さすらいの軍神
──荒廃した街を、ボロ雑巾のようにさすらう。
火薬の爆撃により吹き飛んだ家屋。その下敷きとなって潰れている人間達は、辺りに臓物や骨を晒して無惨な屍と成り果てていた。日が昇り切った今でも瓦礫と瓦礫の間から黒煙が天高く登り、この地で起きた混沌の数々を体現しているようだった。
太陽は皮肉を言うかのように顔を出してギラギラと地上を焼き焦がす。
亜人ユニオンが武力蜂起したことで始まった今回のクーデター。その中に鎮圧剤として投下されたのが、僕が所属する対亜人軍隊であるAKSMU《アクスム》であった。
クーデターは昨晩で終わりを迎えたが、その代償として亜人ユニオンに所属していたすべての亜人の死と、近隣に住む罪のない人々の死は免れなかった。
──そしてAKSMU《アクスム》メンバーの死も、防ぐことはできなかった。
唯一の生き残りである僕も、身体に深刻なダメージを負った。竜の回復能力でも追いつかないほどの......。
愛用していたサーベルはボロボロに刃こぼれし、今では僕の体を支える杖と成り果ててしまった。
返り血や黒炭がへばりついた軍服で、カツカツと剣先で地面を掴みながら荒地の中を茫然と彷徨う。
作業のように足を運んで瓦礫の隙間を進んでいると、白い塗料で塗られた家屋を見つけた。戦場跡地の中ではどの建物よりも綺麗に外装が残っており、骨組みは焼け落ちずに健在であるようだ。
僕は壁にもたれかかり、全体重を預けながらずるりと腰を下ろす。「ふーっ」と息をついたのち、ウエストホルスターから一丁の拳銃を取り出した。AKSMU《アクスム》に所属することを許された軍人にのみ与えられる拳銃、黒鉄銃。僕が愛用しているサーベルはアーデリナ国軍全人員に与えられるが、この銃だけは例外になる。
弾倉を確認すると、残っている弾はあと一発。
『それ』をするには十分な弾数であった。
この世界に存在する二つの種族──人と、亜人。
長年に渡り繰り返される二つの種族の争いに終止符を打つ。その為に軍に入隊したというのに、争いを止めるどころか、僕はその争いに加勢し、両者の溝をより深くしてしまった。
何度抗議をしても司令部に跳ね返され、仲間を集っても誰も聞く耳を持たなかった。
一人で起こせる行動など、たかが知れていた。
償いをしなくてはならない。
自らの愚かさと非力さとこれまでの愚行。その全てを僕自身の死をもって償うのだ。
僕はこめかみに銃口を突きつけ、静かに引き金を引こうとした。
──幕引きだ
「口を挟むようですまないが、自害ほどつまらないことはないよ。少年」
突如聞こえてきた何者かの声に、僕は引き金にかけた手を静止してしまった。
見ると、黒いドレスに身を包んだ赤髪の女性がこちらを見下ろしていた。キラキラと光る水晶玉のついた木製の杖をつき、ウィッチハットを深々と被っている。
普通であれば彼女が何者なのか、何故戦場の跡地に居るのかなど様々な疑問が浮かぶのであろう。しかし、心身ともに疲弊していた僕には、そのような思考を回す気力も体力も残ってはいなかった。
僕は死ねなかった後悔とやるせない無力感に駆られ、銃を下ろし、虚空を見つめて口を開いた。
「僕は......何も出来ませんでした。千年前から始まった人と亜人の争いを、自分が終わらせるんだとタカを括ってこの様です。そりゃあ、死にたくもなりますよ」
気づくと僕は、彼女に愚痴をこぼしていた。これまでの生涯を通して、初めて誰かに鬱憤を吐いた瞬間であった。自分でも不思議なほどに、初対面であるはずの彼女に対して口が緩くなっているのが分かった。
「生き残ったのは君一人だけかい?」
「えぇ、まあ......貴方は何者ですか?」
ようやく思考回路が正常に働いてきた。昨夜から続く激戦の中で感覚が麻痺していたが、自分が置かれているこの現状にようやく違和感を抱くことが出来てきた。
「私かい? 私はエル・ティガス・ヴォルトロン。巷では『赫の魔女』と呼ばれているよ」
彼女は静かな声色でそう答えた。先程まで気づかなかったが、彼女の声は何処か深みを帯びていた。この世のありとあらゆる万物をその目で見つめてきたかのような堂々たる姿勢。その中に顕在するカリスマ性と優しさ。相反するようで様々なコントラストをたった一つの声で体現しているようだった。
そしてまた、彼女の話す内容にも驚きを隠せない。
「魔女......ですか。面白い冗談ですね」
僕は思わず笑みを溢してしまった。
確かに、この世には亜人という人間を超越した者達が存在している。ならば、魔法という奇術を扱う者達が存在していても、何もおかしくはない。
寧ろ、理にかなっているとすら思える。
「嘘じゃないよ。信じさせるには......そうだね......」
しばらくの沈黙の後、彼女の指を鳴らす音が空気を揺らした。
「君はレイ・フォードガスト。歳は十九歳で左利き。 敬語が癖なのを気にしている。得意な戦法は銃よりも剣であり、サーベルと亜人態での合併戦法を得意としていた。東洋の刀剣や侍に興味があり、抜刀術などの古来の戦法を研究している。黒髪と蒼眼は生まれつき。特に黒髪は周りから変な目で見られたのか......なるほど。父親が東洋人ときたか。なら刀好きなのも納得だね」
彼女は、僕の詳細を全て言い当てていた。
名前や生年月日などの個人情報は軍の司令部によって管理されていた為、何かの弾みで流出し、彼女の耳に届いたというのならば最悪合点がいく。しかし僕の得意な戦法や、ましてやAKSMU《アクスム》や軍の誰にも話していない思考すらも、彼女は言い当ててしまった。それ即ち、彼女が人類の枠組みを外れた特別な力を持っているということの決定的な証明であった。
「齢十六歳で両親が離婚。君は母親に引き取られたことで、戸籍上は母の名字である『フォードガスト』を名乗っているのか──流石にこれ以上はプライバシーだね。やめておこう」
彼女はそう言って「すまなかったね」と僕に向けて頭を下げた。
「信じてもらいたいが為に、少々読み取りすぎた。失態を詫びさせて欲しい」
「いえ......」
僕の情報を読み取られた嫌悪感よりも、困惑が僕の中で勝っていた。目の前の彼女の言動全てを受け入れるのに脳が抵抗している。
「──まさか、本当に魔女なんですか......?」
「納得していただけたかな? 軍神殿」
「......ええ」
彼女はハットの鍔から覗くエメラルドの瞳を緩め、優しく微笑んだ。そしてその場にしゃがみ込み、僕と目線を合わせて彼女は再び話を始める。
「さて、それじゃあ少し真面目な話をさせてもらおうかな。とその前に、折角魔女だと信じて貰えたんだ。お詫びにその怪我を治してあげよう。軍服も随分と汚れてしまったようだしね」
エルさんは杖を突き出して水晶玉を僕の胸元に押し当てた。
次の刹那、幾何学的な文様の赤い魔法陣が僕の体に展開された。その魔法陣から供給される暖かい風によって、僕の体に無数に刻まれた切り傷や血溜まり、さらには打撲や骨折が急速に回復していく。体の随所が何か特別な力に誘導されたかのように、潜在回復能力をフル稼働させている。
さらに、血だらけであった軍服は汚れが削り取られていき、その青い布生地と金の装飾を再び顕現させた。
「凄い......これが、魔法」
「亜人達とはまた違うだろうが、私も彼らと似たような者さ。魔法使いには魔法使いなりの得意分野がある。今みたいに誰かを治したり、守ったり......私はそういう、いわば『魔法使いの業』を成し遂げたいのだよ」
彼女はどこか寂れた表情でそう溢した。
「魔法使いの業......ですか?」
「長きに渡り、私達──魔法使いは人と亜人の争いを傍観し続けてきた。私の他にも魔法使いは複数人いるが、彼らは正直そこら辺の悪人よりも愚かだと言っていい」
彼女は悲しみと憎しみを乗せてそう話した。
「私は、人と亜人の争う姿を見ているのが耐えられなかった。魔法使いには奇跡を起こす力がある。ならばこの戦乱を終わらせる役割があるはずだろう?」
ウィッチハットにより完全に彼女の表情を確認することはできないが、彼女がどれほど苦しみを帯びた目で話しているのかは理解できた。
その言葉一つ一つには疑う余地がない。
それは僕の単なる直感である。もしかしたら彼女は虚言を吐いているかもしれないし、この会話全てが演技であるかもしれない。
しかし彼女が話した思いは、僕の思い描く理想の物語と全く同じであった。
──ただそれだけであるのに、僕は彼女を疑うことをしなかった。
出会って数分であるが、彼女が誰かに共感を得ようと虚構を並べ立てるような人物ではないと、今まで軍で様々な人間や亜人と関わってきた僕の軍神たる直感がそう言っているのだ。
「おっと、すまないね。別にお涙頂戴の話をしようと思ったわけじゃないんだ。ただ先程君の夢を聞いて、ある提案をしようと思ってね」
「......提案、ですか?」
僕は軽くなった体にじんわりとした感動を感じながら、彼女にそう尋ねた。
「私の元に来ないかい?」
「え......?」
突然のことに僕は思わず声を溢した。
「私は『ジニア』という武装組織を設立していてね。その活動目的はたった一つ。人と亜人の共生だ。そのために、あちこちの犯罪組織を潰してまわっている。人も亜人も関係なくね」
彼女の目は真っ直ぐに僕の目を見ていた。訴えかけようとするわけでもなく、懇願するわけでもなく、ただ純粋に、僕の意思を問いただしているようだった。
「それが、貴方が魔法使いの業とやらを追求して行った結果なんですね?」
僕の返しに、彼女は口角を上げた。
「流石だよ少年。まさにその通りさ。人と亜人の争いの種は両者の奪い合いによるものだ。銃の奪い合い、子供の奪い合い、権利の奪い合い、命の奪い合い......私はその種を一つずつ詰んでいきたいんだ。その為に、奪う者達を排除する。効率には欠けるが、一番可能性のある方法だ」
「ええ、よく......分かります。僕も任務で彼らの争いを幾度となく見てきた。僕はその奪い合いが嫌いでした......」
頭の中に、幼き日の記憶が蘇る。
山奥の町で起こった大火災。
取り残された狼の亜人の少女に手を差し伸べる人は誰一人としていなかった。
僕が手を伸ばそうとすると、母がその手を掴んで僕を火元と反対の方向へ引きずる。
──お母さん、ユナちゃんがまだっ......!
──あの子は大丈夫よ! 亜人なんだから放っておきなさい! 狼なんだから逃げれるわよ!
──わけが分からなかった。
何故、亜人だからという理由で彼女が見捨てられなければいけないのか......分からなかった。
──友達......だったのに。
この世界はおかしいと思った。誰かが変えなければいけないと思った。だから僕は軍に入り、権力を手に入れて、国を率いて差別と戦おうと思った。
その結果が──......。
「──僕が断る理由はありません」
死のうと思っていたところに、突然自分と同じ志をもつ者が手を差し伸べてきた。その手を取って共にこの不条理な世界と戦い、亜人達の権利を勝ち取ることこそ、これまで僕が殺してきた亜人達への餞になるはずだ。
きっと、そうだ。
「その組織、入ります。このふざけた争いを終わらせる為に」
「そうか――ありがとう。少年」
そうして差し出された彼女の華奢な手を、僕は力強く握り締めた。