ホーム›深緑のシルフィード›第二十二話 開かれた扉
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第二十二話 開かれた扉

 何が原因だったか。
 何で自分はこんな無様な格好になっているのか。
 押さえ込まれた身体。封じられた天力。視線の先には助けなければならない人。始まってしまった儀式。
 儀式が完了して何が起こるかわからない。優里菜に害があるかもしれないし、ないかもしれない。その得体のしれない儀式が優里菜に少しでも害を及ぼす可能性があるのなら止めなければならない。いや、たとえ害がなくとも助け出す。
 そう決意してここまで来たのに、今は何もできない。
 当たると思った初撃はゲーベル本人に防がれ、その後は召喚された二体の人型の魔導人形に邪魔された。その人形はなんとか倒すことができたが、その後、更に召喚された四体の魔導人形。人型だがそれぞれに特異な能力が備わっていて、大樹は取り押さえられた。一体は大樹の炎を反射し、また一体は瘴気に似た魔力を放射し、三体目は蜘蛛のように地を這いながら糸を吐いて大樹の体を拘束した。そして四体目が極めつけだった。大樹の体に触れることで大樹の天力を封じたのだ。四体が人形とは思えないほどに連携し、大樹はあっという間に地面に押さえ込まれてしまった。
 ゲーベルが儀式を進めているのを見ていることしかできない。何もできない。「何もできない」ということが大樹の心を強く締め付けた。
 大人の天子たちは外で大量の魔導人形に挑み、自分たちを次に進ませてくれた。
 広輝は雷鬼を引き受けた。
 隆也はまだここには来ないが、来れないだけの何かと戦っている。隆也が苦戦するほどの敵、大樹が仮にそちらに行って勝てるかどうか。
 けれど自分は「何もできない」。優里菜を助け出すどころか、時間稼ぎすらできていない。
 ただただ、ひたすら無力だった。
『死ぬ気で天力を解放しろ』。やっている。やっているが出ない。天力を封じる人形が大樹の背中に触れ、天力を出力できない。
 そして自分の無力への悔しさが、悔いを通り越して沸々と怒りへ変わり、心の奥底からこみ上げてくる。
 ゲーベルに対する怒りではない。ここに来るまでにあったゲーベルに対する怒りは、既にどこかに消えていた。
 では何に対する怒りか。
 決まっている。
 自分に対する壮絶な怒りだ。
(弱い。どうしてこんなにも弱い......俺だけが)
 みんな、みんな強い。
 一樹も、隆也も、優里菜も、憎たらしい広輝も。
 大樹の目の前では儀式の前準備が完了し、本格的に指導しようとしていた。
 台座の上に手を組んで横たわっていた優里菜の体が重力に逆らって浮かび上がった。
(ーーっくそが!!)
 血が滲むほど握った両手。自分の歯をも砕きそうな奥歯。
「......やめろ」
 優里菜の胸元ーーウンディーネの杯ーーが淡い青で光りだした。
 大樹の眼に涙が浮かぶ。それはこみ上げた怒りで入る隙間をなくした悔しさだ。
 青い光が優里菜を包み込む。
「やめろおおーー!!」
 大樹の最後の悔しさが零れ落ちた。


 ドン。


 飾る言葉はない。本当にその爆発音が神殿に響いた。
 大樹という小物を特一級の魔導人形に任せ、全く相手にしていなかったゲーベルも無視することができなかった。
 ゲーベルは横目で見て目を疑った。次は首も動かして大樹を見ると目を剥いた。
 大樹を押さえ付けていた人形の姿はなく、巨大な豪炎を纏った大樹が静かに立っていた。腕と首が力なく垂れている。
「な、なんじゃお前は!?」
 大樹は応えない。ただただ大樹の炎は燃え盛り、神殿を侵食していく。
 大樹を抑えていた人形は、幾多に作られた魔導人形の中でも傑作に近い人形だった。人形という型と役割に加えて能力を付与された特別な人形。特に魔導の人形ながら天力を封ぜる人形が手元にあることは、誰に誇ることもなく独り優越を覚えていた。天力を封ぜる人形、異能を反射できる人形、瘴気を生む人形、空気中の魔力から魔糸を精製できる人形。どれもこれも自分が作ったとは思えないほどの人形たち。
 その人形はいなかった。姿形も、部品一つも、塵一つなく。
 人形がどうなったのか、猛る炎がゲーベルに理解させる。
 燃やされたのだ。
 一瞬にして。
 影も形もなく。
 在ったことすら許されぬほどに。
 侵入者を検知したときから、ゲーベルは念には念を入れてゲーベルを守るように結界を張っていた。大樹の初撃を防いだのもこれ。しかしこの結界もいつ破られてしまうのかと焦燥とした。
 人形によって封じられていた天力が、堰を切ったように溢れ出し、大樹の炎は全てを燃やし尽くさんとするかの如く燃え上がる。
 ――急がなければならない。
 ゲーベルは[扉]を開けるための最終段階へと移行した。
「......セ」
 轟々と燃え上がる炎と同じく、燃え上がるものが一つあった。
「......返セ」
 怒りだ。
 自身をも燃やし尽くしかねない怒りが身体の奥底から留まることを知らずに溢れ出す。今、大樹の心には怒り以外無かった。己の無力から湧き上がった怒りで全てを焼き尽くされる。
「返セ......!」
 炎とは裏腹に、大樹の腹の底から底冷えするような、凍えるような冷たい声が出る。ゲーベルを睨む眼には純正の怒り。
 大樹はありったけの炎をゲーベルに向けて放ったが、ゲーベルに届かない。まだ、ゲーベルの結界の守りが大樹の炎を上回っていた。
(なんというエネルギーじゃ!)
 結界が炎を妨げくれたとはいえ、ゲーベルの焦りは消えない。寧ろもっと焦りが増した。ただの垂れ流しの炎でこれだ。このまま流し続けられたら、いつまで持つかわからなかった。
 歯牙にも掛けるまでもなかった子供に邪魔をされている。準備に準備を重ねたというのに。儀式と炎の対処を同時に行いながら、最後の抑止力に苛立った。
 炎の光の足元で、優里菜の水で満たされた魔法陣が青く輝き出す。
 いよいよ後少し。儀式の完遂まで後少し。大樹から目を離し、青き光を凝視する。
 収束する自然の魔力と優里菜の天力。そして優里菜の天力と魔法陣の水に含まれる異いなる異能の要素。魔力を浄化する天力、天力を侵す魔力。相反する力を繋ぎ止め、融合の要素となる源こそ精霊の因子。ゲーベルが得た研究の成果の一つ。
 人間が持ち得ない魔力でも天力でもない第三の力と精霊界にかつて在った証である精霊の遺物。この二つを以て、精霊が居た世界への扉を開ける。それがゲーベルに与えられた情報であり、その実証がゲーベルの使命。
 念願の成就にゲーベルは心躍らせた。
 青い光が一層深く輝き出した時、炎が消えた。
 結界越しに伝わっていた炎の熱波がなくなった。強く明るかった炎の光がなくなり、魔法陣と優里菜の深い青が神殿を満たす。
 天力の出し過ぎで倒れたのか。丁度いい、そこで見ておれ、と大樹を一瞥した。
「カエセ」
「!?」
 大樹は未だそこに立っていた。炎を纏うのではなく、右手に宿していた。自分を灼くほどに煌々しく燃える炎を。
 ゲーベルには、それが出力が落ちたわけではないとわかった。炎の色が尋常ではなかったから。
 大樹の炎は、赤を通り越して白く猛り、世界を歪ませる。
 今まで神殿を燃え尽くさんとしていた大火力が右手一つに白い炎として収束していた。
 大樹がその右手でゲーベルに狙いを定める。
 ゲーベルの肝が冷えた。儀式を中止すべきか、焼滅覚悟で続けるのか。幸いにしてゲーベルは、その選択をせずに済んだ。
 優里菜を中心に碧い結界が形成されたのだ。ゲーベルもその中にあった。
 この結界を焼けば、優里菜ウンディーネも焼き殺される。それは大樹もしないだろうと踏んだのだ。
 しかしーー
「カエセ!」
「!!?」
 ゲーベルの思惑は外れ、白く猛る炎が射出された。
 収束された炎は先の赤炎と違い、範囲こそ狭いものの、その火力も速度も段違い。ゲーベルが何かを思う間もなく碧い結界に衝突した。
 碧い結界は大樹の炎を遮断し、炎は結界に沿って広がる。
「......ふふ、はははは」
 まともに喰らえば一瞬で消滅する白き炎は、ゲーベルに届かない。何か歯車が一つ狂えば、ゲーベルは塵もなく消えていた。
 だが、まだゲーベルはここに在った。
 運命めいた何かが後押ししてくれていると、ゲーベルは勘違いしそうになる。
 これは運命や天命などではない。ゲーベルが十全に準備を整え、地道に一つずつ積み重ねた結果。
 結界の碧き深淵と魔法陣の蒼の深遠が混じり合い、大樹の炎さえ藍に映し染める紺碧に至る。
 神殿が青に満たされ、世界を青で遮断し、青の世界が形成された時、それは顕れた。
 最初は青色に耀く小さな点だった。ウンディーネの杯から顕れた青はゆっくりと上昇すると、その輪郭を大きく広げて耀く。広がる過程で青が微妙に変化した。青の世界の中でも異色の碧あお。青の調和を崩すことはないけれど、今世とは一線を画す尊貴の碧。
 全てを忘れ、縋り、跪き、願い、託し、一切を委ねてしまいそうな............。
 碧の球体に不可思議な紋様が描かれる。


【 ●‖○○月と太陽、●‖○陰と光、●‖○天と地、●‖○死と生、●○●○両儀陰陽‖に*別‖‖‖つれば、■■□□地水火風◆◇四象‖に*生‖じ、△▼▲▽森羅万象‖の*礎‖‖‖‖とならん 】



 その球体は扉だったのか、門だったのか、いずれにせよ「開く」動作はなかった。紋様が完成することで「開く」もしくは「繋ぐ」という概念は完了したらしい。
 突如、球体から青の世界に突風が広がる。
 未だに白熱の炎を放出し続けていた大樹だったが、炎もろとも突風に吹き飛ばされて、神殿の扉に衝突した。これの影響を受けなかったのは球体の近くにあった優里菜だけであり、ゲーベルもまた突風で壁に打ち付けられた。
「ごぶあっ」
 ずっと研究一筋だったゲーベルは当然体など鍛えておらず、また身体能力を向上する術式を行使していなかった。故に、その老体に人間らしいダメージを負う。
 床に転がり、痛みに耐えつつ立ち上がろうとする。目に入った魔法陣はもう光っていなかった。
 ゲーベルは何が起こったのか把握しようともするが、風はその猶予をくれなかった。
 衝撃波のような突風の後、暴風が神殿内を吹き荒れる。
 再び床を転がり、隅にまで追いやられる。とてもではないが、立っていられなかった。
 ゲーベルは地面に這いつくばったまま球体を見上げる。
 精霊界への扉は、大扉や大門をイメージしていた。精霊界が人間界と概念を共有しないのであれば、あれが扉だとしても許せる。しかし、あれが果たして「扉」なのか判然としなかった。術式、魔法陣、どこかを間違え、暴風を撒き散らす装置でも作ってしまったのか。
 ゲーベルにはわからない。推測の域をでない。
(――行くしかあるまいて)
 実証するには実験するしかない。あの球体に触れて、精霊界に飛べれば成功だ。
 ゲーベルは魔法陣を展開し、召喚術を行う。
 この暴風を耐え、動き、ゲーベルをあの球体に届かせることのできる人形を。
 それはゲーベルの人形の中でも一体しかいなかった。
 魔術師であり人形の造り手だったゲーベル・ルシュルドが作り出した戦闘用の最高傑作。
 オリバーにも開示していない、最高戦力。
「召La chiama 喚in causa――ケンタウロスCentaur」
 ゲーベルの最強の魔導人形が姿を顕した。
 三メートルを越す巨躯に、白銀の鎧兜を纏い、二振りの大剣を背負う、四足の騎士。
 静粛としながらその暴虐性が見え隠れする、禍々しい騎士。
 半人半馬の騎士人形が碧の世界に顕現した。



  ***

 広輝はオリバーとの激戦を乗り越え、隆也と共に屋上を目指していた。
「ぐっ、う......」
 上に続く階段に差し掛かろうとした時、広輝が右目を抑えて壁に寄りかかってそのまま床に座り込んでしまった。
「広輝? 大丈夫かっ?」
 隆也の声が聞こえるが、近くにいるはずなのに随分と遠かった。
 目の奥がズキズキと痛み、脳が熱い。体がざわめいて落ち着かない。
 広輝は、オリバーとの戦いの後遺症を疑った。
 オリバーのような強力な雷撃を受けたことがない。体に流れた電流が身体にどのような影響を及ぼすのか広輝は知らなかった。
「――先に、行ってください」
 自ら口にした声も自分の声じゃないかと思うほどに遠い。体の異常が深刻でないことを祈る。
 それに、ここで時間を潰す訳には行かなかった。
 隆也が対峙したアランが言う通りなら、もう時間になっているはず。優里菜がどのように使われるかまでは知らないが、精霊界なる異次元に飛ばされたら適わない。
 まずは一刻も早く優里菜の元に到着する必要があった。
「......わかった。待ってろ」
 隆也は広輝の意図を理解する。
 明らかに不調の広輝を一人にするのは気掛かりだったが、ここは広輝を信じた。
 会話することも億劫になりつつあった広輝にとって、その理解の速さは助かった。
「......帰りに、拾ってくれると、助かります」
 努めて軽く、冗談っぽく言う。隆也の心配を少なくする為に。
「ああ。必ず」
 隆也は短く返事をして、階段を駆け上がっていった。
 広輝の耳が遠くなっていることもあり、隆也の足音はすぐに聞こえなくなる。
 そして、今一度自分の症状を顧みた。
 頭というよりも脳みそが熱く、汗が止まらない。目の奥が脈動の度に痛む。鼓膜の振動は何も伝わらず無音。嗅覚と味覚はよくわらない。触覚は逆に過敏で空気の機微も感じ取れるようだった。こんなに異常なのに、体はざわめき動きたくてたまらない。気を抜けば走り出し、脳みそを揺らし動かして、事態を悪化させそうだった。
 左目も左手で塞ぎ、両手で視界を閉ざす。瞑想し、心を落ち着かせようとした。呼吸を整え、脈を整え、体の衝動を抑える。
 知覚を鎮め、心を定めた時、広輝の感覚に不可思議なことが起こった。
 視覚は閉ざしているのに、聴覚は何も捉えないのに、城の約半分の空間を感じ捉えたのだった。
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第二十二話 開かれた扉

 何が原因だったか。
 何で自分はこんな無様な格好になっているのか。
 押さえ込まれた身体。封じられた天力。視線の先には助けなければならない人。始まってしまった儀式。
 儀式が完了して何が起こるかわからない。優里菜に害があるかもしれないし、ないかもしれない。その得体のしれない儀式が優里菜に少しでも害を及ぼす可能性があるのなら止めなければならない。いや、たとえ害がなくとも助け出す。
 そう決意してここまで来たのに、今は何もできない。
 当たると思った初撃はゲーベル本人に防がれ、その後は召喚された二体の人型の魔導人形に邪魔された。その人形はなんとか倒すことができたが、その後、更に召喚された四体の魔導人形。人型だがそれぞれに特異な能力が備わっていて、大樹は取り押さえられた。一体は大樹の炎を反射し、また一体は瘴気に似た魔力を放射し、三体目は蜘蛛のように地を這いながら糸を吐いて大樹の体を拘束した。そして四体目が極めつけだった。大樹の体に触れることで大樹の天力を封じたのだ。四体が人形とは思えないほどに連携し、大樹はあっという間に地面に押さえ込まれてしまった。
 ゲーベルが儀式を進めているのを見ていることしかできない。何もできない。「何もできない」ということが大樹の心を強く締め付けた。
 大人の天子たちは外で大量の魔導人形に挑み、自分たちを次に進ませてくれた。
 広輝は雷鬼を引き受けた。
 隆也はまだここには来ないが、来れないだけの何かと戦っている。隆也が苦戦するほどの敵、大樹が仮にそちらに行って勝てるかどうか。
 けれど自分は「何もできない」。優里菜を助け出すどころか、時間稼ぎすらできていない。
 ただただ、ひたすら無力だった。
『死ぬ気で天力を解放しろ』。やっている。やっているが出ない。天力を封じる人形が大樹の背中に触れ、天力を出力できない。
 そして自分の無力への悔しさが、悔いを通り越して沸々と怒りへ変わり、心の奥底からこみ上げてくる。
 ゲーベルに対する怒りではない。ここに来るまでにあったゲーベルに対する怒りは、既にどこかに消えていた。
 では何に対する怒りか。
 決まっている。
 自分に対する壮絶な怒りだ。
(弱い。どうしてこんなにも弱い......俺だけが)
 みんな、みんな強い。
 一樹も、隆也も、優里菜も、憎たらしい広輝も。
 大樹の目の前では儀式の前準備が完了し、本格的に指導しようとしていた。
 台座の上に手を組んで横たわっていた優里菜の体が重力に逆らって浮かび上がった。
(ーーっくそが!!)
 血が滲むほど握った両手。自分の歯をも砕きそうな奥歯。
「......やめろ」
 優里菜の胸元ーーウンディーネの杯ーーが淡い青で光りだした。
 大樹の眼に涙が浮かぶ。それはこみ上げた怒りで入る隙間をなくした悔しさだ。
 青い光が優里菜を包み込む。
「やめろおおーー!!」
 大樹の最後の悔しさが零れ落ちた。


 ドン。


 飾る言葉はない。本当にその爆発音が神殿に響いた。
 大樹という小物を特一級の魔導人形に任せ、全く相手にしていなかったゲーベルも無視することができなかった。
 ゲーベルは横目で見て目を疑った。次は首も動かして大樹を見ると目を剥いた。
 大樹を押さえ付けていた人形の姿はなく、巨大な豪炎を纏った大樹が静かに立っていた。腕と首が力なく垂れている。
「な、なんじゃお前は!?」
 大樹は応えない。ただただ大樹の炎は燃え盛り、神殿を侵食していく。
 大樹を抑えていた人形は、幾多に作られた魔導人形の中でも傑作に近い人形だった。人形という型と役割に加えて能力を付与された特別な人形。特に魔導の人形ながら天力を封ぜる人形が手元にあることは、誰に誇ることもなく独り優越を覚えていた。天力を封ぜる人形、異能を反射できる人形、瘴気を生む人形、空気中の魔力から魔糸を精製できる人形。どれもこれも自分が作ったとは思えないほどの人形たち。
 その人形はいなかった。姿形も、部品一つも、塵一つなく。
 人形がどうなったのか、猛る炎がゲーベルに理解させる。
 燃やされたのだ。
 一瞬にして。
 影も形もなく。
 在ったことすら許されぬほどに。
 侵入者を検知したときから、ゲーベルは念には念を入れてゲーベルを守るように結界を張っていた。大樹の初撃を防いだのもこれ。しかしこの結界もいつ破られてしまうのかと焦燥とした。
 人形によって封じられていた天力が、堰を切ったように溢れ出し、大樹の炎は全てを燃やし尽くさんとするかの如く燃え上がる。
 ――急がなければならない。
 ゲーベルは[扉]を開けるための最終段階へと移行した。
「......セ」
 轟々と燃え上がる炎と同じく、燃え上がるものが一つあった。
「......返セ」
 怒りだ。
 自身をも燃やし尽くしかねない怒りが身体の奥底から留まることを知らずに溢れ出す。今、大樹の心には怒り以外無かった。己の無力から湧き上がった怒りで全てを焼き尽くされる。
「返セ......!」
 炎とは裏腹に、大樹の腹の底から底冷えするような、凍えるような冷たい声が出る。ゲーベルを睨む眼には純正の怒り。
 大樹はありったけの炎をゲーベルに向けて放ったが、ゲーベルに届かない。まだ、ゲーベルの結界の守りが大樹の炎を上回っていた。
(なんというエネルギーじゃ!)
 結界が炎を妨げくれたとはいえ、ゲーベルの焦りは消えない。寧ろもっと焦りが増した。ただの垂れ流しの炎でこれだ。このまま流し続けられたら、いつまで持つかわからなかった。
 歯牙にも掛けるまでもなかった子供に邪魔をされている。準備に準備を重ねたというのに。儀式と炎の対処を同時に行いながら、最後の抑止力に苛立った。
 炎の光の足元で、優里菜の水で満たされた魔法陣が青く輝き出す。
 いよいよ後少し。儀式の完遂まで後少し。大樹から目を離し、青き光を凝視する。
 収束する自然の魔力と優里菜の天力。そして優里菜の天力と魔法陣の水に含まれる異いなる異能の要素。魔力を浄化する天力、天力を侵す魔力。相反する力を繋ぎ止め、融合の要素となる源こそ精霊の因子。ゲーベルが得た研究の成果の一つ。
 人間が持ち得ない魔力でも天力でもない第三の力と精霊界にかつて在った証である精霊の遺物。この二つを以て、精霊が居た世界への扉を開ける。それがゲーベルに与えられた情報であり、その実証がゲーベルの使命。
 念願の成就にゲーベルは心躍らせた。
 青い光が一層深く輝き出した時、炎が消えた。
 結界越しに伝わっていた炎の熱波がなくなった。強く明るかった炎の光がなくなり、魔法陣と優里菜の深い青が神殿を満たす。
 天力の出し過ぎで倒れたのか。丁度いい、そこで見ておれ、と大樹を一瞥した。
「カエセ」
「!?」
 大樹は未だそこに立っていた。炎を纏うのではなく、右手に宿していた。自分を灼くほどに煌々しく燃える炎を。
 ゲーベルには、それが出力が落ちたわけではないとわかった。炎の色が尋常ではなかったから。
 大樹の炎は、赤を通り越して白く猛り、世界を歪ませる。
 今まで神殿を燃え尽くさんとしていた大火力が右手一つに白い炎として収束していた。
 大樹がその右手でゲーベルに狙いを定める。
 ゲーベルの肝が冷えた。儀式を中止すべきか、焼滅覚悟で続けるのか。幸いにしてゲーベルは、その選択をせずに済んだ。
 優里菜を中心に碧い結界が形成されたのだ。ゲーベルもその中にあった。
 この結界を焼けば、優里菜ウンディーネも焼き殺される。それは大樹もしないだろうと踏んだのだ。
 しかしーー
「カエセ!」
「!!?」
 ゲーベルの思惑は外れ、白く猛る炎が射出された。
 収束された炎は先の赤炎と違い、範囲こそ狭いものの、その火力も速度も段違い。ゲーベルが何かを思う間もなく碧い結界に衝突した。
 碧い結界は大樹の炎を遮断し、炎は結界に沿って広がる。
「......ふふ、はははは」
 まともに喰らえば一瞬で消滅する白き炎は、ゲーベルに届かない。何か歯車が一つ狂えば、ゲーベルは塵もなく消えていた。
 だが、まだゲーベルはここに在った。
 運命めいた何かが後押ししてくれていると、ゲーベルは勘違いしそうになる。
 これは運命や天命などではない。ゲーベルが十全に準備を整え、地道に一つずつ積み重ねた結果。
 結界の碧き深淵と魔法陣の蒼の深遠が混じり合い、大樹の炎さえ藍に映し染める紺碧に至る。
 神殿が青に満たされ、世界を青で遮断し、青の世界が形成された時、それは顕れた。
 最初は青色に耀く小さな点だった。ウンディーネの杯から顕れた青はゆっくりと上昇すると、その輪郭を大きく広げて耀く。広がる過程で青が微妙に変化した。青の世界の中でも異色の碧あお。青の調和を崩すことはないけれど、今世とは一線を画す尊貴の碧。
 全てを忘れ、縋り、跪き、願い、託し、一切を委ねてしまいそうな............。
 碧の球体に不可思議な紋様が描かれる。


【 ●‖○○月と太陽、●‖○陰と光、●‖○天と地、●‖○死と生、●○●○両儀陰陽‖に*別‖‖‖つれば、■■□□地水火風◆◇四象‖に*生‖じ、△▼▲▽森羅万象‖の*礎‖‖‖‖とならん 】



 その球体は扉だったのか、門だったのか、いずれにせよ「開く」動作はなかった。紋様が完成することで「開く」もしくは「繋ぐ」という概念は完了したらしい。
 突如、球体から青の世界に突風が広がる。
 未だに白熱の炎を放出し続けていた大樹だったが、炎もろとも突風に吹き飛ばされて、神殿の扉に衝突した。これの影響を受けなかったのは球体の近くにあった優里菜だけであり、ゲーベルもまた突風で壁に打ち付けられた。
「ごぶあっ」
 ずっと研究一筋だったゲーベルは当然体など鍛えておらず、また身体能力を向上する術式を行使していなかった。故に、その老体に人間らしいダメージを負う。
 床に転がり、痛みに耐えつつ立ち上がろうとする。目に入った魔法陣はもう光っていなかった。
 ゲーベルは何が起こったのか把握しようともするが、風はその猶予をくれなかった。
 衝撃波のような突風の後、暴風が神殿内を吹き荒れる。
 再び床を転がり、隅にまで追いやられる。とてもではないが、立っていられなかった。
 ゲーベルは地面に這いつくばったまま球体を見上げる。
 精霊界への扉は、大扉や大門をイメージしていた。精霊界が人間界と概念を共有しないのであれば、あれが扉だとしても許せる。しかし、あれが果たして「扉」なのか判然としなかった。術式、魔法陣、どこかを間違え、暴風を撒き散らす装置でも作ってしまったのか。
 ゲーベルにはわからない。推測の域をでない。
(――行くしかあるまいて)
 実証するには実験するしかない。あの球体に触れて、精霊界に飛べれば成功だ。
 ゲーベルは魔法陣を展開し、召喚術を行う。
 この暴風を耐え、動き、ゲーベルをあの球体に届かせることのできる人形を。
 それはゲーベルの人形の中でも一体しかいなかった。
 魔術師であり人形の造り手だったゲーベル・ルシュルドが作り出した戦闘用の最高傑作。
 オリバーにも開示していない、最高戦力。
「召La chiama 喚in causa――ケンタウロスCentaur」
 ゲーベルの最強の魔導人形が姿を顕した。
 三メートルを越す巨躯に、白銀の鎧兜を纏い、二振りの大剣を背負う、四足の騎士。
 静粛としながらその暴虐性が見え隠れする、禍々しい騎士。
 半人半馬の騎士人形が碧の世界に顕現した。



  ***

 広輝はオリバーとの激戦を乗り越え、隆也と共に屋上を目指していた。
「ぐっ、う......」
 上に続く階段に差し掛かろうとした時、広輝が右目を抑えて壁に寄りかかってそのまま床に座り込んでしまった。
「広輝? 大丈夫かっ?」
 隆也の声が聞こえるが、近くにいるはずなのに随分と遠かった。
 目の奥がズキズキと痛み、脳が熱い。体がざわめいて落ち着かない。
 広輝は、オリバーとの戦いの後遺症を疑った。
 オリバーのような強力な雷撃を受けたことがない。体に流れた電流が身体にどのような影響を及ぼすのか広輝は知らなかった。
「――先に、行ってください」
 自ら口にした声も自分の声じゃないかと思うほどに遠い。体の異常が深刻でないことを祈る。
 それに、ここで時間を潰す訳には行かなかった。
 隆也が対峙したアランが言う通りなら、もう時間になっているはず。優里菜がどのように使われるかまでは知らないが、精霊界なる異次元に飛ばされたら適わない。
 まずは一刻も早く優里菜の元に到着する必要があった。
「......わかった。待ってろ」
 隆也は広輝の意図を理解する。
 明らかに不調の広輝を一人にするのは気掛かりだったが、ここは広輝を信じた。
 会話することも億劫になりつつあった広輝にとって、その理解の速さは助かった。
「......帰りに、拾ってくれると、助かります」
 努めて軽く、冗談っぽく言う。隆也の心配を少なくする為に。
「ああ。必ず」
 隆也は短く返事をして、階段を駆け上がっていった。
 広輝の耳が遠くなっていることもあり、隆也の足音はすぐに聞こえなくなる。
 そして、今一度自分の症状を顧みた。
 頭というよりも脳みそが熱く、汗が止まらない。目の奥が脈動の度に痛む。鼓膜の振動は何も伝わらず無音。嗅覚と味覚はよくわらない。触覚は逆に過敏で空気の機微も感じ取れるようだった。こんなに異常なのに、体はざわめき動きたくてたまらない。気を抜けば走り出し、脳みそを揺らし動かして、事態を悪化させそうだった。
 左目も左手で塞ぎ、両手で視界を閉ざす。瞑想し、心を落ち着かせようとした。呼吸を整え、脈を整え、体の衝動を抑える。
 知覚を鎮め、心を定めた時、広輝の感覚に不可思議なことが起こった。
 視覚は閉ざしているのに、聴覚は何も捉えないのに、城の約半分の空間を感じ捉えたのだった。
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