ホーム›ritard.――リタルダンドーー›12「クリスマス会」
← 次の話目次前の話 →

12「クリスマス会」

 ドミナとルノートが暮らす二階建ての小さなアパート。築十年と比較的新しい。クリーム色の壁、焦げ茶色の屋根はまるでチョコレートを連想させる。小さめな外観から想像がつく通り、部屋自体もそこまで広くはない。アパートのすぐ隣には駐車場があるが、基本的にいつも車は止まっていない。

 ルノートとドミナの他の住居人は皆『アルペシア』関係者だ。部屋数は合計四つ。二階への階段を上ったすぐ手前の部屋、そこには二人へいつも料理を分けてくれる中年の婦人が暮らしている。名前はクレシア。彼女は『アルペシア』傘下の組織に所属し、『掃除屋』という任務の後片付けを行う仕事に就いている。二人が簡易な料理しか作れないことを知っているからか、組織からの仕送りが届いた暁には彼女が調理してくれることもしばしば。

 一階の最奥の部屋、そこにはよく二人を送迎するタクシーの運転手が暮らしている。名はルーズ。彼は二十代半ばの若い男性で、顔立ちはくっきりとしていて、雄々しい眉毛と青髭あおひげが特徴だ。駐車場を利用するのは主に彼で、深夜仕事から帰ってきては昼過ぎまで車を停めている。

 一階の手前、最も外に近い部屋。そこには二十代の若い女性が暮らしている。名はリアネル。彼女は夜間、バー『パルシェ』で働いている。ごくたまにルノートの勉強を見てくれる。

 このアパートの管理人は高齢の男性。彼は『アルペシア』と商業的な協力関係を結んでいる不動産会社の社長だ。

 ドミナとルノートはそんな人物たちと関わりながら日々を過ごしている。

「おはよう、ドミナ・・・」

 部屋に鳴り響く目覚まし時計を止め、ルノートは体を起こした。寝間着兼部屋着として着用する灰色のジャージに身を包んで、その袖で欠伸の際溢れた涙を拭う。ドミナは新調した黄色のもこもこのパジャマを着ている。
 彼女もまた目覚まし時計の音で目が覚め、「んぅ」と唸るように声を上げてゆっくりと目を開けた。

「んぁ・・・もう朝?」
「そうだよ」
「んぅ・・・もう少しだけ寝させて」
「駄目だってば。今日はクレシアさんの家で、クリスマス会があるんだから」

 その瞬間、ドミナは勢いよく飛び起きた。

「そうだった!でもクリスマスは明日だよな」
「みんなクリスマスに用事が入っているらしいから、先に行うらしい」
「用事・・・」

 ドミナは呟きながら考える。しかし、寝起きの頭では何も思い浮かばなかった。

 それから二人は身支度を済ませ、クレシアの部屋へと向かった。彼女の部屋は二人の部屋のすぐ隣。冬の朝日と共にその寒さを味わいながら、二人はインターホンを鳴らす。
 足音が聞こえてくると、すぐ後に扉が開いた。

「いらっしゃ~い」

 明るい茶髪にほっそりとした体。ピンクのエプロンの下、薄い黄色のセーターに青い色のジーパンを身に着けた彼女は、少し皺の寄った目を細める。

「お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」

 ルノートが挨拶をした後、ドミナも真似するように言って二人は家へ入る。リビングへ行くと、何やら甘いにおいがした。
 壁にリボンや、サンタクロースが描かれた紙が飾り付けられていた。オレンジのカーペットの上に大きなが炬燵こたつが置かれている。

 ドミナは真っ先に炬燵の中へと潜り込んだ。

「やっぱりあったかい~」
「ドミナ、礼儀が悪いよ」
「そんなの気にしてたら負けだって」
「はぁ」

 先を行くドミナの態度に呆れるような溜め息を零して、ルノートはクレシアの方へ向かう。彼女はキッチンで何かを作っていた。

「クレシアさん、何か手伝わせてください」
「ほんと?じゃあ、これをテーブルまで運んで」
「はい」

 ゆっくりとマイペースに話すクレシアから皿を渡される。そこには焼き立てのクッキーが乗っていた。部屋へ入って来た時鼻腔を掠めた甘い香りは、間違いなくこのクッキーによるものだ。

 ルノートは炬燵の方まで皿を運ぶ。

「なんかいいにおいがするな」
「クッキーだよ。クレシアさんが作ってくれたんだ」
「ほんとか!」

 炬燵の中に潜っていたドミナが顔を出した。彼女は素早い動作でクッキーを一つ手に取ると、「あつっ」と言いながら体を跳ねさせた。

「ごめんなさい~、まだできたてだから火傷しないように注意してね」
「は、はい・・・大丈夫です」

 ドミナが涙目になりながら返事をした。
 クッキーがもう少し冷めるのを待っていると、もう一つクッキーが大量に乗った皿を持って来たクレシア。彼女は炬燵のテーブルの上へ皿を置く。キッチンの方へ戻ってエプロンを外してから炬燵へと足を入れた。

「ルノート君とドミナちゃんが来てくれて嬉しいわぁ~こうやってみんなでパーティができるんだもの」

 クレシアはそう言って嬉しそうに目を細める。元々糸目と呼ぶべきか目は開いていないように見えるが。

「わたしもいっぱいデザートが食べれて嬉しいです」
「クレシアさん本当にありがとうございます。こんなに飾り付けもしてくださって・・・」
「そんなに気にしなくて大丈夫わよ~」
「せめて後片付けは手伝わせてください」
「ん~そこまで言うなら仕方ないわね」

 クレシアは指を立てて取り決めた。ルノートはそれに納得。ドミナは話を聞いていないのか、もぐもぐとクッキーを食べることに集中していた。

 ドミナはスマホをいつの間にか使いこなし、動画配信アプリをいつも視聴している。
 現在、彼女は炬燵に寝転がってクッキーを食べながらスマホで動画を視聴するという状態。彼女が食事中に動画ばかり眺める光景をルノートはすでに見慣れてしまった。

「ドミナ、少しスマホにはまりすぎじゃない?」
「面白いから仕方ない」
「せめて食事中くらいは」

 ルノートは呆れたように溜め息をして、それ以上何か言うことはやめた。
 するとドミナがスマホを置いた。彼女はそれからきちんと座り直し、何か言いたげな目線を彼へ送る。

「ごめん」

 一言。予想していなかった謝罪に、ルノートは少しの間呆然とした。

「別にいいよ。そんな謝ることでもないし」
「でも謝りたい」

 ドミナがまっすぐとルノートを見つめる。

「おまえと一緒にいれるだけでも幸せなのにな。少し環境に甘えすぎた」

 その瞬間、ルノートの顔に熱気が上った。最近、ドミナがルノート自身のことに関して発言するとたまにこうなる。彼はこの現象を『心理的ドミナ熱気』とでも名付ける。

 ドミナは不意に体を寄せてきた。彼女はルノートの横顔をじっと見つめながら、クッキーを口に咥えている。

「クッキー、食べないのか?」
「食べるよ。でも今はちょっと・・・」

 ルノートは自身の感情の昂りに違和を覚えていた。心臓がどきどきとして、頭が上手く回らない。すぐ側に感じる彼女の体温。ルノートは『落ち着け』と必死に頭の中で念じた。

「うい」

 ドミナが一枚だけクッキーを手に取り、それを勢いよくルノートの口の中へと突っ込んだ。
 その途端、ルノートの心の波が静まり返った。あまりに勢いが良かったもので、歯とクッキーとが激突。ルノートは痛みで思考が冴え渡る感覚を身に覚えた。

「分かった。今すぐ食べるから」
「それでこそルノートだ」
「どういうこと」
「内緒」

 微笑する彼女と冴えたルノートの会話。それを笑顔で面白そうに見守るクレシア。

「若いわねぇ~」

 クレシアはぼそりとそう呟いた。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 時刻は朝から、陽が空のど真ん中に坐す昼に。未だにルノートにくっついたまま離れずクッキーをもぐもぐと食べ続けるドミナ。
 皿に乗るクッキーも若干だが数を減らしている。今のドミナは意外と一口が小さく、一枚のクッキーを食べ終えるのにも時間がかかっていた。

 ルノートが、もぐもぐと咀嚼するドミナの横顔を眺めていると、不意にインターホンが鳴った。
 応答して玄関へと向かうクレシア。彼女が扉を開ける音と共に、聞き慣れた声が耳に入った。

「お久しぶりです、クレシアさん」
「リアネルちゃん・・・!クッキー焼いたから早く上がって」

 リアネルだ。彼女はバー『パルシェ』で働く二十代の女性。ごくたまにルノートの勉強も見てくれる頼りになる人物だ。

 派手な金髪に丸い眼鏡。赤い口紅とその上に塗ったグロスで艶めく唇、アイドルのような白い肌。手には黒の小さなバッグ。ウサギのキーホルダーがぶらぶらと揺れている。

 茶色のムートンコートに全身を包み、中には白のニット。右耳に付けた金色の宝石型のピアスが照明の光で輝いている。
 彼女は部屋に入るなり、真っ先にルノートとドミナへ目をやった。

「相変わらず仲が良いね、お二人さん」

 揶揄うように笑みを浮かべた彼女はコートを脱いで炬燵へと入る。彼女の言葉に、ドミナが顔を赤くする。

「べ、別にいいだろ」
「照れちゃってんじゃん。まったく、可愛いやつめ」
「あ、あんまり馬鹿にするなよ!」

 ドミナが大声を上げて立ち上がろうとしたが、ルノートがそれを制止。さらに顔を赤くしたドミナが無言のまま下を向く。

「ルノート君、勉強ははかどってる?」
「はい。一応小学生の範囲は片付けました。今度、中学生の内容に取り組もうと思ってます」
「おおっ、凄いね。良かったら今度お姉さんがテストしてあげる」
「ありがとうございます」

 二人がそんな会話をする様子を、ドミナは羨ましそうにじっと眺めていた。

 玄関でリアネルを迎えてから、クレシアはキッチンの方へと移動している。何か料理をしているのか、コンロの上に置いた鍋が目立つ。彼女の側に置かれた『シチュー』の箱が目に入ったルノートは、心なしかどこか胸が躍る気がした。

「後はルーズだけだね」

 リアネルが言いながらクッキーを一枚手に取る。彼女の爪のピンクのネイルが窺えた。
 ドミナはリアネルのネイルとピアスを交互に見つめる。彼女にとってリアネルのファッションはどこか憧れるものがあったのだ。凝視するドミナの視線を不思議に思い、リアネルもまた彼女を見つめ返す。

 するとリアネルの視線に気が付いたドミナがそそくさと目を逸らし、クッキーを食べることに集中した。

 突然、ルノートが立ち上がった。

「どうしたんだ?」

 ドミナが声をかける。

「クレシアさんの手伝いをしてくるよ」
「えっ、あ、そうか。頑張って」
「うん」

 ルノートは返事をしてからキッチンへ行った。その瞬間、突然炬燵の中でドミナの足が何かとぶつかった。それはリアネルの足だった。リアネルは悪戯な笑みを浮かべている。

「ドミナちゃん、一つ聞きたいんだけどさ」
「な、なんだ」

 ドミナは身構える。

「――ルノート君のこと、好きでしょ」

 途端にドミナの全身を熱気が襲った。ルノートの笑顔に見惚れてしまった時も同じような高熱が体を駆け巡った。ドミナはどきどきと暴れ始める心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりと口を開く。

「別に、そんなんじゃ・・・」
「嘘つけ。君はルノート君にだけ接し方が変わるじゃん」
「接し方・・・?そんなに変わってるのか?」
「いやもう本当に凄いよ。あれだけ堂々とくっついておいて、恋人じゃないならなんだよ」

 リアネルが次々と捲し立てる恋愛を連想させる言葉の数々に、ドミナは火照って仕方のない頬を隠すように下を向く。

「お姉さんも手伝うよ、ドミナの恋」

 リアネルが炬燵の上へ乗り出して、そう言った。

「な、なんだよそれ」

 ドミナはリアネルが苦手だ。大人の意地悪さがふんだんに詰め込まれた性格だからだ。だが、そんな彼女のファッションに憧れてもいる。

 ドミナは今になってようやくこの高熱の正体を理解した。
 間違いない。リアネルの言う通り、この感情は――。

「お願い・・・」

 ドミナは下を向いて顔を真っ赤にしたまま、そう答えた。
シェア
前の話 →
11「猫とスマホと笑み」
← 次の話
13「感情の正体」
ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません

12「クリスマス会」

 ドミナとルノートが暮らす二階建ての小さなアパート。築十年と比較的新しい。クリーム色の壁、焦げ茶色の屋根はまるでチョコレートを連想させる。小さめな外観から想像がつく通り、部屋自体もそこまで広くはない。アパートのすぐ隣には駐車場があるが、基本的にいつも車は止まっていない。

 ルノートとドミナの他の住居人は皆『アルペシア』関係者だ。部屋数は合計四つ。二階への階段を上ったすぐ手前の部屋、そこには二人へいつも料理を分けてくれる中年の婦人が暮らしている。名前はクレシア。彼女は『アルペシア』傘下の組織に所属し、『掃除屋』という任務の後片付けを行う仕事に就いている。二人が簡易な料理しか作れないことを知っているからか、組織からの仕送りが届いた暁には彼女が調理してくれることもしばしば。

 一階の最奥の部屋、そこにはよく二人を送迎するタクシーの運転手が暮らしている。名はルーズ。彼は二十代半ばの若い男性で、顔立ちはくっきりとしていて、雄々しい眉毛と青髭あおひげが特徴だ。駐車場を利用するのは主に彼で、深夜仕事から帰ってきては昼過ぎまで車を停めている。

 一階の手前、最も外に近い部屋。そこには二十代の若い女性が暮らしている。名はリアネル。彼女は夜間、バー『パルシェ』で働いている。ごくたまにルノートの勉強を見てくれる。

 このアパートの管理人は高齢の男性。彼は『アルペシア』と商業的な協力関係を結んでいる不動産会社の社長だ。

 ドミナとルノートはそんな人物たちと関わりながら日々を過ごしている。

「おはよう、ドミナ・・・」

 部屋に鳴り響く目覚まし時計を止め、ルノートは体を起こした。寝間着兼部屋着として着用する灰色のジャージに身を包んで、その袖で欠伸の際溢れた涙を拭う。ドミナは新調した黄色のもこもこのパジャマを着ている。
 彼女もまた目覚まし時計の音で目が覚め、「んぅ」と唸るように声を上げてゆっくりと目を開けた。

「んぁ・・・もう朝?」
「そうだよ」
「んぅ・・・もう少しだけ寝させて」
「駄目だってば。今日はクレシアさんの家で、クリスマス会があるんだから」

 その瞬間、ドミナは勢いよく飛び起きた。

「そうだった!でもクリスマスは明日だよな」
「みんなクリスマスに用事が入っているらしいから、先に行うらしい」
「用事・・・」

 ドミナは呟きながら考える。しかし、寝起きの頭では何も思い浮かばなかった。

 それから二人は身支度を済ませ、クレシアの部屋へと向かった。彼女の部屋は二人の部屋のすぐ隣。冬の朝日と共にその寒さを味わいながら、二人はインターホンを鳴らす。
 足音が聞こえてくると、すぐ後に扉が開いた。

「いらっしゃ~い」

 明るい茶髪にほっそりとした体。ピンクのエプロンの下、薄い黄色のセーターに青い色のジーパンを身に着けた彼女は、少し皺の寄った目を細める。

「お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」

 ルノートが挨拶をした後、ドミナも真似するように言って二人は家へ入る。リビングへ行くと、何やら甘いにおいがした。
 壁にリボンや、サンタクロースが描かれた紙が飾り付けられていた。オレンジのカーペットの上に大きなが炬燵こたつが置かれている。

 ドミナは真っ先に炬燵の中へと潜り込んだ。

「やっぱりあったかい~」
「ドミナ、礼儀が悪いよ」
「そんなの気にしてたら負けだって」
「はぁ」

 先を行くドミナの態度に呆れるような溜め息を零して、ルノートはクレシアの方へ向かう。彼女はキッチンで何かを作っていた。

「クレシアさん、何か手伝わせてください」
「ほんと?じゃあ、これをテーブルまで運んで」
「はい」

 ゆっくりとマイペースに話すクレシアから皿を渡される。そこには焼き立てのクッキーが乗っていた。部屋へ入って来た時鼻腔を掠めた甘い香りは、間違いなくこのクッキーによるものだ。

 ルノートは炬燵の方まで皿を運ぶ。

「なんかいいにおいがするな」
「クッキーだよ。クレシアさんが作ってくれたんだ」
「ほんとか!」

 炬燵の中に潜っていたドミナが顔を出した。彼女は素早い動作でクッキーを一つ手に取ると、「あつっ」と言いながら体を跳ねさせた。

「ごめんなさい~、まだできたてだから火傷しないように注意してね」
「は、はい・・・大丈夫です」

 ドミナが涙目になりながら返事をした。
 クッキーがもう少し冷めるのを待っていると、もう一つクッキーが大量に乗った皿を持って来たクレシア。彼女は炬燵のテーブルの上へ皿を置く。キッチンの方へ戻ってエプロンを外してから炬燵へと足を入れた。

「ルノート君とドミナちゃんが来てくれて嬉しいわぁ~こうやってみんなでパーティができるんだもの」

 クレシアはそう言って嬉しそうに目を細める。元々糸目と呼ぶべきか目は開いていないように見えるが。

「わたしもいっぱいデザートが食べれて嬉しいです」
「クレシアさん本当にありがとうございます。こんなに飾り付けもしてくださって・・・」
「そんなに気にしなくて大丈夫わよ~」
「せめて後片付けは手伝わせてください」
「ん~そこまで言うなら仕方ないわね」

 クレシアは指を立てて取り決めた。ルノートはそれに納得。ドミナは話を聞いていないのか、もぐもぐとクッキーを食べることに集中していた。

 ドミナはスマホをいつの間にか使いこなし、動画配信アプリをいつも視聴している。
 現在、彼女は炬燵に寝転がってクッキーを食べながらスマホで動画を視聴するという状態。彼女が食事中に動画ばかり眺める光景をルノートはすでに見慣れてしまった。

「ドミナ、少しスマホにはまりすぎじゃない?」
「面白いから仕方ない」
「せめて食事中くらいは」

 ルノートは呆れたように溜め息をして、それ以上何か言うことはやめた。
 するとドミナがスマホを置いた。彼女はそれからきちんと座り直し、何か言いたげな目線を彼へ送る。

「ごめん」

 一言。予想していなかった謝罪に、ルノートは少しの間呆然とした。

「別にいいよ。そんな謝ることでもないし」
「でも謝りたい」

 ドミナがまっすぐとルノートを見つめる。

「おまえと一緒にいれるだけでも幸せなのにな。少し環境に甘えすぎた」

 その瞬間、ルノートの顔に熱気が上った。最近、ドミナがルノート自身のことに関して発言するとたまにこうなる。彼はこの現象を『心理的ドミナ熱気』とでも名付ける。

 ドミナは不意に体を寄せてきた。彼女はルノートの横顔をじっと見つめながら、クッキーを口に咥えている。

「クッキー、食べないのか?」
「食べるよ。でも今はちょっと・・・」

 ルノートは自身の感情の昂りに違和を覚えていた。心臓がどきどきとして、頭が上手く回らない。すぐ側に感じる彼女の体温。ルノートは『落ち着け』と必死に頭の中で念じた。

「うい」

 ドミナが一枚だけクッキーを手に取り、それを勢いよくルノートの口の中へと突っ込んだ。
 その途端、ルノートの心の波が静まり返った。あまりに勢いが良かったもので、歯とクッキーとが激突。ルノートは痛みで思考が冴え渡る感覚を身に覚えた。

「分かった。今すぐ食べるから」
「それでこそルノートだ」
「どういうこと」
「内緒」

 微笑する彼女と冴えたルノートの会話。それを笑顔で面白そうに見守るクレシア。

「若いわねぇ~」

 クレシアはぼそりとそう呟いた。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 時刻は朝から、陽が空のど真ん中に坐す昼に。未だにルノートにくっついたまま離れずクッキーをもぐもぐと食べ続けるドミナ。
 皿に乗るクッキーも若干だが数を減らしている。今のドミナは意外と一口が小さく、一枚のクッキーを食べ終えるのにも時間がかかっていた。

 ルノートが、もぐもぐと咀嚼するドミナの横顔を眺めていると、不意にインターホンが鳴った。
 応答して玄関へと向かうクレシア。彼女が扉を開ける音と共に、聞き慣れた声が耳に入った。

「お久しぶりです、クレシアさん」
「リアネルちゃん・・・!クッキー焼いたから早く上がって」

 リアネルだ。彼女はバー『パルシェ』で働く二十代の女性。ごくたまにルノートの勉強も見てくれる頼りになる人物だ。

 派手な金髪に丸い眼鏡。赤い口紅とその上に塗ったグロスで艶めく唇、アイドルのような白い肌。手には黒の小さなバッグ。ウサギのキーホルダーがぶらぶらと揺れている。

 茶色のムートンコートに全身を包み、中には白のニット。右耳に付けた金色の宝石型のピアスが照明の光で輝いている。
 彼女は部屋に入るなり、真っ先にルノートとドミナへ目をやった。

「相変わらず仲が良いね、お二人さん」

 揶揄うように笑みを浮かべた彼女はコートを脱いで炬燵へと入る。彼女の言葉に、ドミナが顔を赤くする。

「べ、別にいいだろ」
「照れちゃってんじゃん。まったく、可愛いやつめ」
「あ、あんまり馬鹿にするなよ!」

 ドミナが大声を上げて立ち上がろうとしたが、ルノートがそれを制止。さらに顔を赤くしたドミナが無言のまま下を向く。

「ルノート君、勉強ははかどってる?」
「はい。一応小学生の範囲は片付けました。今度、中学生の内容に取り組もうと思ってます」
「おおっ、凄いね。良かったら今度お姉さんがテストしてあげる」
「ありがとうございます」

 二人がそんな会話をする様子を、ドミナは羨ましそうにじっと眺めていた。

 玄関でリアネルを迎えてから、クレシアはキッチンの方へと移動している。何か料理をしているのか、コンロの上に置いた鍋が目立つ。彼女の側に置かれた『シチュー』の箱が目に入ったルノートは、心なしかどこか胸が躍る気がした。

「後はルーズだけだね」

 リアネルが言いながらクッキーを一枚手に取る。彼女の爪のピンクのネイルが窺えた。
 ドミナはリアネルのネイルとピアスを交互に見つめる。彼女にとってリアネルのファッションはどこか憧れるものがあったのだ。凝視するドミナの視線を不思議に思い、リアネルもまた彼女を見つめ返す。

 するとリアネルの視線に気が付いたドミナがそそくさと目を逸らし、クッキーを食べることに集中した。

 突然、ルノートが立ち上がった。

「どうしたんだ?」

 ドミナが声をかける。

「クレシアさんの手伝いをしてくるよ」
「えっ、あ、そうか。頑張って」
「うん」

 ルノートは返事をしてからキッチンへ行った。その瞬間、突然炬燵の中でドミナの足が何かとぶつかった。それはリアネルの足だった。リアネルは悪戯な笑みを浮かべている。

「ドミナちゃん、一つ聞きたいんだけどさ」
「な、なんだ」

 ドミナは身構える。

「――ルノート君のこと、好きでしょ」

 途端にドミナの全身を熱気が襲った。ルノートの笑顔に見惚れてしまった時も同じような高熱が体を駆け巡った。ドミナはどきどきと暴れ始める心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりと口を開く。

「別に、そんなんじゃ・・・」
「嘘つけ。君はルノート君にだけ接し方が変わるじゃん」
「接し方・・・?そんなに変わってるのか?」
「いやもう本当に凄いよ。あれだけ堂々とくっついておいて、恋人じゃないならなんだよ」

 リアネルが次々と捲し立てる恋愛を連想させる言葉の数々に、ドミナは火照って仕方のない頬を隠すように下を向く。

「お姉さんも手伝うよ、ドミナの恋」

 リアネルが炬燵の上へ乗り出して、そう言った。

「な、なんだよそれ」

 ドミナはリアネルが苦手だ。大人の意地悪さがふんだんに詰め込まれた性格だからだ。だが、そんな彼女のファッションに憧れてもいる。

 ドミナは今になってようやくこの高熱の正体を理解した。
 間違いない。リアネルの言う通り、この感情は――。

「お願い・・・」

 ドミナは下を向いて顔を真っ赤にしたまま、そう答えた。
シェア
次の話13「感情の正体」
ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません