最後の料理
大好きだから、丁寧に味わいたい。
冷蔵庫を開けると、わずかに残った肉が目に入った。量はちょうど一食分。ここまで来ると、選択肢はむしろ明確だった。
最後は、唐揚げにしよう。
これまで、いろんな部位の調理を試みてきた。
特に神経を使ったのは内臓。
時間との勝負。処理が遅れればすぐに質が落ちる。逆に言えば、きちんと扱えば驚くほど応えてくる。
最初にレバーでパテを作ったときのことを、今でも覚えている。血抜きをして筋を取り、玉ねぎとバターを炒めて加え、牛乳と少しの生クリーム、塩と胡椒、ブランデーもひとたらし。材料をフードプロセッサーで滑らかにして、火入れは中がわずかにピンクになる程度に抑えた。
口に運ぶと、滑らかにほどけ、レバーの風味が丸く広がる。手を止め、これはうまくいったと確信し、余計なことは考えず、ただただ味わう瞬間に喜びを感じた。
それからしばらくの間、朝はずっと同じ。
軽く焼いたパンに、そのパテを塗る。単調なはずの繰り返しなのに、不思議と飽きなかった。
セルヴェル・ムニエルを作ったときも感動した。
口に運ぶと、ふわりとした食感が舌の上でほどけ、バターとレモンの香りが優しい甘みを引き立てて、素材の持つ繊細さがそのまま生きている。
辛口の白ワインとの相性も抜群であった。
試しに写真を撮ってインスタグラムに上げてみたら、思った以上に反応があった。いいねの数が増えていくのを見ながら、少し誇らしくなる。画面の向こうにいる誰かと、この味がどこかでつながっているような気がした。
他にもいろいろな料理を試した。
香辛料の配合から自分で組んだソーセージと、時間をかけて仕上げたベーコンは、どちらも印象に残る出来だった。塩分や脂の比率、スパイスの輪郭を自分で調整できる分、既製品とは別物になる。
自宅でやるには手間がかかると思われがちだが、器具を揃えて工程を理解してしまえば、作業自体は単純だ。温度と時間、それから肉と脂の扱いを外さなければ、大きく失敗することはなかった。
気づけば、毎食のように口にして、ひと月も経たぬうちに、すべてがなくなってしまった。長期保存を願って作ったものだったのに、その思いはいつの間にか虚ろになって、残されるのは、静かに胸の奥をかすめる、儚い名残だけである。
赤身の多くは煮込みに回した。赤ワインでじっくり火を入れたシチューは、市販品とは比較にならない。香りの立ち方も、舌に残る余韻も違う。生姜焼きやフライのような、単純な料理にすることもあった。試せば試すほど違う一面を知ることが出来て、どの料理にしても、良かった。
無論、骨も無駄なく使った。ボーンマローでステーキソースやパスタ、ポトフも作った。スープにして、自家製で作ってみたラーメンも、暖かさが寒い夜には体に染み渡った。
ベランダのプランターには、ハーブや簡単な野菜が並び、日々の料理にそのまま使えるようにしてある。
使い終えた野菜くずや食べ残しは、捨てずに土へ戻す。
骨も時間を掛けて骨粉にして戻す。リン酸やカルシウムが入っていて、有機肥料として相性がいいと、彼女が言っていた。
食べきれなかったものが、土に分解されて、また次の食材になる。そして私の中に取り込まれる。
手間はかかるのに、不思議と無駄が減っていく感覚があった。
体に入るものだから、納得できる形で取り込みたい。
大好きだから、丁寧に味わいたいのだ。
目の前の肉の水気を拭き取り、ボウルに入れる。
醤油と酒を加え、すりおろしたにんにくと生姜を混ぜる。そこへごま油をほんの少し垂らし、手のひらでゆっくりと揉み込んだ。
香ばしい匂いが立ち上がる。冷えた肉が手のひらに吸い付き、柔らかく形を変える。その感触を惜しむように、私はしばらく手を止めなかった。
急ぐ理由なんてない。
せっかくの休みだから、今日は、ゆっくり味わうつもりなの。
時間を見て、肉を取り出す。軽く汁気を切り、衣をまとわせる。
粉が均一に付くように。余計なことは落として......美味しくなぁれ。美味しくなぁれと、呪文のように願いを込める。
菜箸を入れてると小さな泡が上がってくる。それを確認すると静かに一切れずつ、鍋に落としていく。
ジュッと音が立ち細かな泡が広がった。
これで、ひと通り終わる。そう思うと、少しだけ手放しがたかった。
狐色に揚がったものをひとつずつ返しながら、火加減を調整する。最初は中火。衣の奥まで熱を入れ、最後に強火へ切り替えて、一気に仕上げる。
油の中で弾けていた音が、変わる。ぱちぱちと鳴っていた細かな音が、次第に乾いたものになってゆく。鼻先をくすぐる香ばしい匂いが濃くなり、もう頃合いだと教えてくれる。
美濃焼の黒い皿に、ベランダで育てたベビーレタスと共に盛りつけると、衣の茶褐色と柔らかな緑が鮮やかに映えた。
写真を一枚撮って、インスタグラムに投稿する。
「いただきます」
ご飯と味噌汁、自家製の胡瓜の漬物、そして唐揚げ。
ひとつ箸でつまんで口に運ぶ。衣はしっかりと固まり、噛んだ瞬間に音を立てる。すぐに内側の油がほどけて、熱と一緒に口いっぱいに広がった。
あゝ 美味しい。
――加奈子、愛してるわ。