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第五十九話 開幕

 幕が上がった。

 最初に舞台へ並んだのは、まだ幼い星級ステラ・クラス一年の生徒達だった。

 全員が白い制服を着て、指揮を取る教師をまっすぐ見ていた。

 講堂のざわめきが、ゆっくりと引いていく。

 エドワード・クィルズは、皇帝陛下の左斜め後ろに控えたまま、視線だけを動かした。

 皇帝陛下は、何も言わず、ただ舞台を見ていた。

 教師の指揮棒が力強く振られた。幼い声が、講堂に響いた。

────♪

 緋鋼あけがねの空に 朝みちて
 不死鳥とりの翼に 光さす

 御旗みはたは高く 風に鳴り
 我らは誓ふ 皇國みくにの道

 剣つるぎは護まもり 火は灯火ともしび
 民たみの祈りを 胸に抱いだき

 嗚呼 緋鋼あけがねよ 永久とこしへにあれ
 我らが祖国おやくに いや栄え

────。

一曲目は、緋鋼皇國国歌あけがねこうこくこっか。

 高い声と低い声がまだうまく混ざりきらず、ところどころに舌足らずな幼さが残る。それでも、子供達は最後まで歌いきった。

 皇國から帝國へ。国号の過渡期において、この国歌を聞き続けられるのは、何時までなのかは分からない。

 客席から拍手が起きる。

 舞台の上の子供達は、そろって頭を下げた。

 その拍手が収まる前に、教師が小さく合図を出す。子供達は顔を上げ、姿勢を正した。

 二曲目は、国歌の時より、ほんの少しだけ、彼らの顔から力が抜けた。

────♪

 七つの湖みなこ 星は澄み
 白き校舎に 灯はともる

 七つの聖ひじりは 月と歩み
 小さき願いを 胸に抱く

 七つの冠かむり 陽の庭へ
 誉れ抱きて 進みゆく

 空は明けゆき 鐘が鳴る
 七聖学院 我らが庭
 新たな朝は ここに来る

────。

 二曲目は七聖学院歌だった。歌い終えると、子供達はまた頭を下げた。拍手が起きる。

 皇帝陛下を見ると、微笑を浮かべ、ゆっくりとした拍手を送っていた。

 舞台袖へ下がる途中、ひとりの生徒が足をもつれさせ、転びそうになった。隣の子が慌てて手を伸ばし、その子を支える。客席のあちこちに、小さな笑みが浮かんだ。 

 エドワードは、配置についた隊員達から、伝声術シュティンメで報告を受け取る。舞台、講堂、学院周辺、どこにも異常はない。

 少なくとも、今のところは。

 続く演目は、月級モント・クラス一年による宮廷舞踏だった。

 舞台の上で、男女が組になって並ぶ。

 学生達は星級一年よりも背丈があり、顔つきも、少しだけ大人びている。だが、まだ身体には幼さが残っていた。それでも、お辞儀の形はさまになっていた。

 音楽が始まる。

 男子と女子が互いに礼を交わし、手を取り、歩を進める。一歩。半回転。手を取る。もう半回転。手を離す。向かい合う。また礼をする。

 華美な舞ではないし、観客を驚かせるような技もない。だが、立ち方、相手への合わせ方、気遣いの所作には、教え込まれたものがあった。

 貴族としての基礎。

 エドワードは、そう見た。剣を抜くことだけが教養ではない。魔法を使うことだけが学びではない。正しく立ち、歩くこと。相手との距離感。

 彼らはまだ未熟だった。けれど、身に付けるべきものを、きちんと身に付け始めている。学院の基礎教育は、きちんと行われているようだ。

 その舞踏が終わる。月級一年の生徒達が、そろって礼をした。拍手が起きる。

 エドワード・クィルズは、視線だけを動かして、皇帝陛下の様子を確かめた。皇帝陛下は、何も言わず、先程と変わらない静かな拍手を送っている。

 恐らく、この舞台に上がった子達は、末代まで皇帝陛下の前で、歌を、踊りを披露したと、自慢話にするのかも知れない。

 その拍手の中で、舞台袖の動きが変わった。

 エドワードは、目を細めた。

 一度、幕が降ろされる。司会の生徒が、舞台脇へ進み出る。その声は、先ほどより少し硬く、緊張の度合いが大きかった。

「続きまして、月級モント・クラス三年による演劇」

 一拍置く。

「演目、『誓いの冠』を上演いたします」

 開幕を告げる鐘の音と共に、幕が上がる。

 そこは既に演劇の世界。背景幕が既に下ろされている。明るい祝祭の色が消え、古い王城の広間が現れる。太い石柱。玉座と赤い絨毯。そして、舞台中央に置かれた冠。

「我は、この冠に誓う」

 王役が声を張った。最初の場面は、戴冠式だった。戦乱を終わらせた若き王が、民の前で冠を戴く場面だった。

 舞台上には民衆役の生徒達が並び、王を讃えていた。衣装は簡素だが、人数を使った配置は見応えがある。王役の生徒は背が高く、玉座の前に立つ姿にも見栄えがあった。

「この国を守る。民を守る。剣を取り、火を掲げ、恐れを退ける」

 民衆役が歓呼する。その声に、舞台が明るく満ちた。だが、戴冠の祝福は長く続かなかった。

 民衆の中から、ひとりの刺客が飛び出した。

 短剣が閃く。

 客席の前列で、誰かが息を呑んだ。

 近衛役の生徒が、見事に刺客を取り押さえる。王は退かない。抜きかけた剣を途中で止め、刺客を見下ろした。

 あの近衛役、スジがいい。将来はうちで働かないだろうか。エドワードは、そんな事を少し考えた。

 刺客役の生徒が叫ぶ。

「お前の冠は、我らの血で赤い!」

 近衛が刺客を引きずっていく。王はしばらく動かなかった。民衆の歓呼は、戻らない。

 暗転。

 次に明かりが戻った時、王は玉座に座っていた。

 戦乱は終わった。

 だが、反乱は止まない。飢えた民が訴える。貴族が離反を囁く。暗殺者が夜ごとに忍び寄る。

「反乱を鎮めよ」

 王が命じる。

 兵士役が動く。

「疑わしき者を捕らえよ」

 民衆役の一部が連れて行かれる。

「城門を閉じよ」

 舞台奥の扉が閉じられる。

「噂を根絶やしにしろ」

 民衆役が口を閉ざす。

 命令が増えるたび、舞台上の声が小さくなっていった。

 最初は訴えだった。次は囁きになった。やがて、民衆役の生徒達は、誰も口を開けても声を出さなくなる。

 王の足音だけが残った。

 玉座の横に、黒冠の近衛が現れる。

 黒い外套。

 黒い仮面。

 王の影のように、舞台上へ滑り込む。その姿、奇妙さは、どことなく皇帝陛下の側近、直衛の魔法使いに似ている気がした。

「陛下」

 黒冠の近衛は、甘く低い声で言った。

「民の声など、すべて聞いていては国は治まりませぬ」

 王は答えない。

「声を選びなされ。従う声だけを残しなされ。逆らう声は、国を乱す毒ですぞ」

 黒冠の近衛は、王の耳元へ近づく。

「王に必要なのは、民の愛ではございませぬ。静寂です。疑わぬ臣です。逆らわぬ民草たみくさです」

 舞台上の民衆役が、一斉に膝をついた。

 声はない。

 ただ、口だけが開いている。その沈黙の中へ、一人の男が現れた。

 マギ殿下だった。

 衣装は、王よりも簡素である。白と銀を基調とし、薄い青の飾り布が肩から垂れている。手には細身の剣。王族らしい雰囲気はあるが、武人の迫力はない。

 だが、その見目麗しさに、小さな歓声が上がる。女生徒の何人かは、胸の前で手を合わせて見とれている。

 エドワードは、皇帝陛下を見た。

 皇帝陛下は、肘掛けで頬杖をつき、マギ殿下を凝視していた。

「兄上」

 マギ殿下の声が、講堂に通った。

 王役の生徒は、玉座から王弟役のマギ殿下を見た。奇しくも皇帝陛下と同じ姿勢。肘掛け椅子で頬杖をついて、興味と関心のない様子を演じていた。

「声なき国を、治まった国と呼ぶのですか」

「国を守るためだ。それに泣いている者がいるのか?」

 マギ殿下の真摯な声に対して、気だるげな声が返る。

「それは、泣く者がいなくなったのではありません。泣くことを禁じられただけです」

 王の顔が歪む。

 黒冠の近衛が前へ出た。

「王弟殿下。そこをお退きくだされ。陛下の慈悲があるうちに」

「慈悲?」

 王弟は民衆役の前に立った。

「声を奪い、膝を折らせ、泣くことすら禁じておいて、それを慈悲と呼ぶのですか」

 黒冠の近衛が剣を抜く。

「殿下。これ以上は、不敬ですぞ」

 王弟も剣を抜いた。マギ殿下の演技には、不退転の覚悟が見えた。

「不敬でも構いません」

 皇帝陛下の後ろで、側近の魔法使いが、少し眉根を寄せた。エドワードは、それを見逃さなかった。

 マギ殿下が、舞台から観客席の方に向き直り、大衆に向かって演説するかのように台詞を口にした。

「私は、王を討ちに来たのではありません。王が戴いた冠の意味を、思い出していただきに来ました」

 それは皇帝陛下に向かって話し掛けているようにも見えた。台詞が終わると、マギ殿下は黒冠の近衛に向き直った。少しの間。

 黒冠の近衛と王弟。互いに踏み込んだ。

 立ち回りが始まる。

 マギ殿下の剣は、強くはない。少なくとも、熟練した剣士の技ではない。

 受ける。逸らす。下がる。圧される。

 それでも、民衆役の前からは退かない。不退転の覚悟を、演技で見せつけている。剣術の基礎が、思っていた以上に手堅い。

 エドワードは、似たような剣を扱う者を知っている。生涯、まだ一度も勝てていない相手。学生時代からの好敵手ライバルにして、最大の強敵とも。

 ヴァルク・ラドーレ。

 そうか、あいつに習ったのか。いや、その弟か? いずれにせよ折れない剣だ。ラドーレ家の騎士剣術が、こんな形でまた見れるとは。エドワードは自分でも知らぬ内に、微笑を浮かべていた。

 黒冠の近衛が、王弟の横を抜けようとする。

 王弟が身体を入れる。遅い。

 刃が届く。

 その瞬間、マギ殿下が、詠唱を省く高度な手法を用いて魔化武器マギー・ヴァッフェの術式魔法を発動した。

 刃と刃が触れ合う。

 白い魔力が弾けた。強化された演劇用の小道具、ただの飾りに過ぎない剣が、実際の殺傷力を持つ。

 破裂音。

 黒冠の近衛が持つ剣が、砕けた。

 見事な演出だ。観客席から歓声が上がる。

 エドワードも、思わず声が出た。これは何て事のない自然な流れで見せているが、剣戟の最中に呪文を挟み込むタイミングと正確性は、大人も顔負けだ。現役の海兵隊員でも、これを再現しろと言われても、難しいだろう。

 これは、分かる者にしか分からない。本職すら唸らせる、通好みの実力の見せ方だ。エドワードは感心の頷きを見せた。

 武器を失った黒冠の近衛が両手を振り上げ、詠唱をする。だが、魔力は練られていない。しかし、呪文は起こり始めた。

 マナ殿下だ。

 舞台袖。照明の当たらない暗がりの中で、監督であるはずの彼女が、身振りと手振りを行っている。この娘も無詠唱を行うのか。エドワードが驚愕したのも束の間。

 火炎光線フラムシュトラール。

 術者の手元から高熱の火炎光線を撃ち出し、対象を焼き貫く火の術式魔法。そんな呪文を、まだ年端もいかない少女が放つ。それだけでも驚愕に値するのに、無詠唱だ。しかも、三本の光線を一つに束ねている。

 それだけではない。

 本来なら術者の指先から発射される火炎光線が、舞台上の役者が放っているように見せている。

 その束の間で、エドワードは訓練で叩き込まれた思考が、意識より先に走った。

 一瞬の判断ミスで人が死ぬ。ならば、その一瞬の間で行える思考を、可能な限り加速させるべきだ。あらゆる思考を巡らせて、そこから解決の糸口を探せ。さもなくば。

 死ぬ。

 ただの演出にしては、あれは火力が高過ぎる。

 だが呪文は、マギ殿下の方に向かって放たれている。

 黒冠の近衛役が、驚いている。恐らく、演出ではない。打ち合わせになかった呪文なのだろう。本番、この場で突然その呪文に差し替えられたのだ。

 このままではマギ殿下が焼け死ぬ。

 しかし、視界に入ったのは、既に術式魔法の発動を終えたマギ殿下の姿だった。銀鏡のような歪み、薄い光輪、反転する術式紋が、マギ殿下の前に、頑として浮かび上がっている。

 エドワードは、この呪文を知っていた。前に一度だけ、戦場で見たことがある。

 術式反射マギーシュピーゲル。

 確か第七位列の呪文だ。軍属の魔術士でも繰り出す事は、ほぼ不可能だ。

 違う。

 今、驚愕すべきは、そこではない。あの光線を反射すれば、あの黒冠の近衛役が焼け死ぬ。そんなことをする意味がない。

 角度。

 反射面が不自然に傾けられている。偏向。その先には、皇帝陛下がいる。

 まさか。

 エドワードは、警護として絶対に使ってはいけない言葉を、心の中で使ってしまった。まさか、子供達が、あんな少年と少女が、本気で皇帝陛下の暗殺を企むなんて。

 マナが放ち。

 マギが防ぐ。

 三本の灼熱が、一つに束ねられた必殺の魔法となって放たれ、逸らされた。そして今、皇帝陛下のいる来賓席の中央へと、轟音を引き連れて向かっている。

 あまりにも一瞬。束の間すぎた。

 間に合わない。

 エドワードは、それでも手を伸ばした。

 

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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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第五十九話 開幕

 幕が上がった。

 最初に舞台へ並んだのは、まだ幼い星級ステラ・クラス一年の生徒達だった。

 全員が白い制服を着て、指揮を取る教師をまっすぐ見ていた。

 講堂のざわめきが、ゆっくりと引いていく。

 エドワード・クィルズは、皇帝陛下の左斜め後ろに控えたまま、視線だけを動かした。

 皇帝陛下は、何も言わず、ただ舞台を見ていた。

 教師の指揮棒が力強く振られた。幼い声が、講堂に響いた。

────♪

 緋鋼あけがねの空に 朝みちて
 不死鳥とりの翼に 光さす

 御旗みはたは高く 風に鳴り
 我らは誓ふ 皇國みくにの道

 剣つるぎは護まもり 火は灯火ともしび
 民たみの祈りを 胸に抱いだき

 嗚呼 緋鋼あけがねよ 永久とこしへにあれ
 我らが祖国おやくに いや栄え

────。

一曲目は、緋鋼皇國国歌あけがねこうこくこっか。

 高い声と低い声がまだうまく混ざりきらず、ところどころに舌足らずな幼さが残る。それでも、子供達は最後まで歌いきった。

 皇國から帝國へ。国号の過渡期において、この国歌を聞き続けられるのは、何時までなのかは分からない。

 客席から拍手が起きる。

 舞台の上の子供達は、そろって頭を下げた。

 その拍手が収まる前に、教師が小さく合図を出す。子供達は顔を上げ、姿勢を正した。

 二曲目は、国歌の時より、ほんの少しだけ、彼らの顔から力が抜けた。

────♪

 七つの湖みなこ 星は澄み
 白き校舎に 灯はともる

 七つの聖ひじりは 月と歩み
 小さき願いを 胸に抱く

 七つの冠かむり 陽の庭へ
 誉れ抱きて 進みゆく

 空は明けゆき 鐘が鳴る
 七聖学院 我らが庭
 新たな朝は ここに来る

────。

 二曲目は七聖学院歌だった。歌い終えると、子供達はまた頭を下げた。拍手が起きる。

 皇帝陛下を見ると、微笑を浮かべ、ゆっくりとした拍手を送っていた。

 舞台袖へ下がる途中、ひとりの生徒が足をもつれさせ、転びそうになった。隣の子が慌てて手を伸ばし、その子を支える。客席のあちこちに、小さな笑みが浮かんだ。 

 エドワードは、配置についた隊員達から、伝声術シュティンメで報告を受け取る。舞台、講堂、学院周辺、どこにも異常はない。

 少なくとも、今のところは。

 続く演目は、月級モント・クラス一年による宮廷舞踏だった。

 舞台の上で、男女が組になって並ぶ。

 学生達は星級一年よりも背丈があり、顔つきも、少しだけ大人びている。だが、まだ身体には幼さが残っていた。それでも、お辞儀の形はさまになっていた。

 音楽が始まる。

 男子と女子が互いに礼を交わし、手を取り、歩を進める。一歩。半回転。手を取る。もう半回転。手を離す。向かい合う。また礼をする。

 華美な舞ではないし、観客を驚かせるような技もない。だが、立ち方、相手への合わせ方、気遣いの所作には、教え込まれたものがあった。

 貴族としての基礎。

 エドワードは、そう見た。剣を抜くことだけが教養ではない。魔法を使うことだけが学びではない。正しく立ち、歩くこと。相手との距離感。

 彼らはまだ未熟だった。けれど、身に付けるべきものを、きちんと身に付け始めている。学院の基礎教育は、きちんと行われているようだ。

 その舞踏が終わる。月級一年の生徒達が、そろって礼をした。拍手が起きる。

 エドワード・クィルズは、視線だけを動かして、皇帝陛下の様子を確かめた。皇帝陛下は、何も言わず、先程と変わらない静かな拍手を送っている。

 恐らく、この舞台に上がった子達は、末代まで皇帝陛下の前で、歌を、踊りを披露したと、自慢話にするのかも知れない。

 その拍手の中で、舞台袖の動きが変わった。

 エドワードは、目を細めた。

 一度、幕が降ろされる。司会の生徒が、舞台脇へ進み出る。その声は、先ほどより少し硬く、緊張の度合いが大きかった。

「続きまして、月級モント・クラス三年による演劇」

 一拍置く。

「演目、『誓いの冠』を上演いたします」

 開幕を告げる鐘の音と共に、幕が上がる。

 そこは既に演劇の世界。背景幕が既に下ろされている。明るい祝祭の色が消え、古い王城の広間が現れる。太い石柱。玉座と赤い絨毯。そして、舞台中央に置かれた冠。

「我は、この冠に誓う」

 王役が声を張った。最初の場面は、戴冠式だった。戦乱を終わらせた若き王が、民の前で冠を戴く場面だった。

 舞台上には民衆役の生徒達が並び、王を讃えていた。衣装は簡素だが、人数を使った配置は見応えがある。王役の生徒は背が高く、玉座の前に立つ姿にも見栄えがあった。

「この国を守る。民を守る。剣を取り、火を掲げ、恐れを退ける」

 民衆役が歓呼する。その声に、舞台が明るく満ちた。だが、戴冠の祝福は長く続かなかった。

 民衆の中から、ひとりの刺客が飛び出した。

 短剣が閃く。

 客席の前列で、誰かが息を呑んだ。

 近衛役の生徒が、見事に刺客を取り押さえる。王は退かない。抜きかけた剣を途中で止め、刺客を見下ろした。

 あの近衛役、スジがいい。将来はうちで働かないだろうか。エドワードは、そんな事を少し考えた。

 刺客役の生徒が叫ぶ。

「お前の冠は、我らの血で赤い!」

 近衛が刺客を引きずっていく。王はしばらく動かなかった。民衆の歓呼は、戻らない。

 暗転。

 次に明かりが戻った時、王は玉座に座っていた。

 戦乱は終わった。

 だが、反乱は止まない。飢えた民が訴える。貴族が離反を囁く。暗殺者が夜ごとに忍び寄る。

「反乱を鎮めよ」

 王が命じる。

 兵士役が動く。

「疑わしき者を捕らえよ」

 民衆役の一部が連れて行かれる。

「城門を閉じよ」

 舞台奥の扉が閉じられる。

「噂を根絶やしにしろ」

 民衆役が口を閉ざす。

 命令が増えるたび、舞台上の声が小さくなっていった。

 最初は訴えだった。次は囁きになった。やがて、民衆役の生徒達は、誰も口を開けても声を出さなくなる。

 王の足音だけが残った。

 玉座の横に、黒冠の近衛が現れる。

 黒い外套。

 黒い仮面。

 王の影のように、舞台上へ滑り込む。その姿、奇妙さは、どことなく皇帝陛下の側近、直衛の魔法使いに似ている気がした。

「陛下」

 黒冠の近衛は、甘く低い声で言った。

「民の声など、すべて聞いていては国は治まりませぬ」

 王は答えない。

「声を選びなされ。従う声だけを残しなされ。逆らう声は、国を乱す毒ですぞ」

 黒冠の近衛は、王の耳元へ近づく。

「王に必要なのは、民の愛ではございませぬ。静寂です。疑わぬ臣です。逆らわぬ民草たみくさです」

 舞台上の民衆役が、一斉に膝をついた。

 声はない。

 ただ、口だけが開いている。その沈黙の中へ、一人の男が現れた。

 マギ殿下だった。

 衣装は、王よりも簡素である。白と銀を基調とし、薄い青の飾り布が肩から垂れている。手には細身の剣。王族らしい雰囲気はあるが、武人の迫力はない。

 だが、その見目麗しさに、小さな歓声が上がる。女生徒の何人かは、胸の前で手を合わせて見とれている。

 エドワードは、皇帝陛下を見た。

 皇帝陛下は、肘掛けで頬杖をつき、マギ殿下を凝視していた。

「兄上」

 マギ殿下の声が、講堂に通った。

 王役の生徒は、玉座から王弟役のマギ殿下を見た。奇しくも皇帝陛下と同じ姿勢。肘掛け椅子で頬杖をついて、興味と関心のない様子を演じていた。

「声なき国を、治まった国と呼ぶのですか」

「国を守るためだ。それに泣いている者がいるのか?」

 マギ殿下の真摯な声に対して、気だるげな声が返る。

「それは、泣く者がいなくなったのではありません。泣くことを禁じられただけです」

 王の顔が歪む。

 黒冠の近衛が前へ出た。

「王弟殿下。そこをお退きくだされ。陛下の慈悲があるうちに」

「慈悲?」

 王弟は民衆役の前に立った。

「声を奪い、膝を折らせ、泣くことすら禁じておいて、それを慈悲と呼ぶのですか」

 黒冠の近衛が剣を抜く。

「殿下。これ以上は、不敬ですぞ」

 王弟も剣を抜いた。マギ殿下の演技には、不退転の覚悟が見えた。

「不敬でも構いません」

 皇帝陛下の後ろで、側近の魔法使いが、少し眉根を寄せた。エドワードは、それを見逃さなかった。

 マギ殿下が、舞台から観客席の方に向き直り、大衆に向かって演説するかのように台詞を口にした。

「私は、王を討ちに来たのではありません。王が戴いた冠の意味を、思い出していただきに来ました」

 それは皇帝陛下に向かって話し掛けているようにも見えた。台詞が終わると、マギ殿下は黒冠の近衛に向き直った。少しの間。

 黒冠の近衛と王弟。互いに踏み込んだ。

 立ち回りが始まる。

 マギ殿下の剣は、強くはない。少なくとも、熟練した剣士の技ではない。

 受ける。逸らす。下がる。圧される。

 それでも、民衆役の前からは退かない。不退転の覚悟を、演技で見せつけている。剣術の基礎が、思っていた以上に手堅い。

 エドワードは、似たような剣を扱う者を知っている。生涯、まだ一度も勝てていない相手。学生時代からの好敵手ライバルにして、最大の強敵とも。

 ヴァルク・ラドーレ。

 そうか、あいつに習ったのか。いや、その弟か? いずれにせよ折れない剣だ。ラドーレ家の騎士剣術が、こんな形でまた見れるとは。エドワードは自分でも知らぬ内に、微笑を浮かべていた。

 黒冠の近衛が、王弟の横を抜けようとする。

 王弟が身体を入れる。遅い。

 刃が届く。

 その瞬間、マギ殿下が、詠唱を省く高度な手法を用いて魔化武器マギー・ヴァッフェの術式魔法を発動した。

 刃と刃が触れ合う。

 白い魔力が弾けた。強化された演劇用の小道具、ただの飾りに過ぎない剣が、実際の殺傷力を持つ。

 破裂音。

 黒冠の近衛が持つ剣が、砕けた。

 見事な演出だ。観客席から歓声が上がる。

 エドワードも、思わず声が出た。これは何て事のない自然な流れで見せているが、剣戟の最中に呪文を挟み込むタイミングと正確性は、大人も顔負けだ。現役の海兵隊員でも、これを再現しろと言われても、難しいだろう。

 これは、分かる者にしか分からない。本職すら唸らせる、通好みの実力の見せ方だ。エドワードは感心の頷きを見せた。

 武器を失った黒冠の近衛が両手を振り上げ、詠唱をする。だが、魔力は練られていない。しかし、呪文は起こり始めた。

 マナ殿下だ。

 舞台袖。照明の当たらない暗がりの中で、監督であるはずの彼女が、身振りと手振りを行っている。この娘も無詠唱を行うのか。エドワードが驚愕したのも束の間。

 火炎光線フラムシュトラール。

 術者の手元から高熱の火炎光線を撃ち出し、対象を焼き貫く火の術式魔法。そんな呪文を、まだ年端もいかない少女が放つ。それだけでも驚愕に値するのに、無詠唱だ。しかも、三本の光線を一つに束ねている。

 それだけではない。

 本来なら術者の指先から発射される火炎光線が、舞台上の役者が放っているように見せている。

 その束の間で、エドワードは訓練で叩き込まれた思考が、意識より先に走った。

 一瞬の判断ミスで人が死ぬ。ならば、その一瞬の間で行える思考を、可能な限り加速させるべきだ。あらゆる思考を巡らせて、そこから解決の糸口を探せ。さもなくば。

 死ぬ。

 ただの演出にしては、あれは火力が高過ぎる。

 だが呪文は、マギ殿下の方に向かって放たれている。

 黒冠の近衛役が、驚いている。恐らく、演出ではない。打ち合わせになかった呪文なのだろう。本番、この場で突然その呪文に差し替えられたのだ。

 このままではマギ殿下が焼け死ぬ。

 しかし、視界に入ったのは、既に術式魔法の発動を終えたマギ殿下の姿だった。銀鏡のような歪み、薄い光輪、反転する術式紋が、マギ殿下の前に、頑として浮かび上がっている。

 エドワードは、この呪文を知っていた。前に一度だけ、戦場で見たことがある。

 術式反射マギーシュピーゲル。

 確か第七位列の呪文だ。軍属の魔術士でも繰り出す事は、ほぼ不可能だ。

 違う。

 今、驚愕すべきは、そこではない。あの光線を反射すれば、あの黒冠の近衛役が焼け死ぬ。そんなことをする意味がない。

 角度。

 反射面が不自然に傾けられている。偏向。その先には、皇帝陛下がいる。

 まさか。

 エドワードは、警護として絶対に使ってはいけない言葉を、心の中で使ってしまった。まさか、子供達が、あんな少年と少女が、本気で皇帝陛下の暗殺を企むなんて。

 マナが放ち。

 マギが防ぐ。

 三本の灼熱が、一つに束ねられた必殺の魔法となって放たれ、逸らされた。そして今、皇帝陛下のいる来賓席の中央へと、轟音を引き連れて向かっている。

 あまりにも一瞬。束の間すぎた。

 間に合わない。

 エドワードは、それでも手を伸ばした。

 

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