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2「任務」

 共同生活が始まって数週間が経過した。ドミナとルノートは遂にユエムから任務を下された。
 内容はグロウという名の研究者の男を暗殺するといったもの。彼は元々『アルペシア』に協力していた研究者の一人であったが、協力間に発生した利益に目が眩くらみ組織を裏切ってしまった。

 場所はこの国――シンフォニ王国で工業区域となっている第六地区。廃工場の一つに、どうやらその研究者は身を隠しているとのことだ。

 二人はこの廃工場へ乗り込み、その研究者を始末すればいい。
 彼女たちは『アルペシア』の協力者である、タクシードライバーのルーズという男の手助けもあって、いち早く現場を訪れることができた。

 煤すすけたコンクリートの上に立ち、ドミナは大きく深呼吸する。

 暗殺とは言えど、ここは工場ばかりが連なる第六地区。最近は機械による自動化もあって、人員がこの地区に集まることは少ない。第六地区の中でも特にこの廃工場は人気がない。
 仮に盛大に暴れたとして、誰かが駆けつけてきたり通報する可能性は極端に低いだろう。

「今日が初めてだな。『魔法』について教える。ルノート、準備はいいな」
「はい」

 魔法はこの世界において人間を除いた全ての種族の者たちが扱う、超常的な力の一つだ。魔法という呼び名の他に、能力と呼ばれることがあるが意味は変わらない。
 現代において魔法は廃すたれた。ほとんどの者は魔法を扱う方法を忘れてしまった。時代の進展と共に戦闘の価値が薄れ、引き換えに皆平和を謳うたうようになり、特に魔法という超常的な力は危険視され使用を禁じられた。それから今に至るが、おそらく魔法の扱いを心得ている者は『アルペシア』のような常日頃から死と隣り合わせの生活を送っているような人物だけだろう。

 ドミナは正面に聳そびえる巨大な廃工場を見上げた。長方形の煤けた外壁が真っ先に視界へと入る。窓はガラスを失い汚れた窓枠だけを有している。
 廃工場の周りを取り囲むのは錆さびた鉄格子。ゲートと思しき場所には暗証番号のようなものを打ち込むための機械が取り付けられてあるが、どうやら壊れているようで、ゲートは開きっぱなしだった。中へ入るのは簡単そうだ。

「行くぞ」

 ドミナはルノートを後ろに引き連れて、ゲートを通り抜ける。

 細菌の繁殖したどす黒い雨水が溜まるドラム缶。どこからか崩れた巨大な鉄骨。足元に散らばる名前も判然としない折れた細い鉄の棒。

 アイボリー色のパーカーのポケットに手を突っ込み、ドミナは瓶を取り出した。中には大量の白い錠剤が入っている。ドミナは二粒それを口に入れ、唾液で飲み込む。

「正面突破といきたいところだが、相手は研究者。わたしらが来ることを見越して、変な細工でも仕掛けているに違いないな」

 予感は的中。案の定、何かが仕掛けられていたようだ。

 水色の魔方陣が五つほど、二人を取り囲むように展開される。人型の機械が出現。彼らは錆びた青い装甲に身を包んでいた。

「ルノート、よく見ておけよ」

 ドミナはポケットに両手を突っ込んだまま、息を吐いた。この危機的状況にそぐわないその落ち着いた様子。
 ルノートはただひたすらに彼女を観察していた。
 突然、ドミナが不敵に笑った。

 次の瞬間、人型の機械は皆地面から勢いよく噴出した赤黒い液体に呑み込まれた。
 機械の体を一瞬で溶かしてその場に凄まじい速度で広がる液体。これはマグマだ。

「マグマを扱えるのがわたしの魔法だ。ま、薬を飲まないとコントロールできないのが瑕きずだけどな」
「凄いです・・・!」
「そ、そうか」

 ドミナは恥ずかしそうに笑うと、正面を向いた。もう少し先へ進めば建物内へと侵入できる。
 ルノートに魔法を覚えさせるのに好都合な敵がわんさかいることだろう。

「さあ、とっとと任務を終わらせるぞ」
「はい・・・!」

 ルノートの返事を聞いたドミナは廃工場へ向かって進み始める。しかし、その足はすぐに止まった。
 彼女は後ろを振り返り、何か言いたげな顔でルノートを見やる。

「なあ・・・いい加減、敬語を使うのやめてくれないか」
「えっと、すみません・・・」
「確かにわたしの方がおまえの『先輩』だけど、一緒に暮らしてるんだし、もう家族みたいなものだろ。少なくともわたしはそう思ってる」
「家族・・・」

 すると彼の表情が、初めて変化を見せた。どこまでも深く沈み込むような暗い目の中に、一筋の光が宿っている。
 ドミナは居心地が悪そうに舌打ちをしてから、彼の側へと歩み寄る。

「家族が嫌なら・・・その・・・友達?みたいなものでいいからさ。とにかく敬語はもう使わなくていい」
「はい――うん、分かった。ドミナさん」
「さん付けも無しな」
「分かった、ドミナ」
「それでよし」

 ドミナは歯を見せていじらしく笑うと、振り返って再び歩き始めた。それから二人は黙々と工場の内部へと入っていく。

 暗く陰湿な空間。閉め切った倉庫のようなにおいが立ち込めている。
 景色は見渡す限り崩れた鉄骨、名前の分からない埃ほこりの積もった機械が点々と存在しているだけ。本当に暗殺対象がこの工場内へ潜んでいるのだろうか。
 人気どころか、最近まで誰かが中にいた気配すら感じない。ドミナは立ち止まり、訝いぶかしげに辺りを確認する。

 中の空間は広い。しかし、崩壊した瓦礫がれき類や散らかる機械類のせいでその広さはあまり感じられない。

 先ほど外で襲ってきたような人型の機械は見当たらない。残骸や部品の一部でさえも。

「折角おまえに魔法を教えるチャンスだと思ったのにな・・・これじゃあ駄目そうだ」

 ドミナが言い終えたところで突如として巨大な魔方陣が開いた。

「おいおい・・・」

 ドミナが面倒そうに溜め息を吐く。
 おそらく先ほど現れた人型の機械(雑魚)よりも強い何かが現れるに違いない。これではドミナの目的である、ルノートに魔法を教えるということが達成されない。

 魔方陣から現れたのは、油圧ショベルだった。先ほどの人型の機械に比べ妙に小奇麗だ。一度も使われていないのか、クローラーやバケットには土などの汚れが全くもってない。

 二人して相手の出方を窺う。

 魔方陣が閉じる。しかし、油圧ショベルに動きは見られない。

「なんだよ、何もしてこないのかよ」

 ドミナが言い終えた直後だった。突如としてどこからかサイレンの音が聞こえた。甲高く耳を劈つんざくほどの轟音ごうおんが工場内に響く。
 そして油圧ショベルのアームが動き始める。中には誰も乗っていないというのに。

「くそっ・・・耳が・・・!!」

 ドミナは苦しそうに両耳を押さえ、その場に膝を付く。そんな彼女に対してルノートは平気な顔をして立っていた。
 なぜか、ドミナだけが苦しんでいる。

「やはり来たか、『アルペシア』の犬め!」

 どこからか老いた男の声が。未だにサイレン音は鳴り響いている。ドミナは動けず、対してルノートは平静。
 油圧ショベルのクローラーが回転を始める。工場内の地面を擦る音が響く。それから油圧ショベルに向かって、突如として辺りに散らばっていた鉄骨が集まり始めた。鉄骨は機体を包むように継ぎ接はぎの装甲を形成する。

 歪いびつな鉄骨の鎧を身に纏まとい、ただの油圧ショベルだったはずのそれは突然二人の元へ目がけて急速に発進した。バケットを取り囲んだ鋭利な瓦礫の破片が牙を向く。
 サイレンの音で身動きを取れず、悶もだえ続けるドミナ。そんな彼女目がけ、バケットを取り囲む鋭利な瓦礫が振り下ろされる。

「家族・・・」

 ルノートはその時呟つぶやく。工場へ入る前、ドミナがルノートへ放った台詞を思い返したのだ。
 ルノートの目はドミナに釘づけた。後数秒もすれば彼女の体は瓦礫に押し潰され、砕け散るだろう。無残にもその血液を工場内へ飛び散らせ、原型を留めることなく崩壊した全身の骨、そして肉。断末魔を上げる暇もなく死に絶え、彼は何もすることができずその場で静観するのみ。彼もまた同じように瓦礫で押し潰され、死を迎える。

 そんな運命。そんな光景。

 ルノートは瞠目どうもくした。決してドミナの姿を視界から外すわけにはいかない。いかなる時でも、たとえあの瓦礫が彼女を押し潰す瞬間でさえも。

「ドミナ・・・!!!」

 名を呼ぶと共に、それは起こった。
 手を瓦礫目がけ伸ばした途端、瓦礫どころかバケットごと砕け散った。
 どす黒い巨大な手が現れ、手がドミナを襲ったはずのそれを握り潰していたのだ。

「なんだと・・・!!!!私の090号が!!」

 あの男の困惑した声が工場内へ響いた。どこに彼が身を隠しているのかは分からないが、それでもこの工場内にいることだけは確かだ。
 ルノートは続いて油圧ショベルの機体全体を取り囲んだ鉄骨の装甲を睨にらみ付ける。彼が意思をそちらへ向けると、あのどす黒い巨大な手も同じように移動した。
 ショベルのアーム、そして操縦席を思い切り握り潰す。ルノートは苦しそうに歯を強く噛み締め、黒い手を自在に操ろうと堪える。

 今までドミナを苦しめていたサイレンが止んだ。
 息をぜえぜえと荒げ、ドミナが地面に手を付く。そんな彼女の元へルノートは急いで駆け寄る。

「ドミナ、怪我はない?」
「だ、大丈夫・・・」

 ドミナは平気なふりを装うように笑みを作ってみせた。それを見たルノートは閉口し、二人へ野次を飛ばしてきたあの男を探し始める。
 ルノートは唇を噛み締め、全力でどす黒い手を動かす。周囲に散らばっていた機械、鉄骨や瓦礫の残骸を叩き飛ばしていく。すぐに声の主であろう男を発見した。

 年老いた狸たぬきのような顔。中肉猫背、研究者としての体裁を保つためか、小奇麗にした皺しわ一つない白衣を纏っている。彼は怯えたように腰を抜かし、汚れたコンクリートの地面を這うように後退する。

「待て、貴様は何者だ・・・!そのような能力を持つ奴が、『アルペシア』にいた覚えはないぞ!」

 男は唾を飛ばして怒鳴りつける。ルノートの表情は一切変わらない。彼はじりじりと男との距離を詰めていく。
 男はもう一度後退しようとしたが、瓦礫にその進路を阻害された。悔しそうに歯軋りして、彼はルノートを睨み付ける。
 勝敗はすでに付いていた。

「てめぇ、散々わたしのことを苦しめてくれたな!!」

 ドミナが勢いよくこちらへ走ってきて、男の顔面目がけて蹴りを入れる。情けなく苦しげな悲鳴を上げ、男は横に倒れた。頬の内側でも裂けたのだろう。口から血が垂れている。
 しかし、そんな為体ていたらくでも男はドミナを睨み付けていた。

「貴様よくも・・・」
「黙れこのクソジジイ!!!」
「ぐはぁっ・・・はぁ」

 ドミナは怒り狂ったように何度も彼の頭部を蹴り付ける。血がどんどんと周囲へ飛び散っていく。
 その光景を、ルノートはただ黙って眺めていた。

「『実験体』如きが、研究者に牙を向くとはな・・・薬頼りでしか生きることのできない下等生物めが・・・!!!仲間を見捨てて生き残った裏切り者のくせに、『アルペシア』に入ってから感覚が狂ったのか?」

 最期にして男はドミナへ向かって罵声を浴びせた。その言葉を聞いたドミナの動きが止まった。
 彼女は怯えたように体を震わせている。胸を押さえ、息を荒げて。
 その様子を見た男は愉快そうに笑みを浮かべ、更に捲し立てる。

「いいか!貴様のような『実験体』如きが我々研究者に牙をむいたことを後悔するがいい!!我々は貴様のような下等――」

 男が言い終わる前に、ルノートは彼の頭部をあのどす黒い手で握り潰した。
 血と体液が混ざったトロトロとした液体が彼の死骸の元に広がっていく。

「ドミナ」

 ルノートが声をかける。しかし、彼女は返事を返すことも、増しては目線を動かすことさえできていない。何か強いトラウマでもあるのか意識を支配され、恐怖にばかり打ち震えるその姿。
 いつもの気丈な彼女の態度からは想像も付かないほど、弱っている。

「違う、わたしは、見捨ててなんか・・・」

 ぶつぶつと呟くドミナの元へ歩み寄り、ルノートはそっと彼女を抱きしめた。

「もう大丈夫。早く家に帰ろう」

 彼の言葉を聞いたドミナの震えが治まった。ぎゅっと彼の体にしがみつくように抱き着いて、何も言わず小さく頷く。
 二人はしばらくそのまま抱き合っていた。
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3「熱」
ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
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 共同生活が始まって数週間が経過した。ドミナとルノートは遂にユエムから任務を下された。
 内容はグロウという名の研究者の男を暗殺するといったもの。彼は元々『アルペシア』に協力していた研究者の一人であったが、協力間に発生した利益に目が眩くらみ組織を裏切ってしまった。

 場所はこの国――シンフォニ王国で工業区域となっている第六地区。廃工場の一つに、どうやらその研究者は身を隠しているとのことだ。

 二人はこの廃工場へ乗り込み、その研究者を始末すればいい。
 彼女たちは『アルペシア』の協力者である、タクシードライバーのルーズという男の手助けもあって、いち早く現場を訪れることができた。

 煤すすけたコンクリートの上に立ち、ドミナは大きく深呼吸する。

 暗殺とは言えど、ここは工場ばかりが連なる第六地区。最近は機械による自動化もあって、人員がこの地区に集まることは少ない。第六地区の中でも特にこの廃工場は人気がない。
 仮に盛大に暴れたとして、誰かが駆けつけてきたり通報する可能性は極端に低いだろう。

「今日が初めてだな。『魔法』について教える。ルノート、準備はいいな」
「はい」

 魔法はこの世界において人間を除いた全ての種族の者たちが扱う、超常的な力の一つだ。魔法という呼び名の他に、能力と呼ばれることがあるが意味は変わらない。
 現代において魔法は廃すたれた。ほとんどの者は魔法を扱う方法を忘れてしまった。時代の進展と共に戦闘の価値が薄れ、引き換えに皆平和を謳うたうようになり、特に魔法という超常的な力は危険視され使用を禁じられた。それから今に至るが、おそらく魔法の扱いを心得ている者は『アルペシア』のような常日頃から死と隣り合わせの生活を送っているような人物だけだろう。

 ドミナは正面に聳そびえる巨大な廃工場を見上げた。長方形の煤けた外壁が真っ先に視界へと入る。窓はガラスを失い汚れた窓枠だけを有している。
 廃工場の周りを取り囲むのは錆さびた鉄格子。ゲートと思しき場所には暗証番号のようなものを打ち込むための機械が取り付けられてあるが、どうやら壊れているようで、ゲートは開きっぱなしだった。中へ入るのは簡単そうだ。

「行くぞ」

 ドミナはルノートを後ろに引き連れて、ゲートを通り抜ける。

 細菌の繁殖したどす黒い雨水が溜まるドラム缶。どこからか崩れた巨大な鉄骨。足元に散らばる名前も判然としない折れた細い鉄の棒。

 アイボリー色のパーカーのポケットに手を突っ込み、ドミナは瓶を取り出した。中には大量の白い錠剤が入っている。ドミナは二粒それを口に入れ、唾液で飲み込む。

「正面突破といきたいところだが、相手は研究者。わたしらが来ることを見越して、変な細工でも仕掛けているに違いないな」

 予感は的中。案の定、何かが仕掛けられていたようだ。

 水色の魔方陣が五つほど、二人を取り囲むように展開される。人型の機械が出現。彼らは錆びた青い装甲に身を包んでいた。

「ルノート、よく見ておけよ」

 ドミナはポケットに両手を突っ込んだまま、息を吐いた。この危機的状況にそぐわないその落ち着いた様子。
 ルノートはただひたすらに彼女を観察していた。
 突然、ドミナが不敵に笑った。

 次の瞬間、人型の機械は皆地面から勢いよく噴出した赤黒い液体に呑み込まれた。
 機械の体を一瞬で溶かしてその場に凄まじい速度で広がる液体。これはマグマだ。

「マグマを扱えるのがわたしの魔法だ。ま、薬を飲まないとコントロールできないのが瑕きずだけどな」
「凄いです・・・!」
「そ、そうか」

 ドミナは恥ずかしそうに笑うと、正面を向いた。もう少し先へ進めば建物内へと侵入できる。
 ルノートに魔法を覚えさせるのに好都合な敵がわんさかいることだろう。

「さあ、とっとと任務を終わらせるぞ」
「はい・・・!」

 ルノートの返事を聞いたドミナは廃工場へ向かって進み始める。しかし、その足はすぐに止まった。
 彼女は後ろを振り返り、何か言いたげな顔でルノートを見やる。

「なあ・・・いい加減、敬語を使うのやめてくれないか」
「えっと、すみません・・・」
「確かにわたしの方がおまえの『先輩』だけど、一緒に暮らしてるんだし、もう家族みたいなものだろ。少なくともわたしはそう思ってる」
「家族・・・」

 すると彼の表情が、初めて変化を見せた。どこまでも深く沈み込むような暗い目の中に、一筋の光が宿っている。
 ドミナは居心地が悪そうに舌打ちをしてから、彼の側へと歩み寄る。

「家族が嫌なら・・・その・・・友達?みたいなものでいいからさ。とにかく敬語はもう使わなくていい」
「はい――うん、分かった。ドミナさん」
「さん付けも無しな」
「分かった、ドミナ」
「それでよし」

 ドミナは歯を見せていじらしく笑うと、振り返って再び歩き始めた。それから二人は黙々と工場の内部へと入っていく。

 暗く陰湿な空間。閉め切った倉庫のようなにおいが立ち込めている。
 景色は見渡す限り崩れた鉄骨、名前の分からない埃ほこりの積もった機械が点々と存在しているだけ。本当に暗殺対象がこの工場内へ潜んでいるのだろうか。
 人気どころか、最近まで誰かが中にいた気配すら感じない。ドミナは立ち止まり、訝いぶかしげに辺りを確認する。

 中の空間は広い。しかし、崩壊した瓦礫がれき類や散らかる機械類のせいでその広さはあまり感じられない。

 先ほど外で襲ってきたような人型の機械は見当たらない。残骸や部品の一部でさえも。

「折角おまえに魔法を教えるチャンスだと思ったのにな・・・これじゃあ駄目そうだ」

 ドミナが言い終えたところで突如として巨大な魔方陣が開いた。

「おいおい・・・」

 ドミナが面倒そうに溜め息を吐く。
 おそらく先ほど現れた人型の機械(雑魚)よりも強い何かが現れるに違いない。これではドミナの目的である、ルノートに魔法を教えるということが達成されない。

 魔方陣から現れたのは、油圧ショベルだった。先ほどの人型の機械に比べ妙に小奇麗だ。一度も使われていないのか、クローラーやバケットには土などの汚れが全くもってない。

 二人して相手の出方を窺う。

 魔方陣が閉じる。しかし、油圧ショベルに動きは見られない。

「なんだよ、何もしてこないのかよ」

 ドミナが言い終えた直後だった。突如としてどこからかサイレンの音が聞こえた。甲高く耳を劈つんざくほどの轟音ごうおんが工場内に響く。
 そして油圧ショベルのアームが動き始める。中には誰も乗っていないというのに。

「くそっ・・・耳が・・・!!」

 ドミナは苦しそうに両耳を押さえ、その場に膝を付く。そんな彼女に対してルノートは平気な顔をして立っていた。
 なぜか、ドミナだけが苦しんでいる。

「やはり来たか、『アルペシア』の犬め!」

 どこからか老いた男の声が。未だにサイレン音は鳴り響いている。ドミナは動けず、対してルノートは平静。
 油圧ショベルのクローラーが回転を始める。工場内の地面を擦る音が響く。それから油圧ショベルに向かって、突如として辺りに散らばっていた鉄骨が集まり始めた。鉄骨は機体を包むように継ぎ接はぎの装甲を形成する。

 歪いびつな鉄骨の鎧を身に纏まとい、ただの油圧ショベルだったはずのそれは突然二人の元へ目がけて急速に発進した。バケットを取り囲んだ鋭利な瓦礫の破片が牙を向く。
 サイレンの音で身動きを取れず、悶もだえ続けるドミナ。そんな彼女目がけ、バケットを取り囲む鋭利な瓦礫が振り下ろされる。

「家族・・・」

 ルノートはその時呟つぶやく。工場へ入る前、ドミナがルノートへ放った台詞を思い返したのだ。
 ルノートの目はドミナに釘づけた。後数秒もすれば彼女の体は瓦礫に押し潰され、砕け散るだろう。無残にもその血液を工場内へ飛び散らせ、原型を留めることなく崩壊した全身の骨、そして肉。断末魔を上げる暇もなく死に絶え、彼は何もすることができずその場で静観するのみ。彼もまた同じように瓦礫で押し潰され、死を迎える。

 そんな運命。そんな光景。

 ルノートは瞠目どうもくした。決してドミナの姿を視界から外すわけにはいかない。いかなる時でも、たとえあの瓦礫が彼女を押し潰す瞬間でさえも。

「ドミナ・・・!!!」

 名を呼ぶと共に、それは起こった。
 手を瓦礫目がけ伸ばした途端、瓦礫どころかバケットごと砕け散った。
 どす黒い巨大な手が現れ、手がドミナを襲ったはずのそれを握り潰していたのだ。

「なんだと・・・!!!!私の090号が!!」

 あの男の困惑した声が工場内へ響いた。どこに彼が身を隠しているのかは分からないが、それでもこの工場内にいることだけは確かだ。
 ルノートは続いて油圧ショベルの機体全体を取り囲んだ鉄骨の装甲を睨にらみ付ける。彼が意思をそちらへ向けると、あのどす黒い巨大な手も同じように移動した。
 ショベルのアーム、そして操縦席を思い切り握り潰す。ルノートは苦しそうに歯を強く噛み締め、黒い手を自在に操ろうと堪える。

 今までドミナを苦しめていたサイレンが止んだ。
 息をぜえぜえと荒げ、ドミナが地面に手を付く。そんな彼女の元へルノートは急いで駆け寄る。

「ドミナ、怪我はない?」
「だ、大丈夫・・・」

 ドミナは平気なふりを装うように笑みを作ってみせた。それを見たルノートは閉口し、二人へ野次を飛ばしてきたあの男を探し始める。
 ルノートは唇を噛み締め、全力でどす黒い手を動かす。周囲に散らばっていた機械、鉄骨や瓦礫の残骸を叩き飛ばしていく。すぐに声の主であろう男を発見した。

 年老いた狸たぬきのような顔。中肉猫背、研究者としての体裁を保つためか、小奇麗にした皺しわ一つない白衣を纏っている。彼は怯えたように腰を抜かし、汚れたコンクリートの地面を這うように後退する。

「待て、貴様は何者だ・・・!そのような能力を持つ奴が、『アルペシア』にいた覚えはないぞ!」

 男は唾を飛ばして怒鳴りつける。ルノートの表情は一切変わらない。彼はじりじりと男との距離を詰めていく。
 男はもう一度後退しようとしたが、瓦礫にその進路を阻害された。悔しそうに歯軋りして、彼はルノートを睨み付ける。
 勝敗はすでに付いていた。

「てめぇ、散々わたしのことを苦しめてくれたな!!」

 ドミナが勢いよくこちらへ走ってきて、男の顔面目がけて蹴りを入れる。情けなく苦しげな悲鳴を上げ、男は横に倒れた。頬の内側でも裂けたのだろう。口から血が垂れている。
 しかし、そんな為体ていたらくでも男はドミナを睨み付けていた。

「貴様よくも・・・」
「黙れこのクソジジイ!!!」
「ぐはぁっ・・・はぁ」

 ドミナは怒り狂ったように何度も彼の頭部を蹴り付ける。血がどんどんと周囲へ飛び散っていく。
 その光景を、ルノートはただ黙って眺めていた。

「『実験体』如きが、研究者に牙を向くとはな・・・薬頼りでしか生きることのできない下等生物めが・・・!!!仲間を見捨てて生き残った裏切り者のくせに、『アルペシア』に入ってから感覚が狂ったのか?」

 最期にして男はドミナへ向かって罵声を浴びせた。その言葉を聞いたドミナの動きが止まった。
 彼女は怯えたように体を震わせている。胸を押さえ、息を荒げて。
 その様子を見た男は愉快そうに笑みを浮かべ、更に捲し立てる。

「いいか!貴様のような『実験体』如きが我々研究者に牙をむいたことを後悔するがいい!!我々は貴様のような下等――」

 男が言い終わる前に、ルノートは彼の頭部をあのどす黒い手で握り潰した。
 血と体液が混ざったトロトロとした液体が彼の死骸の元に広がっていく。

「ドミナ」

 ルノートが声をかける。しかし、彼女は返事を返すことも、増しては目線を動かすことさえできていない。何か強いトラウマでもあるのか意識を支配され、恐怖にばかり打ち震えるその姿。
 いつもの気丈な彼女の態度からは想像も付かないほど、弱っている。

「違う、わたしは、見捨ててなんか・・・」

 ぶつぶつと呟くドミナの元へ歩み寄り、ルノートはそっと彼女を抱きしめた。

「もう大丈夫。早く家に帰ろう」

 彼の言葉を聞いたドミナの震えが治まった。ぎゅっと彼の体にしがみつくように抱き着いて、何も言わず小さく頷く。
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