最も速き者が勝つ! 二〇五〇年・皐月賞
第12話:最も速き者が勝つ! 二〇五〇年・皐月賞
西暦二〇五〇年、四月。
中央サーキットの桜が散り、新緑の風が吹き抜ける頃。全国のからくり競馬ファン、そしてメディアの視線は中山の地に集約されていた。
クラシック三冠、第一戦――皐月賞。距離、二〇〇〇メートル。
三歳の機体だけが出走を許される、一生に一度の栄誉だ。
「......ピカピカのA級機ばっかり。地方の廃材で作ったウラヌスなんて、場違いもいいところね」
パドックでウラヌスの最終チェックをしながら、凛(りん)がため息をつく。
だが、その手は一切の迷いなく、地方の仲間たちから託された超高速巡航用の新型マイクロ・チップをウラヌスの首筋に埋め込んでいた。
ブラックライスとの死闘をハナ差で制し、守とウラヌスは「地方からの刺客」として、今や中央メディアの台風の目となっていた。
「おい、西! 調子はどうだ!」
パドックのフェンス越しに声をかけてきたのは、かつての宿敵、岡部太陽だ。
彼は今、守のチームの「アドバイザー」として、中央の華やかなパドックに立っていた。
泥の中で和解した岡部、北斗茜、安藤亮平。かつての地方のライバルたちが、自分たちの技術やコネクション、意地を、ウラヌスという一機のガラクタに惜しみなく注ぎ込んでくれている。
「岡部。調子は最高だ。......ウラヌスが、走りたくてウズウズしてる」
「へえ、いい面構えだ。......だがな、西。今回の皐月賞は、ブラックライスとは毛色が違うぞ。なんせテーマは『最も速い機体が勝つ』だ。一瞬の油断が、致命的な絶望(差)になる」
岡部の言葉通り、パドックに並ぶ他の三歳機たちは、宝石のように美しく、羽のように軽い、最新鋭の軽量・超高速特化機ばかりだった。
その中でも、一際異彩を放つ機体があった。
透き通るような、ガラス細工を思わせる美しい青の流線型フレーム。
機体名。
「あれが、今回の本命......今井優太の乗る、ジェットボーイよ」
凛が端末を睨みつける。
「超電導リニアの技術を応用した、超磁気浮揚滑空システム(マグレブ・スライダー)を積んでいるわ。接地摩擦をゼロにして滑るように走る、まさに『青き閃光』。二〇〇〇メートルの超高速戦なら、影を踏むことすら許さないわ」
パドックのベンチに座り、静かに目を閉じている少年がいた。
今井 優太(いまい・ゆうた)。どこか儚げで、繊細な美しさを持つジョッキー。彼は守の視線に気づくとゆっくりと目を開け、悲しげに微笑んだ。
「――西 守くん、だね。君のウラヌスの噂は聞いているよ」
優太は立ち上がり、ガラスの機体に優しく触れた。
「でもね、僕たちは、君たちとは違う世界を走っているんだ。摩擦のない、音のない、光だけの静寂な世界。君の泥臭い熱量じゃ、僕たちの光(スピード)には、決して追いつけないよ」
優太の言葉に悪意はない。ただ、圧倒的な『理(システム)』として、それを哀れむように告げていた。
ファンファーレが高らかに鳴り響く。
中山の急坂を控えた、二〇〇〇メートルの皐月賞。
『――一生に一度の栄光を掴め! 最も速い機体が勝つ、クラシック第一戦、皐月賞。......ゲート、オープン!』
ガツン! と油圧ゲートが開いた。
「――行くぞ、ジェットボーイ!」
優太の静かな叫びと共に、ジェットボーイの青いボディから、キーーンという超高周波の駆動音が夜空へ抜ける。
磁気浮揚、点火。
路面からコンマ数ミリ浮き上がった青き閃光が、スタートからわずか三秒で、後続を五馬身、十馬身と置き去りに決めていく。
「う、嘘でしょ......!? 最初の二〇〇メートルの通過ラップ、レコードを大幅に更新しているわ!」
無線から凛の悲鳴が聞こえる。
(速い......! ブラックライスの絞め技とは、次元が違う暴力的な速さだ!)
守はウラヌスの同調コードを握りしめ、必死に追走した。
だが、見渡す限りの視界には、青い光の残像しか映らない。一秒の迷いが、百メートルの絶望的な差となって立ちはだかる。
これまでの泥濘や超長距離の粘り強さは、この「光のスピード勝負」の前では、重たいお荷物でしかなかった。
「無駄だよ、西 守くん。僕たちは、風の抵抗すら置き去りにしていくんだ」
遥か前方、逃げ続ける優太の声が脳内に木霊する。
一〇〇〇メートルの通過タイムは、超絶のハイペース。他の最新鋭A級機たちですら、ジェットボーイの異常なペースについていけず、次々とオーバーヒートを起こして後退していく。
(......このままじゃ、ただ千切られて、終わる!)
ウラヌスの心臓(古代式シリンダー)が、超高速回転の摩擦熱で真っ赤に融解し始めていた。
第四コーナーを回り、中山名物・高低差二・二メートルの急坂が迫る!
先頭を快走するジェットボーイの、ガラス細工の流線型フレームに微かな歪みが生じた。超磁気浮揚の代償。接地摩擦がない代わりに、コーナーの凄まじい遠心力を、細いフレーム自体の剛性だけで受け止めなければならない。
「......あいつの機体、限界よ! フレームがガラスのように繊細すぎるわ!」
けれど優太は速度を緩めない。フレームが自壊する恐怖を、美しきスピードの恍惚感で麻痺させて、急坂へと突っ込んでいく。
「――だったら、俺たちの出番だ!!」
守は、赤熱するシリンダーの熱を、そのまま己の全身の血液の熱へと変換した。
安藤が調整したサスペンションが、急坂の重力を力強く受け止める。
茜が調整した駆動系が、一粒の砂利を噛み砕き、大地の反発力を推進力に変える。
岡部が組み込んだ最新チップが、ウラヌスの旧式電子脳の演算を限界まで加速させる。
仲間たちが繋いだバトンが、ウラヌスの錆びたフレームをガッチリと繋ぎ止め、中山の急坂を力強く『蹴り上げる』パワーへと昇華された!
浮いているジェットボーイは、坂の上りでは推進力が上へと逃げる。だが、ウラヌスは大地の反発をそのまま前方へのベクトルへと叩き込める!
(同調率、一〇三パーセント......!! ウラヌス、お前が世界で一番、速いんだろ!?)
ごぅぅぅぅぅん!
黒煙を吹き上げながら、ウラヌスが坂の途中で過負荷バースト機構を点火させた!
浮遊するスピード(ジェットボーイ)と、大地を踏みしめる地べたの力(ウラヌス)の、急坂での大激突!
残り二〇〇メートル!
磁力で滑るジェットボーイを、大地を踏みしめて、泥臭く、執念だけで加速するウラヌスが、坂の頂上で強襲する!
「なっ......! 坂を登りながら、さらに加速するなんて......物理の法則に反している!!」
優太の悲痛な叫び。
「物理の法則なんて知るか! 俺たちは、地べたから文字通り這い上がってきたんだよ!!」
守の咆哮と共に、錆びた銀馬が、青き閃光の真横に火花を散らして並びかけた!
中山の空に、割れんばかりの大歓声が響き渡る。
最も速い機体が勝つ。その頂を、今、二つの異なる「速さの魂」が、火花を散らしながら同時に駆け抜けた!