第一話
どうやらこの世界から魔法がなくなるらしい。
勇者は、魔法というシステムを壊す必要があると言ったそうだ。何故なのか、私には知ることはできない。その話をしてくれた旅する友人から聞けたのは、「魔王のせいらしい」だとか「未来のため」だとか、そういう話。あまり正確な話は伝わっていないようだったが、とにかく。世界のために一週間後、魔法というものが消えることはわかった。きっと誰もが「世界のため」というのを感じているのだろう。友人はここまで来るまでに通った街では、一部の人以外騒ぐでもなくただ不安そうにしていたと言った。
「ねぇせんせい、魔法が消えちゃうって本当?」
新聞すら届かないこの町で、旅人からの情報は貴重だ。きっと彼は今も、大急ぎでこの町のような辺境へと箒にまたがって魔法がなくなることを知らせているのだろう。もう、会うことはないかもしれないが。
私は不安そうに瞳を揺らす少女に処方した薬草を渡し、彼女の頭を撫でる。
「どうやらそうらしいね」
「......せんせいは、魔法がなくなったらどうなると思う?」
目を伏せて、おずおずと聞く彼女に私は少しだけ考えて口を開いた。
「そうだね......まず、困る人が大勢出るだろうね。もちろん、私も困る。薬学が専門だから仕事がなくなることはないだろうけど、今まで魔法でやってきた工程もあるし、そもそも魔法がないと作れない薬だってあるからね」
そう口にして、私は意味もなく手のひらから水球を出す。魔法の水は飲用ではないが、純度が高くて重宝するのだ。これがなくなると困るのは当たり前だろう。
水球をくるくるともてあそんだあと、今度は炎を指先から出した。
「ランプに火を灯すのに、魔法を使う人も多いだろう」
「たしかに、おかあさんは魔法を使ってた」
「あと、狩りが難しくなったりもするかな」
「......ごはんが食べれなくなる?」
「流石にこの場所だったら飢え死にはないと思うけど」
小さな町なのだ。今までのようにはいかなくても、何とか食いつなぐことはできるだろう。まあ、希望的観測でしかないけれど。
私はふう、と息を吐いて彼女の肩をぽん、と叩き、励ました。
「人っていうのは何とかする生き物だよ。魔法が使えなくなっても、いつかは適応するさ」
それは、自分に向けた言葉でもあった。そうであってほしいと願うしかない。
じゃあね、と小さく手を振って診療所を出ていった少女に手を振り返し、私はひとつ、ため息を吐いた。
魔法がなくなるなんていう自分の生活を脅かすような大きな出来事を、実感できている気はしない。私も彼女や近所の住人と同じように、ただ漠然と不安を抱いているだけの何も知らないちっぽけな人間だ。
ちっぽけな人間、だというのに。
「先生、なんで魔法はなくなるんだい?」
「先生、なんで勇者様は魔法をなくすなんて仰ったんだ?」
「先生、魔法が世界にあるのとないのじゃ何が違うの?」
「先生、これから世界はどうなっちまうんだろうねぇ?」
今日も、昨日も、一昨日も、その前の日も、診療所はこれからを心配する町の人間たちで大盛況だった。休む暇もなく、ただいつも通りの日々が過ぎていく。違うのは、診療所が大盛況なことと、やって来る人間全員が決まって「なんで」を口にすることだけだ。
「そんなこと、私が聞きたいくらいなんだけどね」
町の中で一番魔法に詳しいからといって何でも知っているわけではない。勇者や世界のことなんてもってのほかだ。けれど、それでも答えなければいけないのだ。町の中で一番魔法に詳しいのだから。わからないなりに隣人たちを安心させているうちに、一日、一日とどんどん時間は過ぎ去っていく。同じことの繰り返しで、魔法がなくなるなんていうことへの実感は友人が知らせてきてくれた時から少しも芽生えなかった。
そうこうしているうちに、ついに最後の一日まできてしまった。
昼どきに、丘の向こうから立派な馬車が見えて皆と顔を見合わせた。馬車はこの町に止まり、そこから出てきた良い服を着た人間が私たちに向かって話し始める。
「明日から、魔法がなくなる」
その言葉を聞いてようやく、私の中で実感が湧いたような気がした。良い服を着た人間は立派な馬車に乗って、すぐに町を出ていった。きっとあの旅人の友人のように、さまざまな町を駆け回っているのだろう。
馬車が立ち去った後、町の住人はやけに静かで、みんな何も言わなかった。私も、何かを言う気にはなれなかった。
診療所に戻ってからはいつものように薬草を刻み、自身の手から小さな水球を出して混ぜ合わせる作業をする。
しばらく経ってから、はあ、とため息をひとつこぼしてぐっと伸びをする。窓の外を見れば日は傾き、空は茜色に染まっていた。
「いけないな、こんな調子じゃ......明日も、あるんだから」
言い聞かせるように呟いて椅子から立ち上がる。作業道具を簡単に片づけて、私は外に出た。
薄暗い町には人はおらず、私はひとり町を歩く。歩いて歩いて、町からさほど離れていない小さな丘の頂上に、私はひとり座った。
「なぜ、魔法はなくなるんだろう」
そんなの、私にもわからない。
「世界のため、未来のためとは?」
そんなの、知るわけがない。
「魔法がなくなったら、何が起こる?」
そんなの、考えたくもない。
「これから、世界はどうなるんだろう」
知っているなら、教えてほしい。
茜色はすっかり真っ黒になって、夜が来ていた。それから、どれほど経っただろうか。
私は手のひらからひとつ、水球を出した。それを四角にして、三角にして、球体にして、くるくると回す。
水球が、ばしゃりとはじけた。