
大切なもの(五日目)
「......っ」 鏡越しに見る変異した自分の姿を前に、思わず言葉を詰まらせた私はそっと優しく右手を撫でた。 青白く不気味な鱗で覆われた皮膚は鋼のような固さで、以前までの自分の右手とは明らかに違う。父譲りだった温かみのある茶色い瞳も、今では見る影もなく赤く変色してしまっている。鏡越しに映った自分の瞳をそっと撫でると、あまりの悲しさから顔を歪める。
(これじゃまるで、悪魔かヴァンパイヤみたい......)
変わり果てた自分の姿にショックを受けながらも、先程職員が持ってきた遮光ゴーグルを頭から装着する。途端に先程まで感じていた眼孔の眩しさが消え、ズキズキと痛んでいた感覚も薄れてゆく。
「............」 私が意識を失ってから約一日。薬をもらってくると言って出て行ったきり、キンカとは顔を合わせていない。 きっと、今頃一人で不安な思いを抱えているはずだ。「キンカ......」 変わり果ててしまった今の私を見て、キンカは一体どんな反応を見せるだろうか......? そんなことを考えて一瞬眉間に皺を寄せるも、今考えるべきことはそんなことじゃない。 私は捲られていた袖を下ろして腕を覆うと、手袋を装着して後ろを振り返った。その先に見えたガラス越しの職員達は、そんな私を観察するかのような視線を向けてくる。 治療を目的として隔離されているこの部屋は、一面がガラス張りになっていてなんだか落ち着かない。まるで実験動物にでもなったかのような気分だ。とはいえ、空気感染すると言われたら隔離措置も黙って従うしかない。 ゆっくりとガラス扉へと近付くと、壁に取り付けられたマイクに向かって口を開く。「あの......キンカは今、どうしてますか?」 そんな私の声に反応した二十代らしき女性職員は、テーブルに置かれたマイクのスイッチを入れると口を開いた。《......あなたのお姉さんですか?》
「はい、双子の姉です。今どうしてるか知りませんか?」 隣にいる職員から何やら資料らしきものを受け取ったその人は、その紙に目を通すと再びマイクのスイッチを入れる。《あなたが目覚める数時間前に意識を失ったようで、現在別室で治療中です》
「──! 意識を失ったってどういうことですか!?」《あなたと同じく、お姉さんも空気感染したようです》
「......っ、そんな! キンカは......、キンカは大丈夫なんですか......!?」《全力を尽くしてますので》
「会わせてください! ......っ、今すぐキンカに会わせて!」 淡々と告げられる事実に動揺を隠せなかった私は、分厚いガラス扉を叩きながら懇願する。だけど、そんな私に返ってきたのはあまりに無情な言葉だった。《──それはできません》
「どうして......っ!」《空気感染するからです。他の人に被害が及ぶ可能性があります。あなたはその責任が取れますか?》
「っ、......」 もっともらしい正論を述べられるも、それで納得できるわけもなく、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながらその場で項垂れる。《今はご自身のことだけを考えて、治療に専念してください》
抑揚のない淡々とした職員の言葉は、そんな私の頭上からやけに冷たく降り注ぐ。そう宣言されてしまった以上、ここから出るのは不可能だろう。だとしたら、今は治療に専念すべきなのかもしれない。 キンカのことは心配だけど、私の治療が無事に終わればキンカとも再会できるはずだ。そう思った私は、顔を上げるとマイクのスイッチを押した。「......治療が終わればキンカと会えますか?」《──はい。治療が終われば問題ありません》
とはいえ、何をもって治療の終了と言えるのだろうか......? そんなことを考えながら、自分の右手にそっと左手を添える。「治療って、何ですか? この右手と目は......治るんですか?」《その腕と目は副作用なので治りません》
「っ......。じゃあ、今やってる治療はなんなんですか?」《空気感染の媒体となっているウイルスの除去です》
「じゃあ、そのウイルスがなくなれば治療は終わりですか? キンカにも会いに行けますか?」《──はい》
「......分かりました」
そう納得せざるを得なかった私は、マイクのスイッチから手を離すとトボトボと歩き始める。大して広くもない室内に置かれたベッドまでやって来ると、そのまま毛布を頭から被って横になる。(泣き顔なんて絶対に見せない......っ)
自分の置かれた状況を考えると、どうにもモルモットになった気分が拭えない。そんなことを思いながら、毛布に包まった私は小さく啜り泣いた。
◇
「──診察の時間です」 そう告げながら二人の職員を伴って入室してきた四十代らしき男性職員は、手慣れた様子でモニターや点滴などといった医療機器の指示を出す。そんな様子を眺めながらベッドから立ち上がった私は、おとなしく診察台へと移動する。「発熱や不調など、何か体調変化はありますか?」「......特にありません」 軽い問診を受けながらも、次々と身体に取り付けられてゆく脳波計や医療機器。「夕食を半分以上も残したそうですね。午後にも言いましたが、体力を維持するためにも残さず食べてください」「はい......、すいません」 そんな事務的な注意をされたって、食欲が湧かないんだからどうしようもない。 第一、目覚めてからまだ一日も経っていないというのに、この状況や身体の変化についていけるわけがない。そんな私の心情さえ、この人達は汲み取ってくれる気はないようだ。「............」 黙々と治療が続く中、頭に浮かぶのはキンカのことばかり。 容態はどれほど悪いのだろうか? キンカも私と同じような状況なんだろうか? そんな不安が次々と脳内を駆け巡る。「あの......キンカはまだ目覚めてないんですか?」 四十代らしき男性職員にチラリと視線を向けると、私の左腕に点滴の針を刺しながら口を開いた男性。「まだ昏睡状態ですが、容態は安定しています」「そうですか......」 無機質な返答ながらも、安定していると聞けてホッと胸を撫で下ろす。「............。あの、もしかして......キンカにも何か副作用が......?」 その言葉に一瞬チラリとこちらに視線を向けた職員は、すぐにその視線を戻すと淡々と作業を続ける。「──はい。副作用の兆候が見られます」「っ、......それって、私の右腕みたいな......?」「まだなんとも言えませんが、おそらくは同じ種類のものです」「そんな......っ」 副作用の症状があると聞いて、途端にキンカに会いたい気持ちが増してゆく。
「ほんの一瞬でもいいので、キンカに会えませんか?」「それはできないと言ったはずです」「でも......っ!」「空気感染を広めるつもりですか?」「............」 よくよく考えてみれば、この人達の言っていることは矛盾している。「じゃあ、なんであなた達はマスクしかしてないんですか?」 そんなもので空気感染が防げるとは到底思えない。「............。私達には免疫があります」「............」 数日前に空気汚染が蔓延したばかりなのに、そんなに早く免疫がつくものなんだろうか?「だったら、私がキンカに会いに行っても問題ないですよね?」「この施設には他にも保護されている人達がいます。その人達は感染しても構わないということですか?」「そんなつもりじゃ......」 だけど、この施設に保護されてからの五日間、私は一度も他の民間人の姿を見ていない。それも当然だ。緊急時以外、与えられた部屋からは出ないようにと言われていたから。 当初は何の疑いもなく飲み込んでいたその言葉も、今考えてみたらおかしな話だ。保護してもらった手前、なんの不満も抱くことはなかったけど......。今思うと、私達は最初から軟禁状態だった。「......そんな人、本当にいるんですか?」「私達が嘘をついているとでも?」 その言葉とともに向けられた視線がやけに冷たくて、思わず萎縮した私は声を震わせた。「......っ、リンドウさんと話をさせてください」「今は別の施設にいます。先程から何かお疑いのようですが、私達は善意で民間人を保護し、こうして治療までしているんです」 取り付く島もなくそう宣言され、不信感ばかりが募ってゆく。「......っ、......」 どうしたものかと思案していると、ちょうどその時、慌てた様子で室内へと入ってきた若い男性職員。そのまま四十代らしき男性職員に近付くと、少し焦ったように口を開く。「七番が意識を回復しそうです。おそらく不適合かと思われますが、確認をお願いします」「分かった。......後は手順通りに」 一瞬私に目を向けた四十代らしき男性職員は、手短かにそう指示を告げるとクルリと背を向ける。(七番......?)
まるで何かの暗号かのようなその数字。意識は朦朧としていたけど、私が目覚めた時には確か八番と言っていた気がする。そんなおぼろげな記憶が蘇ってくる。 だとしたら、連番の七番は──。(もしかして......っ、キンカのこと......?)
嫌な予感に一気に粟立つ身体。 先程入室してきた若い男性を伴って、扉に向かって歩き始める四十代らしき男性職員。その背中を見つめながらドクドクと早鐘を打ち始める心音。扉が開いた──次の瞬間。診察台から勢いよく飛び降りた私は、その扉に向けて一目散に走り出す。そのまま目の前にいる職員を突き飛ばして部屋から脱出すると、ガラスを隔てた外側にいた職員達の合間をぬって走り抜ける。「っ......、八番を捕まえろ!」 そんな怒号が響く中、女性職員の胸元から認識カードを剥ぎ取った私は、そのカードを使って入り口の扉を開く。そのまま勢いよく廊下に飛び出ると、ただ真っ白い廊下をひたすらに走って行く。(キンカ......っ、キンカ......!)
先程、職員は逃げ出した私のことを八番と言っていた。その事実に、嫌な予感が確信へと変わってゆく。 この施設は、私のことを保護すべき対象として扱っていない。いくらこんな見た目になってしまったからといって、そんなのあんまりだ。おそらく、昏睡中のキンカも同じ目に遭っているはず。(こんなとこ、今すぐ出て行かなきゃ......っ)
そんな思いを胸にひた走り続けながら、追手から逃れるために右へ左へと曲がって行く。だけど、どこへ行っても同じような白い廊下があるだけで、一体どこへ向かえばいいのかも分からない。 職員達の焦ったような声が響く中、適当な部屋の扉を開いて中に入った私は、ざっと室内を見渡すと物陰に身を隠す。どうやらゴミ捨て場らしきこの部屋は、衣類が詰まった袋や細々とした廃品などで溢れている。『どっちへ行った!?』『......あっちじゃないか!?』 そんな声とともに走り去ってゆく足音を聞きながら、息を潜めていた私は安堵の息を漏らす。とはいえ、ここからどう行動すべきだろうか? キンカが隔離されている場所さえ見当がつかない。 そんなことを考えていた──その時。ガチャリと開かれた扉にビクリと身体を硬直させると、ドクドクと高鳴る胸元を押さえて冷や汗を垂らす。(どうしよう......っ、どうしよう......!)
思わず後ずさった先で手に触れた“何か”に目を向けると、使い古されたサバイバルナイフが転がっている。咄嗟にそれを手に取った私は、カタカタと小さく震えながら身構える。 ──と、その時。再びガチャリと開かれた扉。「お疲れ様」「ああ、お疲れ。......それは五番のか?」「ああ。また不適合だったよ」 そう告げながら衣類の詰まった袋を床に置く男性職員。「......らしいな。今のところ適合したのは八番だけだな」「七番は?」「“アレ”もダメだろうな。もうすぐ目覚めそうなんだが、きっと処分だ」「そうか......双子でも結果は違うもんなんだな。残念だったな」「まあ、仕方ないさ。そうそう上手くいく実験じゃないからな」 そんな職員達のやり取りが続く中、私の心拍数はどんどん跳ね上がってゆく。(......っ、実験......? 処分......?)
初日に打たれた注射の記憶が蘇ってくる。(あれは......、予防接種じゃなかったの......?)
「そういえば、八番が逃げ出したらしいぞ」「だからこんなに騒がしいのか......」「お前はこんなとこで何してるんだ? もうすぐ七番が目覚めるんだろ?」「これを捨てに来ただけだ。すぐに戻るよ」 そう言って小さな紙袋をゴミ箱に投げ捨てた職員は、後からやって来た職員とともにこの部屋を出て行こうとする。「じゃ、またな」「ああ、また後で」 そんな言葉を残してパタリと閉じられた扉。その一部始終を静かに見送った私は、ふらりと立ち上がるとサバイバルナイフ片手に歩き出す。 無理矢理引きちぎった点滴のせいで左腕からは少量の血が流れ出ているものの、そんなこと気にせずに両腕の袖を下ろすと、ポケットから取り出した手袋とゴーグルを装着する。「キンカ......っ」 裏切られた悲しみと憎悪の感情を抱きながら、目の前の扉を開くと左右を確認する。「............」 先程話していた職員の後ろ姿を見つけると、気付かれないように注意しながら後を追う。この職員は確かに七番の元へ戻ると言っていた。つまり、この先には必ずキンカがいるはずだ。 どこも似たような廊下を右へ左へと数百メートル進むと、ある一室の扉の前で足を止めた男性職員。胸元の認識カードをかざして扉を開いた──その時。男性職員を押し退けるようにして室内へと入った私は、その先に見えたガラス張りの室内へと目を向けた。「──!」 診察台に拘束されるようにして横たわっているのは、全身が青白い鱗で覆われたキンカらしき人。一目見ただけでは誰だか判別ができないほどに変わり果ててしまったその姿は、今やその体型と髪型くらいしか面影がない。「っ......キン......、カ......?」 私にとって、魂の片割れ的存在の愛すべきキンカ。なんの同意もなく行われた実験で、こんな姿に変えられてしまった事実に涙する。「キンカ......っ! キンカ!!」 泣き叫ぶ私を取り押さえた職員達は、そのまま私を引きずるようにして部屋から退出させようとする。そんな職員達に必死に抵抗しながらも、分厚いガラスの先にいるキンカに向かって呼びかける。 そんな私の声に反応するかのようにして、青白い鱗に覆われた瞼をゆっくりと開いてゆくキンカ。「キンカ......っ!!」 ガタガタと拘束具を揺らしながらもがき始めたキンカは、その口を大きく開きながら暴れ始める。分厚いガラスで隔たれているせいか、何を言っているのかまでは分からない。だけど、それが言葉ではないことだけは見て分かった。 大きく避け広がった口元は、まるで地上で見たあのバケモノそのものだ。どうしてこんなことになってしまったのかと、深い悲しみが一気に押し寄せる。 ただ泣き叫びながら職員達に抗い続ける私は、ガラスの先に見える変わり果てたキンカに向けて手を伸ばす。そんな私の存在などまるで意に介さないかのように、キンカにゆっくりと近付いてゆく男性職員。その手に持った銃のようなものをこめかみに当てると、途端にピクリとも動かなくなったキンカ。
「......っ、ぁ゛あ゛あ゛ああああーー!!!」 自分の喉から出ているとは思えないほどの大絶叫を上げた私は、その場にいた職員達を投げ飛ばすとサバイバルナイフで切り刻んでゆく。(どうして......っ、......どうして......!!)
強い怒りと深い悲しみを胸に、自分でも何がなんだか分からない内に職員達を一掃してゆく。血飛沫とともにあっという間に血の海となった室内で、たった一人きりになった私はゆっくりと診察台へと近付いた。 まるで眠っているかのように静かに横たわっているキンカ。そんなキンカの頬をそっと優しく撫でると、すっかりと変わり果ててしまった感触に涙する。「キンカ......っ、ずっと一緒だって約束したじゃん......っ」 血と涙に濡れた頬を拭いながら拘束具を外すと、自由になったキンカの亡骸を抱きしめる。この施設の無情な仕打ちを心底恨みながら、私は一人、誰もいなくなった室内で咽び泣いた。

大切なもの(五日目)
「......っ」 鏡越しに見る変異した自分の姿を前に、思わず言葉を詰まらせた私はそっと優しく右手を撫でた。 青白く不気味な鱗で覆われた皮膚は鋼のような固さで、以前までの自分の右手とは明らかに違う。父譲りだった温かみのある茶色い瞳も、今では見る影もなく赤く変色してしまっている。鏡越しに映った自分の瞳をそっと撫でると、あまりの悲しさから顔を歪める。
(これじゃまるで、悪魔かヴァンパイヤみたい......)
変わり果てた自分の姿にショックを受けながらも、先程職員が持ってきた遮光ゴーグルを頭から装着する。途端に先程まで感じていた眼孔の眩しさが消え、ズキズキと痛んでいた感覚も薄れてゆく。
「............」 私が意識を失ってから約一日。薬をもらってくると言って出て行ったきり、キンカとは顔を合わせていない。 きっと、今頃一人で不安な思いを抱えているはずだ。「キンカ......」 変わり果ててしまった今の私を見て、キンカは一体どんな反応を見せるだろうか......? そんなことを考えて一瞬眉間に皺を寄せるも、今考えるべきことはそんなことじゃない。 私は捲られていた袖を下ろして腕を覆うと、手袋を装着して後ろを振り返った。その先に見えたガラス越しの職員達は、そんな私を観察するかのような視線を向けてくる。 治療を目的として隔離されているこの部屋は、一面がガラス張りになっていてなんだか落ち着かない。まるで実験動物にでもなったかのような気分だ。とはいえ、空気感染すると言われたら隔離措置も黙って従うしかない。 ゆっくりとガラス扉へと近付くと、壁に取り付けられたマイクに向かって口を開く。「あの......キンカは今、どうしてますか?」 そんな私の声に反応した二十代らしき女性職員は、テーブルに置かれたマイクのスイッチを入れると口を開いた。《......あなたのお姉さんですか?》
「はい、双子の姉です。今どうしてるか知りませんか?」 隣にいる職員から何やら資料らしきものを受け取ったその人は、その紙に目を通すと再びマイクのスイッチを入れる。《あなたが目覚める数時間前に意識を失ったようで、現在別室で治療中です》
「──! 意識を失ったってどういうことですか!?」《あなたと同じく、お姉さんも空気感染したようです》
「......っ、そんな! キンカは......、キンカは大丈夫なんですか......!?」《全力を尽くしてますので》
「会わせてください! ......っ、今すぐキンカに会わせて!」 淡々と告げられる事実に動揺を隠せなかった私は、分厚いガラス扉を叩きながら懇願する。だけど、そんな私に返ってきたのはあまりに無情な言葉だった。《──それはできません》
「どうして......っ!」《空気感染するからです。他の人に被害が及ぶ可能性があります。あなたはその責任が取れますか?》
「っ、......」 もっともらしい正論を述べられるも、それで納得できるわけもなく、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながらその場で項垂れる。《今はご自身のことだけを考えて、治療に専念してください》
抑揚のない淡々とした職員の言葉は、そんな私の頭上からやけに冷たく降り注ぐ。そう宣言されてしまった以上、ここから出るのは不可能だろう。だとしたら、今は治療に専念すべきなのかもしれない。 キンカのことは心配だけど、私の治療が無事に終わればキンカとも再会できるはずだ。そう思った私は、顔を上げるとマイクのスイッチを押した。「......治療が終わればキンカと会えますか?」《──はい。治療が終われば問題ありません》
とはいえ、何をもって治療の終了と言えるのだろうか......? そんなことを考えながら、自分の右手にそっと左手を添える。「治療って、何ですか? この右手と目は......治るんですか?」《その腕と目は副作用なので治りません》
「っ......。じゃあ、今やってる治療はなんなんですか?」《空気感染の媒体となっているウイルスの除去です》
「じゃあ、そのウイルスがなくなれば治療は終わりですか? キンカにも会いに行けますか?」《──はい》
「......分かりました」
そう納得せざるを得なかった私は、マイクのスイッチから手を離すとトボトボと歩き始める。大して広くもない室内に置かれたベッドまでやって来ると、そのまま毛布を頭から被って横になる。(泣き顔なんて絶対に見せない......っ)
自分の置かれた状況を考えると、どうにもモルモットになった気分が拭えない。そんなことを思いながら、毛布に包まった私は小さく啜り泣いた。
◇
「──診察の時間です」 そう告げながら二人の職員を伴って入室してきた四十代らしき男性職員は、手慣れた様子でモニターや点滴などといった医療機器の指示を出す。そんな様子を眺めながらベッドから立ち上がった私は、おとなしく診察台へと移動する。「発熱や不調など、何か体調変化はありますか?」「......特にありません」 軽い問診を受けながらも、次々と身体に取り付けられてゆく脳波計や医療機器。「夕食を半分以上も残したそうですね。午後にも言いましたが、体力を維持するためにも残さず食べてください」「はい......、すいません」 そんな事務的な注意をされたって、食欲が湧かないんだからどうしようもない。 第一、目覚めてからまだ一日も経っていないというのに、この状況や身体の変化についていけるわけがない。そんな私の心情さえ、この人達は汲み取ってくれる気はないようだ。「............」 黙々と治療が続く中、頭に浮かぶのはキンカのことばかり。 容態はどれほど悪いのだろうか? キンカも私と同じような状況なんだろうか? そんな不安が次々と脳内を駆け巡る。「あの......キンカはまだ目覚めてないんですか?」 四十代らしき男性職員にチラリと視線を向けると、私の左腕に点滴の針を刺しながら口を開いた男性。「まだ昏睡状態ですが、容態は安定しています」「そうですか......」 無機質な返答ながらも、安定していると聞けてホッと胸を撫で下ろす。「............。あの、もしかして......キンカにも何か副作用が......?」 その言葉に一瞬チラリとこちらに視線を向けた職員は、すぐにその視線を戻すと淡々と作業を続ける。「──はい。副作用の兆候が見られます」「っ、......それって、私の右腕みたいな......?」「まだなんとも言えませんが、おそらくは同じ種類のものです」「そんな......っ」 副作用の症状があると聞いて、途端にキンカに会いたい気持ちが増してゆく。
「ほんの一瞬でもいいので、キンカに会えませんか?」「それはできないと言ったはずです」「でも......っ!」「空気感染を広めるつもりですか?」「............」 よくよく考えてみれば、この人達の言っていることは矛盾している。「じゃあ、なんであなた達はマスクしかしてないんですか?」 そんなもので空気感染が防げるとは到底思えない。「............。私達には免疫があります」「............」 数日前に空気汚染が蔓延したばかりなのに、そんなに早く免疫がつくものなんだろうか?「だったら、私がキンカに会いに行っても問題ないですよね?」「この施設には他にも保護されている人達がいます。その人達は感染しても構わないということですか?」「そんなつもりじゃ......」 だけど、この施設に保護されてからの五日間、私は一度も他の民間人の姿を見ていない。それも当然だ。緊急時以外、与えられた部屋からは出ないようにと言われていたから。 当初は何の疑いもなく飲み込んでいたその言葉も、今考えてみたらおかしな話だ。保護してもらった手前、なんの不満も抱くことはなかったけど......。今思うと、私達は最初から軟禁状態だった。「......そんな人、本当にいるんですか?」「私達が嘘をついているとでも?」 その言葉とともに向けられた視線がやけに冷たくて、思わず萎縮した私は声を震わせた。「......っ、リンドウさんと話をさせてください」「今は別の施設にいます。先程から何かお疑いのようですが、私達は善意で民間人を保護し、こうして治療までしているんです」 取り付く島もなくそう宣言され、不信感ばかりが募ってゆく。「......っ、......」 どうしたものかと思案していると、ちょうどその時、慌てた様子で室内へと入ってきた若い男性職員。そのまま四十代らしき男性職員に近付くと、少し焦ったように口を開く。「七番が意識を回復しそうです。おそらく不適合かと思われますが、確認をお願いします」「分かった。......後は手順通りに」 一瞬私に目を向けた四十代らしき男性職員は、手短かにそう指示を告げるとクルリと背を向ける。(七番......?)
まるで何かの暗号かのようなその数字。意識は朦朧としていたけど、私が目覚めた時には確か八番と言っていた気がする。そんなおぼろげな記憶が蘇ってくる。 だとしたら、連番の七番は──。(もしかして......っ、キンカのこと......?)
嫌な予感に一気に粟立つ身体。 先程入室してきた若い男性を伴って、扉に向かって歩き始める四十代らしき男性職員。その背中を見つめながらドクドクと早鐘を打ち始める心音。扉が開いた──次の瞬間。診察台から勢いよく飛び降りた私は、その扉に向けて一目散に走り出す。そのまま目の前にいる職員を突き飛ばして部屋から脱出すると、ガラスを隔てた外側にいた職員達の合間をぬって走り抜ける。「っ......、八番を捕まえろ!」 そんな怒号が響く中、女性職員の胸元から認識カードを剥ぎ取った私は、そのカードを使って入り口の扉を開く。そのまま勢いよく廊下に飛び出ると、ただ真っ白い廊下をひたすらに走って行く。(キンカ......っ、キンカ......!)
先程、職員は逃げ出した私のことを八番と言っていた。その事実に、嫌な予感が確信へと変わってゆく。 この施設は、私のことを保護すべき対象として扱っていない。いくらこんな見た目になってしまったからといって、そんなのあんまりだ。おそらく、昏睡中のキンカも同じ目に遭っているはず。(こんなとこ、今すぐ出て行かなきゃ......っ)
そんな思いを胸にひた走り続けながら、追手から逃れるために右へ左へと曲がって行く。だけど、どこへ行っても同じような白い廊下があるだけで、一体どこへ向かえばいいのかも分からない。 職員達の焦ったような声が響く中、適当な部屋の扉を開いて中に入った私は、ざっと室内を見渡すと物陰に身を隠す。どうやらゴミ捨て場らしきこの部屋は、衣類が詰まった袋や細々とした廃品などで溢れている。『どっちへ行った!?』『......あっちじゃないか!?』 そんな声とともに走り去ってゆく足音を聞きながら、息を潜めていた私は安堵の息を漏らす。とはいえ、ここからどう行動すべきだろうか? キンカが隔離されている場所さえ見当がつかない。 そんなことを考えていた──その時。ガチャリと開かれた扉にビクリと身体を硬直させると、ドクドクと高鳴る胸元を押さえて冷や汗を垂らす。(どうしよう......っ、どうしよう......!)
思わず後ずさった先で手に触れた“何か”に目を向けると、使い古されたサバイバルナイフが転がっている。咄嗟にそれを手に取った私は、カタカタと小さく震えながら身構える。 ──と、その時。再びガチャリと開かれた扉。「お疲れ様」「ああ、お疲れ。......それは五番のか?」「ああ。また不適合だったよ」 そう告げながら衣類の詰まった袋を床に置く男性職員。「......らしいな。今のところ適合したのは八番だけだな」「七番は?」「“アレ”もダメだろうな。もうすぐ目覚めそうなんだが、きっと処分だ」「そうか......双子でも結果は違うもんなんだな。残念だったな」「まあ、仕方ないさ。そうそう上手くいく実験じゃないからな」 そんな職員達のやり取りが続く中、私の心拍数はどんどん跳ね上がってゆく。(......っ、実験......? 処分......?)
初日に打たれた注射の記憶が蘇ってくる。(あれは......、予防接種じゃなかったの......?)
「そういえば、八番が逃げ出したらしいぞ」「だからこんなに騒がしいのか......」「お前はこんなとこで何してるんだ? もうすぐ七番が目覚めるんだろ?」「これを捨てに来ただけだ。すぐに戻るよ」 そう言って小さな紙袋をゴミ箱に投げ捨てた職員は、後からやって来た職員とともにこの部屋を出て行こうとする。「じゃ、またな」「ああ、また後で」 そんな言葉を残してパタリと閉じられた扉。その一部始終を静かに見送った私は、ふらりと立ち上がるとサバイバルナイフ片手に歩き出す。 無理矢理引きちぎった点滴のせいで左腕からは少量の血が流れ出ているものの、そんなこと気にせずに両腕の袖を下ろすと、ポケットから取り出した手袋とゴーグルを装着する。「キンカ......っ」 裏切られた悲しみと憎悪の感情を抱きながら、目の前の扉を開くと左右を確認する。「............」 先程話していた職員の後ろ姿を見つけると、気付かれないように注意しながら後を追う。この職員は確かに七番の元へ戻ると言っていた。つまり、この先には必ずキンカがいるはずだ。 どこも似たような廊下を右へ左へと数百メートル進むと、ある一室の扉の前で足を止めた男性職員。胸元の認識カードをかざして扉を開いた──その時。男性職員を押し退けるようにして室内へと入った私は、その先に見えたガラス張りの室内へと目を向けた。「──!」 診察台に拘束されるようにして横たわっているのは、全身が青白い鱗で覆われたキンカらしき人。一目見ただけでは誰だか判別ができないほどに変わり果ててしまったその姿は、今やその体型と髪型くらいしか面影がない。「っ......キン......、カ......?」 私にとって、魂の片割れ的存在の愛すべきキンカ。なんの同意もなく行われた実験で、こんな姿に変えられてしまった事実に涙する。「キンカ......っ! キンカ!!」 泣き叫ぶ私を取り押さえた職員達は、そのまま私を引きずるようにして部屋から退出させようとする。そんな職員達に必死に抵抗しながらも、分厚いガラスの先にいるキンカに向かって呼びかける。 そんな私の声に反応するかのようにして、青白い鱗に覆われた瞼をゆっくりと開いてゆくキンカ。「キンカ......っ!!」 ガタガタと拘束具を揺らしながらもがき始めたキンカは、その口を大きく開きながら暴れ始める。分厚いガラスで隔たれているせいか、何を言っているのかまでは分からない。だけど、それが言葉ではないことだけは見て分かった。 大きく避け広がった口元は、まるで地上で見たあのバケモノそのものだ。どうしてこんなことになってしまったのかと、深い悲しみが一気に押し寄せる。 ただ泣き叫びながら職員達に抗い続ける私は、ガラスの先に見える変わり果てたキンカに向けて手を伸ばす。そんな私の存在などまるで意に介さないかのように、キンカにゆっくりと近付いてゆく男性職員。その手に持った銃のようなものをこめかみに当てると、途端にピクリとも動かなくなったキンカ。
「......っ、ぁ゛あ゛あ゛ああああーー!!!」 自分の喉から出ているとは思えないほどの大絶叫を上げた私は、その場にいた職員達を投げ飛ばすとサバイバルナイフで切り刻んでゆく。(どうして......っ、......どうして......!!)
強い怒りと深い悲しみを胸に、自分でも何がなんだか分からない内に職員達を一掃してゆく。血飛沫とともにあっという間に血の海となった室内で、たった一人きりになった私はゆっくりと診察台へと近付いた。 まるで眠っているかのように静かに横たわっているキンカ。そんなキンカの頬をそっと優しく撫でると、すっかりと変わり果ててしまった感触に涙する。「キンカ......っ、ずっと一緒だって約束したじゃん......っ」 血と涙に濡れた頬を拭いながら拘束具を外すと、自由になったキンカの亡骸を抱きしめる。この施設の無情な仕打ちを心底恨みながら、私は一人、誰もいなくなった室内で咽び泣いた。
