尊厳死還付支援金等に関する法律
第一条
生命維持装置および死亡に至るまでの薬剤注入を行う際は、医師の指示に従い、本人、家族または後見人が装置の電源の入切操作を行うものとする。
第二条
前条の行為について、国および医療機関は一切の責任を負わない。
ある晴れた日の午後、六十九歳になった男は、届けられた封筒を開けた。
「いよいよか......」
男は決められた書類を揃え、相談窓口へ向かった。
「どうぞ、お入りください」
物腰の柔らかな女性が声をかけた。
「ご覧になりましたか」
「はい」
「では、率直にお答えください」
「迷ってます」
「皆さん、最初はそうおっしゃいます」
女性は微笑みながら、うなずいた。
「流れを教えていただけますか」
「はい。もちろんです。尊厳死について理解していただけたら、今までお支払いになった年金を全額お返しいたします。そして、政府から少額ですが、お祝い金が支給されます」
二十年ほど前、政府は『尊厳死還付支援金等に関する法律』を成立させた。
「サインしないとどうなりますか」
「はい。今まで通りの生活をされてください。個人の自由は保障されます」
「もう一ついいですか」
「はい?」
「痛いですか」
「いいえ。薬剤を入れると、眠るように......」
男は目を閉じた。
部屋には、空調の音だけが聞こえていた。
「まだ時間はありますから、よくお考えになってください」
自宅に戻った男は、畳の上に横になった。
返金額が書かれた紙を取り出し、天井を見上げた。
そして、深いため息をつく。
台所には昨夜の食器がそのまま置かれていた。
一ヶ月後、男は窓口へ向かった。
「どうぞこちらへ......お決めになりましたか」
「......はい」
男の少しこけた頬が、静かに笑っていた。