第3章 近づく距離編 - 最終話後編「己の意志」
「え」
美月は目を瞬いた。
片膝をついた鳳は、まっすぐに彼女を見上げていた。
「以前拙者は、責任を取るため美月殿に『娶らせてくれ』と申した」
「あ......うん。言ってたね」
「それを、訂正させてほしい」
訂正。
美月はそれを、“やっぱりその話はなかったことにしてほしい”という方向で受け取っていた。
「ま、まぁ無理に嫁にするのも良くないしね......」
「そうではござらぬ!」
「否定だけは光の速度!」
「真面目に聞いてほしいでござる」
「すいません......」
鳳は姿勢を正した。
「今は、責任のためではない」
「......え......」
「おい、てめぇ何言って......」
鳳は一度だけジャジーを睨む。
しかし、それ以上相手にはせず、すぐに美月へ視線を戻した。
「命を分け与えられたからではござらぬ。そなたと過ごし、拙者はそなたとこの先も歩みたいと思った」
美月の口が、わずかに開く。
「妖って......決断力早かったりする......?」
「少なくとも、人間の感覚と同じではござらぬ」 「や、やっぱり......?」
「無論、早急に段階を踏み越えたいわけではござらぬ。......だが」
鳳は片手を差し出した。
「美月殿」
「は、はい......」
黄色い瞳が、ただ一人を見つめる。
「拙者の、伴侶となってほしい」
一秒。
二秒。
三秒。
「段階踏み越えてんじゃねぇか!」
ジャジーの声が飛んだ。
美月は顔を真っ赤にしたまま硬直している。
「“伴侶”とは何も、契約を急かすものではござらぬ。共に歩む者として、側にいてほしいという意味にござる」
「けどよ......!」
「んひぃさっきからアドレナリンと情緒がカオス」
「美月殿」
「はい!」
「返事を」
「えっ」
美月が目を瞬いた。
普段の鳳は、待つ者だ。
相手の意思を尊重し、答えを急かすことなどしない。
だが今だけは、ほんの少しだけ意図しているように見えた。
「私......」
その瞬間。
ジャジーの手が、ぎゅっと握り込まれた。
「......待て」
美月が顔を向ける。
「え......?」
鳳は何も言わない。
ただ、ジャジーを見た。
やがてジャジーは、美月の前へ進み出る。
「あいつの言葉に、返事すんな」
その声色は、何かを押し殺したような響きをしていた。
「え、なんで......?」
美月のその問いに、ジャジーの顔は完全に横を向いた。
「......だからだ」
「?」
上手く聞き取れず、美月が少しだけ顔を寄せる。
ジャジーの眉間に深く皺が寄った。
「っ......俺が、嫌だからだよ......!!」
美月の目が、大きく見開かれた。
そして、数秒後。
「......私......」
視線が落ちる。
「......ジャジーの......ご飯なんでしょ......?」
自分で言った。
なのに。
その言葉が自分の胸へ刺さり、ちくりと痛む。
ジャジーの眉が、わずかに動いた。
「なのに、なんでそんな......」
「......違ぇ」
「じゃあ、なに......?」
「......飯じゃ、ねぇからだよ......」
次の瞬間。
「んぇっ!?」
美月の身体が引き寄せられた。
ジャジーの腕が背中へ回り、その胸元へ頭が埋まる。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
耳のすぐ側で、激しい鼓動が鳴っている。
「俺、お前があいつに抱きしめられてて、すげぇ嫌だった」
「......なにそれ......」
「お前がただの飯なら、誰がお前を抱いてようが、別の飯を探しゃいい」
「......うん」
「飯なら食ったら終わりだ。皿も、店も。満たされりゃ、あとはどうだっていい」
一度、言葉が止まる。
「......けどよ」
背中へ回った腕に、わずかに力が入った。
「他のやつがお前を抱いてたら、嫌だ」
美月が顔を上げると、金色の瞳と目が合った。
そこには、もう隠しようもない熱があった。
「それって......」
その先を言葉にする前で、止まる。
「......お前が誰かを選ぶなら、本来俺が止める権利はねぇ」
ジャジーの瞳が一瞬だけ伏せられる。
「......でもよ」
再び、美月を見る。
「......俺が先に、美月を見つけたんだ」
ジャジーの片手が、抱きしめている美月の頭を引き寄せる。
「お前が選ぶ一番最初の男は、俺にしてほしい」
それを告げられた瞬間、美月の目が潤んだ。
ここまで言った。
もう、怖いものはない。
「お前からなんも補給できなかったとしても、俺はお前がいい」
「っ......」
「仮にお前を飯のまま例えるなら、食い尽くして皿だけになったとしても、それだって持って帰りてぇし、店ごと買収する」
「なにその例え......」
「美月」
ジャジーの手が、美月の顎をそっと掬い上げる。
真っ赤になった顔を見つめ、金色の目が細くなった。
もう。
知らないとも、分からないとも。
誤魔化すことは、できなかった。
「...っ...俺は...!」
息を吸う。
「お前が、好きなんだよ......っ!」
数秒。
誰も、動けなかった。
―――そして。
「タイム」
その言葉に、空気が死んだ。
「こっちが一世一代の告白してんのに“タイム”ってなんだ!」
「っていうかなんでちょっとキレ気味だったの!?」
「プライドだよ!」
美月は大きく息を吐いた。
「まず皆さん、周りを見てください」
「......あ?」
ジャジーが振り返る。
玄関だった場所には、木っ端微塵になった扉。
床には大量の木片。
ドアの蝶番は、片方だけが虚しく宙ぶらりんになっていた。
「......」
「......」
「この状態で二人に返事を返せるほど、私の視野は狭くありません」
「返す言葉もないでござる」
「......悪ィ」
「なので、まずは片付け。話はそれから―――」
一拍。
「―――じゃなくて、保留で」
「“保留”便利すぎんだろ!」
「私も頭を整理整頓したいの!今日は頭も身体もお休みです!」
美月はびしっとジャジーを指さす。
「ジャジーはドアの修繕!」
「チッ......分かったよ」
次に鳳。
「鳳はジャジーの監視兼サポート!」 「承知した」
「お前は何すんだよ」
美月は無言で寝台へ向かうと、そのまま布団へ潜り込んだ。
「戦略的休息という大きな任務があります」
「怠惰じゃねぇか!」
「必要な休息です!」
「ジャジー殿」
「なんだよ」
「蝶番が逆でござる」
「......」
ジャジーが手元を見ると、本当に逆だった。
「......おい、鳳」
「なんでござるか」
少しの沈黙。
「......ありがとな」
鳳が僅かに目を見開いた。
「......拙者は何もしておらぬ」
「だが、お前にはぜってぇ負けねぇ」
「美月殿が決めることでござる」
「......本音は?」
「......」
今度は鳳が黙る。
「......拙者が先に申したゆえ、まずは拙者への返事をいただきたい」
「お前も大概じゃねぇか!」
布団の中から声が飛んだ。
「ジャジー、今日中にドア直らなかったら追加補給しないからね」
「やる」
即答だった。
「よし」
再び、木材を拾う音が響き始める。
美月は布団の中で目を閉じた。
頭も身体も休める。
今日はもう何も考えない。
そう決めた。
決めたのに―――
『拙者の、伴侶となってほしい』
「......」
『お前が、好きなんだよ......っ!』
「............」
無理だった。
美月は布団を鼻先まで引き上げる。
頭の中では、二人の言葉が何度も何度も駆け回っている。
そして、心臓も。
自分の意思とは裏腹に。
先ほどよりも、さらに騒がしさを増していくのだった。
第3章 近づく距離編
最終話後編「己の意志」- 完 -
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