ホーム「僕の初めての彼女は〝幽霊〟でした。」第一話「彼女。」
目次

第一話「彼女。」

夜の教室、窓枠の影を引く月明かり。
色褪せた制服から真っ白な肌がのぞく。
包み込む、仄かな蒼白い光。
唇からあふれる声が、静寂に溶け込んでいた。

 ***

春の昼下がり。
日差しはまだ高く、校舎は昼休みの賑わいで満ち、
窓から流れ込む風が、甘い花の香りを運んでくる。

「ねぇ、リップ何使ってる?」
「うん、あたしこれ?良くない?いずみはー?」
「私はこれ!色々試したけど、色落ちしにくいし!」
「わたしも一緒一緒ー♪」

凛が身を乗り出して、ポーチを覗き込む。
くすくすと笑い声が重なって、その輪にいるだけで頬がゆるむ。
「あっ、やば部活行かなきゃ、じゃあね!いずみ!」
「うん!じゃあね凛!」
「あたしもー。いずみは部活入んないの?」
「ううん。私はいいかな。」

机の上をばたばたと片付けると、彼女たちはそれぞれの部へ駆けていった。
......さ、帰ろうっと。

ポーチをしまい、学生カバンと着替えの入ったバッグを抱え、ふっと笑みが薄くなる。

やっぱりまだこのままでいたい......けど、もう高二だし。
でもわかってる。私、今しか。今のうちだけ......

「おーい最上!また体育休んだのか?」
「ひゃい!せ、先生すみません!」
声、裏返っちゃった......。うぅ、恥ずかしぃ。

「ごめんなさい!......今日急いでるので!」
「あ!全く、今度は出ろよー!」
「はーい!」
振り向きざまに返事して、駆け足で逃げるように教室を飛び出す。
......用事なんて、ほんとは無いけど。

廊下の向こう、凛とした立ち姿。風紀委員の腕章。
走る姿を見られた私は、誤魔化すように足を緩めた。

「最上さん?走っちゃだめですよ。」
「青野さん!ご、ごめんなさい」

芯のブレない声で、真っ直ぐこちらを見て話しかける。
同い年なのに。どうしたらこんな感じになれるんだろう。

「どうしたんですか?慌てて。」
「ううん、何でもないの!」
「あっ、ちょっと!また走って。もう、気を付けてくださいね。」

急ぎ足でパタパタと廊下を駆け抜け、
下駄箱で両膝を折りながら、カバンで前を隠すように、靴を履き替える。

校舎を出ると風が吹き抜け、スカートの裾がばたばたと靡き、慌てて裾を押さえた。
もう......風強ぃ......。

帰り道、立ち寄ったスーパー。店内は買い物客で賑わっていた。
周囲を見渡して、多目的トイレの鍵をちらりと確認。
表示は、青色。

あ、良かった空いてる、誰にも見られてないよね?着替えないと。お邪魔しま~す......。

鍵を閉めて、ほっと息をつく。リボンをほどき、メイクを落とし、カップ付インナーを外し、スカートを脱ぎ、
バッグから取り出したのは――

男子の制服。

「......うん。」
鏡の前の〝僕〟は、ちゃんと男の子。

着替え終え、前髪を軽く崩し、そっと扉を開け、視線を避けるように、群衆に紛れ帰路につく。
「ただいま〜。」
「あら、いずみ、おかえりなさい。」

顔を洗い、ボイトレにスキンケア。私で居れるための大事な時間。
別に男子が好きなわけじゃない。ただ、まだ私で居たい。
それだけなのに、どうしてこんなに......。

日は茜色に染まっていき、いつものルーティンを終える頃には、夜の帷が降りていく。
机に向かいノートを出そうとカバンを開け、青ざめた。

うそっ⁉︎あれっ?もう置いた?
カバンの中⁉︎......ない。あの時だ、先生が話しかけるから。うぅ、行かなきゃ......ダメだよね。
化粧水も少ないし、どうせなら帰りに買いに行こ。
あー、また着替えなきゃ。

住宅街を抜け、街灯に照らされた商店街に出る。
行き交う人々はまだ多く、雑踏を避けるように駆け、
息を切らし走るいずみは、人混みに紛れた青野の姿には気づかなかった。

青野は目を奪われた。思わず振り返り、足が止まる。

「え?」
ドキッとした。今の男子、誰?うちの制服。
知らない、見た事、ない?誰かに似てる気がする。
気に......なる。

視線の先の男子生徒は慌てた様子で駆けて行き、角を曲がり、雑踏の中に消えていく。
焼きついた横顔。青野の胸に、小さな甘いざわめきを残したまま。

――いずみは校門を抜け、着慣れない男子制服のベルトを直し、校舎へ向かった。

辺りはすっかり暗く、中に入ると、夜の校舎は普段とはまるで違い、小さく喉が鳴る。
湿ったコンクリートの匂いが鼻をかすめ、静まり返った廊下に、足音がやけに響く。
階段を上り二階に着くと、ひんやりとした冷気が肌を掠めた。

ちょっと不気味、お化け出るとか噂あったし。
あれ?なんか寒い?......トイレ行きたくなっちゃう。
今なら、良いよね?誰も見てないし、ついでに今着替えちゃお。

カチャン、と鍵を閉める音が耳につく。

「よいしょ......。」
着替え終えて息をつき、腰を下ろしたその瞬間。ぞわっ、と肌を撫でるような冷気。

「ひゃっ!」
今。確かに、空気が変わった。

『あれ?』

聞こえた。声。耳元でも頭の中でもない、壁一枚隔てた場所からの声。じわりと鼓動が早まり、背中が汗ばむ。

聞いた事ある......。夜の学校に出る幽霊。
絶対、聞こえた。
あぁ......こんな時間に来なければ良かった......。
唇を固く結び、奥歯がカタカタ鳴る。広がった鼓動が耳まで伝わる。

もぅやだ......。呼吸が浅くなり、視界が滲んでいく。

――視界に飛び込んできた白い影。


息が止まる。
声が出ない。


『えー?コレどっちー?ここ男子トイレだよねー?』

甘く高い声、眉をひそめた困り顔。
ドアを通り抜けたまま、じっとこちらを覗き込む。

喋っ、え......?なんか軽い?幽霊だよね?

『えー?なになにこれ、めっちゃかわいーんだけどー?』

浮いたまま、ころころと右へ左へと、興味津々に眺めてくる。
可愛い⁉︎ちょっと嬉し、いやそうじゃなくって!幽霊ってこんな感じなの⁉︎

愛嬌のある仕草に真っ白の肌。
体を包むような蒼白い仄かな光。
色が抜けたように淡い制服。

これって......旧制服?ドア――通り抜けてる。
やっぱり幽霊......けど、怖くない?
いや怖い......何なの......?

『触れない、よねぇ......。でも滅多にないしなんかしたいなー』

人差し指を顎に置き、何か考えている。

『あ、そうだ。』

子供のように、悪戯っぽく、にまっと笑った。
やだ!何する気⁉︎

身構えて、ぐっと唇を噛み締めた。

『いないいなーい......』

え?それって。
『ばぁ!』

変......顔?え、え?............え?

男子トイレの個室。私の目の前で、
全力のいないいないばあをする幽霊。思考が追いつかない。

『いないいなーい......』

え、待って、もう一回⁉︎無理無理止めて!

『ばぁ!』

――別パターン⁉︎

「......っ、あははは!」

笑っちゃう、無理だってこんなの!
変顔から一転、動きがビクッと止まる。

『うぇっ!なに⁉︎え、見えてる⁉︎』

肩をのけ反らせ、真正面で目が合う。私は息を吸い、吐いて。

「う、うん......見えてるよ?」

固まる幽霊、瞬きすらなく。目は......離せない。

『......えーーー⁉︎マジでーー⁉︎いつからぁーー⁉︎』

真っ白な頬がみるみる赤く染まる。
うぅ......なんかこっちも恥ずかしい......。

「......最初から、かな?」

『ずっとバレてたってことぉーー⁉︎恥ずかしすぎるぅーー!』

幽霊が真っ赤になった顔を両手で隠し、空中でごろごろ転がっている。
......幽霊も赤くなるんだ。ちょっと可愛い?いやこの子、可愛い。

『ゆってよぉーーー!!』

こちらに詰め寄り、目尻に涙を溜め、両拳を握りしめ激しく振っている。

「だ、だって......怖かったんだもん。」

あまりに自然な振る舞いに、いつしか普通に返していた。
胸に手を当てた、まだ心音は落ち着かない。

『もー!......え、ちょい待ちー??......女子?』

首を傾け不思議そうに。
今も頬には薄っすら赤みが残り、どこか幼くも見えた。

「う、ううん。」
『えぇぇぇぇぇ!なになに、どゆこと?』
「えっと......僕、男の子なんだ。」

言うとき、詰まる。
男子がこんな格好、変......だよね。
『あー、聞いたことあるかもー。へぇー?初めて見るわー』

あっけらかんに返す彼女に、自然と力が抜けた。
「あ、あの」
『なになにー?あーし話すの久しぶりだから、なんでも聞くよー!』

〝話すの久しぶり〟
その一言が、静かに刺さる。

――やっぱり、幽霊なんだ。でも、目の前のこの子......あっ。

「ええっと......恥ずかしいから、あんまりじっと見ないでほしい、かも。」

冷静になると思い出す現状。

トイレ中だった......。うぅ恥ずかしいぃ......。

『あ!え!ご、ごめぇーーん!』
ハッと気づき、顔を赤くし、すうっと扉をすり抜け姿を消した。

空気が軽くなり、しん、と静まる個室。ひんやりとした冷気が肌を刺す。
怖い......?

そう思った瞬間、壁の向こう側から。

『ねぇねぇ!話そーよ!終わったら声かけてー!』
「ひゃっ!う、うん」

何この子、自由すぎない?ふふ、なんか、笑っちゃうかも。

流れる水音、衣擦れの音が紛れ込む。

「お、おわったよ?」
声を合図に、ふわりと目の前に現れた。

『チーっす!ねぇねぇ、あーし寂しいから話そーぜぃ!教室でいー?』

目元にピースしながらの明るい笑顔。でも、
〝寂しいから〟

「う、うん。教室?いいよ。」
『帰っちゃヤダかんね⁉︎ちゃんと来てよ?』

ふよふよと浮かぶ彼女を追うようについていき、私の足音だけが廊下に静かに鳴っていた。

足音は厚い床を隔て、階下へ届くことなく消えていく。

消えた足音の下、一階校舎では、
玄関から、青野が静まり返った廊下へと進んでいた。

つい、追いかけちゃった。誰だっけ......あの顔、誰かに、どこかで。ああもう、何してるのかしら私。
風紀委員として?うん、その筈。けど......

あの姿がチラついて、離れない。

二階へ登ると、妙に寒い。教室から聞こえる僅かな声。
混ざった高鳴り。青野は喉を上下し、声を出す。

「......だ、誰かいますか?」

静まり返った廊下からの声に、いずみの肩が跳ねた。

今の声、青野さん⁉︎なんで⁉︎どうしよう、バレたら......
親に連絡とか、この格好で⁉︎

足音が近づいてくる。教室の引き戸が、ゆっくり、開く。

ギギ......。

『なになにー?だれー??』

彼女は呑気な声で、扉の方に耳を傾ける。

「ど、どうしよ......私、親に連絡されたくない......!」

目元が滲むいずみを、彼女がちらっと見て、にやりと笑う。

『ふふ〜、あーしに任せといてっ』

両手をふわりと上げる。
体を包む蒼白い光がほんのり強くなったように見えた。

青野が恐る恐る戸を開き、教室に入りながら辺りを見渡す。
いずみの姿は見当たらず、月明かりだけの暗い教室。
喉が張りつき唾を飲みこむ。

「あのー、だ、誰かいますか?......えっ」

カタ......カタカタ......。

机が......震えてる?勝手に、揺れてる。
窓、開いてない。誰も触れてないのに......?

ぶわっとプリントが宙に浮き上がり、冷たい風が吹き抜けた。

「ひ......っ」

噂、脳裏をよぎる。夜の校舎に女の子の幽霊。姿は、見えない。

「お、お化け......?」

上ずる声、すくむ体。机が一斉に鳴り、プリントが宙を舞う。その一枚が、頬に当たった。

「や、やだぁ!」
悲鳴を残し、振り返って走り出す足音が、廊下を遠ざかっていった。

しん、と静まった教室、舞っていたプリントがひらりと落ちる。すっと彼女の体を包む光が薄くなった。

『どう?あーしすごいっしょ!』

宙に浮いたまま私に向き、胸を張って、腰に手を当てニヤリと笑う。
褒めてと言わんばかりの様子に、私は困ったように笑い、息を吐いた。

「もう......やりすぎだよ。」

でも。
確かに、守ってくれた。

「ねぇ、幽霊、なんだよね?」
『どーみてもそうじゃね?だってあーし浮いてるし!物も浮かせれるよ?ウケるっしょ!』

腹を抱えてケタケタ笑うその仕草は、どこか無理をしてるようにも見えた。

――改めて見るその姿。

白い髪、銀糸のような髪先が靡き、月光に溶け込む。
透きとおるような肌。色を失い、存在を滲ませる制服。

月明かりの教室で、異物のように彼女だけが仄かに蒼く光ってる。

「......綺麗だね」

『え?』

「幻想的。すごく、綺麗。」

ぱちりと瞬きし、彼女の動きが止まる。

『ちょ、ちょっと!いきなり褒めるとか反則なんですけど⁉︎』

背をのけ反らせ、頬を、ほんのり染めて。

「ね、ねぇ。聞いていいかな?」
『つーかあーしも聞きたいし!』

彼女は浮いたままグイッと間合いを詰め、身を乗り出す。
不意の接近に身をよじり、小さく息を整えた。

「う、うん、なに?」
『なんでそんなに可愛いの⁉︎腹立つんですけど!』
「えっ、可愛い?かな?」

指差しながら口を尖らせてる彼女を横目に、思わず両手を頬に添え、口元が緩む。

〝可愛い〟私に向けたその言葉。やっぱり嬉しい。

『照れんなっつーの!え、でもマジで男子なの?』
「う、うん」
『へぇー、不思議ー。』

男子......ちょっと複雑な気分。

彼女は首を傾げると、宙でくるりと回った。
白い髪が月明かりにふわりと広がる。

「君は、いつからここにいるの?」

『あーし?忘れた!たぶん二、三年くらい?わかんね!』
あ。

二、三年。思わず視線が落ちた。
私、馬鹿。この子が普通すぎて。軽く......聞いちゃった。

『だから......ううん。』
『つか女子......じゃないんだよね?いつもその格好?』

くるりと回る勢いのまま、そのままふわっと戻ってきた。

「うん、外では......女の子の格好してるの。」
『マジ⁉︎全然女子じゃん!』

興奮した様子でまた勢いよく身を乗り出した。咄嗟に身をよじる。

ころころ動く。私の中の幽霊ってもっと、こう、思ってた感じと違う?って近い!この子距離感どうなってるの⁉︎

笑っていた彼女のその目に、ふと陰りが落ちる。

『あーしずっと女子に話しかけてたのに話せなかったしさ』
『......もう、諦めてたのに。』

その言葉に息が詰まる。
そっか、この子ずっと......。
逸らした視線に映る月明かりが、異様に眩しく感じた。

『ね、ね!めっちゃ話したいんだけど!いい⁉︎』
両手をブンブンと振り、興奮気味に目を見開いた。

「うん、いいよ?」
『名前!あーし結城美奈!ヨロシク!アンタは?』
目元でピースを作ったまま、その指先をこちらへ向ける。

「も、最上いずみ。」
『名前まで女子みたい!』
「うん。私、気に入ってるの。」
『私?』
「あ。普段、そう言ってるんだ」

顎に人差し指を置き不思議そうな美奈。やっぱり私......変かな。
『いいじゃん!かわいーし!』
屈託のない笑顔がじわっと染み込む。

『つーか......なんであーしのこと視えるの?話せてるし?』
「え?......わかんない。」
『波長?ノリ?ま、いっか!』

なんで見えるんだろう?わからない。
わからない、けど。私、この子に、なんていうか......。
可哀想?違う。ドキドキが入り混じって。なんだろう、コレ。

『あーし、外出れないっぽいんだよね。なんでかわかんないけど。』

〝出れない〟ずっと一人で......?

『ねえ、いつも夜、来てないよね?』
「今日はたまたま忘れ物しちゃって。」

『今日......だけなんだ。』

ぴたりと動きが止まった。
少し考えるように、美奈の顔が曇る。

『ねぇ、いずみって男子が好きなの?』
「ち、違うよ!」
首を振るいずみに、美奈は間を開いて、俯いたまま目線が合う。

『......彼女、いる?』
「いないよ!出来るわけないじゃん。」
食い気味に、少し照れるように笑った。

『......いないんだ、ふふ、そうなんだ。』
『じゃ、じゃあいずみは、好きな子、いる?』
「え?今は......いないけど。」

『今は?』
「う、うん、なんで?」

『なんでも無い......し。好きな子いないってマジ?』
「う、うん。そうだけど。」
『ふーん、そっか。』

ぷいっと顔を背ける美奈、机に座り足をぷらぷらと揺らしてる。
美奈が何かを言おうとして、止まり、そして口を開いた。

『じゃあさ......』
『......その、』

言い淀み、ほんの少し、再び間を置き、向き直って。

『......あーしと、付き合おうよ。』

軽い口調と裏腹にその目は真剣で、恥じらいを残して。

「......へ?」

頭が、真っ白になった。

『彼氏も彼女も出来なさそうなら、お試しってことで?』

にやりと笑い冗談みたいな口調。


――でも。
その奥にある〝本気〟が、少し見えた気がした。


高校二年生の春。


〝僕〟の初めての彼女は――幽霊でした。
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「僕の初めての彼女は〝幽霊〟でした。」作者:KUIT
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第一話「彼女。」

夜の教室、窓枠の影を引く月明かり。
色褪せた制服から真っ白な肌がのぞく。
包み込む、仄かな蒼白い光。
唇からあふれる声が、静寂に溶け込んでいた。

 ***

春の昼下がり。
日差しはまだ高く、校舎は昼休みの賑わいで満ち、
窓から流れ込む風が、甘い花の香りを運んでくる。

「ねぇ、リップ何使ってる?」
「うん、あたしこれ?良くない?いずみはー?」
「私はこれ!色々試したけど、色落ちしにくいし!」
「わたしも一緒一緒ー♪」

凛が身を乗り出して、ポーチを覗き込む。
くすくすと笑い声が重なって、その輪にいるだけで頬がゆるむ。
「あっ、やば部活行かなきゃ、じゃあね!いずみ!」
「うん!じゃあね凛!」
「あたしもー。いずみは部活入んないの?」
「ううん。私はいいかな。」

机の上をばたばたと片付けると、彼女たちはそれぞれの部へ駆けていった。
......さ、帰ろうっと。

ポーチをしまい、学生カバンと着替えの入ったバッグを抱え、ふっと笑みが薄くなる。

やっぱりまだこのままでいたい......けど、もう高二だし。
でもわかってる。私、今しか。今のうちだけ......

「おーい最上!また体育休んだのか?」
「ひゃい!せ、先生すみません!」
声、裏返っちゃった......。うぅ、恥ずかしぃ。

「ごめんなさい!......今日急いでるので!」
「あ!全く、今度は出ろよー!」
「はーい!」
振り向きざまに返事して、駆け足で逃げるように教室を飛び出す。
......用事なんて、ほんとは無いけど。

廊下の向こう、凛とした立ち姿。風紀委員の腕章。
走る姿を見られた私は、誤魔化すように足を緩めた。

「最上さん?走っちゃだめですよ。」
「青野さん!ご、ごめんなさい」

芯のブレない声で、真っ直ぐこちらを見て話しかける。
同い年なのに。どうしたらこんな感じになれるんだろう。

「どうしたんですか?慌てて。」
「ううん、何でもないの!」
「あっ、ちょっと!また走って。もう、気を付けてくださいね。」

急ぎ足でパタパタと廊下を駆け抜け、
下駄箱で両膝を折りながら、カバンで前を隠すように、靴を履き替える。

校舎を出ると風が吹き抜け、スカートの裾がばたばたと靡き、慌てて裾を押さえた。
もう......風強ぃ......。

帰り道、立ち寄ったスーパー。店内は買い物客で賑わっていた。
周囲を見渡して、多目的トイレの鍵をちらりと確認。
表示は、青色。

あ、良かった空いてる、誰にも見られてないよね?着替えないと。お邪魔しま~す......。

鍵を閉めて、ほっと息をつく。リボンをほどき、メイクを落とし、カップ付インナーを外し、スカートを脱ぎ、
バッグから取り出したのは――

男子の制服。

「......うん。」
鏡の前の〝僕〟は、ちゃんと男の子。

着替え終え、前髪を軽く崩し、そっと扉を開け、視線を避けるように、群衆に紛れ帰路につく。
「ただいま〜。」
「あら、いずみ、おかえりなさい。」

顔を洗い、ボイトレにスキンケア。私で居れるための大事な時間。
別に男子が好きなわけじゃない。ただ、まだ私で居たい。
それだけなのに、どうしてこんなに......。

日は茜色に染まっていき、いつものルーティンを終える頃には、夜の帷が降りていく。
机に向かいノートを出そうとカバンを開け、青ざめた。

うそっ⁉︎あれっ?もう置いた?
カバンの中⁉︎......ない。あの時だ、先生が話しかけるから。うぅ、行かなきゃ......ダメだよね。
化粧水も少ないし、どうせなら帰りに買いに行こ。
あー、また着替えなきゃ。

住宅街を抜け、街灯に照らされた商店街に出る。
行き交う人々はまだ多く、雑踏を避けるように駆け、
息を切らし走るいずみは、人混みに紛れた青野の姿には気づかなかった。

青野は目を奪われた。思わず振り返り、足が止まる。

「え?」
ドキッとした。今の男子、誰?うちの制服。
知らない、見た事、ない?誰かに似てる気がする。
気に......なる。

視線の先の男子生徒は慌てた様子で駆けて行き、角を曲がり、雑踏の中に消えていく。
焼きついた横顔。青野の胸に、小さな甘いざわめきを残したまま。

――いずみは校門を抜け、着慣れない男子制服のベルトを直し、校舎へ向かった。

辺りはすっかり暗く、中に入ると、夜の校舎は普段とはまるで違い、小さく喉が鳴る。
湿ったコンクリートの匂いが鼻をかすめ、静まり返った廊下に、足音がやけに響く。
階段を上り二階に着くと、ひんやりとした冷気が肌を掠めた。

ちょっと不気味、お化け出るとか噂あったし。
あれ?なんか寒い?......トイレ行きたくなっちゃう。
今なら、良いよね?誰も見てないし、ついでに今着替えちゃお。

カチャン、と鍵を閉める音が耳につく。

「よいしょ......。」
着替え終えて息をつき、腰を下ろしたその瞬間。ぞわっ、と肌を撫でるような冷気。

「ひゃっ!」
今。確かに、空気が変わった。

『あれ?』

聞こえた。声。耳元でも頭の中でもない、壁一枚隔てた場所からの声。じわりと鼓動が早まり、背中が汗ばむ。

聞いた事ある......。夜の学校に出る幽霊。
絶対、聞こえた。
あぁ......こんな時間に来なければ良かった......。
唇を固く結び、奥歯がカタカタ鳴る。広がった鼓動が耳まで伝わる。

もぅやだ......。呼吸が浅くなり、視界が滲んでいく。

――視界に飛び込んできた白い影。


息が止まる。
声が出ない。


『えー?コレどっちー?ここ男子トイレだよねー?』

甘く高い声、眉をひそめた困り顔。
ドアを通り抜けたまま、じっとこちらを覗き込む。

喋っ、え......?なんか軽い?幽霊だよね?

『えー?なになにこれ、めっちゃかわいーんだけどー?』

浮いたまま、ころころと右へ左へと、興味津々に眺めてくる。
可愛い⁉︎ちょっと嬉し、いやそうじゃなくって!幽霊ってこんな感じなの⁉︎

愛嬌のある仕草に真っ白の肌。
体を包むような蒼白い仄かな光。
色が抜けたように淡い制服。

これって......旧制服?ドア――通り抜けてる。
やっぱり幽霊......けど、怖くない?
いや怖い......何なの......?

『触れない、よねぇ......。でも滅多にないしなんかしたいなー』

人差し指を顎に置き、何か考えている。

『あ、そうだ。』

子供のように、悪戯っぽく、にまっと笑った。
やだ!何する気⁉︎

身構えて、ぐっと唇を噛み締めた。

『いないいなーい......』

え?それって。
『ばぁ!』

変......顔?え、え?............え?

男子トイレの個室。私の目の前で、
全力のいないいないばあをする幽霊。思考が追いつかない。

『いないいなーい......』

え、待って、もう一回⁉︎無理無理止めて!

『ばぁ!』

――別パターン⁉︎

「......っ、あははは!」

笑っちゃう、無理だってこんなの!
変顔から一転、動きがビクッと止まる。

『うぇっ!なに⁉︎え、見えてる⁉︎』

肩をのけ反らせ、真正面で目が合う。私は息を吸い、吐いて。

「う、うん......見えてるよ?」

固まる幽霊、瞬きすらなく。目は......離せない。

『......えーーー⁉︎マジでーー⁉︎いつからぁーー⁉︎』

真っ白な頬がみるみる赤く染まる。
うぅ......なんかこっちも恥ずかしい......。

「......最初から、かな?」

『ずっとバレてたってことぉーー⁉︎恥ずかしすぎるぅーー!』

幽霊が真っ赤になった顔を両手で隠し、空中でごろごろ転がっている。
......幽霊も赤くなるんだ。ちょっと可愛い?いやこの子、可愛い。

『ゆってよぉーーー!!』

こちらに詰め寄り、目尻に涙を溜め、両拳を握りしめ激しく振っている。

「だ、だって......怖かったんだもん。」

あまりに自然な振る舞いに、いつしか普通に返していた。
胸に手を当てた、まだ心音は落ち着かない。

『もー!......え、ちょい待ちー??......女子?』

首を傾け不思議そうに。
今も頬には薄っすら赤みが残り、どこか幼くも見えた。

「う、ううん。」
『えぇぇぇぇぇ!なになに、どゆこと?』
「えっと......僕、男の子なんだ。」

言うとき、詰まる。
男子がこんな格好、変......だよね。
『あー、聞いたことあるかもー。へぇー?初めて見るわー』

あっけらかんに返す彼女に、自然と力が抜けた。
「あ、あの」
『なになにー?あーし話すの久しぶりだから、なんでも聞くよー!』

〝話すの久しぶり〟
その一言が、静かに刺さる。

――やっぱり、幽霊なんだ。でも、目の前のこの子......あっ。

「ええっと......恥ずかしいから、あんまりじっと見ないでほしい、かも。」

冷静になると思い出す現状。

トイレ中だった......。うぅ恥ずかしいぃ......。

『あ!え!ご、ごめぇーーん!』
ハッと気づき、顔を赤くし、すうっと扉をすり抜け姿を消した。

空気が軽くなり、しん、と静まる個室。ひんやりとした冷気が肌を刺す。
怖い......?

そう思った瞬間、壁の向こう側から。

『ねぇねぇ!話そーよ!終わったら声かけてー!』
「ひゃっ!う、うん」

何この子、自由すぎない?ふふ、なんか、笑っちゃうかも。

流れる水音、衣擦れの音が紛れ込む。

「お、おわったよ?」
声を合図に、ふわりと目の前に現れた。

『チーっす!ねぇねぇ、あーし寂しいから話そーぜぃ!教室でいー?』

目元にピースしながらの明るい笑顔。でも、
〝寂しいから〟

「う、うん。教室?いいよ。」
『帰っちゃヤダかんね⁉︎ちゃんと来てよ?』

ふよふよと浮かぶ彼女を追うようについていき、私の足音だけが廊下に静かに鳴っていた。

足音は厚い床を隔て、階下へ届くことなく消えていく。

消えた足音の下、一階校舎では、
玄関から、青野が静まり返った廊下へと進んでいた。

つい、追いかけちゃった。誰だっけ......あの顔、誰かに、どこかで。ああもう、何してるのかしら私。
風紀委員として?うん、その筈。けど......

あの姿がチラついて、離れない。

二階へ登ると、妙に寒い。教室から聞こえる僅かな声。
混ざった高鳴り。青野は喉を上下し、声を出す。

「......だ、誰かいますか?」

静まり返った廊下からの声に、いずみの肩が跳ねた。

今の声、青野さん⁉︎なんで⁉︎どうしよう、バレたら......
親に連絡とか、この格好で⁉︎

足音が近づいてくる。教室の引き戸が、ゆっくり、開く。

ギギ......。

『なになにー?だれー??』

彼女は呑気な声で、扉の方に耳を傾ける。

「ど、どうしよ......私、親に連絡されたくない......!」

目元が滲むいずみを、彼女がちらっと見て、にやりと笑う。

『ふふ〜、あーしに任せといてっ』

両手をふわりと上げる。
体を包む蒼白い光がほんのり強くなったように見えた。

青野が恐る恐る戸を開き、教室に入りながら辺りを見渡す。
いずみの姿は見当たらず、月明かりだけの暗い教室。
喉が張りつき唾を飲みこむ。

「あのー、だ、誰かいますか?......えっ」

カタ......カタカタ......。

机が......震えてる?勝手に、揺れてる。
窓、開いてない。誰も触れてないのに......?

ぶわっとプリントが宙に浮き上がり、冷たい風が吹き抜けた。

「ひ......っ」

噂、脳裏をよぎる。夜の校舎に女の子の幽霊。姿は、見えない。

「お、お化け......?」

上ずる声、すくむ体。机が一斉に鳴り、プリントが宙を舞う。その一枚が、頬に当たった。

「や、やだぁ!」
悲鳴を残し、振り返って走り出す足音が、廊下を遠ざかっていった。

しん、と静まった教室、舞っていたプリントがひらりと落ちる。すっと彼女の体を包む光が薄くなった。

『どう?あーしすごいっしょ!』

宙に浮いたまま私に向き、胸を張って、腰に手を当てニヤリと笑う。
褒めてと言わんばかりの様子に、私は困ったように笑い、息を吐いた。

「もう......やりすぎだよ。」

でも。
確かに、守ってくれた。

「ねぇ、幽霊、なんだよね?」
『どーみてもそうじゃね?だってあーし浮いてるし!物も浮かせれるよ?ウケるっしょ!』

腹を抱えてケタケタ笑うその仕草は、どこか無理をしてるようにも見えた。

――改めて見るその姿。

白い髪、銀糸のような髪先が靡き、月光に溶け込む。
透きとおるような肌。色を失い、存在を滲ませる制服。

月明かりの教室で、異物のように彼女だけが仄かに蒼く光ってる。

「......綺麗だね」

『え?』

「幻想的。すごく、綺麗。」

ぱちりと瞬きし、彼女の動きが止まる。

『ちょ、ちょっと!いきなり褒めるとか反則なんですけど⁉︎』

背をのけ反らせ、頬を、ほんのり染めて。

「ね、ねぇ。聞いていいかな?」
『つーかあーしも聞きたいし!』

彼女は浮いたままグイッと間合いを詰め、身を乗り出す。
不意の接近に身をよじり、小さく息を整えた。

「う、うん、なに?」
『なんでそんなに可愛いの⁉︎腹立つんですけど!』
「えっ、可愛い?かな?」

指差しながら口を尖らせてる彼女を横目に、思わず両手を頬に添え、口元が緩む。

〝可愛い〟私に向けたその言葉。やっぱり嬉しい。

『照れんなっつーの!え、でもマジで男子なの?』
「う、うん」
『へぇー、不思議ー。』

男子......ちょっと複雑な気分。

彼女は首を傾げると、宙でくるりと回った。
白い髪が月明かりにふわりと広がる。

「君は、いつからここにいるの?」

『あーし?忘れた!たぶん二、三年くらい?わかんね!』
あ。

二、三年。思わず視線が落ちた。
私、馬鹿。この子が普通すぎて。軽く......聞いちゃった。

『だから......ううん。』
『つか女子......じゃないんだよね?いつもその格好?』

くるりと回る勢いのまま、そのままふわっと戻ってきた。

「うん、外では......女の子の格好してるの。」
『マジ⁉︎全然女子じゃん!』

興奮した様子でまた勢いよく身を乗り出した。咄嗟に身をよじる。

ころころ動く。私の中の幽霊ってもっと、こう、思ってた感じと違う?って近い!この子距離感どうなってるの⁉︎

笑っていた彼女のその目に、ふと陰りが落ちる。

『あーしずっと女子に話しかけてたのに話せなかったしさ』
『......もう、諦めてたのに。』

その言葉に息が詰まる。
そっか、この子ずっと......。
逸らした視線に映る月明かりが、異様に眩しく感じた。

『ね、ね!めっちゃ話したいんだけど!いい⁉︎』
両手をブンブンと振り、興奮気味に目を見開いた。

「うん、いいよ?」
『名前!あーし結城美奈!ヨロシク!アンタは?』
目元でピースを作ったまま、その指先をこちらへ向ける。

「も、最上いずみ。」
『名前まで女子みたい!』
「うん。私、気に入ってるの。」
『私?』
「あ。普段、そう言ってるんだ」

顎に人差し指を置き不思議そうな美奈。やっぱり私......変かな。
『いいじゃん!かわいーし!』
屈託のない笑顔がじわっと染み込む。

『つーか......なんであーしのこと視えるの?話せてるし?』
「え?......わかんない。」
『波長?ノリ?ま、いっか!』

なんで見えるんだろう?わからない。
わからない、けど。私、この子に、なんていうか......。
可哀想?違う。ドキドキが入り混じって。なんだろう、コレ。

『あーし、外出れないっぽいんだよね。なんでかわかんないけど。』

〝出れない〟ずっと一人で......?

『ねえ、いつも夜、来てないよね?』
「今日はたまたま忘れ物しちゃって。」

『今日......だけなんだ。』

ぴたりと動きが止まった。
少し考えるように、美奈の顔が曇る。

『ねぇ、いずみって男子が好きなの?』
「ち、違うよ!」
首を振るいずみに、美奈は間を開いて、俯いたまま目線が合う。

『......彼女、いる?』
「いないよ!出来るわけないじゃん。」
食い気味に、少し照れるように笑った。

『......いないんだ、ふふ、そうなんだ。』
『じゃ、じゃあいずみは、好きな子、いる?』
「え?今は......いないけど。」

『今は?』
「う、うん、なんで?」

『なんでも無い......し。好きな子いないってマジ?』
「う、うん。そうだけど。」
『ふーん、そっか。』

ぷいっと顔を背ける美奈、机に座り足をぷらぷらと揺らしてる。
美奈が何かを言おうとして、止まり、そして口を開いた。

『じゃあさ......』
『......その、』

言い淀み、ほんの少し、再び間を置き、向き直って。

『......あーしと、付き合おうよ。』

軽い口調と裏腹にその目は真剣で、恥じらいを残して。

「......へ?」

頭が、真っ白になった。

『彼氏も彼女も出来なさそうなら、お試しってことで?』

にやりと笑い冗談みたいな口調。


――でも。
その奥にある〝本気〟が、少し見えた気がした。


高校二年生の春。


〝僕〟の初めての彼女は――幽霊でした。
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「僕の初めての彼女は〝幽霊〟でした。」作者:KUIT
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