第十二話 油断
あの後、神崎は引き摺るように連れ帰ったレイを布団に寝かせた。
止血をしようとした神崎に、レイはこう言った。
「先に、外の血の痕跡を消してください」
「そんな話をしてる場合か!」
「朝になれば人間が起きてくる。......この部屋に繋がる跡、だけでも」
いつもより浅い呼吸の合間に言葉を繋げていく。
止血のために服を脱がせようとした神崎の手を力なく払った。
「吸血鬼は急所を撃たれなければ、死にはしません」
正論だった。
だからといって、感情まで切り捨てて納得出来るわけではない。
何度も振り返りそうになりながら、家まで続いていた血の跡を流水で流し、戻った時には布団は真っ赤に染まっていた。
壁に背を預けて座るレイは脇腹を押さえていたが、その指の合間からも血は溢れ続けている。
「なんで起きてるんだ。汚れた手で傷を触るな」
「平気です。......普通の傷より治りが遅いだけで、いずれ塞がります」
「いずれじゃ困るんだよ。部屋を血の海にするつもりか。傷を見せろ」
コートを脱がせ、シャツはボタンを外して肌を晒す。
左肩と脇腹、それぞれに開いた穴はまだ塞がる気配がない。
銀の銃弾でなければ、今頃は傷跡さえ残さずに治っていたことだろう。
神崎は隣の物置部屋から、治療に使う道具一式の入った箱を急ぎ引っ張り出した。
「腹の傷の方が出血が多い。押さえるぞ」
「――ッ!」
「動くな」
神崎が傷口へ布を押し当てると、レイの喉から押し殺した声が漏れた。
強張った右手が持ち上がり、そのまま神崎の肩を掴む。
「銀の武器による攻撃は受けたことがあるのか?」
レイは、僅かに頷いた。
「その時はどれくらいで血が止まった?」
今度も答える代わりに、緩く首を横へ振った。
不規則な荒い呼吸が聞こえる。
「気は失うな。なんとか耐えてろ」
今度は頭も揺れなかった。
その代わり、呼吸の合間に掠れた声が聞こえた。
「何だ?」
耳を近付けても、小さな呻き声にも掻き消されるような声だった。
レイは僅かに顔を上げた。痛みと熱で朦朧とした瞳が、神崎の顔を捉えた。
「あなたに、怪我は......無いんですか?」
ほとんど形にならない声で、確かにそう言った。
神崎は口を閉じることも忘れて目を見開いた後、苛立ちを隠しきれずに声を荒げる。
「こんな傷を負って、言うことがそれか! イカれてんのかお前は!」
怒りのままに傷を押さえる手に無駄な力が入らないように、呼吸に乗せて苛立ちを吐き出す。
布を押さえ付ける手は熱く、真っ赤に染まっていた。
嫌でも思い出す。同じように血を止めようとする手の中で失われていった体温が、今も心の奥に深く突き刺さっていた。
「冗談も大概にしろ。傷を負ったのは誰のせいだと思ってる」
「......俺が、油断しました」
「馬鹿か。違う、俺だ」
傷を押さえながら顔を伏せる。
とても、レイの表情を見る気にはなれなかった。
「死ぬなよ」
「平気です......急所には、入っていないので」
「それはもう聞いた」
どれくらいそうしていたのか、やがて出血は目に見えて減っていった。
徐々にだが、傷口の奥から抉れた肉が塞がり出していた。
布を新しいものに変え、その上から包帯を巻く。
多少血が滲みはしたが、もう止まらずに溢れ出るようなことはなかった。
だが、レイの呼吸は未だ荒いままだった。
「まだ痛むか?」
そう問うと、レイは僅かに首を横に振った。
「なら何だ。具合が悪いのか」
俯く顔を上げさせる。焦点が僅かに合っていない。
呼吸もまだ浅く、不規則だ。失血だけが原因とは思えなかった。
レイは顔を横に背け、顎に掛かっていた神崎の手から逃れた。
「平気です」
「どこがだ。原因を言え」
「構わないで」
神崎は目を瞬かせた。
レイの口から拒絶が出るのは、まだハンターとして追い回していた夜以来だった。
怪訝そうに眉根を寄せていたが、不意にレイの身体から力が抜け傾くと咄嗟にその上体を支える。
その腕の中で、今も苦痛に耐えるようにレイの表情が歪むのが見えた。負傷していない右の腕が神崎の肩を押す。
「......離してください」
そう声を震えさせたレイの瞳が自分の首筋に向いていることに、神崎は気が付いた。
「まさか。お前、血が欲しいのか?」
「......違います」
「前に、血は不要だと言っただろう」
「ええ」
「じゃあ、その目はなんだ」
明らかに捕食者の瞳だった。
酷く飢え、目の前に餌があるのに手が出せない。レイはそういう表情をしていた。
証拠に、神崎の肩を押す指さえも小さく震えている。
神崎は慎重に記憶を辿った。
「お前、あの時血を飲まなくても死にはしないと、そう言ったか?」
「離してください」
「死にはしない。だが、飲まなくても平気とは言わなかった」
「............」
「ただの嗜好品だと、嘘をついたのか」
「離せ」
低く、唸るようにレイは言った。
けれど肩を押していたはずの指は、いつの間にか神崎のシャツの襟を掴んでいた。
言葉とは裏腹に、離れられないように。
傷を塞ぐために力を消耗したのか。それとも、失った血を補おうとしているのか。
理由は分からない。だが、レイが限界にあることだけは分かった。
「......お前は、人を殺さずに血を飲むことが出来る」
「無理です」
「前はそうだっただろう」
「今は無理」
「やれ」
襟を掴むレイの指が、僅かに強張った。
「腕でも、首でも、どこを噛んでもいい。ただし、殺すな」
神崎はそう言って、自分で襟を広げた。
血の匂いが溢れる部屋で、レイは人間から漂う甘い香りに抗えない本能を、確かに自分の内に感じていた。