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6「ドミナの回想③」

 診察室へ行くことも、薬剤室へ行くことも――何もかも外に出ることは禁じられてしまった。薬は白衣の者が直接部屋へ渡しにやって来る。しかし、そんな彼らもドミナへ対する警戒からか厳重な装備と、無力化するための武器を携え、複数人でやって来た。食事を運んで来た時も同じような格好だった。

 ドミナは一人ベッドの上に寝転がった。最低限の設備以外、相変わらず窓も何もない部屋。以前と違いこの部屋に照明がなくなった。唯一白衣の者たちがやって来た時だけ光が見える。それ以外はずっと暗闇。

 ドミナはオルタのことをずっと考えていた。皮肉を込めてか、白衣の者たちから調教は延期になったと告げられたが、それでもドミナの心は落ち着かなかった。
 またすぐにオルタの調教が始まってもおかしくないのだ。

「オルタ・・・」

 それからまたさらに時間が経った。彼女の赤髪は長くぼさぼさに伸びきっている。暗闇の中、外部との接触も完全になくなってから、彼女は憔悴しょうすいしきっていた。オルタを助けに向かったあの日のような強い怒りなど消え去った。それどころか何の感情の波も、今の彼女の心には存在しなかった。

 ある日、ドミナが弱り切ったからか『優秀な者』へと立場を戻された。部屋はまた前と同じ、寝台だけの真っ白な部屋。しかし照明がある。

 ドミナは久しぶりに光に包まれ、どこか心の中が安堵した感覚を覚えた。外との接触もまた前と同じ通りに戻され、薬剤室へも連れて行かれるように。
 同じ『実験体』の者たちももうドミナのことなんか気に留めていなかった。最も『優秀な者』としての地位を降ろされたからだろう。

 ある日、オルタと再会した。普通であれば、友人との再会というものは喜ばしいことなのだろう。しかし、そんな喜びや嬉しさといった感情など、その再会には存在しなかった。
 オルタは変わり果ててしまった。体の隅々まで細かな傷、痣あざ。体中に血が滲にじんだ包帯を付けて、彼女は薬が届くのを待っていた。

 ドミナは絶句した。調教だ。あの白衣の者たちが「延期になった」と言っていた調教は、ドミナが閉じ込められている間に行われていたのだ。

「オルタ・・・」

 ドミナの目から涙が溢あふれてくる。
 ドミナは椅子に座ることもなく、彼女の目の前で崩れ落ちた。泣きたいのはオルタのはずだ、そう分かっていても、ドミナの涙は止まらなかった。

「ごめんなさい・・・わたしが、弱かったから・・・こんな目に・・・っ!!」

 ドミナはオルタを守れなかった。無様に敗北して、結局調教を免れることはできなかった。
 ドミナは自身の無能感、そしてオルタに対する罪悪感に苛められた。
 どうすれば良かったのだろう。

「ありがとう」

 ドミナは思わず耳を疑った。オルタは本当にそう言ったのだろうか。礼をされるようなことなど、何一つできていないというのに。

「貴方のおかげで私も覚悟できたの」

 ドミナは顔を上げる。彼女は微笑みを浮かべていた。どうしてだろうか、ドミナは彼女の笑みから目が離せなかった。その上、何も言葉を返すことができない。

 何も言えずただ涙を溢れさせているドミナの頭を、彼女はそっと優しく撫でた。

「だから泣かないで」

 今のドミナにはもう何もできる気力など残っていなかった。無力な赤子のように撫でられ続け、時間だけが過ぎていく。

 すると白衣の者が戻って来た。オルタの担当者の男は二人の異様な光景にぎょっと瞠目してみせたが、呆れたように舌打ちをして、オルタの番号を呼んだ。

「来週、貴方は私の言ったことがきっと分かるはずよ」

 そんな言葉を残して、オルタは薬剤室を立ち去った。

 その来週が訪れた。部屋を二回ノックする音が聞こえ、ドミナは目を覚ます。まさかとは思うが、再びオルタが調教される日がやって来たのだろうか。ドミナは慌てて体を起こし、調教部屋へ急ぎ向かう。
 あの日と同じように心臓の鼓動がうるさいくらい脳裏で鳴り響いている。

 調教部屋の前へ辿り着くと、あの日と同様、見物しに来た複数人の『優秀な者』の『実験体』、そして談笑している複数人の白衣を着た男女。

 ドミナは部屋の中へ目を向ける。するとそこには、椅子に縛り付けられた傷だらけのオルタがいた。彼女は包帯を外している。
 調教はまだ実行されていないようだ。
 ドミナは自身が何もできないことを悟り、その場に膝から崩れ落ちた。もう前のような、強い覚悟はなかった。

 ガラス張りの部屋の中、椅子に縛り付けられ、口まで塞がれ、体の自由を奪われたオルタ。彼女の目の前には一人の男。彼は道具を乗せた台を側に置き、にやにやと口角を吊り上げていた。
 その台には注射針、謎の薬液、メスなどの医療器具が。
 オルタはこれから彼に体を調教されるのだろう。

 前にこんな調教の話を聞いたことがある。微弱な毒を注射針で次々と体に打ち込んでいき、弱っていく様子を観察し、悦に浸る白衣の男の話だ。
 間違いなく、その話に登場する白衣の男とやらが彼に間違いない。

 ドミナの後ろで白衣の者たちの会話が聞こえてきた。どうやらあの部屋の中にいる男は同じ白衣の者たちの中でも問題児扱いされているようで、気味悪がられていた。

 調教を始めるためか、彼が注射針の中へ液体を注入し始めた。その時ドミナはオルタへ視線を送った。すると彼女もまた同じようにドミナのことを見ていた。

 ドミナの心に絶望という名の渦が生じる。何もできず、ただただ彼女が目の前で痛め付けられる様子を見ることしかできない。ドミナは自身の無力さ、そして愚かさ、そして軽薄さを呪った。呪って呪って、血が出るほど唇を噛んだ。

 男がオルタの元へ歩み寄っていく。彼は気味の悪い笑みを浮かべながら、注射針を片手にゆらゆらと覚束ない足取りで向かっていた。

 ドミナは目を瞑ることさえかなわなかった。脳内で警鐘が鳴っている。前と同じようにまたオルタを助けに行かなければ。しかし、それをすれば今度こそドミナは助からないだろう。
 覚悟を決めなければならない。ドミナは立ち上がる。

 その時、不意にドミナは彼女の発言を思い出した。

『来週、貴方は私の言ったことがきっと分かるはずよ』

 台詞の意味は一体何を示しているのか。それと、彼女が口にした『覚悟』というワード。ようやく、ドミナはオルタがやろうとしていることに気が付いた。
 間違いない。彼女は――。

 次の瞬間、後方で悲鳴が上がった。白衣の者たちから発せられたものだ。
 ドミナは慌てて目の前の光景を確認する。黒い触手が、男の胸部を貫いていた。

「なにあれ・・・」

『実験体』の誰かが呟く。

 その触手はオルタの背中から伸びていた。いつの間にか拘束を解き、口を塞いでいた機械を取り外し、オルタは触手を動かして男を投げ飛ばす。
 胸部を貫かれた男は即死だったようで、目を開けたまま床に血だまりを広げて動かなくなった。

 部屋の前にいた白衣の者たち、そして『実験体』たちは悲鳴を上げながら逃げ惑った。建物内に警告を示すサイレンが鳴り響き、辺りは大混乱に。一人だけ、唯一ドミナは部屋の前に残っていた。

 施錠されていたガラスの扉を叩き割って、オルタがこちらへやって来る。

「言ったでしょ、ドミナ。『貴方は私の言ったことがきっとわかるはず』って」
「オルタ・・・」

 オルタは出会ったばかりの時浮かべたような優しい微笑みを浮かべた。

 あの日ドミナを取り押さえた白衣の連中がこの場へ駆け付けた。彼らは慌てたように銃のような武器を使用する。電気を纏った棘がオルタ目がけて飛んでいくが、オルタには命中しなかった。
 黒い触手が棘を全て弾き返したのだ。触手は一つだけではなく、彼女の背中からは合計六つも飛び出している。

 触手は白衣の者たちをその鋭利な先端で突き刺していき、血祭を上げた。真っ白な床に彼らの大量の血が零こぼれ落ちる。ドミナはただじっとその様子を眺めていて、どこか心の奥底で爽快感のようなものを感じていた。

「わたしも戦う」

 ドミナはそう言い、彼女の隣へ立つ。オルタはちらりとドミナへ視線をやる。彼女の目には光が灯っていた。
 それからは想像の通り、逃げ惑う白衣の者たちを次々と二人が殺して回った。ドミナは心のどこかで発散されていく何かを感じていた。
 これが『解放』そして『救い』だったのだろう。ドミナは笑顔を浮かべる。
 殺して、殺して、殺しまくった。建物には『実験体』以外、誰もいなくなった。
 白衣の者たちは全員死んだ。残された『実験体』たちの部屋を開けてやる。部屋から出てきた彼らは、二人を見て称賛する声を上げた。彼らはやはり『解放』と『救い』を求めていたのだ。

 この日は皆で宴のようなものを開いた。食料庫にあった大量の食材とレシピを手に料理へ挑戦する者がいれば、薬剤室から薬のレシピを盗み取り、薬の調合に必要な材料を調べる者たち、そして外へ出る方法を探す者たちに分かれ、行動を開始した。

 それからは順調だった。薬を届けに建物へやって来た白衣の者たちを脅して、情報を盗んだ。
 この建物はとある研究所であり、地下に建設されているとのこと。外へ繋がる通路については口を閉ざしたままだったため殺した。
 まだまだ時間は残っている。薬剤室にある大量の薬と、先述した白衣の者たちが届けに来た薬を含めると途轍もない量になる。薬が尽きる心配はしなくていいだろう。食料も同じく、この広大な建物には大量に残っていた。
 殺害した白衣の者たちの死体は最下層へと捨てられた。最下層は元々彼らの武器庫として利用されていたが、武器は全て上階へと運び出した。空いたスペースに死体を投入。病気が蔓延まんえんするのを防ぐべく、最下層への通路は完全に封鎖された。

 自由を手にした『実験体』たちが外を目指して行動を続ける中、突然それは起こった。
 天上が爆破され、中へ武装した白衣の者たちが侵入してきたのだ。
『実験体』たちは回収した武器を使って彼らに応戦したが、武器の扱いは白衣の者たちの方が勝っていた。それもそのはず、今まで武器を扱ってこなかった『実験体』たちと扱い慣れた彼らとの差は歴然。

 前とは違い、彼らはより強力な武器を投入していた。爆弾だ。手榴弾が投じられ、多くの『実験体』が死んだ。
 ドミナとオルタは『実験体』たちを率いるリーダーとして活躍したが、彼らには敵わなかった。仲間が次々と死んでいき、残ったのは少数名の者だけ。
 だがついにはドミナとオルタの二人だけになった。今まで封鎖していた最下層の空き部屋へ隠れた二人は持てるだけの薬と、小さなパンを携帯していた。しかしパンなどでは大した腹の満たしにはならず――二人の体を飢えが襲った。

 ある時、オルタがドミナへこういった。
「貴方だけでも生きて逃げて」と。
 その言葉を聞いたドミナは強く反論した。それはできない。彼女がいたからこそドミナは今まで生きてこられたのだ。

 現実は残酷だった。彼らは地下を調べ上げにやって来た。すでにドミナへ猶予は残されていない。

「私が彼らを引き付けるから、爆破された天井から逃げて。絶対にあそこは外へ通じているのだから」

 ドミナはまたも反論しようと口を開く。

「早く行って」
「それはできない・・・!」
「私なら大丈夫だから」

 無理に作った笑みだった。オルタのその表情にドミナは何も言い返せず、ただ従うしかなかった。

 オルタが部屋を飛び出し、白衣の者たちを引き付ける。
 戦闘の音がする。爆発音、銃声、悲鳴、生々しい肉と血が飛び散る音。ドミナも同じく部屋を飛び出した。
 オルタは地下へやって来た者たちを次々と殺していく。しかし、彼女は血を流していた。腕、肩、腹から血が大量に流れている。
 やっと出てきたドミナを見たオルタが目配せを送る。「今の内だ」と言っているのだろう。

 この最下層には上の階へ通じる隠し通路がある。
 ここからさらに奥の部屋。封鎖されている通路だ。そこから上の階へと戻ることができる。

 すると再び戦闘の音が聞こえた。オルタはまだ戦っている。
 ドミナは急いで通路の方へと向かう。その時、不意にドミナは後ろを振り返った。

 ドミナはこの時初めて見た。
 オルタが涙を流していた姿を。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 天井まではマグマを固めて足場を作った。なんとか天井から外へ出れたはいいが、疲労と空腹のせいか意識が朦朧もうろうとしている。

 一人だけ逃げて、生き残ってしまった。オルタはどうなったのだろうか。

 次にドミナが目を覚めた時はそれから数日後だった。長い間眠っていたようで、頭がぼんやりと重い。
 視界には見知らぬ部屋の天井がある。

「ようやく目が覚めたかの」

 女の声がしてドミナは慌てて飛び起きた。するとドミナの側に見知らぬ女がいた。
 狐の尻尾と耳を持つ妖艶ようえんな女は、ドミナを見て微笑む。

「初めまして、妾わらわの名はヴェイラ」

 ドミナは状況を整理しようと思考を回転させる。

「ここは一体・・・オルタはどうなって・・・」

 ドミナの呟きに、ヴェイラが答えた。

「お主はあの地下研究所から逃げ出してきたようじゃな。言っておくが、あの施設の生存者は他に確認されておらん」

 その瞬間ドミナは目をかっと見開き、側にいたヴェイラの服の胸倉を掴んだ。

「本気で言っているのか・・・!!!」
「そうじゃ」
「嘘だ・・・そんな・・・」

 こうなることなど、本当は分かっていた。オルタはあの状況で助かるはずがない。
 ドミナはヴェイラの胸倉から手を離すと、絶望した。

「でも良かったのう、妾はお主の味方じゃ」
「味方・・・?」
「そうじゃ。妾はお主を迎えに来たのじゃ。お主が欲する『力』も与えてやれる」

 その瞬間、ドミナの心に強い感情が沸き立つ。力、それは弱い彼女が一番求めていたもの。誰かを守るために必要な力さえあれば、彼女はもう誰も喪うしなわずに済む。
 ドミナはヴェイラを見上げた。彼女は艶やかな笑みを浮かべている。

「お願いします・・・わたしに力をください」

 それが、ドミナと『アルペシア』との出会いだった。
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ritard.――リタルダンドーー作者:花厳 聖
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6「ドミナの回想③」

 診察室へ行くことも、薬剤室へ行くことも――何もかも外に出ることは禁じられてしまった。薬は白衣の者が直接部屋へ渡しにやって来る。しかし、そんな彼らもドミナへ対する警戒からか厳重な装備と、無力化するための武器を携え、複数人でやって来た。食事を運んで来た時も同じような格好だった。

 ドミナは一人ベッドの上に寝転がった。最低限の設備以外、相変わらず窓も何もない部屋。以前と違いこの部屋に照明がなくなった。唯一白衣の者たちがやって来た時だけ光が見える。それ以外はずっと暗闇。

 ドミナはオルタのことをずっと考えていた。皮肉を込めてか、白衣の者たちから調教は延期になったと告げられたが、それでもドミナの心は落ち着かなかった。
 またすぐにオルタの調教が始まってもおかしくないのだ。

「オルタ・・・」

 それからまたさらに時間が経った。彼女の赤髪は長くぼさぼさに伸びきっている。暗闇の中、外部との接触も完全になくなってから、彼女は憔悴しょうすいしきっていた。オルタを助けに向かったあの日のような強い怒りなど消え去った。それどころか何の感情の波も、今の彼女の心には存在しなかった。

 ある日、ドミナが弱り切ったからか『優秀な者』へと立場を戻された。部屋はまた前と同じ、寝台だけの真っ白な部屋。しかし照明がある。

 ドミナは久しぶりに光に包まれ、どこか心の中が安堵した感覚を覚えた。外との接触もまた前と同じ通りに戻され、薬剤室へも連れて行かれるように。
 同じ『実験体』の者たちももうドミナのことなんか気に留めていなかった。最も『優秀な者』としての地位を降ろされたからだろう。

 ある日、オルタと再会した。普通であれば、友人との再会というものは喜ばしいことなのだろう。しかし、そんな喜びや嬉しさといった感情など、その再会には存在しなかった。
 オルタは変わり果ててしまった。体の隅々まで細かな傷、痣あざ。体中に血が滲にじんだ包帯を付けて、彼女は薬が届くのを待っていた。

 ドミナは絶句した。調教だ。あの白衣の者たちが「延期になった」と言っていた調教は、ドミナが閉じ込められている間に行われていたのだ。

「オルタ・・・」

 ドミナの目から涙が溢あふれてくる。
 ドミナは椅子に座ることもなく、彼女の目の前で崩れ落ちた。泣きたいのはオルタのはずだ、そう分かっていても、ドミナの涙は止まらなかった。

「ごめんなさい・・・わたしが、弱かったから・・・こんな目に・・・っ!!」

 ドミナはオルタを守れなかった。無様に敗北して、結局調教を免れることはできなかった。
 ドミナは自身の無能感、そしてオルタに対する罪悪感に苛められた。
 どうすれば良かったのだろう。

「ありがとう」

 ドミナは思わず耳を疑った。オルタは本当にそう言ったのだろうか。礼をされるようなことなど、何一つできていないというのに。

「貴方のおかげで私も覚悟できたの」

 ドミナは顔を上げる。彼女は微笑みを浮かべていた。どうしてだろうか、ドミナは彼女の笑みから目が離せなかった。その上、何も言葉を返すことができない。

 何も言えずただ涙を溢れさせているドミナの頭を、彼女はそっと優しく撫でた。

「だから泣かないで」

 今のドミナにはもう何もできる気力など残っていなかった。無力な赤子のように撫でられ続け、時間だけが過ぎていく。

 すると白衣の者が戻って来た。オルタの担当者の男は二人の異様な光景にぎょっと瞠目してみせたが、呆れたように舌打ちをして、オルタの番号を呼んだ。

「来週、貴方は私の言ったことがきっと分かるはずよ」

 そんな言葉を残して、オルタは薬剤室を立ち去った。

 その来週が訪れた。部屋を二回ノックする音が聞こえ、ドミナは目を覚ます。まさかとは思うが、再びオルタが調教される日がやって来たのだろうか。ドミナは慌てて体を起こし、調教部屋へ急ぎ向かう。
 あの日と同じように心臓の鼓動がうるさいくらい脳裏で鳴り響いている。

 調教部屋の前へ辿り着くと、あの日と同様、見物しに来た複数人の『優秀な者』の『実験体』、そして談笑している複数人の白衣を着た男女。

 ドミナは部屋の中へ目を向ける。するとそこには、椅子に縛り付けられた傷だらけのオルタがいた。彼女は包帯を外している。
 調教はまだ実行されていないようだ。
 ドミナは自身が何もできないことを悟り、その場に膝から崩れ落ちた。もう前のような、強い覚悟はなかった。

 ガラス張りの部屋の中、椅子に縛り付けられ、口まで塞がれ、体の自由を奪われたオルタ。彼女の目の前には一人の男。彼は道具を乗せた台を側に置き、にやにやと口角を吊り上げていた。
 その台には注射針、謎の薬液、メスなどの医療器具が。
 オルタはこれから彼に体を調教されるのだろう。

 前にこんな調教の話を聞いたことがある。微弱な毒を注射針で次々と体に打ち込んでいき、弱っていく様子を観察し、悦に浸る白衣の男の話だ。
 間違いなく、その話に登場する白衣の男とやらが彼に間違いない。

 ドミナの後ろで白衣の者たちの会話が聞こえてきた。どうやらあの部屋の中にいる男は同じ白衣の者たちの中でも問題児扱いされているようで、気味悪がられていた。

 調教を始めるためか、彼が注射針の中へ液体を注入し始めた。その時ドミナはオルタへ視線を送った。すると彼女もまた同じようにドミナのことを見ていた。

 ドミナの心に絶望という名の渦が生じる。何もできず、ただただ彼女が目の前で痛め付けられる様子を見ることしかできない。ドミナは自身の無力さ、そして愚かさ、そして軽薄さを呪った。呪って呪って、血が出るほど唇を噛んだ。

 男がオルタの元へ歩み寄っていく。彼は気味の悪い笑みを浮かべながら、注射針を片手にゆらゆらと覚束ない足取りで向かっていた。

 ドミナは目を瞑ることさえかなわなかった。脳内で警鐘が鳴っている。前と同じようにまたオルタを助けに行かなければ。しかし、それをすれば今度こそドミナは助からないだろう。
 覚悟を決めなければならない。ドミナは立ち上がる。

 その時、不意にドミナは彼女の発言を思い出した。

『来週、貴方は私の言ったことがきっと分かるはずよ』

 台詞の意味は一体何を示しているのか。それと、彼女が口にした『覚悟』というワード。ようやく、ドミナはオルタがやろうとしていることに気が付いた。
 間違いない。彼女は――。

 次の瞬間、後方で悲鳴が上がった。白衣の者たちから発せられたものだ。
 ドミナは慌てて目の前の光景を確認する。黒い触手が、男の胸部を貫いていた。

「なにあれ・・・」

『実験体』の誰かが呟く。

 その触手はオルタの背中から伸びていた。いつの間にか拘束を解き、口を塞いでいた機械を取り外し、オルタは触手を動かして男を投げ飛ばす。
 胸部を貫かれた男は即死だったようで、目を開けたまま床に血だまりを広げて動かなくなった。

 部屋の前にいた白衣の者たち、そして『実験体』たちは悲鳴を上げながら逃げ惑った。建物内に警告を示すサイレンが鳴り響き、辺りは大混乱に。一人だけ、唯一ドミナは部屋の前に残っていた。

 施錠されていたガラスの扉を叩き割って、オルタがこちらへやって来る。

「言ったでしょ、ドミナ。『貴方は私の言ったことがきっとわかるはず』って」
「オルタ・・・」

 オルタは出会ったばかりの時浮かべたような優しい微笑みを浮かべた。

 あの日ドミナを取り押さえた白衣の連中がこの場へ駆け付けた。彼らは慌てたように銃のような武器を使用する。電気を纏った棘がオルタ目がけて飛んでいくが、オルタには命中しなかった。
 黒い触手が棘を全て弾き返したのだ。触手は一つだけではなく、彼女の背中からは合計六つも飛び出している。

 触手は白衣の者たちをその鋭利な先端で突き刺していき、血祭を上げた。真っ白な床に彼らの大量の血が零こぼれ落ちる。ドミナはただじっとその様子を眺めていて、どこか心の奥底で爽快感のようなものを感じていた。

「わたしも戦う」

 ドミナはそう言い、彼女の隣へ立つ。オルタはちらりとドミナへ視線をやる。彼女の目には光が灯っていた。
 それからは想像の通り、逃げ惑う白衣の者たちを次々と二人が殺して回った。ドミナは心のどこかで発散されていく何かを感じていた。
 これが『解放』そして『救い』だったのだろう。ドミナは笑顔を浮かべる。
 殺して、殺して、殺しまくった。建物には『実験体』以外、誰もいなくなった。
 白衣の者たちは全員死んだ。残された『実験体』たちの部屋を開けてやる。部屋から出てきた彼らは、二人を見て称賛する声を上げた。彼らはやはり『解放』と『救い』を求めていたのだ。

 この日は皆で宴のようなものを開いた。食料庫にあった大量の食材とレシピを手に料理へ挑戦する者がいれば、薬剤室から薬のレシピを盗み取り、薬の調合に必要な材料を調べる者たち、そして外へ出る方法を探す者たちに分かれ、行動を開始した。

 それからは順調だった。薬を届けに建物へやって来た白衣の者たちを脅して、情報を盗んだ。
 この建物はとある研究所であり、地下に建設されているとのこと。外へ繋がる通路については口を閉ざしたままだったため殺した。
 まだまだ時間は残っている。薬剤室にある大量の薬と、先述した白衣の者たちが届けに来た薬を含めると途轍もない量になる。薬が尽きる心配はしなくていいだろう。食料も同じく、この広大な建物には大量に残っていた。
 殺害した白衣の者たちの死体は最下層へと捨てられた。最下層は元々彼らの武器庫として利用されていたが、武器は全て上階へと運び出した。空いたスペースに死体を投入。病気が蔓延まんえんするのを防ぐべく、最下層への通路は完全に封鎖された。

 自由を手にした『実験体』たちが外を目指して行動を続ける中、突然それは起こった。
 天上が爆破され、中へ武装した白衣の者たちが侵入してきたのだ。
『実験体』たちは回収した武器を使って彼らに応戦したが、武器の扱いは白衣の者たちの方が勝っていた。それもそのはず、今まで武器を扱ってこなかった『実験体』たちと扱い慣れた彼らとの差は歴然。

 前とは違い、彼らはより強力な武器を投入していた。爆弾だ。手榴弾が投じられ、多くの『実験体』が死んだ。
 ドミナとオルタは『実験体』たちを率いるリーダーとして活躍したが、彼らには敵わなかった。仲間が次々と死んでいき、残ったのは少数名の者だけ。
 だがついにはドミナとオルタの二人だけになった。今まで封鎖していた最下層の空き部屋へ隠れた二人は持てるだけの薬と、小さなパンを携帯していた。しかしパンなどでは大した腹の満たしにはならず――二人の体を飢えが襲った。

 ある時、オルタがドミナへこういった。
「貴方だけでも生きて逃げて」と。
 その言葉を聞いたドミナは強く反論した。それはできない。彼女がいたからこそドミナは今まで生きてこられたのだ。

 現実は残酷だった。彼らは地下を調べ上げにやって来た。すでにドミナへ猶予は残されていない。

「私が彼らを引き付けるから、爆破された天井から逃げて。絶対にあそこは外へ通じているのだから」

 ドミナはまたも反論しようと口を開く。

「早く行って」
「それはできない・・・!」
「私なら大丈夫だから」

 無理に作った笑みだった。オルタのその表情にドミナは何も言い返せず、ただ従うしかなかった。

 オルタが部屋を飛び出し、白衣の者たちを引き付ける。
 戦闘の音がする。爆発音、銃声、悲鳴、生々しい肉と血が飛び散る音。ドミナも同じく部屋を飛び出した。
 オルタは地下へやって来た者たちを次々と殺していく。しかし、彼女は血を流していた。腕、肩、腹から血が大量に流れている。
 やっと出てきたドミナを見たオルタが目配せを送る。「今の内だ」と言っているのだろう。

 この最下層には上の階へ通じる隠し通路がある。
 ここからさらに奥の部屋。封鎖されている通路だ。そこから上の階へと戻ることができる。

 すると再び戦闘の音が聞こえた。オルタはまだ戦っている。
 ドミナは急いで通路の方へと向かう。その時、不意にドミナは後ろを振り返った。

 ドミナはこの時初めて見た。
 オルタが涙を流していた姿を。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 天井まではマグマを固めて足場を作った。なんとか天井から外へ出れたはいいが、疲労と空腹のせいか意識が朦朧もうろうとしている。

 一人だけ逃げて、生き残ってしまった。オルタはどうなったのだろうか。

 次にドミナが目を覚めた時はそれから数日後だった。長い間眠っていたようで、頭がぼんやりと重い。
 視界には見知らぬ部屋の天井がある。

「ようやく目が覚めたかの」

 女の声がしてドミナは慌てて飛び起きた。するとドミナの側に見知らぬ女がいた。
 狐の尻尾と耳を持つ妖艶ようえんな女は、ドミナを見て微笑む。

「初めまして、妾わらわの名はヴェイラ」

 ドミナは状況を整理しようと思考を回転させる。

「ここは一体・・・オルタはどうなって・・・」

 ドミナの呟きに、ヴェイラが答えた。

「お主はあの地下研究所から逃げ出してきたようじゃな。言っておくが、あの施設の生存者は他に確認されておらん」

 その瞬間ドミナは目をかっと見開き、側にいたヴェイラの服の胸倉を掴んだ。

「本気で言っているのか・・・!!!」
「そうじゃ」
「嘘だ・・・そんな・・・」

 こうなることなど、本当は分かっていた。オルタはあの状況で助かるはずがない。
 ドミナはヴェイラの胸倉から手を離すと、絶望した。

「でも良かったのう、妾はお主の味方じゃ」
「味方・・・?」
「そうじゃ。妾はお主を迎えに来たのじゃ。お主が欲する『力』も与えてやれる」

 その瞬間、ドミナの心に強い感情が沸き立つ。力、それは弱い彼女が一番求めていたもの。誰かを守るために必要な力さえあれば、彼女はもう誰も喪うしなわずに済む。
 ドミナはヴェイラを見上げた。彼女は艶やかな笑みを浮かべている。

「お願いします・・・わたしに力をください」

 それが、ドミナと『アルペシア』との出会いだった。
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