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8「任務の真実」

 日が暮れ始める頃までプールで遊んだ。更衣室でシャワーを浴びて髪を乾かし、部屋へ戻って来た二人。

「食べ放題だってよ」

 ルノートがパンフレットを見ながらドミナへ言った。その瞬間、彼女の表情がぱあっと明るくなった。プールで思いっきりはしゃいだ彼女の表情は先ほどまで疲れの色一色だったというのに。

 ドミナはルノートの横へ座ると、彼の開くパンフレットを覗き込んだ。

「本当だ・・・!」
「十七時からだから・・・もう少しだね」

 今のドミナが仮に犬だとしたら、きっと尻尾をぶんぶんと振っているに違いない。彼女は笑顔のまま、ルノートへと体を靠もたれた。

「どうしたの?」
「こうするとなんか落ち着く」

 ルノートの問いに、ドミナは頬を少しだけ赤くして答える。

「凄く心が温かくなる・・・みたいな」

 ドミナの体を受け止めながら、彼は腑に落ちたのか落ちていないのか読み取れない表情をして頷うなずく。食べ放題の時間が始まるまで二人はその体勢でいた。

 十七時、二人は食堂のある一階へと降りた。昼は閉鎖されていた場所の扉が全面的に解放され、広い空間、天井のシャンデリア、白いテーブルクロスが敷かれた大量の座席が目に入った。
 さらに料理が並べられたテーブルが目に入る。場所ごとに料理の種類が異なるようで、二人はトレーを取りに向かった。

 人が多い。これだけ巨大なホテルなのだ。人込みに紛れ込むようにして、二人は料理を取りに並ぶ。

「あれってステーキじゃないか・・・!?」

 ドミナが驚きながら指を差す。彼女の言う通り、ステーキを焼いているシェフの前に、皿の上に乗せられた一切れの大きなステーキがあった。

「初めて見た」

 ドミナがそう呟く。彼女は過去あの研究施設で育った。そのせいか、料理、文化、電気製品などには疎い。『アルペシア』に入ってから教育され、知識を付けたようだが、それも少し前のこと。

「人の数が多いから、はぐれないようにね」

 ルノートは彼女と手を繋ぐ。ドミナは「あっ」と驚いた顔をしてから、不意に下を向く。
 ルノートは彼女の行動が気になってじっと見つめる。しかし、いつまで経ってもドミナが顔を上げないのでこれ以上の追及はやめて、料理の方へと目線を向けた。

「見たことないサラダだ」

 テーブルに並べられた様々なサラダを、ルノートはまじまじと見つめる。貝の入ったサラダ、見たことのない細い葉っぱのような野菜のサラダなどなど。

「わたし肉が食べたい」

 ドミナが我儘わがままを言う。

「この仕事を続ける上で体調管理は大事だよ。だからちゃんと野菜を食べないと」
「えぇ」

 共同生活を始めてからというものの、料理担当はルノートだ。『アルペシア』から与えられる食材の中から栄養のあるものを使って料理をする。

 ルノートは目を引いた貝のサラダを皿に取り、ドミナは適当に選んだキャベツのサラダを取った。それからも二人は料理を取りにせっせと人込みを掻き分けて行った。

 そうしてトレーに多くの料理を乗せて、二人は席へと着いた。トレーを机に置いてから椅子に座り、食事を始める。

 ドミナはやはり肉中心で料理を取っていた。目を付けていたステーキはもちろん取っている。反対にルノートはそこまで料理を取っていない。彼は野菜中心に料理を取っている。

「わたし今人生で一番幸せだ・・・」

 そう言いながら彼女はステーキを味わっている。ルノートは野菜をもしゃもしゃと味わいながら、コップに注いだ牛乳を飲む。

「食べ過ぎないようにね」
「分かってるって」

 次々と料理を頬張っていくドミナを見て、ルノートはそう忠告した。任務の時に動けなくなってしまうと大変だ。暗殺対象を取り逃がしでもすれば面倒事になる。

「でざーと? すいーつ? ん・・・?」

 皿に盛った料理を食べ終えたドミナとルノートは、次にデザートを取りに向かった。彼女は果物、チョコレート、ケーキ、その他様々なデザート類を前に目を輝かせていた。

「何これ・・・初めて見たやつばかり・・・!!」

 ドミナがショートケーキの乗った皿をトレーへと乗せる。イチゴの乗った白いケーキを見つめながら、ドミナは嘆息する。

 ドミナはデザートを見たことがない。研究施設で育ったせいもあるだろうが、実際に『アルペシア』へ入った後も基本的に組織が送った食材の仕送りで生活を送っていた。自分たちで買い物へ行ったり、そもそも『アルペシア』に関わること以外で外へ出ることは禁じられていた。

「ふるーつは知ってるけど、けーき?は初めて見た」

 ルノートははしゃぐ彼女を見て、どこか温かい感情を覚えた。

「ケーキはぼくが好きな食べ物だよ。昔、母さんが誕生日の時に買ってくれたのを覚えてる」
「そうなの?おまえが好きなものなら、きっとわたしも好きだ」

 さりげなく放たれたその台詞に、ルノートは衝撃を受けたように固まった。恥ずかしくなって、彼はドミナからデザートの方へと目線を逸らす。

「何これ・・・!」

 プリン、アイスクリーム、モンブラン、タルト、パイ・・・。数々のデザート類を見ながら、ドミナは楽しそうにはしゃいでいた。
 再び皿一杯にデザートを取って席へ戻る。ドミナは席に着いた途端、一気にデザートたちを食べ終えた。

 腹を押さえて嬉しそうに喉を鳴らす彼女の様子には、思わずルノートも笑みが零れていた。

「幸せすぎる・・・!!」

 ドミナが言いながら満面の笑みを浮かべる。

「もう食べてしまった」

 ドミナが残念そうに皿の上を見つめる。

「もうそろそろ部屋へ戻ろう。少し体を休ませないと」
「そうだな・・・うん、仕方ない。二泊三日だからな、また明日も来れる」

 名残惜しそうに席を後にし、二人は部屋へと戻った。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 二人を次に待っていたのは温泉だった。どうやらあの『狼虎』の男が特別に二人専用の『貸し切り露天風呂』とやらを提供してくれるそうだ。
 ドミナのテンションは最高潮に達した。彼女は温泉に行くのが初めてだとのこと。

「早くそのろてんぶろ?とやらへ行くぞ!」

 そう言われてドミナとルノートは貸し切りの温泉へと言った。他のホテル利用者のために用意された大浴場から離れた、貸し切りの温泉が立ち並ぶ場。どうやら高額だが、他の者たちでも貸し切り風呂を利用することができるようで、幾つかの露天風呂の部屋から客が出てきていた。ドミナとルノートに提供された風呂は最奥にあった。
 鍵を開けて中へ入る。

 それと同時に熱気が飛び込んできた。
 更衣を始めたところで、ふと、ドミナの動きが止まった。

「ひょっとしてこれって、二人で一緒に入るということか?」
「うん」
「ほ、本当なのか・・・!?」

 突如としてドミナは顔を真っ赤にした。まだ温泉に入っていないというのにのぼせたような顔。
 ルノートはさっと服を脱ぎ去り、裸になる。慌ててドミナが目を覆った。

「ぼくたち家族なんだし、そんな恥ずかしがることじゃないよ」
「で、でもな・・・」
「大丈夫だって。別に僕は気にしないから」

 ドミナが目を覆うのをやめる。そして、彼の体を見た。途端に大きく目を見開いた。

 ルノートの体は痣だらけだった。

 何も言わず彼女も服を脱ぎ始めた。ルノートはそれを確認して、更衣室の籠に置いてあったタオルをドミナの分まで取り、温泉の方へと向かった。
 ドミナは渡されたタオルで体を隠して、後ろをゆっくりと着いて来る。

「これが、温泉・・・!!」

 ドミナが驚いて声を上げた。

 街の夜景を一望できる最高の景色が広がっている。加工された岩に溜まる湯から湯気がもくもくと立ち上っている。

 ルノートもドミナと同じく驚いていた。彼も温泉に来たのは初めてだった。
 二人して体を洗い、急いで温泉の方へ。二人は足の先から湯の中へゆっくりと入る。
 特に気にすることをやめたのか、ドミナは体を隠すのをやめていた。

「昔なんかのテレビで知ったんだけど、温泉に入ってる時はタオルを頭の上に乗せるらしい」

 ルノートはそう言いながら小さく折りたたんだタオルを頭の上へと乗せた。それを聞いたドミナも彼の真似をして頭にタオルを乗せる。
 二人は温かな湯に体を包まれながら、裕福なひと時を過ごした。

「ルノート」

 突然、隣でドミナが彼の名を呼んだ。彼女は下を向いている。

「わたし、こんな人生を送っていいのかな」
「こんな人生?」
「うん」

 ドミナが何か言いたげにルノートへ視線を送る。

「だって人を殺すのは悪いことだって、『アルペシア』に入ってから教わったんだ。悪いことをして生きていくなんて、普通の人からしたら許せないことだと思うし・・・わたしのような人殺しが、こんな幸せを味わってもいいのかなって思った」

 彼女の話を聞いたルノートは沈黙する。必死に何かを考えているようだった。

「おまえはどう思う?」

 ドミナがそんな彼へ言葉を投げかける。

「ぼくたちはこうやって生きていくことしかできない。生まれた環境が少しでも違えば、きっと誰もがぼくたちのようになる」

 ルノートは頭に置いたタオルに触れる。

「だからそんなことを考える必要はないよ。ぼくたちにはどうせこの生き方しかできないんだから。今はとにかくどうやって生き抜いていくかを考えないと」

 ルノートは立ち上がる。

「そろそろ上がろう」
「そうだな」

 ドミナも立ち上がって、二人はそのまま更衣室へと向かった。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 夜。ルノートはテキストを広げて勉強に専念していた。対してドミナというと、彼女は退屈そうにベッドの上で寝転がりながら天井を仰ぎ見ていた。

「任務までまだ時間がありすぎる・・・」

 ドミナがそう零し、溜め息を吐く。

「後三時間の辛抱だよ」
「うっ、長い・・・」

 会話はそれで途絶え、時間が過ぎていく。
 時刻は零時を迎えた。そろそろ任務に取りかからなくてはならない。

 眠っていたのか、ドミナが欠伸をしながら体を起こす。ルノートはテキスト類を鞄へと仕舞い、ドミナの元へ行く。

「ドミナ、そろそろ行こう」
「ああ」

 ドミナはベッドから降りると大きく伸びをした。

「行くぞ」

 ドミナの目付きが変わった。どうやら彼女もやる気になったようだ。
 ドミナはポケットの中から瓶を取り出し、中に入る白い錠剤を取り出す。錠剤を飲み、ふぅと息を吐く。

「明日が楽しみだな」
「そうだね」

 二人は適当に会話を交わして部屋を出た。
 それからエレベーターに乗り、暗殺対象が隠れる五階の五九八号室に向かう。マスターキーなるものをもらっているので鍵の心配はいらない。

 部屋の前へ到着すると、ゆっくりと音を立てないように鍵を開けた。
 慎重に扉を開け、部屋の中へ入る。
 電気は点いていない。暗殺対象は就寝中で間違いないだろう。

 月明りだけが差し込む部屋の中、薄らと視界が暗闇に慣れてくる。
 ドミナとルノートは暗闇の中顔を見合わせて、部屋の中を確認する。すると、鏡台の前の椅子に座る何者かの姿があった。
 ドミナがマグマを拳に纏わせて、対象に殴りかかる。しかし、拳をぶつける直前、不意にドミナの動きが止まった。

「おいおい・・・」

 ドミナがマグマを消失させ、部屋の電気を点ける。

 すると目の前には衝撃の光景が広がっていた。
 暗殺対象は椅子に座ったまま、死んでいたのだ。
 首に小振りのナイフが突き刺されたまま、大量の血を床まで垂れ流している。殺害後少し時間が経っているようで、血が乾いていた。硬直が始まっているのか、首が不自然な方向のまま固まっている。

 ドミナとルノートは視線を交わし、事態を推測する。

「確かこいつを殺したがってたのは『サイクロン』とかいうやつらだったな。親玉の『狼虎』を通じて『アルペシア』へ任務を依頼したのはなぜだ。最初からこいつを殺すことが目的なら、その必要はないはず・・・」

 すると部屋の扉が何者かによって開かれた。二人はその音に気付き、慌てて振り返る。

 そこには今日出会った『狼虎』の、サングラスをかけた男が立っていた。彼は意味深な笑みを浮かべて、こちらへ歩み寄ってくる。

「まんまと引っかかりましたね、『アルペシア』のお二方」
「てめぇがこいつを殺ったのか?」

 ドミナの問いに、男は首を横へ振る。

「私がやったわけではありません。正確には、『サイクロン』の者が始末したと言う方がよろしいでしょう。さて」

 男は身に着けていた毛皮のコートを脱ぎ、床へ放る。それからニヤニヤと笑みを浮かべて、銀色のグリルズを見せびらかした。

「少し我慢してくださいね」

 次の瞬間だった。男が猛スピードでルノートへ迫った。二人共そのスピードに対応できない。
 ルノートの頭に向かって、男が何かを叩きつけた。ルノートは痛みで顔を歪め、倒れる。

「ルノート!!!」

 ドミナが叫ぶ。彼の頭からは血が流れていた。意識を失ってしまったのか、彼は動かない。

「てめぇ、よくも・・・!!」

 ドミナがマグマを腕に纏わせる。男はそれを見てわざとらしく後退してみせると、手に持っていた鉄の棒を高く掲げた。
 警棒だ。彼が手にしていたのは小さな棘が無数に生える、歪な形をした警棒だった。

「あなた方は私の計画に利用されたのです。残念ながら、彼は私が連れて行きます」
「計画だと・・・そんなことでルノートを傷付けたのかよ」
「ええ。怪我を負わせてしまった方が抵抗しないでしょうし」
「ふざけんな・・・!!」

 ドミナがマグマを纏った拳で男へと殴り掛かった。しかし、男は笑みを崩さないままさっと彼女の突進を躱した。隙のできたドミナの背中へ蹴りが入る。瞬間、ドミナは苦しげに声を漏らす。彼女の服に血が滲んでいる。
 男の足から鋭利な棘が飛び出していた。彼はそれを靴の中へ収納すると、倒れたルノートの方へ向かった。

「待て・・・!!」

 ドミナが床からマグマを噴出させ、それを男の元まで操る。

「無駄ですよ」

 男は軽く跳躍する。天井に手を付けると、彼はその体勢のまま蜘蛛のように張り付いた。
 マグマはルノートに触れないよう少し距離を開けて広がったが、それを男に利用された。男はルノートの近くまで飛び降りると、彼の体を肩に担ぐ。

 ドミナが隙を見て彼目がけて再び殴りかかるも、拳を長い棘の生えた手で受け止められた。ドミナの拳は棘に貫かれ、彼と手が触れ合わない程度の位置に固定される。血が溢れ出す。

 ドミナは涙目になりながら、男を睨み付ける。

「返せ・・・」

 ドミナは苦しげに息を荒げながら、マグマをさらに体から噴出させる。彼女は棘の刺さった拳からマグマを溢れさせた。
 男は急いで棘を体へと仕舞う。ドミナの放ったマグマは彼の体に当たることなく地面へと垂れ落ちるばかり。

「だから、無駄だと言っているでしょう」

 男の全身から細長い棘が無数に飛び出る。ルノートには当たらないよう棘は生え広がった。
 ドミナは急いで全身を硬化させたマグマの盾で覆ったが、棘はそれを貫いた。

 ドミナは無残にも串刺しになる。マグマの硬化が溶け、ドミナの体から流れ出る血と混ざって床へ広がった。

「ぁ・・・」

 ドミナはその場に崩れ落ちる。倒れた彼女の顔面に向かって、男は思い切り蹴りを入れた。棘は出していなかった。
 ドミナはマグマと自身の血が混ざった液体の上に倒れたまま、動かない。

 それを確認した男は窓の方へと向かった。すると窓の向こうに待機していたもう一人の男がいた。
 サングラスの男は窓を開け、ルノートの体を受け渡す。

「慎重に運べ」
「分かりました」

 二人はそれだけ言葉を交わした。窓の向こうにいた男は壁を上っていく。

 サングラスの男はサングラスのブリッジに指を当て、ドミナの方を振り返る。彼女の服のポケットから瓶が飛び出していた。中には白い錠剤が入っている。

「なるほど・・・」

 何かを察した男がその瓶にまで近付く。マグマには溶けていない。その瓶が特殊な技法で作られているのか、はたまたドミナが呼び出したマグマが特殊なのか。答えは後者だろう。
 どうやらこのマグマは対象以外の物に物理的影響を与えるのではないらしい。

 男は瓶を踏み潰して粉砕する。中に入っていた錠剤も纏めて磨り潰した。

「これでこいつに勝ち目はないな」

 男は大きく笑い声を上げた。彼はこの状況が愉快で仕方なかった。
 だから倒れたドミナの体へ追い打ちをかけるように何度も蹴りを入れた。腹、胸、背中。しばらく蹴り続けていると、マグマが消えた。どうやら彼女の能力が切れたようだ。

「魔法の継続時間も短いなんて、どんだけ弱いんだよこいつは!!!」

 荒々しく言葉を投げつけながら、狂ったかのように男はまだ蹴りを入れ続ける。
 しばらくそうして満足したのか男は足を止める。

「さて・・・」

 男は煙草を咥え、火をつける。それから彼は戦闘の前に脱ぎ捨てた毛皮のコートを拾う。

「次の行動に移るとしよう」

 言いながら彼もまた窓から外へ飛び出した。足から微細な棘を大量に壁へと突き刺し、そのまま壁を歩いて行く。
 灰を宙に投げ捨て、彼は笑いながら上へと向かった。
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ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
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 日が暮れ始める頃までプールで遊んだ。更衣室でシャワーを浴びて髪を乾かし、部屋へ戻って来た二人。

「食べ放題だってよ」

 ルノートがパンフレットを見ながらドミナへ言った。その瞬間、彼女の表情がぱあっと明るくなった。プールで思いっきりはしゃいだ彼女の表情は先ほどまで疲れの色一色だったというのに。

 ドミナはルノートの横へ座ると、彼の開くパンフレットを覗き込んだ。

「本当だ・・・!」
「十七時からだから・・・もう少しだね」

 今のドミナが仮に犬だとしたら、きっと尻尾をぶんぶんと振っているに違いない。彼女は笑顔のまま、ルノートへと体を靠もたれた。

「どうしたの?」
「こうするとなんか落ち着く」

 ルノートの問いに、ドミナは頬を少しだけ赤くして答える。

「凄く心が温かくなる・・・みたいな」

 ドミナの体を受け止めながら、彼は腑に落ちたのか落ちていないのか読み取れない表情をして頷うなずく。食べ放題の時間が始まるまで二人はその体勢でいた。

 十七時、二人は食堂のある一階へと降りた。昼は閉鎖されていた場所の扉が全面的に解放され、広い空間、天井のシャンデリア、白いテーブルクロスが敷かれた大量の座席が目に入った。
 さらに料理が並べられたテーブルが目に入る。場所ごとに料理の種類が異なるようで、二人はトレーを取りに向かった。

 人が多い。これだけ巨大なホテルなのだ。人込みに紛れ込むようにして、二人は料理を取りに並ぶ。

「あれってステーキじゃないか・・・!?」

 ドミナが驚きながら指を差す。彼女の言う通り、ステーキを焼いているシェフの前に、皿の上に乗せられた一切れの大きなステーキがあった。

「初めて見た」

 ドミナがそう呟く。彼女は過去あの研究施設で育った。そのせいか、料理、文化、電気製品などには疎い。『アルペシア』に入ってから教育され、知識を付けたようだが、それも少し前のこと。

「人の数が多いから、はぐれないようにね」

 ルノートは彼女と手を繋ぐ。ドミナは「あっ」と驚いた顔をしてから、不意に下を向く。
 ルノートは彼女の行動が気になってじっと見つめる。しかし、いつまで経ってもドミナが顔を上げないのでこれ以上の追及はやめて、料理の方へと目線を向けた。

「見たことないサラダだ」

 テーブルに並べられた様々なサラダを、ルノートはまじまじと見つめる。貝の入ったサラダ、見たことのない細い葉っぱのような野菜のサラダなどなど。

「わたし肉が食べたい」

 ドミナが我儘わがままを言う。

「この仕事を続ける上で体調管理は大事だよ。だからちゃんと野菜を食べないと」
「えぇ」

 共同生活を始めてからというものの、料理担当はルノートだ。『アルペシア』から与えられる食材の中から栄養のあるものを使って料理をする。

 ルノートは目を引いた貝のサラダを皿に取り、ドミナは適当に選んだキャベツのサラダを取った。それからも二人は料理を取りにせっせと人込みを掻き分けて行った。

 そうしてトレーに多くの料理を乗せて、二人は席へと着いた。トレーを机に置いてから椅子に座り、食事を始める。

 ドミナはやはり肉中心で料理を取っていた。目を付けていたステーキはもちろん取っている。反対にルノートはそこまで料理を取っていない。彼は野菜中心に料理を取っている。

「わたし今人生で一番幸せだ・・・」

 そう言いながら彼女はステーキを味わっている。ルノートは野菜をもしゃもしゃと味わいながら、コップに注いだ牛乳を飲む。

「食べ過ぎないようにね」
「分かってるって」

 次々と料理を頬張っていくドミナを見て、ルノートはそう忠告した。任務の時に動けなくなってしまうと大変だ。暗殺対象を取り逃がしでもすれば面倒事になる。

「でざーと? すいーつ? ん・・・?」

 皿に盛った料理を食べ終えたドミナとルノートは、次にデザートを取りに向かった。彼女は果物、チョコレート、ケーキ、その他様々なデザート類を前に目を輝かせていた。

「何これ・・・初めて見たやつばかり・・・!!」

 ドミナがショートケーキの乗った皿をトレーへと乗せる。イチゴの乗った白いケーキを見つめながら、ドミナは嘆息する。

 ドミナはデザートを見たことがない。研究施設で育ったせいもあるだろうが、実際に『アルペシア』へ入った後も基本的に組織が送った食材の仕送りで生活を送っていた。自分たちで買い物へ行ったり、そもそも『アルペシア』に関わること以外で外へ出ることは禁じられていた。

「ふるーつは知ってるけど、けーき?は初めて見た」

 ルノートははしゃぐ彼女を見て、どこか温かい感情を覚えた。

「ケーキはぼくが好きな食べ物だよ。昔、母さんが誕生日の時に買ってくれたのを覚えてる」
「そうなの?おまえが好きなものなら、きっとわたしも好きだ」

 さりげなく放たれたその台詞に、ルノートは衝撃を受けたように固まった。恥ずかしくなって、彼はドミナからデザートの方へと目線を逸らす。

「何これ・・・!」

 プリン、アイスクリーム、モンブラン、タルト、パイ・・・。数々のデザート類を見ながら、ドミナは楽しそうにはしゃいでいた。
 再び皿一杯にデザートを取って席へ戻る。ドミナは席に着いた途端、一気にデザートたちを食べ終えた。

 腹を押さえて嬉しそうに喉を鳴らす彼女の様子には、思わずルノートも笑みが零れていた。

「幸せすぎる・・・!!」

 ドミナが言いながら満面の笑みを浮かべる。

「もう食べてしまった」

 ドミナが残念そうに皿の上を見つめる。

「もうそろそろ部屋へ戻ろう。少し体を休ませないと」
「そうだな・・・うん、仕方ない。二泊三日だからな、また明日も来れる」

 名残惜しそうに席を後にし、二人は部屋へと戻った。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 二人を次に待っていたのは温泉だった。どうやらあの『狼虎』の男が特別に二人専用の『貸し切り露天風呂』とやらを提供してくれるそうだ。
 ドミナのテンションは最高潮に達した。彼女は温泉に行くのが初めてだとのこと。

「早くそのろてんぶろ?とやらへ行くぞ!」

 そう言われてドミナとルノートは貸し切りの温泉へと言った。他のホテル利用者のために用意された大浴場から離れた、貸し切りの温泉が立ち並ぶ場。どうやら高額だが、他の者たちでも貸し切り風呂を利用することができるようで、幾つかの露天風呂の部屋から客が出てきていた。ドミナとルノートに提供された風呂は最奥にあった。
 鍵を開けて中へ入る。

 それと同時に熱気が飛び込んできた。
 更衣を始めたところで、ふと、ドミナの動きが止まった。

「ひょっとしてこれって、二人で一緒に入るということか?」
「うん」
「ほ、本当なのか・・・!?」

 突如としてドミナは顔を真っ赤にした。まだ温泉に入っていないというのにのぼせたような顔。
 ルノートはさっと服を脱ぎ去り、裸になる。慌ててドミナが目を覆った。

「ぼくたち家族なんだし、そんな恥ずかしがることじゃないよ」
「で、でもな・・・」
「大丈夫だって。別に僕は気にしないから」

 ドミナが目を覆うのをやめる。そして、彼の体を見た。途端に大きく目を見開いた。

 ルノートの体は痣だらけだった。

 何も言わず彼女も服を脱ぎ始めた。ルノートはそれを確認して、更衣室の籠に置いてあったタオルをドミナの分まで取り、温泉の方へと向かった。
 ドミナは渡されたタオルで体を隠して、後ろをゆっくりと着いて来る。

「これが、温泉・・・!!」

 ドミナが驚いて声を上げた。

 街の夜景を一望できる最高の景色が広がっている。加工された岩に溜まる湯から湯気がもくもくと立ち上っている。

 ルノートもドミナと同じく驚いていた。彼も温泉に来たのは初めてだった。
 二人して体を洗い、急いで温泉の方へ。二人は足の先から湯の中へゆっくりと入る。
 特に気にすることをやめたのか、ドミナは体を隠すのをやめていた。

「昔なんかのテレビで知ったんだけど、温泉に入ってる時はタオルを頭の上に乗せるらしい」

 ルノートはそう言いながら小さく折りたたんだタオルを頭の上へと乗せた。それを聞いたドミナも彼の真似をして頭にタオルを乗せる。
 二人は温かな湯に体を包まれながら、裕福なひと時を過ごした。

「ルノート」

 突然、隣でドミナが彼の名を呼んだ。彼女は下を向いている。

「わたし、こんな人生を送っていいのかな」
「こんな人生?」
「うん」

 ドミナが何か言いたげにルノートへ視線を送る。

「だって人を殺すのは悪いことだって、『アルペシア』に入ってから教わったんだ。悪いことをして生きていくなんて、普通の人からしたら許せないことだと思うし・・・わたしのような人殺しが、こんな幸せを味わってもいいのかなって思った」

 彼女の話を聞いたルノートは沈黙する。必死に何かを考えているようだった。

「おまえはどう思う?」

 ドミナがそんな彼へ言葉を投げかける。

「ぼくたちはこうやって生きていくことしかできない。生まれた環境が少しでも違えば、きっと誰もがぼくたちのようになる」

 ルノートは頭に置いたタオルに触れる。

「だからそんなことを考える必要はないよ。ぼくたちにはどうせこの生き方しかできないんだから。今はとにかくどうやって生き抜いていくかを考えないと」

 ルノートは立ち上がる。

「そろそろ上がろう」
「そうだな」

 ドミナも立ち上がって、二人はそのまま更衣室へと向かった。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 夜。ルノートはテキストを広げて勉強に専念していた。対してドミナというと、彼女は退屈そうにベッドの上で寝転がりながら天井を仰ぎ見ていた。

「任務までまだ時間がありすぎる・・・」

 ドミナがそう零し、溜め息を吐く。

「後三時間の辛抱だよ」
「うっ、長い・・・」

 会話はそれで途絶え、時間が過ぎていく。
 時刻は零時を迎えた。そろそろ任務に取りかからなくてはならない。

 眠っていたのか、ドミナが欠伸をしながら体を起こす。ルノートはテキスト類を鞄へと仕舞い、ドミナの元へ行く。

「ドミナ、そろそろ行こう」
「ああ」

 ドミナはベッドから降りると大きく伸びをした。

「行くぞ」

 ドミナの目付きが変わった。どうやら彼女もやる気になったようだ。
 ドミナはポケットの中から瓶を取り出し、中に入る白い錠剤を取り出す。錠剤を飲み、ふぅと息を吐く。

「明日が楽しみだな」
「そうだね」

 二人は適当に会話を交わして部屋を出た。
 それからエレベーターに乗り、暗殺対象が隠れる五階の五九八号室に向かう。マスターキーなるものをもらっているので鍵の心配はいらない。

 部屋の前へ到着すると、ゆっくりと音を立てないように鍵を開けた。
 慎重に扉を開け、部屋の中へ入る。
 電気は点いていない。暗殺対象は就寝中で間違いないだろう。

 月明りだけが差し込む部屋の中、薄らと視界が暗闇に慣れてくる。
 ドミナとルノートは暗闇の中顔を見合わせて、部屋の中を確認する。すると、鏡台の前の椅子に座る何者かの姿があった。
 ドミナがマグマを拳に纏わせて、対象に殴りかかる。しかし、拳をぶつける直前、不意にドミナの動きが止まった。

「おいおい・・・」

 ドミナがマグマを消失させ、部屋の電気を点ける。

 すると目の前には衝撃の光景が広がっていた。
 暗殺対象は椅子に座ったまま、死んでいたのだ。
 首に小振りのナイフが突き刺されたまま、大量の血を床まで垂れ流している。殺害後少し時間が経っているようで、血が乾いていた。硬直が始まっているのか、首が不自然な方向のまま固まっている。

 ドミナとルノートは視線を交わし、事態を推測する。

「確かこいつを殺したがってたのは『サイクロン』とかいうやつらだったな。親玉の『狼虎』を通じて『アルペシア』へ任務を依頼したのはなぜだ。最初からこいつを殺すことが目的なら、その必要はないはず・・・」

 すると部屋の扉が何者かによって開かれた。二人はその音に気付き、慌てて振り返る。

 そこには今日出会った『狼虎』の、サングラスをかけた男が立っていた。彼は意味深な笑みを浮かべて、こちらへ歩み寄ってくる。

「まんまと引っかかりましたね、『アルペシア』のお二方」
「てめぇがこいつを殺ったのか?」

 ドミナの問いに、男は首を横へ振る。

「私がやったわけではありません。正確には、『サイクロン』の者が始末したと言う方がよろしいでしょう。さて」

 男は身に着けていた毛皮のコートを脱ぎ、床へ放る。それからニヤニヤと笑みを浮かべて、銀色のグリルズを見せびらかした。

「少し我慢してくださいね」

 次の瞬間だった。男が猛スピードでルノートへ迫った。二人共そのスピードに対応できない。
 ルノートの頭に向かって、男が何かを叩きつけた。ルノートは痛みで顔を歪め、倒れる。

「ルノート!!!」

 ドミナが叫ぶ。彼の頭からは血が流れていた。意識を失ってしまったのか、彼は動かない。

「てめぇ、よくも・・・!!」

 ドミナがマグマを腕に纏わせる。男はそれを見てわざとらしく後退してみせると、手に持っていた鉄の棒を高く掲げた。
 警棒だ。彼が手にしていたのは小さな棘が無数に生える、歪な形をした警棒だった。

「あなた方は私の計画に利用されたのです。残念ながら、彼は私が連れて行きます」
「計画だと・・・そんなことでルノートを傷付けたのかよ」
「ええ。怪我を負わせてしまった方が抵抗しないでしょうし」
「ふざけんな・・・!!」

 ドミナがマグマを纏った拳で男へと殴り掛かった。しかし、男は笑みを崩さないままさっと彼女の突進を躱した。隙のできたドミナの背中へ蹴りが入る。瞬間、ドミナは苦しげに声を漏らす。彼女の服に血が滲んでいる。
 男の足から鋭利な棘が飛び出していた。彼はそれを靴の中へ収納すると、倒れたルノートの方へ向かった。

「待て・・・!!」

 ドミナが床からマグマを噴出させ、それを男の元まで操る。

「無駄ですよ」

 男は軽く跳躍する。天井に手を付けると、彼はその体勢のまま蜘蛛のように張り付いた。
 マグマはルノートに触れないよう少し距離を開けて広がったが、それを男に利用された。男はルノートの近くまで飛び降りると、彼の体を肩に担ぐ。

 ドミナが隙を見て彼目がけて再び殴りかかるも、拳を長い棘の生えた手で受け止められた。ドミナの拳は棘に貫かれ、彼と手が触れ合わない程度の位置に固定される。血が溢れ出す。

 ドミナは涙目になりながら、男を睨み付ける。

「返せ・・・」

 ドミナは苦しげに息を荒げながら、マグマをさらに体から噴出させる。彼女は棘の刺さった拳からマグマを溢れさせた。
 男は急いで棘を体へと仕舞う。ドミナの放ったマグマは彼の体に当たることなく地面へと垂れ落ちるばかり。

「だから、無駄だと言っているでしょう」

 男の全身から細長い棘が無数に飛び出る。ルノートには当たらないよう棘は生え広がった。
 ドミナは急いで全身を硬化させたマグマの盾で覆ったが、棘はそれを貫いた。

 ドミナは無残にも串刺しになる。マグマの硬化が溶け、ドミナの体から流れ出る血と混ざって床へ広がった。

「ぁ・・・」

 ドミナはその場に崩れ落ちる。倒れた彼女の顔面に向かって、男は思い切り蹴りを入れた。棘は出していなかった。
 ドミナはマグマと自身の血が混ざった液体の上に倒れたまま、動かない。

 それを確認した男は窓の方へと向かった。すると窓の向こうに待機していたもう一人の男がいた。
 サングラスの男は窓を開け、ルノートの体を受け渡す。

「慎重に運べ」
「分かりました」

 二人はそれだけ言葉を交わした。窓の向こうにいた男は壁を上っていく。

 サングラスの男はサングラスのブリッジに指を当て、ドミナの方を振り返る。彼女の服のポケットから瓶が飛び出していた。中には白い錠剤が入っている。

「なるほど・・・」

 何かを察した男がその瓶にまで近付く。マグマには溶けていない。その瓶が特殊な技法で作られているのか、はたまたドミナが呼び出したマグマが特殊なのか。答えは後者だろう。
 どうやらこのマグマは対象以外の物に物理的影響を与えるのではないらしい。

 男は瓶を踏み潰して粉砕する。中に入っていた錠剤も纏めて磨り潰した。

「これでこいつに勝ち目はないな」

 男は大きく笑い声を上げた。彼はこの状況が愉快で仕方なかった。
 だから倒れたドミナの体へ追い打ちをかけるように何度も蹴りを入れた。腹、胸、背中。しばらく蹴り続けていると、マグマが消えた。どうやら彼女の能力が切れたようだ。

「魔法の継続時間も短いなんて、どんだけ弱いんだよこいつは!!!」

 荒々しく言葉を投げつけながら、狂ったかのように男はまだ蹴りを入れ続ける。
 しばらくそうして満足したのか男は足を止める。

「さて・・・」

 男は煙草を咥え、火をつける。それから彼は戦闘の前に脱ぎ捨てた毛皮のコートを拾う。

「次の行動に移るとしよう」

 言いながら彼もまた窓から外へ飛び出した。足から微細な棘を大量に壁へと突き刺し、そのまま壁を歩いて行く。
 灰を宙に投げ捨て、彼は笑いながら上へと向かった。
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次の話9「最高傑作」
ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
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