな私物といっしょに私の部屋に置き去りにしていった。

 彼氏は都合よく、可愛がることだけは堪能していたが、ハムスターの飼育にかかる労力コストを払う価値はなかったようだ。

 それが彼氏の本質だといえる。
 美味しいところだけを味わい、あとは捨て去る。

 魚を食すに当たって、骨も皮も頭も捨ててだれかの調理した刺し身だけを食べたいタイプだ。
 私という女の骨も皮も頭も、魚と同じだ。

 ハムスターが脱走した。

 寒い冬の日のことであった。七匹のうち、一匹が消えた。
 砂漠生まれのハムスターに日本の冬の寒さは越えられない。適温は20℃から26℃とされ、飼育するなら一年中、寒暖の差を生じないようにしなければならない。

 そうした室温調整を、何度かあの彼氏は粗雑な判断でめちゃくちゃにしてくれたことがある。

 私が叱りつけると、彼氏は反省する素振りをみせるが、露骨に機嫌が悪くなった。こちらの言っていることはハムスターの飼育が大前提なら正しいが、あちらにしてみれば、自分で金を出したたかが数千円のオモチャごときを粗末に扱っただけで怒られるのが不本意だったのだろう。

 最初の二匹から子供が生まれて、ハムスターは七匹になった。
 オス同士で買ったつもりが、彼氏がいい加減な選び方だったせいか、あっさり増えてしまった。

 離別の根本原因は、ハムスターとは無関係だ。
 しかし、ハムスターをそのように粗雑に扱う男だから、おのずと私もそう扱われるようになった。

 即ち、私はハムスターだ。

 私の分身であるかのように感じるこの小さく愚かな小動物を、私は最後まで見届けたかった。

 ハムスターが死亡する。
 交配して増えないように一匹ずつ隔離したハムスター達は、丁寧に育てたところで容赦なく歳月が経つにつれて死んでいった。

 一匹、また一匹......。
 またもや一匹、今度は二匹、それから一匹、とうとう最後の一匹も、亡くなった。

 私はハムスターを可愛がっていたが、見分けはつかないので個別に名前はつけていなかった。

 脱走した一匹を除いて、ようやく、すべてのハムスターが息を引き取った。

 電気代が少し、浮いた。

 ハムスターの墓は観葉植物の植木鉢に埋めることで処理した。
 プランター葬という埋葬方法で、庭がなくても埋葬でき、ペットの代わりに草花を世話できる。土に還るのに十年は掛かるそうだ。

 私はどうにも、燃えるゴミとしてハムスターの亡骸を処分できなかった。
 綺麗さっぱり、彼氏の置き土産を処分してやろうという踏ん切りがつかず、引きずっていた。

 ――付き合っていた以上、それなりに魅力的だった。
 魅力的な男だからこそ、私にこだわらずとも次のパートナーを探せるという自信があったはずだ。

 風のうわさで、もう新しい恋人ができたと聞き及んでいる。

 未練がましい。
 それでも、彼は可愛がるのが上手だった。
 ペットも、女も、可愛がることには長けていた。

 ――もしや。

 ハムスターが脱走した。

 あの冬が過ぎ、もう秋になる。今頃、あのハムスターも亡くなっているはずだ。
 犬猫ほど知能が高い動物ではない。小さなところに入り込み、ケージに戻れなくなって亡くなっただろうから、家の中か、外か、どこかであっけなく死んでいるはずだ。

 しかしふと私は思った。

 もし、脱走したハムスターに明確な意図があったとしたら。
 もし、脱走したハムスターに目的地があったとしたら。

 それは彼氏の元へと、ひた走っていったのではないか。

 そう妄想した。

 現実的に考えて、犬ならまだしも、ハムスターに匂いを辿って目標に到達する能力はない。
 それが可能だとすれば、それはハムスターとは似て非なるものだ。

 その似て非なるものが脱走して、越えられない冬を越えて、辿り着けない目標に辿り着けたとして、そこから先に何が起きるというのか。
 あの彼氏のことだ。

 もし脱走したハムスターと再会したとしても、また容赦なく捨てることだろう。

 捨てる。
 否。
 殺す。

 エサを与えず、寒暖に耐えて、主人を探し当てられるハムスターならば、それはもう野に捨てたところでどうにもならない。殺処分を除いて、彼氏にできる処分方法はないだろう。
 すると今頃、焼却場で灰になっているか。

 それが結論であれば、この妄想はここで終わりでいい。
 脱走したハムスターがどうなってるかを、私は何も知る由がない。

 ハムスターは死んだ。
 ハムスターは死んだ。
 ハムスターは死んだ。

 ハムスターが脱走した時、私はなぜか、ロクに探そうともしなかった。

 安くて儚い命だ。
 結末はわかりきっている。

 小動物は、いや、あらゆる生物はいずれ死ぬ。小動物はそれが早いだけだ。
 しかし、いずれ死ぬことはわかっていても、どこでどうやって死ぬのかはわからないことだ。

 ハムスターは死んでいるはずだ。
 ハムスターは死んでいる。
 よしんばハムスターは死んでいないとして、だから何だというのだろう。

 これは妄想だ。
 では、私はこの妄想に、一体どんな願望を秘めているというのだろうか。

 ハムスターが脱走した
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 仮定に仮定を重ねて、何の根拠もなく、妄想が少しずつ日常の中で膨らんでいく。

 ――根拠がない。
 本当に、そうだろうか。

 私は秋口、ついでにハムスターの死骸を見つけるためにと大掃除をした。
 近隣の住民にそれとなく、脱走したハムスターの話を振ってもみた。

 ハムスターの亡骸は見つからない。
 半年以上も経過した今、ほんのちいさな命の痕跡を見つけることは困難を極めた。

 少なくとも、もはや、私にハムスターの亡骸は見つけられないだろうとあきらめる他なかった。

 もやもやする。
 どうにかして、ハムスターの亡骸を見つけたいが、心当たりがない。

 脱走したハムスターは完全に、私の妄想の中で、もはや死ねなくなった。

 ハムスターは不死身だ。

 妄想の産物でしかなくなってしまった以上、もうハムスターは死ぬことがない。

 ハムスターの死を、確定できない。
 シュレディンガーの猫というよくわからない話をうろおぼえしているが、そんな感じだろうか。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 もはやこのハムスターが死ぬことは決してない。

 どこかで元気に暮らして、幸せに毎日を生き延びていてくれると妄想してもいい。

 大家族を作っていたり、はたまた長生きして妖怪になっていたり。
 どんな奇想天外な物語を空想したとて、非実在性ハムスターならば、なんでもできる。

 そう妄想した。

 プランター葬をした観葉植物のお世話をする時、その根っこの下の土に埋まったハムスター達がなにかしら養分以上のつながりがあるかのように、声をかける私がいる。
 ハムスターの亡骸から養分を得ているというだけで観葉植物になにか霊魂めいた特別さを見出す妄想を、ごく当たり前に色んな人がやっている。

 私は、ペットが渡る虹の橋だとか、そういったものをみだりに否定する心のない人間ではない。
 ペットに幻想を抱くのはごく一般的なことだ。
 一度この世を去れば、ペットは物質も宗教も超越する。
 死んだペットがどうなるかを厳密に定義する宗教を少なくとも私は知らないし、知っていても私が信じなければ、ペットの死後は天国も地獄も輪廻も来世も不確実なものでありつづける。

 私のハムスター達はプランター葬によって七匹のハムスターはひとつの安らかな終着点に辿り着けたが、脱走した一匹に限ってはそうではない。

 ハムスターが脱走した。
 その事実が、私の静かすぎる日常の心の支えになりつつあった。

 やがてまた冬が訪れる――。

 電話が鳴る。
 彼氏からだ。

 ずっと連絡を寄越すこともなく綺麗さっぱり別れたはずなのに、何だろう。
 もしや、ハムスターでも見つかったのか。

『雪音、おい雪音』

「なに?」

『あんな嫌がらせをしたのはお前か!? お前だろ!』

「......ハムスターのこと?」

 通話越しに、彼が「ひっ」と声を上擦らせる息遣いが聴こえた。
 私は観葉植物に水をやり、カリカリのエサを与えながら通話している。

『やっぱりお前か! ハムスターを俺の部屋に何匹も潜り込ませたのは! すばしっこく逃げやがるし、今カノが怖がって逃げ帰ったじゃねえか!』

「濡れ衣よ。ハムスターは偶然、そうかなって思っただけ。貴方の家なんて知らないし、ネズミと見間違えたのよ。殺鼠剤とか、ネズミ捕りとか、自分で駆除したらいいのに」

『もうやってンだよ、ネズミ捕り! ハムスターだ! 間違いない、ありゃ“お前”が飼ってたジャンガリアンハムスターと同じだ! 駆除してもまた湧いてくるんだよ!』

 お前、ときたもんだ。
 買ったのは彼氏。飼育放棄したのも彼氏。私は仕方なく飼育させられていただけなのに。
 何にせよ、無茶苦茶なことを言っている。

「残念だけど、私には何もできないわ。単なる素人だもの。専門業者に頼むか、引っ越しね」

『雪音、お前、俺のこと恨んでるのか......?』

「いいえ」

 観葉植物の葉は瑞々しく茂り、栄養が行き届いている。
 私の愛情深いお世話のおかげ、だとおもいたい。

「今でも大好きよ。できることなら、連れ戻して飼ってあげたいくらいに」

『......だから、別れたンだよ』

 通話が切れた。
 なんとも不可思議な電話だった。

 私はもう一匹たりともハムスターを飼っていない。うちにいた七匹とも、全て死んでいる。
 脱走したのだって一匹だけ、何匹もネズミ捕りに捕まるのはこれまでの妄想が現実だったとしても、おかしい。

 彼氏の言動こそ、なにかしらの妄想に基づいたものではないだろうか。
 単なるネズミを、ハムスターだと誤認しているというのが一番ありえるところだろう。
 そうだとすれば、よほど精神的に参っているか、なんらかの異常をきたしている。

 薬物か、飲酒だろうか。
 私は観葉植物の葉っぱを愛でながら、考えを巡らせる。

 ――脱走したハムスターが、彼の元に辿り着いてしまった。

 本当にそうだろうか?

 やはり、これは荒唐無稽な妄想だという気がしてならない。

 ――脱走したハムスターが、彼だった。

 これならどうだろうか。

 ハムスターが彼氏ならば、冬を越せる。一年くらい生き延びていても不思議ではない。
 旺盛な繁殖力もハムスターならば説明がつく。
 ハムスターの死体が家のどこを探しても見つからないことにも説明がつく。
 じつは同一人物だった、というのは推理小説ならばよくあるオチだ。

 もやもやが晴れて、すっきりした気分だ。
 これでようやく、ハムスターの亡骸を見つけることができる。

 ハムスターの死を、確定できる。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 ゴールデンより小型の、ジャンガリアンハムスターが一匹、脱走した。
 ペットの小動物が行方知れずになるなんて、大したことじゃない。
 ハムスターは買えば一匹1000円そこら、寿命は長くて3年、短くて2年、安くて儚い命だ。

 私はハムスターを可愛がっていた。
 ハムスターは別れた彼氏の置き土産である。

 安くて儚い命だ。
 結末はわかりきっている。

 小動物は、いや、あらゆる生物はいずれ死ぬ。小動物はそれが早いだけだ。
 しかし、いずれ死ぬことはわかっていても、どこでどうやって死ぬのかはわからないことだ。

 ハムスターは死んでいるはずだ。
 ハムスターは死んでいる。
 よしんばハムスターは死んでいないとして、だから何だというのだろう。

 もやもやする。
 どうにかして、ハムスターの亡骸を見つけたいが、心当たりがない。
 脱走したハムスターは完全に、私の妄想の中で、もはや死ねなくなった。

 ハムスターは不死身だ。

 ――いや、ちがう、そうじゃない。

 飼っていたハムスターは七匹だ。埋葬したのも七匹だ。植木鉢には七つ、墓標代わりにアイスの棒が突き立ててあるではないか。
 脱走したハムスターが一匹、本当に居たのだろうか。

 脱走したハムスターが彼氏ならば、七匹の彼氏が一匹多いことになってしまう。
 私は観葉植物の根っこの下に、七匹の彼を埋めたはずなのに、一匹ハムスターが多いことになる。

 即ち、私はハムスターだ。

 ハムスターが私ならば、冬を越せる。一年くらい生き延びていても不思議ではない。
 旺盛な繁殖力もハムスターならば説明がつく。
 ハムスターの死体が家のどこを探しても見つからないことにも説明がつく。
 じつは同一人物だった、というのは推理小説ならばよくあるオチだ。

 もやもやが晴れて、すっきりした気分だ。
 これでようやく、ハムスターの亡骸を見つけることができる。

 ハムスターの死を、確定できる。

 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。
 ハムスターが脱走した。

 ハムスターはどこへ消えたのだろう?
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