ホーム祝福神の声
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神の声

『美しくあれ』
 神であるボクは、ある日この世界に生きる者達にそう命じた。
 その日は世界が真白に染め上げられていた冬の日。
 吐く息は白く、手足は凍えて少し赤みを帯びている。
 動物達は深い眠りにつき、来る春を待つ。
 あらゆる命にも平等に訪れる死の季節とも呼ばれている。
 この世界に生きる全ての生き物は、その言葉を常に胸に留めた。
 各々の思う『美しさ』を誇りとするようになった。
 孔雀であれば言葉で例えられない羽根。
 ライオンであれば立派な鬣。
 クリオネならば食事の瞬間に見せる触覚。
 宝石であれば真似することのできない輝き。
 植物であれば己が最も綺麗に咲く瞬間。
 朝であれば橙色と金春色のグラデーション。
 夜であれば黄昏景色から藍色に染まる瞬間。
 春であれば生命の息吹が芽吹く暖かさを。
 夏であれば新緑の木々と青い空と入道雲を。
 秋であれば木々が枯れ果てた時に感じる憂いを。
 冬であれば真白に染めるその瞬間を。

 皆、各々の美しさを見つけていた。
 皆、各々の美しさに誇りを持っていた。

 ボクはそれを見るのがとても好きだった。
 少し前の話をしよう。
 それはボクが美しくあれと命じる前の話になると思う。
 その時のボクは、ただ世界が流れているのを見ているだけだったんだ。
 その日々に名前はつかない。
 なんでもない、ただの日常とも言えるかもしれない。
 神の日常とはどんなものだろうか?
 それはが思うよりもずっと退屈かもしれない。
 少なくとも、ボクはそう思う。
 だってそうだろう?
 ただ人が生きて、動物が生きて、
 植物が生きて、季節が生きて、
 朝を共に目覚め、夜と共に眠り、
 季節を感じ、成長を心待ちにし、
 そして死ぬ。
 それを眺めるだけの日々。
 なんてことのない平和で、平凡で、幸せな日々である。
 けれど。神であるボクにとっては何もない、停滞した日常でもある。
 皆はソレを誇りに思って、自らソレを選んで行動しているけど、
 神であるボクはその行動を見ているだけ。
 ボクは世界でいう、傍観者に過ぎない。
 だから本当にボクは突然『疲れた』んだ。
 何の前触れもなく、突然そう思った。
 だからボクは、考えた。
 だって神様は見ているだけだから。

 どうすればこの世界はより良くなるだろう。

 そんな簡単な問いかけに、自問自答の繰り返しをした。それこそ、嫌になるほどに。
 そしてある時、ふと思いついた。
 そう、それこそボクが命じた言葉『美しくあれ』だったんだ。
 その言葉はボクにとって、この世界が特別になった瞬間だった。
 その日から世界は少し変わった。
 ボクにとっても。
 この世界を生きる全ての人たちにとっても。
 でも一つ問題があるとすれば、なんでそう言ったのかは思い出せない事。
 誰かが助言をしてくれたのだろうか。
 それとも、ボク一人で思いついたのか。
 解らない。
 だから深く考えることはやめた。
 考えても答えが出ないことを考えても仕方がないと思わないかい?

 だって、今存在する神はボクだけだからね。

 そう思う理由は幾つかはあるけれど、あえて二つだけ話そう。
 一つ。ボク以外の神様を見た事がない。
 この大きな世界の中で、神だと名乗りあげる人物は、ボク以外に存在しない。
 もしかしたら、ボクが神として存在する前には居たのかもしれないけどね。
 だとしたら、神はこの世界で一人しか存在できないということになる。
 そして今はボクの代ということにもなるね。
 この説においては確証がないから、答えは分からない。
 それに、そもそも概念として神に死があるのか分からないから確かめようもない。
 試しに首を絞めてみたが、痛みはなかった。
 高いところから落ちてみたが、無傷だった。
 海の中に飛び込んだが、人魚のように泳ぐことができた。
 神とは案外、なんでもできるものなのだなと思った。
 少なくとも、死ぬこと以外は。
 二つ。この世界を創り上げた人物はボクであるはず。
 そう認識させられているのか事実なのかは、分からない。
 これも、考えるだけ無駄だね。
 だってそうだろう?
 もしボクの前に神様がいたとしても。
 記憶を引き継ぐことはできないようにされているのだから。
 とても悲しいことだね。残念。
 まあ、だからこそなのかもだろうけれども。
 一つ目の理由から、ボクは神様であろうと努力を怠ることはなかった。
 雨乞いを願う人間にはしっかりと雨を授けた。
 豊作を願う者には翌年には良い品質の作物が採れるようにしてあげた。
 ボクは努力それを欠かした事がない。

 人間達はボクに信仰と想像。
 そして供物を捧げてくれた。

 ボクは人間達に、対価と人生を捧げた。

 人間達は年に一度、ボクが『美しくあれ』と命じた日を祝うようになった。
 その日はどの家も煌びやかな装飾が施される。
 皆、美味しい食事を囲み、神棚には金銀財宝などをボクに捧げてくれた。
 空は、それはもう目にするだけで泣きたくなるような空色を見せてくれた。
 皆、ボクが命じた美しさを見せてくれた。
 ボクはそれがとても嬉しかった。
 この世界にボクは存在しているんだと感じることができたから。
 特にね、人間は面白いんだ。
 主に動物と植物は、姿や形は多少違えど、美しさの基準は同じなんだ。
 自分が最も綺麗に咲く瞬間や、自分の持つ立派な毛並みとか。
 だけどね、人間は違うの。
 ある人は見目麗しい人物が美しいって言う。
 ある人は力が強い人が美しいって言う。
 人によって美しさの基準が全く違うんだ。

 だからボクは、人間を見るのが好きになった。

 様々な思考を持つ人間を見ているうちに、ボクも色々なことを考えるようになった。
 何でかはわからないけどね。
 もしかしたら、人間を観察する内に人としての思考力を手に入れたのかも知れない。
 そう思うほどに、ボクは色んなことを考えた。
 ――例えば、どうしてボクは生まれたのか。
 ――どうやってボクは生まれたのか。
 ――どうしてボクが神様なのか。
 ――なぜ命じた言葉が『美しくあれ』なのか。
 ――ボクは何を成し遂げたらいいのか、とか。
 その頃、天空の世界と呼ばれる世界の方では麻薬が流行ってるらしかった。
 世界を取り締まっている監視官から通達が寄越された。
 内容を簡単にまとめるとこんな感じ。

『私たちにはどうしようもできない、助けて』

 それを言うだけの文章をそれはもう長ったらしく丁寧に書いていたよ。
 読むだけで時間かかっちゃうよこんなの。
 仕方がないし、久しぶりに天空の世界の方を見に行ったんだ。
 ああそうだ、今のままだとわからないよね。
 世界は大きく分けて二つに分かれてるんだ。
 一つはずっとボクが見ていた『地の世界』で。
 もう一つが今から見る『天空の世界』だ。
 いや、訂正させてもらおうかな。
 正式な名前としては『空の世界』だ。
 何故ならここは、遥か天空に浮かぶ美しい宮殿だ。この場所の説明は...うーん。
 埃一つ許されない世界で、少し堅苦しい。
 でも、整備されていて掃除が行き届いている。
 此処では、怪我や病気以外の死は存在しないんだ。とても『綺麗』だと思う。
 煌びやかな宝飾品などはないが、何故かボクはそう思う。
 それはきっと、色が統一されているからだとボクは知る。
 色で言うと『白』に...いや『透明』かな?
 まあそんなことは一旦置いておいてだよっ!
 この世界が麻薬に侵され、助けてほしいと手紙を寄越すくらいだ。
 よっぽどの事なのだろう。かつてボクがここを取り締まっている人を見た時は、とても勤勉で常に成長を怠らず、世界の監視を続けていたのだから。
 この世界は神の監視が必要ない。
 だって、何もしなくても永久とこしえの時を生きることができるのだから。
 何か問題が起きたとしても、百年放っておいてもいいし、千年放っておいてもいい。
 それくらいの基準で人々は物事を語るんだ。
 だから、ボクもあまりその世界に干渉しなかった。今度謝らないと。ごめんねって。
 ところがどうだ、久々に見にきてみたらなんだこれ!
 世界がまるで別物になっているじゃないか。
 でも。
 なんて言えばいいんだろう。

 世界が崩れるとは、
 案外普通なんだなとボクは思った。

 整頓された棚は崩れ、
 建物の崩壊は止まらない。
 まるで、何者かからの攻撃を受けたかのようにボロボロだった。
 どうやら全て、この地で突如広まった麻薬のせいらしい。
 そんな風になる麻薬とは、なんなのだろうか。
 そんな風に神座で考えている間にも、天空の世界の崩壊は止まらない。
 だからボクは仕方なく、天空の世界に降り立った。勿論人の姿に化けて。
「ああ、神よ...世界の創造主様よ、どうかこの天空の世界に安寧を齎してください」
 そう言いながら、人々は指を胸元で絡めて目を瞑る。これは祈りの姿だね。
「ほら、そこにいる君も一緒に祈りなさい」
 ボクの手を引きながら、像の近くにボクを座らせて、先ほどと同じポーズをとる。
 何度もボクの像に向かってお辞儀をする老人は痩せ細っていて今にも骨が折れてしまいそうだった。
 促されたから仕方なく、ボクもボクの神像にお祈りした。...必要ある?これ。
 この老人達は恐らくはこの麻薬騒動によって、ストレスでやつれてしまっているのだろう。他にも何人か人はいたけれど、皆痩せ細っていて力がない。
 その中にはボクが昔見て印象に残っていて、尚且つボクに手紙を寄越してきた監視官達もいた。
 ちなみに監視官っていうのもボクが勝手に呼んでるだけで正式な名前は知らない。監視官達は他の人とは違う白い服を着て、頭には花冠を被って、石の上で正座をさせられている。監視官はボクのお告げを待っているのだろう。苦しい表情一つも見せずに静かに座っている。とても可哀想だ、ずっと同じ姿勢でひたすらあるかも分からないお告げを待つだなんて。
「あの者が持ってきた麻薬に皆、心が奪われてしまいました。このままではこの世界は見るに耐えない程醜いあの...あの地の世界へと成り代わってしまう」
 老人はそう言う。それに対して、一同は頷く。
 この透明な世界で、そんなモノが流行るのか?とボクは思った。
 同時に、好奇心のようなものも感じたのだ。
 この世界で生きる人達の心が奪われる麻薬とは、一体何なのだろうか。近くにいる人達に聞いてみようとしたが、聞けなかった。突然、隣にいた人が叫び出した。
「どうした」
 近くにいたもの達は力を合わせて叫び続ける人物を拘束した。
「落ち着け、深呼吸をしろ!」
 そう叫ぶ人たちの声は届いていないのだろう。
 その人物は、叫び続けた。不意に、ボクと眼が合った。ボクは静かに微笑んだ。
 すると突然、その人物は、飛び降りた。遠くで鈍い音がしたと共に、その人物は二度と動かなくなった。
「これが、麻薬の力か...」
 一部始終を見ていたもの達は、その変わり果てた姿を見て、どう思っているのだろうかとボクは思った。
 しかし、何もなかったかのように一同はまた座り、指を絡めて祈る。
「皆、一時的な快楽に溺れております。このままでは本当に世界が滅びてしまいます、どうか、どうか...」
 その姿に、姿勢に、ボクは何も言えなかった。
 その姿こそ麻薬のようなものではないかと喉まで出たが、なんとか止めた。
 そして同時に、ようやくこの世界で何が起きたかがわかった。
 要は何者かが持ってきた、この世界では不必要な物が大流行してしまった。
 それによって、世界そのものの基準が変わろうとしている。
 それを阻止してください。ってことか。
 結局、お偉いさん方がすることは神頼りってわけだ。
 その考えにボクは思う。
 別にこの世界が勝手に滅びようが、
 姿が変わり果てようが、
 正直ボクにはどうでもいい。
 この言い方だと少し冷たいかな?

 ボクは世界の基準が変わろうと気にしない。

 それは新たなルールであって、違反ではないからだ。
 美しくあれと命じたとしても、地の世界では人それぞれ意味が違うように。
 いずれ変わっていく物であると、ボクは思っている。
 しかしこの人達はそれが許せないのだろう。
 だからこうして、残り少ない食材をボクの神棚に捧げて祈りを止めない。
 何かしなければ、監視官達もこのままずっと正座させられるのだろう。
 何より、皆餓死してしまう。
 それだけは避けなければならない。
 この世界をボク自らが壊してしまうというのはルール違反である。でもなぁ...。
 ボクはその麻薬の正体を知らないから麻薬を止めることも、
 麻薬を身体から取り除くことも不可能だ。
 そこまでの力は、いくら神であるボクにも備わっていない。
 別にこの世界が『勝手』になくなるのだとしたら、創り直せばいいだけなんだけど。
 助けを差し伸べられ、それに応じず、その結果なくなってしまうというのはな...。
 うーん、ルールにはできるだけ従いたい。
 あ、そうだ。そうしたらいいのか。

 ――麻薬を広めた張本人を罪人とし、世界から追放するのだ。

 中々いい感じに言えたのではないだろうか!
 監視官達も頑張ってそれを伝えてくれた。
 そのボクの啓示を受けた人々は、罪人を世界から追放するための準備を始めた。
 この世界において追放とは死刑である。
 怪我や病気以外の死が存在しない中で死刑とは最も重たい罪であろう。
 まあ、殺された瞬間をボクは見ていないから知らないけど。
 どんな人がそんな大事件を引き起こしたのかは少し気になるかもしれない。
 何はともあれ!
 麻薬に捕まれば追放になるというイメージが付いた天空の世界では、麻薬から離れていく人が増えたみたいだ。それに乗っかって、天空の世界の長である人が麻薬はルールから反する。この世界の美しさの基準から反する。それを所持する者はきつい処罰を与えると言ったらしい。
 何年か経った時、ボクは世界を散歩した。
 天空の世界を散歩している時は、無慈悲にも靴の音だけが響いていた。
 耳をすませば、人々の話す声は聞こえるが、その中にボクは入ってはいけない。
 この世界は本当に退屈だ。
 別の日は地の世界に降りて、誰にもバレないように満開の桜を目にしていた。
 四季の中で最も儚いと感じるのは、いつだって春だった。
 何故かはわからない。それでもボクは春が大切だった。
 何年か経ったけども、麻薬が完全に天空の世界から無くなることはなかった。
 それでも麻薬を持つ者は死刑処分になる。その重たい事実によって、徐々に衰退していっているらしい。それに対して天空の人々はまたボクに感謝の意を述べて、供物を捧げて、ボクを崇めた。
 またボクは一つ、大きな神様へと成長した。

 神様に成りすぎてはいけない

 昔、そう言われた気がする。
 ボクはどれくらい神になっているのだろうか。考えても答えは出ない。
 出ない考えを止められない。
 それは人間らしいとも言える。
 ボクは、残された人間らしさにしがみついている醜い神なのだろうか。
 それとも、神に成りすぎてしまった尊い人物なのだろうか。

 そもそも、ボクは人間だったのか? 

 いや、もう考えるのはよそう。
 せっかく今日は桜が咲いているのだから。
 桜の花弁がゆらりゆらりと落ちていく様子をボクは静かに眺めた。
 地の世界は四季というものがあって、そのどれもが綺麗で儚くてボクは好きだった。
 天空の世界にも四季というもの自体は存在するんだろうけど、地の世界のような色鮮やかさはない。例えるのならずっと冬景色が続いたまま気温だけが変わるような感じだ。
 地の世界で天空の世界を例えるとしたら、科学文明が発達しすぎて人間そのものの欲望がなくなったような世界が、天空の世界だった。
 そんな時、突然ソレは目の前に現れた。

 シャランと音がした気がした。

 ソレを見た時、ボクは一瞬だけ、神様であるということを忘れてしまった。
 ボクですら、ちっぽけな存在だと思ってしまうほどの存在を目にした。
 ソレは大人びた少女だった。
 何もかもを透き通す透明な髪。
 腰ほどまであるその髪は、風に揺蕩うだけなのに、一本一本が、意思があるかのように揺れていて異質な存在に見える。
 同じ色の睫毛に縁取られた瞳はこの世界のどんな絵の具を集めても完成することができないであろう虹色の宝石だった。
 薄い薔薇色の唇にほんのりと桜色に染まっている頬。筋の通った鼻。陶器人形のように白く滑らかな肌。
 細い手足を隠す真白の襟付きシャツに、桜を連想させる淡い色のスカート。足元は茶色のローファー。全てが完璧な少女だった。
 瞬きをしてくれたおかげで、少女が人間だと知ることができた。
 それがなければ、一つの人形だと思っていたくらいだ。
 そう思うくらいには、美しい少女だった。
 その少女も同じく桜を見ていた。
 春の代表とも言える、美しき桜が咲き誇っている瞬間を記憶として残そうとしているのか、ゆっくりと瞬きを繰り返しながら見つめる。その瞬きの度に見え隠れするオーロラが、何故かもどかしく感じてしまう。
 少し重たげに一歩踏み出す度にそこから花が咲くかのような錯覚を感じるほどには美しい姿だった。桜が主役のはずなのに、その主役の座を奪ってしまう異質な存在。
 桜の傍に彼女が居るのではない。
 彼女が居るから桜が咲いているのだ。
 そんな錯覚を感じてしまうほどに少女はとても美しい。
 その美しさのあまり、全ての景色がむしろ違和感を持たせてしまう程には。

 その少女の名はアイと言う。

 ボクは慌てて自分のいるべき場所へと戻り、深呼吸を繰り返す。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。
 思考が落ち着いてきた頃、改めてその少女について考えた。
 なんと美しい少女なのだろうかと、心の底からそう思った。
 歳は幾つだろうか、あまりにも大人びた顔立ちのせいで、女性にも見えてしまうが、少し小さな手足からみて...十三、四くらいだろうか。
 それは初めての事でこれから先こんな風に思うことはないだろうと思った。
 ボクは神様でありながら、初めて美しいというのを体験した。
 それに自覚したのは数日経った頃だった。
 ボクの頭の中が、あの美しい少女でいっぱいだった。しかし,それでも良いと思えた。これが、幸せという感情なのだろうか?
 だって、あんなに美しくて、儚くて、目が惹かれてしまう存在。ボクだけを見て欲しいと思ってしまう感覚は、初めてだったんだ。
 ある日、アイは空を見つめた。その日の空は快晴で、薄い雲と淡い水色の空が春を連想させるにはじゅうぶんだった。桜は満開で美しく、たまに揺れて落ちる花弁はかわいらしさを感じさせてくれた。
 そして、アイは空へ向けて美しい虹を見せてくれた。ボクはその虹を見ていた。全ての絵の具を掻き集めたかのような眼。碧にも見えるし、紫にも見える。次の瞬間には紅に変わり、気づけば緑にも見える。本当に不思議だった。その眼を見るだけで、ボクは思考が止まるような錯覚を味わった。
 突然、オルゴールが動き出したかのように、言の葉を紡いだ。

「お前が神か?何故私を見る」

 ソレは、突然だった。オルゴールのような規律された声が耳によく通る。
「神とは名ばかりか、同情心が湧いてしまうよ」
 ――なんでだろう。
 神の姿なんて見えるはずがないのに、見えていると思ってしまう異質な感覚。彼女には本当にボクの姿が見えているように見えてしまう。
 ――冷静になれ。
 確かに、最近のボクはアイを見る機会が圧倒的に多かった。アイを見ていたいと思ったからだ。他の人間の生活もとても見ていて面白いと思ったが、アイは違う。
 彼女が獣じみた行動で、慣れたように動物を狩る姿も、人間ですらも狩る姿も。必要であれば命を殺すことに躊躇いがないあの異質な獣さ...美しいと思った。
 容姿も相まって、より美しいと感じた。
「今から言う事は、独り言と思ってくれていい」
 まだ少し幼い容姿からは想像できないほどの達観とした口調だった。
 より、ボクはアイに魅入った。
 彼女という存在そのものが異質に見えた。
 そう思うボクの声が聴こえているかのように、アイは答えてくれた。

「神よ、汝に問おう」

 まるで、神話の語り始めみたいにゆっくりと言の葉を紡ぐ。
「天空の世界で麻薬を持ってきた人物は、一体どんな姿をしているのだろうかと思わないのか?」
 その言葉が意味する答えが分からないほど、ボクはアホではない。そこで知った。
 この人物こそが、天空の世界で死刑処分を受けた重罪人だと。
「私が興味本位で手に持ったその麻薬は、私が理解するよりも先に皆に拡がってしまった。止める事はできなかった」
 すらすらと、用意していたかのようにアイは言った。
 コレを言いたくて仕方がないという風に、ボクに話しかけてきた。死刑だとは聞いていたけど天空の世界での死刑=地への世界での生活に繋がるということは知らなかった。いやそれとも、たまたまこの地の世界で生まれてしまったのか。
 聞こえるかわからないけど、ボクはアイに返事をした。会話をしている気分を味わいたいのもあったけど、もし聞こえているのならボクと同じ神かもしれないという淡い期待が一番大きかった。
 だがやはり、想像通りというべきか、アイにボクの声は聞こえていないみたいだった。
 アイは手を掲げて、握り潰すかのように強く握った。空へ向けて、オーロラの眼を見せびらかすように見つめた。

 まるで、戦争を予告するかのように。
 まるで、この空を握り潰すかのように。
 この世界の主人公のような、瞳で。

「天空で行った事は随分と大事件として記録をされているらしいじゃあないか」
 透明な髪が揺れた。
「私はまた麻薬を世界に広げるぞ?」
 その宣言は、ボクに対する宣戦布告のようだった。
「私は、お前を信じていない」
 —どうして?
お前という存在は、それほどまでに高貴で、高尚で、同時に醜い」

 シャランと音が聴こえた。

「在るだけのお前に言ってやろう。さあ、神よ。私を見るがいい」
 そ見開かれた虹の宝石は異質な輝きを放った。
 その言葉は、とても強くて。
 その眼差しは、決意に溢れていて。
 その姿は、とても格好良くて。

「私の人生を見るがいい、高尚なる傍観者よ」

 その一言で、ボクはアイの虜になった。
 それからボクは、ひたすらにアイを見つめた
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祝福作者:結弦
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『美しくあれ』
 神であるボクは、ある日この世界に生きる者達にそう命じた。
 その日は世界が真白に染め上げられていた冬の日。
 吐く息は白く、手足は凍えて少し赤みを帯びている。
 動物達は深い眠りにつき、来る春を待つ。
 あらゆる命にも平等に訪れる死の季節とも呼ばれている。
 この世界に生きる全ての生き物は、その言葉を常に胸に留めた。
 各々の思う『美しさ』を誇りとするようになった。
 孔雀であれば言葉で例えられない羽根。
 ライオンであれば立派な鬣。
 クリオネならば食事の瞬間に見せる触覚。
 宝石であれば真似することのできない輝き。
 植物であれば己が最も綺麗に咲く瞬間。
 朝であれば橙色と金春色のグラデーション。
 夜であれば黄昏景色から藍色に染まる瞬間。
 春であれば生命の息吹が芽吹く暖かさを。
 夏であれば新緑の木々と青い空と入道雲を。
 秋であれば木々が枯れ果てた時に感じる憂いを。
 冬であれば真白に染めるその瞬間を。

 皆、各々の美しさを見つけていた。
 皆、各々の美しさに誇りを持っていた。

 ボクはそれを見るのがとても好きだった。
 少し前の話をしよう。
 それはボクが美しくあれと命じる前の話になると思う。
 その時のボクは、ただ世界が流れているのを見ているだけだったんだ。
 その日々に名前はつかない。
 なんでもない、ただの日常とも言えるかもしれない。
 神の日常とはどんなものだろうか?
 それはが思うよりもずっと退屈かもしれない。
 少なくとも、ボクはそう思う。
 だってそうだろう?
 ただ人が生きて、動物が生きて、
 植物が生きて、季節が生きて、
 朝を共に目覚め、夜と共に眠り、
 季節を感じ、成長を心待ちにし、
 そして死ぬ。
 それを眺めるだけの日々。
 なんてことのない平和で、平凡で、幸せな日々である。
 けれど。神であるボクにとっては何もない、停滞した日常でもある。
 皆はソレを誇りに思って、自らソレを選んで行動しているけど、
 神であるボクはその行動を見ているだけ。
 ボクは世界でいう、傍観者に過ぎない。
 だから本当にボクは突然『疲れた』んだ。
 何の前触れもなく、突然そう思った。
 だからボクは、考えた。
 だって神様は見ているだけだから。

 どうすればこの世界はより良くなるだろう。

 そんな簡単な問いかけに、自問自答の繰り返しをした。それこそ、嫌になるほどに。
 そしてある時、ふと思いついた。
 そう、それこそボクが命じた言葉『美しくあれ』だったんだ。
 その言葉はボクにとって、この世界が特別になった瞬間だった。
 その日から世界は少し変わった。
 ボクにとっても。
 この世界を生きる全ての人たちにとっても。
 でも一つ問題があるとすれば、なんでそう言ったのかは思い出せない事。
 誰かが助言をしてくれたのだろうか。
 それとも、ボク一人で思いついたのか。
 解らない。
 だから深く考えることはやめた。
 考えても答えが出ないことを考えても仕方がないと思わないかい?

 だって、今存在する神はボクだけだからね。

 そう思う理由は幾つかはあるけれど、あえて二つだけ話そう。
 一つ。ボク以外の神様を見た事がない。
 この大きな世界の中で、神だと名乗りあげる人物は、ボク以外に存在しない。
 もしかしたら、ボクが神として存在する前には居たのかもしれないけどね。
 だとしたら、神はこの世界で一人しか存在できないということになる。
 そして今はボクの代ということにもなるね。
 この説においては確証がないから、答えは分からない。
 それに、そもそも概念として神に死があるのか分からないから確かめようもない。
 試しに首を絞めてみたが、痛みはなかった。
 高いところから落ちてみたが、無傷だった。
 海の中に飛び込んだが、人魚のように泳ぐことができた。
 神とは案外、なんでもできるものなのだなと思った。
 少なくとも、死ぬこと以外は。
 二つ。この世界を創り上げた人物はボクであるはず。
 そう認識させられているのか事実なのかは、分からない。
 これも、考えるだけ無駄だね。
 だってそうだろう?
 もしボクの前に神様がいたとしても。
 記憶を引き継ぐことはできないようにされているのだから。
 とても悲しいことだね。残念。
 まあ、だからこそなのかもだろうけれども。
 一つ目の理由から、ボクは神様であろうと努力を怠ることはなかった。
 雨乞いを願う人間にはしっかりと雨を授けた。
 豊作を願う者には翌年には良い品質の作物が採れるようにしてあげた。
 ボクは努力それを欠かした事がない。

 人間達はボクに信仰と想像。
 そして供物を捧げてくれた。

 ボクは人間達に、対価と人生を捧げた。

 人間達は年に一度、ボクが『美しくあれ』と命じた日を祝うようになった。
 その日はどの家も煌びやかな装飾が施される。
 皆、美味しい食事を囲み、神棚には金銀財宝などをボクに捧げてくれた。
 空は、それはもう目にするだけで泣きたくなるような空色を見せてくれた。
 皆、ボクが命じた美しさを見せてくれた。
 ボクはそれがとても嬉しかった。
 この世界にボクは存在しているんだと感じることができたから。
 特にね、人間は面白いんだ。
 主に動物と植物は、姿や形は多少違えど、美しさの基準は同じなんだ。
 自分が最も綺麗に咲く瞬間や、自分の持つ立派な毛並みとか。
 だけどね、人間は違うの。
 ある人は見目麗しい人物が美しいって言う。
 ある人は力が強い人が美しいって言う。
 人によって美しさの基準が全く違うんだ。

 だからボクは、人間を見るのが好きになった。

 様々な思考を持つ人間を見ているうちに、ボクも色々なことを考えるようになった。
 何でかはわからないけどね。
 もしかしたら、人間を観察する内に人としての思考力を手に入れたのかも知れない。
 そう思うほどに、ボクは色んなことを考えた。
 ――例えば、どうしてボクは生まれたのか。
 ――どうやってボクは生まれたのか。
 ――どうしてボクが神様なのか。
 ――なぜ命じた言葉が『美しくあれ』なのか。
 ――ボクは何を成し遂げたらいいのか、とか。
 その頃、天空の世界と呼ばれる世界の方では麻薬が流行ってるらしかった。
 世界を取り締まっている監視官から通達が寄越された。
 内容を簡単にまとめるとこんな感じ。

『私たちにはどうしようもできない、助けて』

 それを言うだけの文章をそれはもう長ったらしく丁寧に書いていたよ。
 読むだけで時間かかっちゃうよこんなの。
 仕方がないし、久しぶりに天空の世界の方を見に行ったんだ。
 ああそうだ、今のままだとわからないよね。
 世界は大きく分けて二つに分かれてるんだ。
 一つはずっとボクが見ていた『地の世界』で。
 もう一つが今から見る『天空の世界』だ。
 いや、訂正させてもらおうかな。
 正式な名前としては『空の世界』だ。
 何故ならここは、遥か天空に浮かぶ美しい宮殿だ。この場所の説明は...うーん。
 埃一つ許されない世界で、少し堅苦しい。
 でも、整備されていて掃除が行き届いている。
 此処では、怪我や病気以外の死は存在しないんだ。とても『綺麗』だと思う。
 煌びやかな宝飾品などはないが、何故かボクはそう思う。
 それはきっと、色が統一されているからだとボクは知る。
 色で言うと『白』に...いや『透明』かな?
 まあそんなことは一旦置いておいてだよっ!
 この世界が麻薬に侵され、助けてほしいと手紙を寄越すくらいだ。
 よっぽどの事なのだろう。かつてボクがここを取り締まっている人を見た時は、とても勤勉で常に成長を怠らず、世界の監視を続けていたのだから。
 この世界は神の監視が必要ない。
 だって、何もしなくても永久とこしえの時を生きることができるのだから。
 何か問題が起きたとしても、百年放っておいてもいいし、千年放っておいてもいい。
 それくらいの基準で人々は物事を語るんだ。
 だから、ボクもあまりその世界に干渉しなかった。今度謝らないと。ごめんねって。
 ところがどうだ、久々に見にきてみたらなんだこれ!
 世界がまるで別物になっているじゃないか。
 でも。
 なんて言えばいいんだろう。

 世界が崩れるとは、
 案外普通なんだなとボクは思った。

 整頓された棚は崩れ、
 建物の崩壊は止まらない。
 まるで、何者かからの攻撃を受けたかのようにボロボロだった。
 どうやら全て、この地で突如広まった麻薬のせいらしい。
 そんな風になる麻薬とは、なんなのだろうか。
 そんな風に神座で考えている間にも、天空の世界の崩壊は止まらない。
 だからボクは仕方なく、天空の世界に降り立った。勿論人の姿に化けて。
「ああ、神よ...世界の創造主様よ、どうかこの天空の世界に安寧を齎してください」
 そう言いながら、人々は指を胸元で絡めて目を瞑る。これは祈りの姿だね。
「ほら、そこにいる君も一緒に祈りなさい」
 ボクの手を引きながら、像の近くにボクを座らせて、先ほどと同じポーズをとる。
 何度もボクの像に向かってお辞儀をする老人は痩せ細っていて今にも骨が折れてしまいそうだった。
 促されたから仕方なく、ボクもボクの神像にお祈りした。...必要ある?これ。
 この老人達は恐らくはこの麻薬騒動によって、ストレスでやつれてしまっているのだろう。他にも何人か人はいたけれど、皆痩せ細っていて力がない。
 その中にはボクが昔見て印象に残っていて、尚且つボクに手紙を寄越してきた監視官達もいた。
 ちなみに監視官っていうのもボクが勝手に呼んでるだけで正式な名前は知らない。監視官達は他の人とは違う白い服を着て、頭には花冠を被って、石の上で正座をさせられている。監視官はボクのお告げを待っているのだろう。苦しい表情一つも見せずに静かに座っている。とても可哀想だ、ずっと同じ姿勢でひたすらあるかも分からないお告げを待つだなんて。
「あの者が持ってきた麻薬に皆、心が奪われてしまいました。このままではこの世界は見るに耐えない程醜いあの...あの地の世界へと成り代わってしまう」
 老人はそう言う。それに対して、一同は頷く。
 この透明な世界で、そんなモノが流行るのか?とボクは思った。
 同時に、好奇心のようなものも感じたのだ。
 この世界で生きる人達の心が奪われる麻薬とは、一体何なのだろうか。近くにいる人達に聞いてみようとしたが、聞けなかった。突然、隣にいた人が叫び出した。
「どうした」
 近くにいたもの達は力を合わせて叫び続ける人物を拘束した。
「落ち着け、深呼吸をしろ!」
 そう叫ぶ人たちの声は届いていないのだろう。
 その人物は、叫び続けた。不意に、ボクと眼が合った。ボクは静かに微笑んだ。
 すると突然、その人物は、飛び降りた。遠くで鈍い音がしたと共に、その人物は二度と動かなくなった。
「これが、麻薬の力か...」
 一部始終を見ていたもの達は、その変わり果てた姿を見て、どう思っているのだろうかとボクは思った。
 しかし、何もなかったかのように一同はまた座り、指を絡めて祈る。
「皆、一時的な快楽に溺れております。このままでは本当に世界が滅びてしまいます、どうか、どうか...」
 その姿に、姿勢に、ボクは何も言えなかった。
 その姿こそ麻薬のようなものではないかと喉まで出たが、なんとか止めた。
 そして同時に、ようやくこの世界で何が起きたかがわかった。
 要は何者かが持ってきた、この世界では不必要な物が大流行してしまった。
 それによって、世界そのものの基準が変わろうとしている。
 それを阻止してください。ってことか。
 結局、お偉いさん方がすることは神頼りってわけだ。
 その考えにボクは思う。
 別にこの世界が勝手に滅びようが、
 姿が変わり果てようが、
 正直ボクにはどうでもいい。
 この言い方だと少し冷たいかな?

 ボクは世界の基準が変わろうと気にしない。

 それは新たなルールであって、違反ではないからだ。
 美しくあれと命じたとしても、地の世界では人それぞれ意味が違うように。
 いずれ変わっていく物であると、ボクは思っている。
 しかしこの人達はそれが許せないのだろう。
 だからこうして、残り少ない食材をボクの神棚に捧げて祈りを止めない。
 何かしなければ、監視官達もこのままずっと正座させられるのだろう。
 何より、皆餓死してしまう。
 それだけは避けなければならない。
 この世界をボク自らが壊してしまうというのはルール違反である。でもなぁ...。
 ボクはその麻薬の正体を知らないから麻薬を止めることも、
 麻薬を身体から取り除くことも不可能だ。
 そこまでの力は、いくら神であるボクにも備わっていない。
 別にこの世界が『勝手』になくなるのだとしたら、創り直せばいいだけなんだけど。
 助けを差し伸べられ、それに応じず、その結果なくなってしまうというのはな...。
 うーん、ルールにはできるだけ従いたい。
 あ、そうだ。そうしたらいいのか。

 ――麻薬を広めた張本人を罪人とし、世界から追放するのだ。

 中々いい感じに言えたのではないだろうか!
 監視官達も頑張ってそれを伝えてくれた。
 そのボクの啓示を受けた人々は、罪人を世界から追放するための準備を始めた。
 この世界において追放とは死刑である。
 怪我や病気以外の死が存在しない中で死刑とは最も重たい罪であろう。
 まあ、殺された瞬間をボクは見ていないから知らないけど。
 どんな人がそんな大事件を引き起こしたのかは少し気になるかもしれない。
 何はともあれ!
 麻薬に捕まれば追放になるというイメージが付いた天空の世界では、麻薬から離れていく人が増えたみたいだ。それに乗っかって、天空の世界の長である人が麻薬はルールから反する。この世界の美しさの基準から反する。それを所持する者はきつい処罰を与えると言ったらしい。
 何年か経った時、ボクは世界を散歩した。
 天空の世界を散歩している時は、無慈悲にも靴の音だけが響いていた。
 耳をすませば、人々の話す声は聞こえるが、その中にボクは入ってはいけない。
 この世界は本当に退屈だ。
 別の日は地の世界に降りて、誰にもバレないように満開の桜を目にしていた。
 四季の中で最も儚いと感じるのは、いつだって春だった。
 何故かはわからない。それでもボクは春が大切だった。
 何年か経ったけども、麻薬が完全に天空の世界から無くなることはなかった。
 それでも麻薬を持つ者は死刑処分になる。その重たい事実によって、徐々に衰退していっているらしい。それに対して天空の人々はまたボクに感謝の意を述べて、供物を捧げて、ボクを崇めた。
 またボクは一つ、大きな神様へと成長した。

 神様に成りすぎてはいけない

 昔、そう言われた気がする。
 ボクはどれくらい神になっているのだろうか。考えても答えは出ない。
 出ない考えを止められない。
 それは人間らしいとも言える。
 ボクは、残された人間らしさにしがみついている醜い神なのだろうか。
 それとも、神に成りすぎてしまった尊い人物なのだろうか。

 そもそも、ボクは人間だったのか? 

 いや、もう考えるのはよそう。
 せっかく今日は桜が咲いているのだから。
 桜の花弁がゆらりゆらりと落ちていく様子をボクは静かに眺めた。
 地の世界は四季というものがあって、そのどれもが綺麗で儚くてボクは好きだった。
 天空の世界にも四季というもの自体は存在するんだろうけど、地の世界のような色鮮やかさはない。例えるのならずっと冬景色が続いたまま気温だけが変わるような感じだ。
 地の世界で天空の世界を例えるとしたら、科学文明が発達しすぎて人間そのものの欲望がなくなったような世界が、天空の世界だった。
 そんな時、突然ソレは目の前に現れた。

 シャランと音がした気がした。

 ソレを見た時、ボクは一瞬だけ、神様であるということを忘れてしまった。
 ボクですら、ちっぽけな存在だと思ってしまうほどの存在を目にした。
 ソレは大人びた少女だった。
 何もかもを透き通す透明な髪。
 腰ほどまであるその髪は、風に揺蕩うだけなのに、一本一本が、意思があるかのように揺れていて異質な存在に見える。
 同じ色の睫毛に縁取られた瞳はこの世界のどんな絵の具を集めても完成することができないであろう虹色の宝石だった。
 薄い薔薇色の唇にほんのりと桜色に染まっている頬。筋の通った鼻。陶器人形のように白く滑らかな肌。
 細い手足を隠す真白の襟付きシャツに、桜を連想させる淡い色のスカート。足元は茶色のローファー。全てが完璧な少女だった。
 瞬きをしてくれたおかげで、少女が人間だと知ることができた。
 それがなければ、一つの人形だと思っていたくらいだ。
 そう思うくらいには、美しい少女だった。
 その少女も同じく桜を見ていた。
 春の代表とも言える、美しき桜が咲き誇っている瞬間を記憶として残そうとしているのか、ゆっくりと瞬きを繰り返しながら見つめる。その瞬きの度に見え隠れするオーロラが、何故かもどかしく感じてしまう。
 少し重たげに一歩踏み出す度にそこから花が咲くかのような錯覚を感じるほどには美しい姿だった。桜が主役のはずなのに、その主役の座を奪ってしまう異質な存在。
 桜の傍に彼女が居るのではない。
 彼女が居るから桜が咲いているのだ。
 そんな錯覚を感じてしまうほどに少女はとても美しい。
 その美しさのあまり、全ての景色がむしろ違和感を持たせてしまう程には。

 その少女の名はアイと言う。

 ボクは慌てて自分のいるべき場所へと戻り、深呼吸を繰り返す。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。
 思考が落ち着いてきた頃、改めてその少女について考えた。
 なんと美しい少女なのだろうかと、心の底からそう思った。
 歳は幾つだろうか、あまりにも大人びた顔立ちのせいで、女性にも見えてしまうが、少し小さな手足からみて...十三、四くらいだろうか。
 それは初めての事でこれから先こんな風に思うことはないだろうと思った。
 ボクは神様でありながら、初めて美しいというのを体験した。
 それに自覚したのは数日経った頃だった。
 ボクの頭の中が、あの美しい少女でいっぱいだった。しかし,それでも良いと思えた。これが、幸せという感情なのだろうか?
 だって、あんなに美しくて、儚くて、目が惹かれてしまう存在。ボクだけを見て欲しいと思ってしまう感覚は、初めてだったんだ。
 ある日、アイは空を見つめた。その日の空は快晴で、薄い雲と淡い水色の空が春を連想させるにはじゅうぶんだった。桜は満開で美しく、たまに揺れて落ちる花弁はかわいらしさを感じさせてくれた。
 そして、アイは空へ向けて美しい虹を見せてくれた。ボクはその虹を見ていた。全ての絵の具を掻き集めたかのような眼。碧にも見えるし、紫にも見える。次の瞬間には紅に変わり、気づけば緑にも見える。本当に不思議だった。その眼を見るだけで、ボクは思考が止まるような錯覚を味わった。
 突然、オルゴールが動き出したかのように、言の葉を紡いだ。

「お前が神か?何故私を見る」

 ソレは、突然だった。オルゴールのような規律された声が耳によく通る。
「神とは名ばかりか、同情心が湧いてしまうよ」
 ――なんでだろう。
 神の姿なんて見えるはずがないのに、見えていると思ってしまう異質な感覚。彼女には本当にボクの姿が見えているように見えてしまう。
 ――冷静になれ。
 確かに、最近のボクはアイを見る機会が圧倒的に多かった。アイを見ていたいと思ったからだ。他の人間の生活もとても見ていて面白いと思ったが、アイは違う。
 彼女が獣じみた行動で、慣れたように動物を狩る姿も、人間ですらも狩る姿も。必要であれば命を殺すことに躊躇いがないあの異質な獣さ...美しいと思った。
 容姿も相まって、より美しいと感じた。
「今から言う事は、独り言と思ってくれていい」
 まだ少し幼い容姿からは想像できないほどの達観とした口調だった。
 より、ボクはアイに魅入った。
 彼女という存在そのものが異質に見えた。
 そう思うボクの声が聴こえているかのように、アイは答えてくれた。

「神よ、汝に問おう」

 まるで、神話の語り始めみたいにゆっくりと言の葉を紡ぐ。
「天空の世界で麻薬を持ってきた人物は、一体どんな姿をしているのだろうかと思わないのか?」
 その言葉が意味する答えが分からないほど、ボクはアホではない。そこで知った。
 この人物こそが、天空の世界で死刑処分を受けた重罪人だと。
「私が興味本位で手に持ったその麻薬は、私が理解するよりも先に皆に拡がってしまった。止める事はできなかった」
 すらすらと、用意していたかのようにアイは言った。
 コレを言いたくて仕方がないという風に、ボクに話しかけてきた。死刑だとは聞いていたけど天空の世界での死刑=地への世界での生活に繋がるということは知らなかった。いやそれとも、たまたまこの地の世界で生まれてしまったのか。
 聞こえるかわからないけど、ボクはアイに返事をした。会話をしている気分を味わいたいのもあったけど、もし聞こえているのならボクと同じ神かもしれないという淡い期待が一番大きかった。
 だがやはり、想像通りというべきか、アイにボクの声は聞こえていないみたいだった。
 アイは手を掲げて、握り潰すかのように強く握った。空へ向けて、オーロラの眼を見せびらかすように見つめた。

 まるで、戦争を予告するかのように。
 まるで、この空を握り潰すかのように。
 この世界の主人公のような、瞳で。

「天空で行った事は随分と大事件として記録をされているらしいじゃあないか」
 透明な髪が揺れた。
「私はまた麻薬を世界に広げるぞ?」
 その宣言は、ボクに対する宣戦布告のようだった。
「私は、お前を信じていない」
 —どうして?
お前という存在は、それほどまでに高貴で、高尚で、同時に醜い」

 シャランと音が聴こえた。

「在るだけのお前に言ってやろう。さあ、神よ。私を見るがいい」
 そ見開かれた虹の宝石は異質な輝きを放った。
 その言葉は、とても強くて。
 その眼差しは、決意に溢れていて。
 その姿は、とても格好良くて。

「私の人生を見るがいい、高尚なる傍観者よ」

 その一言で、ボクはアイの虜になった。
 それからボクは、ひたすらにアイを見つめた
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祝福作者:結弦
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