
なんの価値もないのに
検査室を出た先の状況は予想した通りで、そこかしこに職員達の息絶えた身体が転がっていた。廊下は勿論のこと、時折見かける開け放たれたままの室内でさえも、見た限りでは生存者はいないようだった。 一体何が目的で襲撃したのかは不明だけれど、この惨状をこの男が一人でしでかしたのかと思うと、その凄まじさに思わず息を呑む。前方を歩く男をチラリと盗み見ると、一糸乱れぬ様子で返り血さえ浴びていない。(一体、何者なんだろう......)
「あの......、どこに向かってるの?」「............」「............」
勇気を振り絞って聞いた私の質問には、どうやら答える気はないらしい。そう思って男から視線を外すと、足元を見つめながら静かに歩みを進める。「............。この施設で銀髪の男の子を見たか? 歳は十三だ」「......え?」 突然の質問に俯いていた顔を上げると、歩きながらもこちらに目線を流している男と視線がぶつかる。
「あ、えっと......見てない」「......そうか」 それだけ答えると、再び前を向いて無言で歩き続ける男。どうやら人を探しているらしい。それだけは分かった。とはいえ、相変わらず謎だらけなことに変わりはない。 けれど、素性など知ったところで何になるわけでもない。ほんの少しこの男の素性に興味が沸いたのも、きっと熱っぽさが原因だ。 私はどうせ、この男に殺されるのだから──。 そのまま男の背中を追いかけるようにして歩いていると、突然エレベーター前で足を止めた男。 このエレベーターには見覚えがある。政府の人に保護された当初、私はこのエレベーターに乗って地下にある施設へとやって来た。どうやら、この男はこのまま地上へ出る気らしい。外で見たバケモノの姿を思い浮かべると、ゴクリと小さく唾を呑み込む。「怖いか?」 そんな私の様子に気付いたのか、男はチラリと横目に私を確認する。「......ううん。でも、外は空気汚染されてるって聞いたから」「............。大丈夫だ」 それだけ答えると、さっさとエレベーターに乗り込んでしまった男。こうなってしまうと、私も黙って後を追うしかない。考えてみれば、この男は外からやって来たのだ。その本人が大丈夫だと言うのだから、空気汚染の心配はないのだろう。例え汚染されていようと、私にとってはどうでもいいことだ。 沈黙が流れるエレベーターの中、カタカタと震え始めた両手をギュッと握りしめる。確かに死にたいと願っているはずなのに、地上へ出るのが怖いだなんて、矛盾した感情には自分自身でも呆れる。 一階に到着したエレベーターから降りると、男の背中を追いかけるようにしてその先にある扉へと向かう。
「離れるなよ」 外へと続く重厚な扉の前で足を止めると、私を見てそう告げた男。それに応えるようにしてコクリと頷くと、緊張から首元に流れ出た汗をそっと拭う。そんな私の緊張など知りようもない男は、何の迷いもなく扉の開閉ボタンを押した。 ゴゴゴと低い音を響かせながら開いた扉は、生温い空気を乗せて外界との境界線を溶かしてゆく。いよいよ引き返せない状況に、思わず足がすくんでしまう。 久しぶりに見た外の世界は、最後に見た時と何も変わってはいなかった。 煌びやかだった色とりどりの建物はそのほとんどが崩れ落ち、原型を留めている建物でさえも焼け焦げて黒くなっている。未だに何が起きたのかはよく分からないけれど、きっとあのバケモノが何か関係しているのだろう。 目の前の光景を見ると、ここが一・二を争うほどに栄えていた都市ニゲラだとは到底思えない。「こっちだ」 男に促されるようにして外へ出ると、ドクドクと煩い鼓動に気付かないふりをする。どうやら、ざっと見渡した限りあのバケモノはこの近くにはいないようだ。 とはいえ、恐怖心と緊張から私の身体は強張っていた。「──あっ、」 瓦礫に躓いてよろけると、私の腕を掴んだ男が身体を引き上げる。「......ごめんなさい」
そう謝罪をするも、男は何事もなかったかのように無言で歩き始める。それを追いかけるようにして、ただひたすらに黙々と足を進める。 一体どこへ向かっているのか、それさえ分からない。おそらく、質問したところでその答えは返ってこないだろう。そもそも目的地があるのかすら不明だ。なにせ、見渡す限り瓦礫の山ばかりなのだから。 そんなことを思いながら瓦礫の角を曲がると、突然現れたバケモノの姿に恐れ慄く。僅か一メートル程の距離の、目と鼻の先にいる三メートル級のバケモノ──。こんなに間近で目にするのは初めてだった。 あまりの恐ろしさに、喉の奥から悲鳴が込み上げてくる。「──静かにしろ」 寸でのところで背後から男に口を塞がれ、耳元で静かにそう囁かれる。そうは言われても、恐ろしさからガタガタと震える身体。いくら死にたいと思ってはいても、こんなバケモノに喰われて死ぬなんてあんまりだ。 ギュッと固く瞼を閉じると、溢れ出た涙が頬を伝う。「このまま静かに後ろに下がるぞ」「......っ、」 頭では分かっているのに、思うように身体が動かない。カタカタと震える足元は今にも崩れ落ちそうだ。男にもそれが伝わったのか、背後から私を抱きかかえるとゆっくりと後退してゆく。 驚いたことに、バケモノはそんな私達の存在に全く気付いていないようだった。先程間近で目にしたバケモノは、確かに目のようなものが存在していた。けれど、その眼球は白く濁ったように落ち窪み、もしかしたら視力はほとんど機能していないのかもしれない。 恐怖に震えながらも、やけに冷静にそんな考えが頭をよぎる。 バケモノと遭遇した場所から充分な距離を取ったところで、抱えていた私を下ろした男は口を開いた。「ここで少し休むぞ」 そう告げながら瓦礫に腰を下ろす男を見て、私は次々と流れ出る涙を拭った。「......っ、ごめんなさい」 一体何に対して謝っているのか、自分でもよく分からなかった。極度の緊張状態と安堵感から、拭っても拭っても溢れ出る涙。私は今、助けてもらったことに心底感謝してしまっている。 あんなに死にたいと思っていたはずなのに、私はまだ、心のどこかで生きたいと願っていたらしい。その事実に、いたたまれない罪悪感が押し寄せる。(私なんて、なんの価値もないのに──)
自分の中にある矛盾した感情に戸惑いながら、声を押し殺して涙を流し続ける。 そんな私のことを、男はただ黙って見ているだけだった。
なんの価値もないのに
検査室を出た先の状況は予想した通りで、そこかしこに職員達の息絶えた身体が転がっていた。廊下は勿論のこと、時折見かける開け放たれたままの室内でさえも、見た限りでは生存者はいないようだった。 一体何が目的で襲撃したのかは不明だけれど、この惨状をこの男が一人でしでかしたのかと思うと、その凄まじさに思わず息を呑む。前方を歩く男をチラリと盗み見ると、一糸乱れぬ様子で返り血さえ浴びていない。(一体、何者なんだろう......)
「あの......、どこに向かってるの?」「............」「............」
勇気を振り絞って聞いた私の質問には、どうやら答える気はないらしい。そう思って男から視線を外すと、足元を見つめながら静かに歩みを進める。「............。この施設で銀髪の男の子を見たか? 歳は十三だ」「......え?」 突然の質問に俯いていた顔を上げると、歩きながらもこちらに目線を流している男と視線がぶつかる。
「あ、えっと......見てない」「......そうか」 それだけ答えると、再び前を向いて無言で歩き続ける男。どうやら人を探しているらしい。それだけは分かった。とはいえ、相変わらず謎だらけなことに変わりはない。 けれど、素性など知ったところで何になるわけでもない。ほんの少しこの男の素性に興味が沸いたのも、きっと熱っぽさが原因だ。 私はどうせ、この男に殺されるのだから──。 そのまま男の背中を追いかけるようにして歩いていると、突然エレベーター前で足を止めた男。 このエレベーターには見覚えがある。政府の人に保護された当初、私はこのエレベーターに乗って地下にある施設へとやって来た。どうやら、この男はこのまま地上へ出る気らしい。外で見たバケモノの姿を思い浮かべると、ゴクリと小さく唾を呑み込む。「怖いか?」 そんな私の様子に気付いたのか、男はチラリと横目に私を確認する。「......ううん。でも、外は空気汚染されてるって聞いたから」「............。大丈夫だ」 それだけ答えると、さっさとエレベーターに乗り込んでしまった男。こうなってしまうと、私も黙って後を追うしかない。考えてみれば、この男は外からやって来たのだ。その本人が大丈夫だと言うのだから、空気汚染の心配はないのだろう。例え汚染されていようと、私にとってはどうでもいいことだ。 沈黙が流れるエレベーターの中、カタカタと震え始めた両手をギュッと握りしめる。確かに死にたいと願っているはずなのに、地上へ出るのが怖いだなんて、矛盾した感情には自分自身でも呆れる。 一階に到着したエレベーターから降りると、男の背中を追いかけるようにしてその先にある扉へと向かう。
「離れるなよ」 外へと続く重厚な扉の前で足を止めると、私を見てそう告げた男。それに応えるようにしてコクリと頷くと、緊張から首元に流れ出た汗をそっと拭う。そんな私の緊張など知りようもない男は、何の迷いもなく扉の開閉ボタンを押した。 ゴゴゴと低い音を響かせながら開いた扉は、生温い空気を乗せて外界との境界線を溶かしてゆく。いよいよ引き返せない状況に、思わず足がすくんでしまう。 久しぶりに見た外の世界は、最後に見た時と何も変わってはいなかった。 煌びやかだった色とりどりの建物はそのほとんどが崩れ落ち、原型を留めている建物でさえも焼け焦げて黒くなっている。未だに何が起きたのかはよく分からないけれど、きっとあのバケモノが何か関係しているのだろう。 目の前の光景を見ると、ここが一・二を争うほどに栄えていた都市ニゲラだとは到底思えない。「こっちだ」 男に促されるようにして外へ出ると、ドクドクと煩い鼓動に気付かないふりをする。どうやら、ざっと見渡した限りあのバケモノはこの近くにはいないようだ。 とはいえ、恐怖心と緊張から私の身体は強張っていた。「──あっ、」 瓦礫に躓いてよろけると、私の腕を掴んだ男が身体を引き上げる。「......ごめんなさい」
そう謝罪をするも、男は何事もなかったかのように無言で歩き始める。それを追いかけるようにして、ただひたすらに黙々と足を進める。 一体どこへ向かっているのか、それさえ分からない。おそらく、質問したところでその答えは返ってこないだろう。そもそも目的地があるのかすら不明だ。なにせ、見渡す限り瓦礫の山ばかりなのだから。 そんなことを思いながら瓦礫の角を曲がると、突然現れたバケモノの姿に恐れ慄く。僅か一メートル程の距離の、目と鼻の先にいる三メートル級のバケモノ──。こんなに間近で目にするのは初めてだった。 あまりの恐ろしさに、喉の奥から悲鳴が込み上げてくる。「──静かにしろ」 寸でのところで背後から男に口を塞がれ、耳元で静かにそう囁かれる。そうは言われても、恐ろしさからガタガタと震える身体。いくら死にたいと思ってはいても、こんなバケモノに喰われて死ぬなんてあんまりだ。 ギュッと固く瞼を閉じると、溢れ出た涙が頬を伝う。「このまま静かに後ろに下がるぞ」「......っ、」 頭では分かっているのに、思うように身体が動かない。カタカタと震える足元は今にも崩れ落ちそうだ。男にもそれが伝わったのか、背後から私を抱きかかえるとゆっくりと後退してゆく。 驚いたことに、バケモノはそんな私達の存在に全く気付いていないようだった。先程間近で目にしたバケモノは、確かに目のようなものが存在していた。けれど、その眼球は白く濁ったように落ち窪み、もしかしたら視力はほとんど機能していないのかもしれない。 恐怖に震えながらも、やけに冷静にそんな考えが頭をよぎる。 バケモノと遭遇した場所から充分な距離を取ったところで、抱えていた私を下ろした男は口を開いた。「ここで少し休むぞ」 そう告げながら瓦礫に腰を下ろす男を見て、私は次々と流れ出る涙を拭った。「......っ、ごめんなさい」 一体何に対して謝っているのか、自分でもよく分からなかった。極度の緊張状態と安堵感から、拭っても拭っても溢れ出る涙。私は今、助けてもらったことに心底感謝してしまっている。 あんなに死にたいと思っていたはずなのに、私はまだ、心のどこかで生きたいと願っていたらしい。その事実に、いたたまれない罪悪感が押し寄せる。(私なんて、なんの価値もないのに──)
自分の中にある矛盾した感情に戸惑いながら、声を押し殺して涙を流し続ける。 そんな私のことを、男はただ黙って見ているだけだった。