
第1章 夜の来訪者編 - 第1話「人間→妖→果てはちんちくりんな据え膳」
夜は、驚くほど静かだった。
耳を掠める程度に届く虫の声。
風に揺れる草木。
遠くから聞こえる、何かの鳴き声。
それが何の妖なのか考えていたら、多分朝になる。
美月は考える事を止め、布団の中で目を閉じた。
今日だけで情報量に殺されるところだった。
いや、死んではいるが。
形上死んではいるのだが、生きている。
隠世に来て。
人間ではなかったと知らされて。
妖籍まで作られて。
管理人からこの平屋をもらい、しばらくは保つであろう米や小麦、数種類ほどの野菜の種ももらった。
もう十分。
これでようやく、スローライフの準備が整う。
「畑......」
まずは、何を植えるか。
にんじん、じゃがいも、玉ねぎ。
これはマストだ。
他にも、大抵の料理に使える大根。
ナス、キュウリ、トマトも欲しい。
「トマトは第一果房が命だから、次こそ頑張ろう......」
人間界にいた時には失敗した。
だから、今度はこっちでリベンジしたい。
そんな平和極まりないことを考えながら、美月の意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。
「......なんだ、これ」
夜空を飛んでいた男が、唐突に翼を止めた。
夜を纏ったような肌。
濡羽色の翼腕。
猛禽類のような鉤爪を持つ下肢。
背中には悪魔を思わせる漆黒の羽。
風の中に、知らない匂いが混じっている。
こんな香りは初めてだった。
甘い。
ただの女の精気とも違う。
花とも、果実とも違う。
それなのに、身体の奥が勝手にそちらを向く。
「......すげぇ匂い」
夜空を裂くように羽ばたき、匂いを辿った。
辿り着いた先は、一軒の平屋だった。
「こんな場所に家なんかあったか?」
家屋の外周をくるりと周り、 窓越しに中を覗く。
布団の中には、小柄な女。
くすんだ深い緑色のショートヘアに、当たり障りない麻地の部屋着を纏い、無防備に横たわっている。
思わず、喉が鳴った。
見覚えはない。
つまり、最近この辺りへ来た者だ。
「......へぇ」
男の口角がゆっくりと上がった。
「ちんちくりんだが、まぁ悪かねぇ」
鋭い八重歯が月光を反射する。
「まぁ、据え膳食わぬはなんとやら、だよな」
牙の先を、舌がゆっくりとなぞる。
「今夜はこいつに決めた」
美月は、夢を見ていた。
人間として生きていた時の夢。
意識が微睡む中、知っている顔がぽつりぽつりと現れる。
泡のように浮かんでは消える。
きっと、起きた時には何の夢を見ていたのか覚えていないだろう。
そして、気づけば何か柔らかいものが、唇に触れている気がする。
温かい。
少しくすぐったい。
何度も確かめるように、啄まれているような感覚。
次に頬。
顎。
首筋。
「っ......ん......」
寝返りを打とうとした身体が、重い。
上手く動けない。
誰かの気配がするが、眠気の方が強く、意識が浮かびきらない。
唇へ、再び何かが触れた。
今度は少し長く、さっきとは違うつるりとした感覚。
そこだけが熱く溶けるような、妙な感覚。
男は、ゆっくり顔を離した。
「......なんだ、これ」
おかしい。
ほとんど何もしていない。
いや、キスはしている。
しかし、種族特性的に必要な、それ以上のことをほとんどしていない。
精気を得るためのまともな行動もとっていない。
それなのに、身体の奥に溜まっていた飢えが薄れている。
重かった翼が軽くなり、指先を動かすほどの軽い力で力強く持ち上がる。
魔力までほとんど回復していた。
「......マジかよ」
眠る彼女を見る。
ますます興味が湧き、無意識に口角が上がった。
男は美月の顔の横に両手をつく。
圧を受ける場所が変わったことで、ベッドがぎしりと鳴った。
「お前、何なんだ」
片方の指を美月の顎にかけ、軽く持ち上げる。
唇がぴくりと反応したが、未だに意識は浮上しない。
男の指が美月の頬をなぞり、そのまま首筋へ滑る。
触れれば触れるほど、不思議な満足感が広がった。
「んっ......」
自分が重ねていく愛撫に彼女が反応を示した時には、その満足感が更に膨れ上がっていく。
「......美味すぎんだろ」
試すように、衣服越しに腰へ触れる。
「......ぁ......っ」
彼女が身じろぎした。
男の目が細くなる。
―――もし、この先まで踏み込んだのなら。
一体どれだけの満足感を得られるのだろうか。
彼女の腰へ触れていた手がゆっくりと這い上がり、体のラインをなぞる。
「っ......ふ......」
再び膨れ上がる満足感。
「ちんちくりんの割に、以外といい体してんだな」
男の手が胸元へ近づいた、その瞬間。
―――美月の目が、ゆっくりと開いた。
第1章 夜の来訪者編 - 第1話
「人間→妖→果てはちんちくりんな据え膳」-完-
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