魔女から見た人魚姫
ローレライは今年で12歳になる、深海にある人魚の国の人魚のお姫様だ。
「はい、アーンしてー」
真珠貝たちを並べて、大きく開いた口の中に小さな小さな鱗の破片を入れていく。
「どうかな、おいしい?」
体の中に異物を入れられて美味しいわけもないが、真珠貝たちは一斉に口を閉じてカタカタと震える。
「そう、よかった」
吐き出されなかったのなら真珠貝たちなりに満足した証である。豆鉄砲の如く一斉に吐き出されていた頃に比べて進歩したものだった。
「ふふふ」
真珠貝たちの世話と真珠作りはローレライの日課だ。王族の彼女は望めば真珠くらいは手に入るが、自分の鱗を削って作った真珠は特別なのだ。
「~♪」
次に出来る真珠にワクワクしながら、ローレライは今日獲れた大小様々な真珠を小瓶に入れて部屋を出る。
「おばあさま! こんにちは!」
「こんにちはローレライ」
王座にいるのはこの国で一番偉い人魚の女王様。その人である。
ローレライは五人姉妹だが、ローレライは姉妹の中で一番幼く、一番純粋で、一番女王様に甘えて、一番女王様に、そして姉たちにも愛されていた。
「お姉さま達は?」
「残念、今日はアナタがビリケツよ」
自由奔放な姉たちは宮殿に居ないことも多い。一日一回、女王様への挨拶だけは欠かさないのでタイミングが良ければ会えるのだがすでに済ませた後のようだ。
「もう、姉サマたちってば、またワタシだけ仲間ハズレにして!」
「あと2年の辛抱でしょ、あの子たちもアナタの楽しみを奪わないよう気を利かせてくれてるんだから」
この国の人魚は14歳に、大人になるまで人間の世界を覗いてはいけない決まりがある。国の中しか知らない子供たちにとって人間の世界、海面より上は未知と憧れに溢れた世界だった。
大人になったローレライの姉たちが人間の世界に夢中になるのは当然で、まだ子供のローレライはいつもお留守番だ。
「ぶー」
「ほらほら、そんなハリセンボンみたいな顔をしないで、可愛いお顔が台無しよ」
女王様はふくれるローレライをなだめながら腕の中へ招く。
「ねぇ、どうしてもダメなのー?」
「みんな我慢したのよ、ローレライだけズルしちゃみんなに悪いでしょう」
ローレライは女王様の腕の中で甘えてみるが、こればっかりはお姫様でも、女王様に一番愛されていてもダメだった。
「はーい」
しかし聞き分けの良いローレライなので、あまり女王様を困らせるような事もない。
「ねぇおばあさま、お買い物しましょう!」
十分に女王様に甘えたローレライはその腕から離れると王室の中でゆらいでいる大きなクラゲのクッションにもたれかかりながら真珠の入った小瓶を取り出す。
「あら、素敵な真珠ができたじゃない」
”お買い物“というのは、女王様が集めている海底に沈んできた人間たちのモノを、ローレライの真珠と交換するというもの。
「えへへ、今日こそ宝モノ貰うんだから!」
「アナタにはなんでも宝モノになってしまうでしょう」
女王様のコレクションといっても、それらは壊れていたり用途のわからないガラクタ同然のモノばかりである。いわばこれはごっこ遊びだ。
しかしどういうわけか、どんなガラクタもローレライの手に渡るとまるでとてつもない宝物のように輝いて見えるのだ。
「ほら、キレイでしょう」
「うぐぐぐ」
クラゲのクッションを抱いて女王様の商品の売り込み(?)をローレライは我慢していた。
今女王様が見せてくれている”ガラス細工の何か“もとても魅力的だったが、今日こそは女王様秘蔵の”綺麗な音の出る箱“を手に入れるつもりなのだ。
「うふふ、今日は我慢強いわね」
「もう! おばあさまのいじわる!」
女王様はローレライの目当てを知りながら他のガラクタで彼女の真珠を無くしてしまう。
それはほんの少しのいたずら心と、彼女一番の目的である“綺麗な音の出る箱”を渡してしまうと、このやりとりがもうできなくなるのではないかという、寂しさからだった。
「困ったわねぇ、もう珍しい物はコレくらいしかないわ」
「コレはなぁに?」
女王様が取り出したのは大きな円の中に沢山の点と線が描かれた絵図の盤だった。
「さぁねぇ、地図の様なものだと思うのだけど」
星座盤。星座を見るため、あるいは航海士が方角を見るため使っていたもので人間にとっては珍しい物でもないが、深海に住まう人魚たちがそれの用途を知る由もない。
「あんまり綺麗な絵でもないわね」
人魚にとって珍しい物ではあるが、今まで沈んできた彫刻やタペストリー等に比べたら特別綺麗な絵というわけでもない、コレではローレライの気を引けないだろうと思う女王様であったが。
「おばあさま! コレ欲しい!」
「まぁ」
女王様に魅力の感じない物でも、ローレライには何か惹かれるものがあったのだろう。目当ての”綺麗な音の出る箱“の事も忘れ、目を輝かせていた。
「しょうがない子ね」
今日こそは本物の宝モノを渡すことになるだろうと思っていた女王様だったが、そんな彼女の気持ちに水を差すのも躊躇われ、そのガラクタをいつも通りの真珠数個と交換した。
「わーい、やったー! おばあさまありがとう!」
ガラクタのために本当の宝物を逃したというのに、ローレライはそれをとても大事そうに抱えて、抱き上げ、小躍りするようにくるくると泳ぐ。
「ふふふ」
女王様にとって宝物である”綺麗な音の出る箱“ですら、ローレライには上げて惜しいものではない。
しかし、彼女の手に渡るとそれがどんなガラクタでもとてつもない宝モノにえて、この時ばかりは渡したことが少し惜しく思えてしまうのだった。
宮殿の中にはローレライ自慢の庭がある。
彼女が手入れした珊瑚と宝モノの山、拾い集めたガラスで作ったステンドグラスのようになった壁の無い窓。彼女のお気に入りの場所だ。
「うーん?」
その庭の大きな貝の中で、ローレライは先ほど貰った絵図と睨めっこしていた。
「なんだろなー?」
これはいったい何に使うものだろう、宮殿の使用人たちにもいくらか聞いてみたが誰もその使い方を知らないし、思いつきもしない。
「うーん、うーん」
姉たちに置いてきぼりにされ、人間界へのあこがれが強くなる一方のローレライはことのほかこういったことへの好奇心が強かった。
「そうだ!」
だからその好奇心故に、思いもよらぬ手段を思いついたりするのだ。それは時に猫をも殺すような......。
「人間さんに聞けばいいんだ!」
人魚の国から少し離れた海溝の中に不気味な屋敷がある。
人間界からやってきた魔女が住んでいるそうで、人魚の国よりさらに深海にあるその屋敷故に、深海の魔女と呼び恐れ、国の人魚たちは誰も近寄ろうとはしない。
「うぅ、ちょっとコワイな」
当然ローレライも近づかないように言われているが、元より不気味なその屋敷に近づくわけもないとあまり強制力のある言われ方はしていなかった。
そのためにその魔女に聞けばいいという、危険な手段を思いついてしまった。
「わ?」
意を決して暗い海溝へと潜り込むと、海藻に絡まった何かにぶつかる。元より暗闇に慣れている人魚なので、すぐにそれの正体はわかるが...。
「ひっ!?」
それは人魚の死骸だった。周りを見てみれば他にも人魚の死骸が海藻にからまって揺れているではないか。
「わー...」
最初は驚いたローレライであったが、その死骸たちをむしろ感心するようにまじまじと見つめ、すぐに興味を無くして海溝の中へ泳ぎ始める。
海藻の森を抜けて少し潜ったところで、海溝の中に灯りを見つける。あれが深海の魔女の屋敷だろう。ローレライの泳ぐ速度が少し早くなる。
「こんにちはー...」
海溝の狭間にひっかかるようにあるその屋敷は中から漏れる灯りのせいか近づいてみれば思ったほど不気味ではなかった。しかしまだ恐れの消えないローレライはドアに向けての挨拶がつい小声になってしまう。
「......」
ドアから返事はない、当然だろう。ドアマンがいるような様子もなく、ローレライはドアにそっと手を伸ばす。
するとドアは触れる前からギィっと動き出し、まるで彼女を屋敷に誘うように開いたのだ。
「わぁ...」
別に彼女を歓迎している訳ではない、この屋敷の主が物臭でドアを勝手に開くようにしていた魔法がいるはずのない客人にも反応しただけである。
「お邪魔します...」
勿論そんなことを彼女が知るはずも無く、誘われたと思った彼女はそろそろと屋敷の中へと入っていくとドアもまた勝手に閉まる。
屋敷の中は思ったより薄暗かったが、幸い水で満たされているようで問題無く泳ぐ事ができた。
(人間さんは水の中が苦手なんじゃないのかな?)
ローレライでもそれぐらいの人間に関する知識は持っていたので、少しばかりここの魔女が本当に人間なのかが心配になってきた。
しかし、すぐにその不安は解消される。
「こんなところにやってくる人魚なんて逆に興味あったけど、まさかこんな小娘とはね」
「!?」
薄暗がりから、魔女が現れたのだ。丈の長いローブでよく見えないが、服の下には尾ひれでなく二本の足がたしかに見えた。
「わっわっ、はじめまして!」
現れた魔女は予想してたような不気味さはなく、自分の姉たちと比べても遜色ない綺麗な顔立ちでローレライはすっかり緊張が解けてしまう。
「呑気な子ね......。警告には気付かなかったの?」
「ケイコク?」
「人魚の死骸、来る途中に沢山あったでしょう」
キョトンとしたローレライの様子に、怖がられていないことを解せないと魔女が問いかける。
「あぁアレ! 凄くよくできてたけど、あんな偽物怖くないもん!」
「偽物ですって?」
たしかに偽物だが、魔女のプライドにかけて精巧に作ったものだ。小娘に見破られるようなものではないはずだった。
「アナタ、どうしてアレが偽物とわかったの」
「だってワタシたち人魚は死んだら泡になるんだよ! あんなの残らないもん!」
「はぁ......、なるほど......」
なんてことはない、人魚の死骸は存在しないのだから、死骸があるとすれば偽物に違いない訳だ。人魚の国の側に暮らしながら、そんな事も知らなかったのかと魔女は反省する。
反省点と言えば、自分以外にもドアが勝手に開くせいでこの人魚を屋敷に招いてしまったこともだ。魔女はローレライをとっと追い出しにかかる。
「それで......アナタは......」
「あ、ローレライです!」
「いや、名前を聞いたんじゃなくて......」
「......? 人魚の国の第五王女です!」
「だから、そういう事じゃなくて」
「えっと......、よろしくおねがいします!」
「......はい、よろしく」
久しぶりに人と話したせいだろうか、ペースが掴めなくて魔女はローレライに振り回されていた。ローレライもローレライで、魔女とはいえ人間に初めて会ったことに興奮していた。
「あぁもう、だからウチに何しにきたのよアンタは!」
そして魔女の方もミステリアスな雰囲気もかなぐり捨てて、ローレライのペースに呑まれんとしていた。
「そう! これ!」
「ん? 星座盤?」
当初の目的を思い出した彼女は大事に抱えていたそれを魔女の前に出す。
「せいざばん?」
「その星座盤がどうかしたの」
魔女もそれらしきものを大事そうに抱えているのには最初から気付いていたが、それが特別なものには思えなかった。
「せいざばんっていうの?」
「はぁ?」
「すごい! せいざばん! やっぱり魔女さんなら知ってた!」
「???」
名前もわからなかったそれの名前が判った事でローレライは大喜びして、魔女はまたその様子に意味が分からず戸惑うしかなかった。
「せいざばんって、何に使うの?」
と思ったらまたキョトンとして疑問を口にするのだ。
「イヤ......だからね......」
この人魚の持ってる知識の程度がわからず、どこから説明した物かと魔女は頭を抱える。
「あぁ......もう、アンタにもわかるよう説明してあげるからちょっとこっちに来なさい」
口で説明するより見せた方が早い、と魔女は魔法の鏡の部屋へローレライを案内する事にした。
「はーい!」
そして第五王女ともあろうものが何の疑問も持たず魔女についてくるのだ。そもそもなんで自分は付き合っているのだろうか、何故か魔女の方が混乱している。
「あ、魔女さん! 聞いてない!」
「なに? だからこれから説明するって......」
「魔女さんのお名前!」
「あー......」
本来ならまず名前なんて教えない魔女であったが、ローレライのペースに呑まれたのか、嘘をつくのも誤魔化すのも面倒になってしまっていたのだろう。
「セイレーンよ」
「セイレーンさん!」
名乗ってから、魔女は思い出す。
呼ばれてから、魔女は思い出す。
一体、何年振りに人に名乗っただろう。
一体、何年振りに名を呼ばれただろう。
“深海の魔女”はこの瞬間から、止まっていた自分の時が動き出したように感じた。
ローレライとセイレーンが出会って数ヵ月。
人間界に興味津々だが人間界を覗けないために好奇心ばかり募るローレライ。
人間の醜さに触れて深海で孤独に生きることを選びながらも寂しさを募らせていたセイレーン。
人魚のお姫様と深海の魔女が“友達”になるまでに、それほど時間はかからなかった。
「セーレ! セーレ! みてみて!」
「ちょっとローラ、行儀が悪い。ちゃんとドアから入りなさい」
望遠鏡を抱えたローラが勝手知ったる魔女の家、と窓からセーレのいるであろう研究室に入る。
「えへへ、ごめんなさい」
基本的には行儀のいいローラだが興奮するとこういう事を忘れがちで、それを反省する姿が可愛らしいのは、少しズルいなとセーレは思った。
「ほら、みてみて! これすごいの! 物が小さく見える!」
そして早くも気を取り直して、望遠鏡でセーレの顔を覗き込む。逆さにして。
「それ、逆」
セーレが手を回すとローラの手の中でくるっと望遠鏡が反転する。
「わっ、すごい! 大きくなった!」
覗き込んでいたセーレの呆れる顔が今度はとても大きく見える。
「はぁ......。そんな事で凄い凄いって、ローラと話してると魔女として自信無くすわ......」
魔女とはいえ自分が深海で水圧も呼吸も適応して過ごしていることの凄さに気づきもしない。自分の魔法や道具を色々見てきているのに望遠鏡程度で大騒ぎだ。
「だって、同じようなのはいつも壊れちゃってて使えなかったんだもん」
「まぁ、大抵は人魚の国の加護に入る前に水圧でダメになるでしょうね」
この辺りは人魚の国の影響で水圧や明かりがその他の深海よりだいぶ緩やかなので、通常ダメになってしまうようなものも稀に無事に沈んでくるのだ。
「ねぇねぇ、コレって何に使うの?」
「遠くの物や景色を見たり、星を見るのに使うのよ」
「ふーん、もっと近付いて見ればいいのにね」
ローラは望遠鏡を覗き込みながら、わざわざ遠くの物を見るための道具がある事を不思議に思った。
「見るだけより触ったり、遊んだり、近い方がずっといいよ!」
薄暗い深海で遠くを見るような事もなく、海の中で上下左右自由に動ける人魚のローラには”近づけない“という発想もないのだろう。
「そうね。じゃぁ近くで見てみる?」
「え?」
セーレは丁度良かったとばかりにローラの入ってきた窓を閉めると、先ほどから調合していた薬を水中にばら撒く。
「なにしてるの?」
「しー、動かないでね」
セーレはばら撒いた薬の粒のようなものが十分に部屋の中に行き渡るのを待ちながら、邪魔になりそうなテーブルや研究道具を魔法で消していく。
「暗くなるから気を付けて」
「はーい」
「ほら」
準備が整い、セーレが掛け声とともに部屋の明かりを魔法で消すと――
「わぁぁぁ」
部屋の中には、満天の星の海が現れた。
「これが、星空よ」
ばら撒かれた薬の粒がそれぞれ輝いて星の海を演出する。セーレの調合で星座の位置までちゃんと計算されている......、が平面に見ている星空を立体にしているので距離感は適当だ。
「ローラ?」
「......」
いつもなら凄い凄いと興奮し大騒ぎするローラだったが、この時ばかりは声も失ってただ星の海に目を奪われていた。
セーレも声を掛けるのも野暮だと、感動しているローラをしばらく見守る事にした。心配しなくてもどうせすぐに......
「セーレ! 凄いよ! 凄い綺麗!」
こうやっていつもの調子で騒ぎ出すのだから。
「ふふふ、ありがとう。狭いから気を付けてね」
ローラが興奮して星の海を泳ぎ出すのも想定通り。ちゃんと部屋の物は片してある。
「ねぇ、セーレ。ぼーえんきょー見にくいよ?」
星の海を泳ぎながら、早速さっき教わった使い方を試しているローラだったが、星が近くにあるのではよく見える訳もなく......。
「そうね。逆さにしてみたらどうかしら」
「ん!」
言われてローラが思っていた使い方をしてみる。
「わぁ、よく見えるよ!」
近くにあるのに遠くに見えて、それはより“星空”に見えた事だろう。
「ローラの使い方もあってたわね」
「えへへ~」
間違った使い方まで正しくしてしまうのはある意味ローラらしいと、二人は笑いあう。
「星座盤持って来ればよかったなー」
「そういえばそうね」
驚かせたくて秘密にしていたが、それぐらいは持ってくるように言っておいてもよかったかもしれないと、セーレはあの時の星座盤を思い出す。
「思い出すわね、人魚の国の王女様が魔女のところに来るなんてよほどの事だと思ったら、まさか星座盤の使い方を聞きに来ただなんて」
その時の無知なローラの様子を思い出してクスクス笑った。
「だ、だってその時はホントに何にも知らなかったんだもん!」
あの時振り回されたことの意趣返しとばかりにセーレが自分の事を笑うので、ローラも恥かしくなって真っ赤になる。
「まったくこの子は、私が悪い魔女だったらどうするつもりだったのかしら」
真っ赤になって否定するローラの腕を手繰り寄せて、セーレは腕の中で彼女の頭をなでる。
「セーレは......、悪い魔女に見えなかったもん......」
「そうね......、アナタも悪い人魚ではなかったものね」
もしあの時来た人魚が“魔女の力”を頼ってきたような者なら、セーレはにべもなく追い返していたことだろう。
人間の世界で、セーレは魔女であるがゆえに人間のあらゆる醜さに触れて来た。
魔女の力を求める者、魔女の力を頼る者、魔女の力を恐れる者、魔女の力を嫌う者、そのいずれもが彼女を人間嫌いにするには十分な質だった。
「セーレ苦しいよー!」
そしてローラの純粋さは、人間嫌いから闇の中へ逃げ込んだセーレの心を照らすのに、十分な輝きだった。
「あら、ごめんなさい」
思わず強く抱きしめてしまっていたらしい、セーレは慌ててローラを解放する。
「もう、仕返しー!」
「ちょっとローラ!」
解放されたローラは今度は自分からセーレに抱き着く、仕返しと言うよりただ甘えてるだけである。
「ありがとうセーレ!」
手作りの星の海でローラの笑顔はより一層輝いて見えた。
「ふふふ」
人魚の中でもとびきり純粋なローラ。
魔女の中でも人の心に臆病なセーレ。
人魚のお姫様と深海の魔女が”親友“になるまで、それほど時間はかからなかった。
今日は珍しくローラがセーレを外に連れ出してる。
「ほらほらセーレ、急いで!」
人魚の国もすぐそこといったところでローラがセーレの手を引いて急かしていた。
「ちょ、ちょっと待ってローラ!」
しかしセーレは人魚の国が近づくにつれて尻込みし、その手を振り払ってしまう。
「そんな怖がらなくてだいじょ......」
手が振り払われたので振り返ってみれば......そこには誰もいない。
「もー! 透明マントは置いてくる約束でしょー!」
「透明マントはちゃんと置いてきたわよ。これは擬態マントだから......」
「同じでしょ! ぼっしゅう!」
声のする場所を当てにローラが岩を引きはがすとシールのようにめくれて中から小さくなったセーレが出て来る。
「あぁぁ......」
魔女からすれば素材も製作工程も扱い方もまるで違うものだが、そんな言い訳が通用するはずもなく、あっさり取られて情けない声をあげる。
「別に見せたい場所があるだけなら私は隠れててもいいじゃない......」
二人が知り合ってから一年ほど、ローラがセーレの元に遊びに行くばかり。
もちろんローラは何度もセーレを宮殿や人魚の国に誘ったのだが、自分が魔女であることや人魚ではない事を理由に断り続けてきた。
「セーレもしかして怖いの?」
「ま、魔女が何を怖がるっていうのかしら」
セーレとしても、そこまで人と接する事に臆病だったつもりはない。
しかし、長く深海に引きこもりようやく心を許した相手がローラだったために、その純粋さは反動となった。
今のセーレは無菌室に籠っていたようなもので、自分でもいざその時になるまで尻込みするとは思っていなかった。
「セーレがどうしても無理っていうなら、やめる?」
たまに素材の採取に外に出る事があっても姿を隠すマントを手放さず、決して人魚の国や他の人魚がいそうな場所へは近づかなかった。
ローラはそんなセーレを心配すると同時に、自分の国の綺麗な場所を彼女に見せたくて仕方がなかった。
「ローラに心配されるような事はないわよ!」
「そっか、じゃぁ急ご!」
(あ......)
押してダメなら引いてみろ。ローラにそんな思惑があったわけもないが、セーレには効果的だったようである。承諾を得たローラは、またセーレの手を引いて泳ぎ出す。
幸いなのかローラが気を利かせて人払いをしてたのか、道中に他の誰にも会う事もなく......。
「ほら、付いたよ!」
「まぁ......」
水草のカーテンを抜けると、そこはローラ自慢の庭だ。
彼女が手入れした珊瑚に、彼女の宝物の山、中で眠れるほどの大きな貝に、手作りのステンドグラス。それらが淡い光の中で輝いていた。
「素敵な所ね」
「えへへ」
彼女自慢の庭がある事は知っていたし、いの一番に見せたい場所と言ったらそこになるだろうと想像はついていた。しかし普段無邪気なローラからその美しい庭作りは想像もできず、セーレは心を震わせた。
「流石、ローラ自慢の庭ね。アナタが見せたがる気持ちもよくわかるわ」
「これは一番じゃないんだよー、そろそろかなー?」
「え?」
そういえばローラは何かの時間が迫っていたのか急いでいた。いったい何があるのだろうかと、彼女の目線に合わせてセーレが上を向いた時――
「まぁ......」
「きた!」
ローラの庭に雪のような粒が振り始めた。それは陸上の雪と違って大小様々で形も歪だったゆえに光を乱反射し、いつかの星々の様にローラの庭にゆったりと降り注ぐ。
「深海に雪が......」
マリンスノー。人間たちにはまだ知られておらず、その名前が付けられるのもずっと先。
ローラはそれがどうして起こるのかは知らなかったが、潮の影響で起こっているこの現象の周期をなんとなく把握していた。
「ほら!」
そしてマリンスノーを求めて沢山の魚たちが集まり、たちまちローラの庭は賑やかになる。
「これが、セーレに一番見せたかったもの!」
ローラの庭に降り注ぐマリンスノー、色とりどりの魚たち。
「ローラ......、ありがとう」
だけれどセーレが一番好きなのは、その中心で笑うローラの姿で
「ん♪」
ローラが一番見たかったのは、その幻想的な世界の中でほほ笑むセーレの姿だった。
「ローラ、歌ってくれないかしら」
「いいよ!」
この幻想的な世界で歌うローラが見たいとセーレがお願いすれば、彼女は快く承諾する。
「~♪」
人魚の歌には人間を魅了する魔力がある。魔女であるセーレには効果がないが、それを抜きにセーレはローラの歌が好きだった。
「ローラ、大好きよ......」
幻想世界の中心で自分のために歌うローラに、セーレは心からそう思った。
好奇心旺盛なローラが人間や地上のあれやこれを聞きにセーレのところへ入り浸るようになってから、およそ2年の月日が経とうとしていた。
セーレはあれからもあまり外に出る事はなかったが、ローラに誘われれば渋々ながら人魚の里へ行くことはした。
もっとも透明マントを手放さず、二人の関係を誰かが知るような事もなかった。
「んー! んー! んんんー!」
「騒がしいわねぇ......」
機織りをするセーレの側で伸びたり丸くなったりくるくるまわったり、元々大人しくないローラであったが今日は特に落ち着きが無い。
「だってだって!」
「明日が待ち遠しいんでしょう、動き回ったって時間は早くならないわよ」
ローラが成人の議を終えてから四日目、いよいよ明日は海上を、人間の世界を覗くことが許される日だ。
「そうだけどー」
「人間の世界ならもう魔法の鏡でたくさん見たでしょうに」
「そうだけどー!」
「ほら、できたわよ」
「わぁ、ありがとう!」
ようやく完成したマントを渡されてローラはぬいぐるみのように抱きしめる。柄こそ特色の無い普通のマントだが、魔女の作るマントが普通のマントなわけも無く。
「擬態マント、使い方はわかるわね」
「うん!」
広げたマントをローラが頭からかぶると、ローラのいた場所にはタルが現れる。
「ちゃんと隠れられてるけど、それも完璧なわけでは無いから気を付けてね」
擬態マントは周囲の景色に溶け込む物に見えるが、違和感を覚える者や興味を持つ者がいないとも限らない。
「はーい!」
人間界を覗けるようになったとはいえ、人魚が人間に見つかってはいけないという決まりのために実際は地上の自然に触れるのがほとんどで、人間の様子を見る事はあまりない。
しかし好奇心旺盛なローラが人間に近づかない訳もないので、セーレが心配して隠れられる道具を用意したのだ。
「透明マントじゃダメだったの?」
「アレはモノが透明だからすぐ無くしちゃうでしょ」
「それもそっか!」
思えばセーレもよく行方が分からなくなって魔法を頼りに探していた。その点擬態マントは頭から覆わない限り普通のマントなのでそういう心配もないだろう。
「人間に見つかったらどうなるの?」
「そうねぇ、捕まって珍品として見世物になるか売られるか......。東の方の島国じゃ人魚の肉は不老不死の食材だとか」
「人魚食べちゃうの!?」
「東の島国は海のモノなら海藻からナマコからクラーケンまでなんでも食べるらしいわよ。アナタたちは死んだら泡になるって事は生きたまま食べら......」
「やめてー! こわいー!」
人間に興味の強いローラでも、東の島国には絶対近付くまいと思った。恐ろしい国があったものだ。
(これぐらい脅かしておけばいいかしら)
魔女とはいえ人間である自分に慣れてしまっているローラだ、多少脅かしておかないと人間に姿を見せてしまうかもしれない。
「やっぱりセーレも一緒に行こうよー!」
「だーめ」
しかし怖がらせすぎたのか実は寂しいのか、何度目かのローラのわがままが始まる。
「何度も言わせないでローラ、魔女は”土地“の一部なの」
セーレのような魔女は土地の一部になる事でその環境に適応し、その土地から魔力を得る。そしてセーレは”深海の魔女“だ。
「土地から遠く離れるとまた適応するのにとても時間がかかるのよ」
人魚の国があるとはいえ、深海で人間の姿のまま過ごすのは魔女でも簡単な事ではない。セーレが深海で快適に過ごせるのは”深海“の一部になっているからだ。
過酷な環境な程魔女にとっては都合がいいが、適応するまでの期間はその過酷さに耐え続けなければならない。いくらローラの頼みでも深海に適応するまでの地獄のような日々は二度とごめんだった。
「むー」
ローラは魔女のその理屈がよくわからないし、深海の辛さも人魚故に想像できないのでなかなか納得できないでいる。
「心配しなくても私はどこにも行かないから、寂しくなったら訪ねてきなさい」
「ん!」
とは言った物の、本当に寂しくなるのは自分の方だとセーレは思った。
いくら自分の魔法や知識が広くとも、直で体験する本物の魅力には敵わない。自分のところに来る理由もほとんどなくなり、これから彼女に会う機会は激減するだろう。
(深海の魔女......か)
そう思うと、本当はローラと一緒に外の世界を見て回りたかった。
しかし、そんなセーレの寂しさとは裏腹に......
「セーレ! こんにちは!」
「ローラ......、どうかしたの?」
一週間もしないうちにローラはセーレの元へ現れた。
「んー? どうもしないけれど」
寂しから早くも幻を見るようになったかと思ったセーレだったが、この惚けた感じは間違いなく本人だった。
「どうもしないって、アナタ念願の外の世界はどうしたのよ」
外の世界は広い、他の人魚と違って擬態マントがあれば川を上ってより沢山のモノを見る事もできる。いくら時間があっても足りないくらいのはずで、自分のところへくるような暇なんてないはずだとセーレは思っていた。
「うーん、それが。あんまり楽しくなかったし面白くもなかったや」
「あら......」
初日はたしかに新鮮で楽しく面白かった、二日目は姉たちと一緒だった。しかし三日目ともなるとなんだか飽きてきて、四日目には一人で驚くことに寂しさを覚え始めた。
「セーレと一緒の方が、ずっと楽しいなって」
恥ずかしげもなくローラは素直に笑って言った。
「ローラったら......」
その言葉にセーレは思った。ここが深海でよかった、涙も海に溶けて彼女に見えないのだから......。
セーレとローラの友情は二人が思う以上に強く結ばれていた。
それゆえに、ローラが大人と認められて外の世界を見られるようになってもその絆が綻ぶことはなかった。
だが、ローラもいつまでも少女ではない。
年齢とともに着実に、少しづつ、ローラは少女から大人になろうとしていた。
その輝くほどの純粋さを濁して......。
ローラが外の世界を見られるようになってから一年と少し。あれからもローラはセーレの元に入り浸り、時折気分転換に外の世界を見るといった生活だった。
「ローラ、今日も来ないみたいね......」
窓を開けて海溝の上に彼女の姿を探す。この一週間、ローラはセーレの元に来ていない。別に毎日来ていたわけでもないが一週間も空くのは珍しい事だった。
「やっぱり何かあったのかしら」
前に来た時も自分の話にどこか上の空で、何か言いたげに見えた。
「......」
その時の様子を思い出し、セーレは透明マントを取り出して窓から外へ出た。宮殿へ向けて。
(ローラ......)
ローラの庭へ訪ねてみれば、そこに彼女はいた。
「はぁ......」
彼女の自慢の庭も手入れが行き届いていないのかいつもの輝きを感じられず、その中心にいるローラも輝きを失って見えた。
(......)
大事な庭すら手につかず、何かを思い詰めた様子のローラにセーレは声を掛ける事ができず、姿を隠したまま屋敷に戻る事にした。
「あの様子は......」
屋敷に戻ったセーレは魔法の鏡の部屋へ急ぎながら、ローラの様子に心当たりを覚えた。
「鏡よ鏡、ローラの悩み事を教えなさい」
そうであって欲しくないと願いながら、セーレは魔法の鏡に尋ねる。すると鏡は何かを映し出しながら答えた。
「ローレライの悩みは恋煩いです」
「......っ」
鏡が見せたのは数日前の様子。
その日ローラは水面に面白い物が浮かんでいないかと海面を散策していた。
その時、彼女は偶然におぼれている男を見つけ、浜辺まで運んでいた。
おぼれた人間の処置など彼女が知るはずもなかったが、幸い偶然通りかかった浜辺近くの修道院の娘が介抱したことで男は目を覚ます。
擬態マントに隠れたローラは男が助かった事を悦びながら、その男に目を奪われていた。
「よりにもよって、人間なんかに......」
魔法の鏡で一部始終を見たセーレは恨めしく呟いた。
魔法の鏡が言うように、あれは恋する乙女の目だ。
しかも男の服飾を見るにやんごとなき地位の人間だというのがわかる。
「人間の、それも王子に一目惚れですって......」
叶わぬ恋だ、ローラが想い悩むのも無理はない。
「いずれ諦めるでしょう......」
ローラの悩みはわかったが、友人として力にはなれない。ローラが諦めるまで待つしかないとセーレはこの問題を胸の内にしまった。
いや、諦めて欲しい。そう願っていた。友として、魔女として。
そんなセーレの願いとは裏腹に、ローラは少女から大人になろうとしていた。
その輝くほどの純粋さを汚して......。
「セーレ、いる?」
「......いるわよ」
ローラがセーレの屋敷に来なくなってから一週間と少し。久方ぶりに屋敷にやってきたローラのその瞳には、何かしらの覚悟が籠っていた。
「ローラ、あなたの悩みだけど」
その覚悟をセーレは恐れていた。
「セーレにはなんでもお見通しだね......」
長らくここに来ないのだから、セーレが自分の悩みを調べないはずもないとローラも思っていた。
(イヤ......聞きたくない、聞きたくない......)
セーレはローラに耳を背けたかった。
「セーレ、お願い!」
(やめて......、やめて......)
それでも、友の言葉からは逃げられない。
「ワタシ、人間になりたいの!!」
ローラも、いつまでも純粋な少女ではなかった。
「ローラ......、そんな。あなたも......あなたもなの!?」
純粋な少女は、欲望と共に大人となる。
「あなたも、私の、魔女の力を求めるの!?」
「セーレ、ごめん......」
人間の欲望を、醜さを嫌い深海に籠ったセーレ。
そこで出会った人魚の姫はあまりにも純粋で、彼女の心を照らしてくれた。
そのローラから、自分が嫌う人間と同じ欲望をぶつけられた。
「あなただけは......あなただけは......!!」
わかっていた。だが、覚悟はしていなかった。
ローラも大人になっていく、いつまでも純粋なままなはずがない。
それでも、外の世界の魅力よりも自分を選んでくれた時に、その覚悟を曇らせてしまった。
この子だけは、いつまでも純粋なままでいてくれる。そんな淡い幻想を抱いてしまった。
「セーレ......」
「その名前で呼ばないで!!」
「っ!?」
ローレライとセイレーン、いつしかその名で呼び合う事が友達の証のようになっていた。だからこそ、今はその名で呼ばれたくはなかった。
「あなたが魔女としての私を頼るなら、私も魔女としてあなたの願いを聞くわ」
「聞いてくれるの?」
この瞬間は友人ではない。そう言いたげなセーレの様子に悲しむローラであったが、それ以上に自分の願いを聞き入れてくれることに安穏とした。その様子がセーレにはまた腹立たしかった。
「魔女と取引するからには、相応の対価を貰うわよ」
「え、ワタシ。セー......魔女が欲しがるようなものなんて何も持ってないよ?」
「そうね......。あなたの、その美しい声を貰うわ」
「え?」
セイレーンは宝石箱を取り出しながら対価を求める。
声なんてどうやって渡すのだろうかと思ったローレライだったが、どうやらこの箱に自分の声を閉じ込めるというのを薄々感じた。
「ワタシの......声......」
「他の物じゃ取引はしない、今この場で決めて。魔女の取引は一度きり。例え友人でも次はないし対価は変えない」
かつてないセイレーンの魔女の雰囲気にローレライは初めて恐れを抱く、しかし。
「いいよ」
その覚悟はあると、ローレライは初めて見る魔女としてのセイレーンの様子に負けないよう、力強くうなづく。
「......そう」
恋は盲目、こんな事で彼女の覚悟が折れるはずもなかった。
セイレーンは悔しさに唇をかみしめながら、薬棚の前に立つ。
(まだ、間に合う......)
この薬は”願いを叶える力の薬“。飲んだ者が最も強く望むものを手に入れる手段を与える薬。すなわち、人間との恋を叶えたいローレライが飲めば人間になる事ができる。
(私は......)
友の裏切りが許せなかった、悲しかった。
だけどそれは一方的な信頼。自分が魔女である以上、覚悟が必要なのは自分だったはずだ。
セイレーンもまた、覚悟決めて棚に手を伸ばす。
「いいこと、ローレライ。コレは願いを叶える手段を与える薬に過ぎない。例え人間になっても、あなたが本当に望むものが手に入るとは限らない」
「......うん」
薬を手にして、魔女は、セーレは忠告する。
「人間になる時、体を裂くような痛みであなたの尾ひれは両足になる。大地に立てばあなた自身の重さがあなたを苦しめる」
「......うん」
こんな警告で諦めてくれるはずもないが、わずかな望みをかけてセイレーンは続ける。
「人間になったあなたは人魚のお姫様じゃない。何も持たない小娘。声も出せないあなたは誰かに助けを求める事もできない」
どれだけ自分が無謀な状況へ飛び込もうとしているのかを気が付いて欲しかった。
「それでもワタシ、人間になりたい!」
「......わかったわ」
友としての忠告も、今のローラには届くはずもなかった。
「取引よ、あなたの声を貰うわね」
「うん」
セイレーンがローレライに手をかざす。声を奪うための儀式が始まるのだと、ローレライは感じた。
「セーレ......」
「......」
儀式のさなか、ローレライは最後に友の名を呼んだ。その言葉に続きがあったのか、なかったのか、それから彼女の口から大粒の真珠が吐き出される。
「......?」
「見なさい。あなたの美しい声は、こんなにも美しい真珠になったわ」
ローレライは自分の口から出た真珠に驚いたのに声が出ない事に気が付く。その真珠は宝石箱に吸い込まれていった。
「さぁ、約束の薬よ。あの男の城が近い西の浜辺で飲みなさい」
そして入れ替わりに薬を渡す。もう、後戻りはできない。
「......」
ローレライはそれを大事に抱えると、しばらくセイレーンを見つめ、いつもの窓から飛び出した。
「ローラ......!」
「......!?」
感極まって呼ぶ声にローラは振り返る。その目の先にはすでに”魔女“の姿はなく、大好きな友達の眼差しがあった。
「......」
「......」
ローラはセーレの次の言葉を待ったが、言葉にするまでも無くその眼が語っていた。
(ローラ、戻ってきて......)
セーレの心の声が聞こえた気がした。だけれどローラは――
「......」
首を横に振り、屋敷を後にした。
「あぁ......あぁぁ......ああああぁぁぁぁ」
取り残された友達は。再び孤独に戻った深海の魔女は、膝を折って慟哭に呑まれていった......。
せめて人間になったローラが困らないようにと、セーレは王子の乗った馬を彼女が激痛で気絶しているであろう浜辺まで導いて二人を引き合わせた。
幸いにして、見た目にも心にも美しいローラは王子の目に留まり、城で目覚めた後に彼女は王子の寵愛を受けることができた。
例え喋れなくともローラの純粋さは輝きを失わず、王子もまた素晴らしい心の持ち主であったため、ローラを心から大事にしてくれた。
この時はまだ、すべてが順風満帆に見えた......。
ローラが人間になってから半年あまり。
深海の魔女は今日も深海の孤独に打ちひしがれていた。
「静かね......」
ローラの残した声を歌声にして自分を慰めるが、大好きだったはずの彼女の歌声も今は無音と変わらない。
この場所は――
深海は、こんなにも静かだっただろうか。
深海は、こんなにも暗かっただろうか。
深海は、こんなにも寒かっただろうか。
深海は、こんなにも息苦しかっただろうか。
彼女の歌声はその孤独を癒すどころかかつての日常を思い起こさせる。
「ローラ......」
もう見るのはやめよう、そう三日前にも心に誓ったはずなのにもう何度目かになる誓いを破って、セーレは魔法の鏡にローラを映し出す。
「鏡よ鏡、ローラの様子を見せて」
「本日はお祝いです」
映されたのはパーティの様子、王族故にそれ自体珍しい事ではないが、今日の主役は王子とその隣に立つ女性のようだった。
「この娘は......」
ローラではない、王子の隣にいるのはローラが王子を浜辺に運んだ時に王子を介抱した修道院の娘だ。
「ローラ......」
ローラはその二人より少し離れた特別な席で二人の様子を祝福していた。
「このパーティーは一体?」
「王子の婚約祝いです」
「そんな......!」
王子は自分の命を救ってくれた修道院の娘と婚約していた。
身分違いの結婚のためローラが現れる前から時間をかけて家臣たちを説得していたのだ。
「私が......、声を奪ったから......」
王子はローラも自分の命を救ってくれた女性の一人だとは知らない。声の出せないローラではそのことを王子に伝える術はない。
そして、あの時王子に心を奪われたのは何もローラだけではなかったのだ。
「あの二人の心は......」
「互いに、深い愛情で結ばれています」
なんてことはない。命の恩人である娘に王子は恋をし、命を助けた王子に娘も恋をした。よくある話だ。
そこに立っているのが、同じ立場であるはずのローラではないというだけで......。
「始めから、叶わぬ恋だったのよ......」
元々困難な願いだとはセーレも思っていた。だが、ローラの純粋さなら、強い想いなら叶えてしまうような気がした。それを自分が望まなくとも。
「ローラ......、戻ってきて......」
それはある種、セーレが望んだ結果になっていたはずなのに、どうしてもこんなに心が痛いのだろう。
鏡が映し出すローラの様子は、恋が叶わなかったはずなのに、心から二人を祝福していた。
「どうして......」
王子の婚約が決まってもローラは戻ってくる様子はなかった。
修道院の娘もまた素晴らしい心の持ち主で、王子が寵愛するローラへ嫉妬や嫌味を持つ事はなく、その純粋な心に惹かれるようにローラを可愛がってくれた。
王子もまたローラの存在をないがしろにせず、親睦を深める二人の時間にローラを入れて、三人で過ごしてくれた。
「鏡よ鏡、ローラは、幸せなの......?」
笑顔の三人、その様子を見るセーレだけが、険しい顔つきで。
「ローレライは今、幸せの絶頂にいます」
魔法の鏡は淡々と答える、それが主の望まぬ答えであっても。
「そんな......、こんなの......」
ローラはたしかに幸せそうだ、だけれど――
「愛玩動物と、一緒じゃない!!」
王子の寵愛を得られても、そこに異性としての愛情はない。
花を愛でるようにその愛情は優しく、一方的な物に見えた。
「こんなのが、あなたの欲しかった幸せだっていうの......」
届くはずの無い疑問を鏡の中のローラに語り掛ける、自分のそばを離れてローラが手に入れる幸せがこんなものであっていいはずはない、と。
「そいつらは、あなたの名前すら知らないのに......!」
しかし、鏡の言う様にそこに映し出されたローラの姿は幸せそうだ。
大好きな王子の側に居られることが、大好きな王子が幸せになる事が、彼女にとっての幸せなのだ。
自分の恋が叶わなくとも、その人の幸せを想う事ができる。僅かに濁ろうとも、ローラの心はあまりにも純粋過ぎた。
「私は......」
ローラと、王子と、娘。三人とも美しい心を持っていた。セーレが嫌いな人間の醜さなど微塵も見せずに幸福の中にいた。
「なんて醜いの......」
友の幸せを祝福することができない、その幸福に嫉妬している。
あんなに嫌った人間たちの姿に、今は自分の醜さを見せられている。
「私は、魔法の”鏡“です」
それが鏡の本質とでもいうように、魔法の鏡はセーレの内面を鏡映しにする。
「ローラ......、寂しいよ......」
セーレはその場に崩れ落ちて、自分の身体を抱く。
「ローラ......」
深海の静寂に狂いそうだった
深海の暗闇に飲み込まれそうだった
深海の寒さに凍えそうだった
深海の水圧に圧し潰されそうだった
”深海の魔女“は、独り深海で泣きべそる。
だけれど、深海では涙を流す事もできなかった......。
「......誰?」
あれからひと月ほど経ったころ、セイレーンは誰も来るはずの無い屋敷の前に何者かの気配を感じた。
ローラであるはずはない、セイレーンは僅かもその期待を持たず玄関へ向かう。
「深海の魔女に何の用かしら、まずは何者か答えなさい」
ローラの一件以来、自分と彼女にしか勝手に開かなくなった扉へセイレーンは威圧するように尋ねる。
「人魚の国第一王女。あなたが力を与えたローレライ......第五王女の姉です。あの子の事でお話があります」
(ローラの姉......?)
セーレは魔法の鏡や透明マントで姿を隠してローラと一緒の姿は見たことはあるが、面識はなかった。
ローラにも人魚の王女と魔女が友人と言う事は問題になるかもしれないので伏せておくように言っていたので二人の関係も知らないはずだ。
「話っていうのは?」
腕を軽く振って扉を開けると、そこにいたのはいつか見たローラに似た美しい人魚の女性。
「......初めまして」
長女は魔女の姿が想像と違って少し驚きながらも、丁寧だがどこか冷たい態度で挨拶する。
「挨拶はいいわ」
その態度にセイレーンも同じく魔女らしく冷たく返す。
「ま、話の内容は大体想像もつくけど」
人魚が人間になるなんて簡単な事ではない、それが魔女の仕業だとは知れた事。ローラは家族や国の者にも愛されていたのだから、文句なり責任なりを追求しに来るのも当然だ。
「その想像がどういったものかは分かりませんが。魔女様を責めるような目的ではありません」
「ふーん」
「魔女様の思惑がどうであれ、結果がどうであれ、魔女と取引したのがあの子の意志であれば。その結果も含めてそれはあの子自身の責任です」
「あの子がどうなったかよく知っているみたいね」
あの王子の国は城も街も海に面している、人魚たちがローラの状態を知る事も難しくはなかっただろう。あるいは、人魚の女王が持つという魔力を使ったか。
「はい、明日は王子の結婚式。恋が叶わなかったのだから、あの子を人魚に戻してあげたいのです」
「なるほど......」
今まで何も言ってこなかったのは、恋が叶うのならローラの幸せを想って人間でいることを認めていたということだろう。
「馬鹿ね」
「なんですか?」
ローラの姉と言えど、彼女の事を自分程は知らないと、セイレーンは小さく嘲笑した。
「まるで人魚に戻るのがあの子のためみたいに......。あの子の為じゃなくて、あなた達が寂しいだけじゃないの?」
「なっ!?」
まるで自分に言うように、セイレーンは長女に言い放った。
「たしかに、私たち姉妹も女王様もあの子がいなくなってとても寂しい気持ちでいっぱいです! でも、私たちは本当にあの子の事を思って!」
「あの子に飲ませた薬はね、本人が願いを望まなければ効力を失うの。あの子が今の状態を幸せと思わないなら当に人魚に戻ってるわ」
例え魔法の鏡で見ていなかったとしても、セーレはローラが戻ってこないのはそれが彼女の幸せだと分っていた。
「そんな......」
長女は絶句した。恋が叶わなくてローラは今頃悲しんでいるだろうと、人魚の国と自分たちの事を懐かしんでいるだろうと思っていたからだ。
「分ったなら帰りなさい。あの子の事を想うならほうっておくことね」
セイレーンは冷たく言い放つ、誰よりもローラに戻ってきて欲しい自分自身に言い含めるように。
「待ってください! 魔女様......さっきの言葉を取り消します」
これで話は終わりと背を向けると呼び止められる。
「まさか、アナタ......」
魔女を前にした時、多くの者は欲望に素直になる。ローラですら例外でなかったように、彼女の姉もまた......
「あの子のためでなく。私たち姉妹の願いで、あの子を取り戻したいんです」
「つまり......」
セイレーンは自分の欲望を抑える事は得意だ。しかし、それを相手が望むならば、話は別で。
「魔女様、取引をしてください。あの子を人魚に戻すための」
それが、魔女の取引ならば仕方がない。
「へぇ......」
深海の魔女は、にやりと不敵に笑った......。
明日は大好きな王子と大好きなその婚約者の結婚式、自分が主役でもないのに、ローレライは嬉しくて寝付けないでいた。
「......」
自分にあてがわれた部屋を抜け出し、城のテラスで海を眺めて物思いにふける。
たしかに、婚約者の存在を知ったときは悲しい気持ちにもなった。
だけれどその相手があの時王子を一緒に助けてくれた人で、その人もとても素敵な人だった。
自分が王子を想う気持ちがこれだけ強いように、彼女がどれだけ王子を愛しているかはローレライにも伝わった。
人魚から人間になる程思いが強かったように、彼女もまた身分違いの恋に大いに悩んだに違いない。
そんな彼女に嫉妬することなど、ローレライにはできなかった。
「......」
王子も婚約者さんも、身元も知れず喋れない自分に優しくしてくれる。たとえこの恋心が叶わなくても、これ以上望む事はない。自分は幸せだ。
心からそう思っているはずなのに、何故だか自分に言い聞かせているような気がする。
自分は幸せにならなければいけない気がする。あの人のためにも。
「......!?」
かつての友を思い出したせいだろうか、星空が瞬いて動いたような気がした。
「......?」
最初は気のせいかと思ったが、星空は少しづつ自分に近づいてきて、気が付けば自分を取り囲んでいた。いつかの手作りの星の海のように。
「? ......?」
セーレの仕業だろうか。あんな別れ方をした、裏切ってしまった友達にどんな顔をして会えばいいかわからなくて、星の海の中でローラは戸惑う。
「ローレライ、姉さんよ」
「!?」
しかし現れたのは姉妹の中の一番上の姉だった。
「......?」
人魚もまた歳を取るにつれて魔力を得るが、姉の年齢でここまでの事ができるはずもない。セーレの事が気になったがローラはそれを尋ねる事もできない。
「明日は王子の結婚式、だけどその相手はアナタじゃないわね?」
「......」
ローレライは小さく頷く、自分がどうして人間になったかを長女は知っている、そしてその恋が叶わなかった事も。
「アナタが居なくなって、姉さんもみんなも女王様もすごく寂しい気持ちでいっぱいなの。だけど、アナタの幸せを想って今までは見守ってきた」
姉たちと女王様、みんなと別れて寂しいのはローレライも同じだった。
「ローレライ、その恋が叶わぬというのなら戻ってきて! 戻らないというのならその恋を叶えて!」
「......?」
不意に姉がローレライの手を取り、その手に何かを握らせる。
「魔女と取引したわ、私の眼にはもう何も映らないの」
「!?」
そして告げられる衝撃の言葉、ローレライの手には装飾の施された短剣が握らされていた。
「恋を叶えるつもりならその短剣であの女を殺しなさい。短剣の魔力で女を殺したことは誰にもわからないわ」
「!!」
「恋を叶えるつもりがないならその短剣であの男を殺しなさい。短剣の魔力であなたは美しい声と美しい尾ひれを取り戻すことができるわ」
ローレライは姉の言葉を否定したかった。だけれど声を出せない自分ではそれを言葉にできない。目の見えない彼女には首を振っても伝わらない。
「お願い、ローレライ、幸せになって。お願い、ローレライ、戻ってきて」
「......!!」
ローレライは姉に沢山言いたいことがあった、だけど声は出なくて、姉の姿は星の海の中に溶けていく。
「姉さんたちは、いつでもあなたの事を見守っているわ」
いつのまにかローレライは自分が元のテラスで立ち尽くしていることに気が付く。その手には短剣が握られて。
「......」
ローレライは膝から崩れ落ちて座り込む。姉の言葉が、姉の願いが、呪いの様に頭に繰り返される
「......!」
声の出ない口で、ローレライはかつての友の名を音も無く叫んだ。
声を失った自分と光を失った姉。
まるで仕組まれたようなこの取引は、自分が裏切った友の報復の様にも思えた......。
結婚式は夜遅くまで執り行われた、その豪勢な披露宴の締めは海の国ということもあって大きな船を使って海の上で行われる。
「......」
披露宴で大騒ぎの船室を抜け出し、甲板の船尾でローレライは短剣を見つめて悩んでいた。
自分に婚約者も王子も殺せるはずもないのに、こんなものを渡されてしまった。あの姉ならそれくらいの事はわかるような気がしていた。
あるいはあの人にそういう風に仕組まれたのだろうか......。
「......」
こんな短剣なんて捨ててしまえればよかったが、姉が視力と引き換えに取引した物だったために捨てられないでいる。
危険な物なので誰かが取り上げてくれればよかったが、王子も婚約者もその他誰もが自分の持っている短剣に「綺麗なモノを持っているね」以上の興味を示さない。恐らく短剣の魔力なのだろう。
「......」
短剣を見つめてると、裏切ってしまった大切な人の事を思い出す。きっとコレは罰なのだろう、あの人を裏切りながらも願いを叶えられなかった自分への。その覚悟を持たず、今を幸せに思う自分への。
「!」
ローレライは意を決して短剣を海へ投げ捨てた。姉が視力と引き換えにした“願い”を裏切った。
「......」
決別しなければならない、家族とも人魚としての自分とも。覚悟は決めていたはずなのだ、大切な人を裏切り、国を捨て、人魚であることをやめた時に。
「......!」
沈んでいく短剣に向かってローレライは声もなく叫んだ。「ワタシは幸せです」「ワタシの事は忘れて下さい」と。
勿論その音の無い叫びに返事はなく、ただ暗い海に波の音だけが続いた。
「~♪」
「!?」
波の音に心を落ち着けていると、どこからともなく聴きなれた歌声が聞こえてくる。失った自分の歌声だ。
「......?」
無意識に歌ってしまったのか、声が戻ったのかと口を開いてみるがやはり音はでない。短剣を捨てたことによる魔力ではない。
「......!?」
だとすれば、今この歌声を、声を持っているのはあの人しかいない。ローレライは慌てて船室に戻る。
「......?」
船室に戻ってみれば、披露宴で大騒ぎしていた人々がみんな眠りにおちていた、知った顔を何人か揺さぶってみたが起きる様子はない。
セーレが言っていた、人魚の歌には人間を魅了する魔力があると。これもその力の内なのだろうか? 自分の声だから自分には効かないのだろうか?
「?」
歌声は続いている、船室にセーレの姿を探してみるが見当たらない。元より姿を隠すことに長けた彼女だが、ここのどこかにいる様にはローラは思えなかった。
「!」
セーレを探すことを諦め、眠っている人々の中から王子と婚約者の姿を探してみるがそのどちらも見つからない。
「......!」
彼女がここで自分の前に姿を現さないのであるのなら、彼女に目的があるとすれば――
短剣に込められた願いを、その目的を思い出してローラはセーレと、王子と、婚約者の姿を探し駆け出す。
歌声はまだ続いている。その歌声を頼りにローレライは船首へ向かい――
「!?」
見つけた!
「!!」
船室を抜けだした自分を探していたのだろう、船首には王子と婚約者が眠りについていて、寝ている王子の側にはこちらに背を向けた“セーレ”の姿があった。
「ローラ......、アナタは私だけでなく、お姉さんの願いも裏切るのね......」
背中を向けたまま、セーレはローラの事を待っていたようにぽつりと言った。
「だから、私が代わってあげるわ」
そしてセーレの手にはあの短剣が握られていた!
「!!!」
ローラは声が出ないことも忘れて力いっぱい叫んだ。
だけど声はでない
短剣は振り下ろされる
駆け出す
間に合わない
止められない――
「......」
......
.........
............
「出来ない......」
ローラが音の無い叫びで息を切らせながらセーレの元に駆け寄ると、その短剣は王子の胸の前で止められていた。
「出来ないよ......ローラ......」
セーレは短剣を王子から離すと手から零す。
大好きな友に裏切られた。
大好きな友の恋を恨んだ。
だが
大好きな友の幸せも願った。
「ローラぁ......」
セーレは子供の様に泣きじゃくる。ようやくローラに会う事ができて。ようやく涙を流すことができて。
「......」
ローラもまた、声も無く泣きじゃくりながら、セーレを抱きしめる。
歌声は続く、セーレの宝石箱から。
まるで二人の再会を祝福するように。泣きじゃくる二人を慰めるように。
二人が落ち着いたころ、セーレは宝石箱を閉じて歌声を止めるとローラに向き直った。
「ローラ、ごめ――」
謝ろうとするがその口を指で止められる。
「......」
そしてローラは静かに首を横に振る。
「ローラ......」
ローラは目で訴える。謝るのは自分の方だと。
「!」
そしてセーレの両手を取っていつもの眩しい顔でニッコリ笑うと、セーレと眠りについている王子、婚約者を順番に見つめる。
「そんな......一緒に暮らそうって!?」
やはり二人の友情は確かな物で、言葉が無くともその思いは通じた。ローラはセーレの言葉にコクコクと嬉しそうに笑う。
「......!」
人間嫌いのセーレでもきっと王子夫婦の事は好きになるとローラは思った。
「魔女が人間界で暮らすなんて......」
たしかに一度深海を離れてしまった以上、わざわざ戻る事も無い。しかし魔女が人間たちの側で暮らすことも簡単ではない。それこそ深海で暮らすことよりも困難に思えた。
「そうね......」
しかし、ローラの側で暮らせるならばもはや“魔女”でいる必要もないのかもしれない。
ローラが人魚でなくなったように、自分も魔女をやめる覚悟を持つべきだ。
「!?」
セーレがそう思ったとき、巨大な音が耳をつんざいた。
「嵐!?」
雷だ、それに気が付いて空を見れば星空は暗い雲に覆いつくされ、穏やかだった風と波は突然に高くなり船を飲み込まんとする。
「!?」
嵐の兆候などなかった、空にある暗雲も船の上にしかない。これが魔女の力でないとすれば一体何かとローラは混乱する。
「人魚の女王!!」
人魚もまた年齢とともに魔力を得ていく、それが女王ともなれば強大な力を。
「くっ」
それが何者かの仕業だと分かるとセーレは手をかざし、空に船を守るようにして魔法の壁を張る。
「船を沈める気!?」
「!?」
ローラは分からなかった、あの優しい女王が何故こんなことをするのか。
ローラを大切に思っていたのはセーレと姉妹たちだけではない。女王もまた彼女を大切に思い、彼女の幸せを願い、しかし、彼女に戻ってきて欲しかった。
「ローラを人魚に戻すために、こんな方法......!!」
「!?」
恐らくはセーレが長女に話した薬の効力を女王が伝え聞いたのだろう。
ローラの願いの根源である王子が死ねば、人間でいる理由は無くなる、ローラは人魚に戻る。セーレがやろうとしたことを今度は女王が行っている。
「魔力が......」
嵐が激しくなる、雷はセーレを狙うように彼女の頭上に何度も降り注ぐ。
女王からすれば魔女はローレライから声を奪い、人間にし、長女の目から光まで奪った諸悪の根源だ。その怒りのこもった雷は激しくなるばかり。
一方セーレは深海を離れたために大きな魔力を失っている、女王の起こす嵐から船を守るも長くはもちそうもない。
「!!」
ローラは空に向かって、女王に向かって音の無い叫びをあげた、自分のために、自分を人魚に戻すためにこんなことはやめてくれと、ワタシの大事な人たちを傷つけないでと。
しかし声はでない。女王には伝わらない、嵐は止まない。
「ローラ......、その人たちを連れて......逃げて......!」
女王はローラを直接傷つけるような事はしないはずだ、彼女が王子たちを連れて船から離れれば少なくとも彼女の側は安全になる。
しかし人魚の歌の力が強すぎる、この嵐の中でも誰も眠りから覚めない、ローラに二人を抱える程の力はない。
「魔力が......持たない......」
セーレは嵐から船を守るのが精いっぱいで、ローラに手を貸す余裕はなかった。
ローラもまた苦しんでいるセーレを見て自分に出来る事はないか、女王を止める手段はないかと辺りを見渡す。
「!!」
そして、あの短剣が目に入った。
「......ローラ?」
セーレは残りの魔力で、手持ちの道具で何か手段は無いかと考えながら視界から消えたローラを探すと、自分が先ほど落とした短剣を拾っていた。
「まさか......」
そしてローラはその切っ先を、自分に向ける――
この嵐は、女王が自分を人魚に戻すために、自分の大切な人たちを殺すために起こしているものだ。
自分が友を裏切り、家族を捨て、国を離れて、人間になったためにこうなったのだ。
自分こそが原因なのだ!
「待って!」
「!!」
これで、女王がみんなを傷付ける理由は無くなる。
ローラは短剣を自分の胸へと――
「やめてぇぇぇ!!」
突き刺した。
セーレは嵐から船を守るのもやめて、その手をかざして短剣を止めようとした。だが、魔力はなかった、短剣は止められなかった。
「ローラ......」
短剣を胸に突き刺して崩れ落ちるローラをセーレは受け止める、短剣の魔力が間違いなく彼女の命を奪っている。
「セーレ......」
短剣の魔力で声の戻ったローラは、その痛みの中でようやく大好きな友達の名前を呼んだ。
「そんな......、ダメ、ダメよ......」
何か手は無いかと、彼女の命をつなぎとめる術はないかと、セーレは考える。しかし魔力もすでに枯れてそんな都合のいい道具もない。
「死なないで......ローラ......!」
もはや人間でいる必要がなくなったのだろう、ローラの足が尾ひれに戻っていく。
「セーレ......、悲しませてばかりで......」
そして、大好きな友の名と、あの時からずっと言いたかった言葉を残して
「ごめん......ね」
ローラは、セーレの腕の中で泡となった。
「ローラぁぁぁぁぁ!!」
また、大好きな友を一人残して、人魚姫は泡となった。
嵐はその目的を失い、止んでいた。
すべてが終わった頃、純粋な心の娘が消えたことを王子達は深く悲しんだ。
人魚の国の人々は、女王と姉妹たちはローレライの死を深く悲しんだ。
そのどちらにも、魔女の姿はない。
誰もが知っている、人魚姫の悲しい恋のお話。
そのお話の中に、人魚姫の死を最も深く悲しんだであろう魔女がいたことを、誰も知らない。
その魔女の行方もまた、誰も知らない......。